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汐風、駆ける 〜牧場伯爵家ご嫡男、馬と共に領地を再興する〜  作者: 石井はっ花


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23/30

23 汐風、帰る

数日経っても、トゥトールス騎士団のつけた軍靴の跡は、消えてはいなかった。

 石畳は無惨に土で汚れている。

「早く掃かないと、土が乾いて模様に入っちゃう」

 リーアは、この度の騒動のあと、数少なくなったメイドの一人だ。務め始めてからまだ三ヶ月。


 仕事の覚えは早めだが、おっちょこちょいなのか、ベテランメイドたちにやり直しをさせられることが多かった。


「今はもう、ヘルダさんもヒセラさんもいないから、頑張らなきゃ」

 リーアは一所懸命に、ほうきを動かしている。


 小一時間は経っただろうか。

 玄関先から始めた掃き掃除は、もうすぐ端まで来る。

 ふう。とリーアが顔を上げたとき、見慣れた顔が見えた。


「ただいま。リーア」

「アウグスト様!」

 アウグストは、ハイゼンベルクの屋敷前で石畳を掃くリーアの姿を見つけて馬から降り、何回かリーアに声をかけたのだが、聞こえなかったらしく待っていたのだ。


「おかえりなさいませ」

 リーアは、花がほころぶように笑った。

 アウグストの胸はどうしてか、ときめきを覚えた。


 その笑顔から、ぽたりと涙がこぼれた。

 笑顔が、ゆっくりと歪んでいく。


「アウグスト様……、もうお会いできないんじゃないかと思って、怖かったです」

「そうか……」

 リーアの頭をゆっくりと撫でてやる。

「ただいま。リーア」


 そんな二人を少し離れたところから、フィーランたち、アルミカル=パリス、そしてオスニエル=エルライド辺境伯とコンラート=ハイゼンベルクが、ニヤニヤと笑いながら見ていた。


「おや、アウグスト君もお年頃というわけですな」

「いやいや、雷帝どの。ヤツも良い年頃ですので」

「いやいやいや、前伯爵様も意地の悪い。見て見ぬふりをされてくださいませ」

 アルミカルが、含み笑いをした。


「なんですか! もう! リーアとは、そんなんじゃありません!」

「え! そんなんじゃないって何?」

 女性陣からも声が上がる。

「それじゃ、リーアちゃんも可哀想じゃない」

「えっ」

 アウグストは驚いてリーアの顔を見た。

 リーアは、話の展開が早すぎて、きょとんとしている。涙はどうやら止まったようだ。


「リーアちゃん。男って、鈍感だから、はっきり言わなきゃ」ジョベールが笑い声で言う。

「そうよ。本当に鈍感よね! この際だから、言っちゃっていいのよ!」フランセットも追い打ちをかける。

「え? あの?」


「私! そんなんじゃ、ありません! 失礼します!」

 リーアは赤い顔をして、ほうきを抱えて屋敷に走り去っていった。


 *


 一行は、応接室に腰を落ち着けた。

 屋敷に残った従者やメイドたちが、温かいお茶の用意をしてくれている。


 リーアもその一人だ。

 屋敷の掃除などを主に担当していた者だ。


 両親や弟に専属でついていた召使いたちは、警備隊やトゥトールス騎士団の騎士たちの事情聴取のあと、進退を決めることになっていた。


 その他の者は、醜聞の発生した家に仕えていたことがわかると、その後の結婚などに支障をきたすと思っているのだろう。

 自ら退職を決めて出ていった。


 *


 法務官を兼ねた王宮所属の事務官コルネリウス=ライフアイゼンが、湯気を立てるコーヒーを、応接テーブルに置いてから、傍らの書類袋から数セットの書類を出してきた。


「そろそろ、よろしいでしょうか。本件について、お話をさせていただきたく存じます」

「ええ。よろしくお願いします」

 アウグストは、書類を受け取りながら答えた。

「本件は、ハイゼンベルク伯爵家内部だけに留まりません。既に公的な司法案件としての取扱となっております」


「ああ。だからこそ、儂がここに居るのだからな」

 蒼穹の雷帝が力強い笑みを浮かべる。


「ええ。今回は、オスニエル=エルライド辺境伯様がホレイショ・サイラス王の全権特使でいらっしゃるおかげで、柔軟に対処させていただくことができております」

 事務官コルネリウスが、一度立ち上がりオスニエルに頭を下げた。

「さて。これからは、アウグスト=ハイゼンベルク様への伯爵位の継承の話となります」


「まずは、現状ですがハイゼンベルク伯爵位は、前伯爵ユーリウスが逮捕送還されたことで廃位となっております。現時点では、領地について全権特使であるエルライド辺境伯様の管理下にございます」

 総じて皆うなずいた。

「また、こちらの屋敷の家政と資産については、わたくしどもの監督付きで暫定運用をされている状態です」


「そして、伯爵位ですが、次期伯爵予定者であるアウグスト様が継承されるということで間違いはございませんでしょうか」


 全権特使オスニエルと祖父である千騎の伯オスニエルが、次々とうなずいた。

「ああ、それで間違いはない」


「この家を建て直すのは、骨だろうが頑張ってくれ。アウグスト」

「承知いたしました」


「今後ですが、家督相続の正式手続が必要になります。いずれ王都ヤイニッセへお越しいただくことが必要でございます」

「かしこまりました」

「まずは、この地の復興だな。アウグスト君。どこから手を付けるかな」


 アウグストは微笑みながら、

「もちろん、モットーラの町からですよ」と立ち上がった。


 *


「ああ、いたいた。メイドのリーアちゃん!」

 その呼びかけにリーアの体が跳ねた。

「え……?」

 呼びかけたのはジョベールとフランセットだった。

「さっきのこと、謝ろうと思って、探していたの」

 フランセットが言うと、ジョベールが同意した。

「そうそう。さっきは、本当にごめんね。アウグスト様のこと、リーアちゃんはそんなに思ってなかったよね。本当にごめんね」


 リーアは一瞬考え込んだ。

「いや……。そんなこともないのですが、でも、私、ただのポンコツメイドですし」

「好きか、嫌いで言うと?」

「……どうでしょう。初めてお会いしたときから、とても誠実な方だとは思ってましたが……。うーん。好き……なのかも、しれません」

「そうなんだ」

 ジョベールが楽しそうに笑う。

「でも、アウグスト様とは、身分がかなり違いますし……」

「うん。アタシの母親もそうだったよ。でも、母は、自分の思いにまっすぐに行動した、みたい」

「そうね」

 フランセットが同意した。

「でもね。その後、大変だったみたい。ちょっと教えてもらった情報によるとね。アタシの母以外に婚約者がいたんだって。結局はその貴族同士の婚約者を選んで、母を捨てたらしいの。その頃には、母のお腹の中には、アタシがいたみたい」

「え……。そんな……」


「うん。で、アタシを産んでしばらくした母は、体を壊してすぐに死んじゃった。でも。一度もアタシがいなければ、なんて一言も言わなかった。アタシのためにってすごく頑張ってくれてた」

「そうなんですね……」

「えっと、何が言いたいかって言うと、アタシの母は後悔なんてしなかったよ。ってだけ」

「そうね。ジョベールの気持ちもわかるわ。もちろんリーアちゃんの気持ちもね。私達、普段は冒険者をしているんだけれど。旅に出る時は、決して後悔しないと決めて出るのよ。リーアちゃんがどうするのかはわからないけれど。後悔する生き方はしてほしくないって思うのよ」

「あ。長々とごめんね。仕事途中だったよね」

 ジョベールとフランセットは、手を振ってもと来た廊下を戻っていった。


「私が、後悔しない道……」

 リーアは顔を上げて天井を見た。

 そして、一つ頷き、廊下掃除を続けた。


 *


 応接室の会議は先ほど終わったところだ。

 自室に戻るため、アウグストは誰もいない廊下を一人歩いていた。

 旅に出る前は、活気が見えた屋敷内も今はがらんどうのように見える。


 弟ランブレヒトも母アンネリースも、もう、この館にはいないのだ。そして、父も──。


 屋敷内のどこに行こうと自由。

 だが。


 今はその事実が胸を締め付ける。


 ランブレヒトの葬儀だが、一昨日静かに最高神ディアグ神殿の神官がやってきて、敷地内の墓地に埋葬されたらしい。

 葬儀らしい葬儀もなく、だ。


 人である以上、生まれたことを喜び、亡くなっていくことを悲しむ。

 それが、人間というものではないのかと、アウグストは思うのだが。


 どうしても、心にはランブレヒトがいなくなったこと。父が送還されたこと。母が療養施設に収容されたことが、悲しくなど思えなかった。


 もし、じい様が倒れたり、例えば、すぐ治る怪我をしたとしたら、かなり狼狽するだろう。

 ──けれども……。


 アウグストは、牧場の見える窓のそばに立った。

 そこには、緑の草原と小さく見えるのは、馬たちだ。


「ようやく、僕は、ここに帰ってきたんだな──」


 陽の光が薄くオレンジ色を帯びて、ゆっくりと蒼の総量を増やしていく。


 小さな頃から旅に出る前までは、この屋敷に居場所などなかった。


 父母と弟が居なくなった。

 そのおかげで居場所ができるとは、なんという皮肉だろう。


 アウグストの耳の奥には、まだ、家族に罵倒された文言が、繰り返し繰り返し、アウグスト自身を苛んでいる。


 アウグストはきつく目を閉じた。


「大丈夫だ。僕は、役立たずじゃない──」


「アウグスト様……? どうしたのですか?」

 軽やかな少女の声が、そこで、した。


「リーア……」

「あ。すみません。声なんて、かけてしまって。でも、アウグスト様、なにか苦しそうです。大丈夫ですか?」


「……いいや。ごめん。大丈夫じゃない……」

 アウグストは、壁にもたれかかり、そのまま床に座り込んだ。

「わあ! どうしたのですか」

 リーアは焦った。そして、アウグストの肩を撫でさする。


「なんだか。僕が生きている価値ってあるのかなって、そんなこと考えてしまった」

 すぅ、と。アウグストの頬を涙が走る。

「泣かないでください。アウグスト様」

「うん。ごめんね……」


「リーアが、ずっと、側に居ます。アウグスト様」

 アウグストはリーアの顔を、静かに見つめた。

「アウグスト様がいらっしゃるから、リーアは、この館の仕事をここまで続けてこられたのです。いつか、アウグスト様のために仕事ができるようになりたいから、ここまで頑張ってこられたのです」

「リーア……」

「それって、アウグスト様が生きていて頑張ってくださっているからです。もし、これから、今みたいに悲しくなってしまったら、またリーアにおっしゃってください。人に話したら、きっと、気持ち、軽くなりますから」

「ありがとう、リーア……」


 遠い廊下の端で、コンラートとオスニエルが、小さな恋の始まりをほっこりと見つめていた。

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