26 叙任式
今ではすっかりアウグスト=ハイゼンベルク次期伯爵の執務室となった、ユーリウス=ハイゼンベルク前伯爵の書斎は、新たな主人のもと、知的生産の場としての力を全開にしていた。
アウグストが新たな書類束を手に取ったとき、遠慮がちなノックが数回打ち鳴らされた。
「どうぞ、お入りください」
書類から顔を上げずに、アウグストは返事をした。
「お忙しい所……申し訳ありません」
顔を見せたのは、アウグストと弟ランブレヒトを担当していたレオンチー=スヴォロフ家庭教師だ。
事件の後は、宿での待機となっていた。
「最高神ディアグ神殿からの辞令が届きまして。この地を離れることになりまして。そのご挨拶に、参りました」
「先生……。さみしくなりますね」
アウグストは残念そうに眉を寄せた。
「これから、王都に戻られるのでしょうか」
レオンチーは言いにくそうに言葉をつないだ。
「……いいえ。東の果て、ナゼールへの赴任ということでした」
アウグストは、驚きあきれた。
おそらく、教え子が刑事事件を起こしたこと、また、未遂ではあったがその被害者が、同じ教え子のアウグスト。兄弟だったからだろう。
言うなれば、教育の完全な失敗という話だ。その罰として、神殿側が左遷した──というところだ。
海と馬のあるエルメントラウトにあこがれて、赴任してきたレオンチーの心情を考えると、風雪が吹きすさぶだけのナゼールへの赴任は、心が千々に乱れるほどの悲しみがあり、その心痛がアウグストには目に見えるようで。
腹に据えかねる様子のアウグストは、感情を抑えて、こう告げた。
「レオンチー先生。旅立ちの日はまだ、ですよね。その裁定をひっくり返してみせますよ」
「──……どうされるのです?」
レオンチーは、そのアウグストの燃えるような瞳を見つめて、やがて、深く頭を下げた。
*
銀霜の月三日。アウグストは、王都ヤイニッセを目指しての馬車に乗っていた。
新伯爵としての叙任式のためだ。
本来であれば、もう少し時間を置いてというところではあるだろうが。
時期が時期だ。
ひと月も経てば、雪煌の月だ。雪煌祭。年越しまでの舞踏会シーズン。そして年明けと王宮は大忙しのてんてこ舞いだ。
そこへ、新伯爵の叙任式まで入ってくるとなると、王の予定管理も難しくなる。
また、年明けすぐとなると、今度はアウグストの方が都合が悪くなる。
馬たちの出産シーズンが始まるのだ。
ことに、今シーズンは新伯爵としてのアウグストの一大仕事だ。片手間などではできない。
その事情は、王宮からの配慮ももちろんあった。
だからこその、銀霜の月での叙任式なのだ。
叙任式は、銀霜の月十五日。
「いつも、護衛ありがとう」
「いいんですぜ。若様。俺達は、あんたの護衛なんだから」
フィーランたち用心棒を名乗っていた彼らは、アルミカル=パリスとともに正式なアウグストの護衛として雇われた。
「若様って。いつの間にか固定しちゃったわね。その呼び方」ジョベールが笑っていう。
「俺から、始まったんだっけ。その呼び方」イアンが首を傾げ、「そうね」とフランセットが相槌を打った。
「さあ、だべってないで。そろそろ行こうか。若様。よろしいでしょうか?」
アウグストは、うなずき。
アルミカルが護衛たちに合図を出す。
馬車は静かに車輪を回した。
*
「よし。ようやく着いたわい」
シヒヴォラの町からは、駐留していたトゥトールス騎士団も列に加わった。
馬車には、疲れた顔の祖父である、千騎の伯コンラート=ハイゼンベルクの姿もあった。
「ゆっくり見物をしたいところでもあるが……」
翌々日は、王の御前でのアウグスト=ハイゼンベルク新伯爵の叙任式当日だった。
アウグストは、王都ヤイニッセに近づくにつれ、増えていく建物や行商などのキャラバン、王都に入る人々、またそこから出ていく人々。
そのあまりの多さに、既に度胆を抜かれていた。
「じい様……人も建物も、多いですね……」
気後れしたアウグストは、言葉も途切れがちだ。
「おお。実は儂も、王都は、苦手でな……」
やがて、王宮が近づき、トゥトールス騎士団たちと特に言葉を交わさず、別れた。
騎士団にとっての護衛は終わったわけではないが、アウグストが王宮に入ってからの役割が変わるのだ。
アウグストは、案内人に従って王宮内を歩いていく。
途中、全面ガラスで造られた廊下を通った。
──ようやくたどり着いたのは、東翼の中でも格式の高い金の間。
「えっと。じい様。ここはあまりに格式が高くないですか?」
「儂も、驚いているところだ」
そこへノックのあと、オスニエルが顔をのぞかせた。
「うむ。ホレイショ王にしては、金の間を使うとは、気合の入り方が違うのう」
「え。そうなんですか?やっぱり」
「そうだろう。だって。この客間は、王宮で一番の格の高い客間だからな。おいそれとは使わせないはずだ。だが。やはり流石はハイゼンベルクよ。ホレイショ王は、しっかりとそこのところは押さえておるようだ」
「そうなんですね……」
窓の外には、晩秋でも映える造作をした見事な庭があった。
「今更ですが、緊張してきました」
じい様と蒼穹の雷帝は、目を見開いて顔を見合わせたまま、次の瞬間笑い転げた。
*
前日に禊を済ませたアウグストは、真新しいハイゼンベルク伯爵家の色を使用した典礼服に着替えた。
刺繍や宝石がやけに重く感じ、まるで体が痒くなるようだ。
じい様、千騎の伯コンラート=ハイゼンベルク前々伯爵も着付けが終わったようで、先に控えの間で待機をしていた。
「アウグスト。立派な姿だな」
「それを言うなら、じい様もでしょ」
二人は、じゃれ合うように笑ったが、ノックの次の瞬間、顔を引き締めた。
*
謁見の間の権威ある扉が、アウグストとコンラートのために開かれた。
二人は玉座の前に控えた。
しばらくすると、ホレイショ・サイラス=グリュックスブルク王とアヴリル・ベリンダ=グリュックスブルク王妃が、玉座に座る。
儀礼官が、コンラートの奏上を許す。
「陛下の臣下、コンラート=ハイゼンベルク。不肖の息子、ユーリウスが汚しましたこの印章を、王権へとご返却いたします」
儀礼官の采配により係官が、その印章をコンラートから預かり、印章は、王座の近くの台座に一旦置かれることとなった。
次は儀礼官が新たな人物を呼んだ。
「アウグスト=ハイゼンベルク。前へ出ませい」
「は」
控えていたアウグストが、一歩前に出て片膝立ちになり、深く頭を下げる。
「アウグスト=ハイゼンベルク。其方の忠義と功績を認め、此の印を授ける。これより其方をハイゼンベルク伯爵に叙する」
ホレイショ王は、真新しい印章を用意させていたようだ。
アウグストは、王の御前に進み出て、その真新しい印章を受け取り、押し頂いた。
王は、抜き身の剣をアウグストの右肩に押しつけた。
「陛下の御前にお誓いいたします。
わたくし、アウグスト=ハイゼンベルクは、新しきハイゼンベルクとして立ち、王国の法と秩序を遵守し、伯爵として授かるすべての権限を、エルメントラウトの土を、民を、そして陛下の版図を、揺るぎなく支えることを誓います。王国と領地の双方に誠実であることを、
この名と命をもってお約束いたします」
アウグストの誓いが叶えられるようにと、神殿の鐘が複数回打ち鳴らされた。
その鐘の音は、王宮の最奥、忘却の塔にまで響いた。
その鐘の音は、冷たく転がる前伯爵ユーリウス=ハイゼンベルクの耳朶をも震わせる。
*
儀礼的な夕食を摂ったあと、金の間に戻ってきた、二人は流石に疲れた顔で、、ベッドに転がった。
「よう、若き伯爵よ」
先触れが戻っていったあと、エルライド辺境伯が顔を出した。
「雷帝様!」
四肢を伸ばしていたアウグストが、跳ね上がってベッドの横に立ち上がった。
「アウグスト君よ。誓約は特に立派だったぞ」
「ありがとうございます」
「それについては、ハイゼンベルク様は、どう思うね」
ベッド上に座り直したコンラートを、オスニエルは茶化す。
「いや、儂から見ても立派であったぞ。アウグスト」
褒められることに未だに慣れてはいないアウグストは少し、あうあうと口を開けていたが、少しは腹が決まったのか、二人に向けてしっかりと晴れがましい笑顔を見せた。
*
すべての日程を終えて、帰宅の途上。
アイロラの町に立ち寄ることとなった。
前回激昂のままに、屋敷からアウグストを追い出したリヒャルト=ヒンターマイヤーは、気まずい顔で新伯爵アウグストを迎え入れた。
「新伯爵就任おめでとうございます」とリヒャルトは祝福を伝えたが、顔はひきつっていた。
「ありがとうございます。その節はお世話になりました」
アウグストは少し楽しげに礼を返す。
「そ……その節は、大変申し訳ございませんでした。あの件は、当方の全くの誤解でございました。大変申し訳ございませんでした」
リヒャルトは殊勝にも深々と一礼した。
「いいえ。お気になさらず。何かとご事情がお有りなのでしょうから」
すっきりするような笑顔をアウグストが浮かべたが、その横で馬産地交易ギルド統括でもあるコンラートが、渋い顔で睨んでいた。
「事の顛末は孫よりうかがっていますが。事情も確かめずに、ギルドの係官まで追い出すということは、我らギルドへの叛旗と捉えてよろしいかな」
リヒャルトは、その眼光に震え上がった。
「め……滅相もございません……、当方の勘違いでございました。……本当に申し訳ございません……」
コンラートは、鼻を鳴らすと、
「それこそ、申し訳ないが。当方のギルド係官をもないがしろにした罪は、負ってもらう。二年にわたってお主らヒンターマイヤー家の、馬産地交易ギルド主催のセリ。ことに王冠馬選定会のセリへの参加と出品及び入札を禁止とさせていただく」
「ええっ……そんなぁ……」
リヒャルトは、へなへなとその場にへたり込んだ。
そうだろう。
リヒャルトにとっては、セリで良い馬を見つけ、その馬を独自の流通ルートに乗せることで、かなりの収益を得てきたのだ。
それが複数年にわたって途切れてしまう。
既にリヒャルトは、青息吐息であった。
コンラートは、少し悪い顔をして孫息子を見た。
アウグストはほんの少しだけ、リヒャルトに同情したような顔をした。




