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汐風、駆ける 〜牧場伯爵家ご嫡男、馬と共に領地を再興する〜  作者: 石井はっ花


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21 書類にサインを

 ランブレヒト=ハイゼンベルクは午後の四つ鐘がなる頃、ようやく自宅──ハイゼンベルクの屋敷まで戻ってきた。

「クソ! アウグストのせいで、ひどい目に遭った!」

 砂まみれになったジャケットを、折り目のつくほど整えられたベッドに投げ捨てた。

 その上にランブレヒト本人が横たわる。


「俺が捕まって、あいつ。笑っていやがった。もう、許さねえ」

 ふかふかの掛け布団を強く握りしめ、

 その握りこぶしをベッドに何度も叩きつけた。


 遠慮がちにノックが数回打ち鳴らされた。

「恐れ入ります。ランブレヒト様。伯爵様がお呼びでございます。お急ぎ、書斎までお越し頂きますよう」

「書斎……。書斎か……、わかった……」


 幼い頃から、父ユーリウス=ハイゼンベルク伯爵が自分たちを叱る時はいつも書斎に呼び出していた。

 だから、書斎と聞くと、痛くもない胃がキリキリと鳴るような気がしてくる。


 *


「お父様。ランブレヒトでございます」

「入れ」

 恐る恐る、ランブレヒトは書斎のドアを開ける。


「お父様。この度は大変申し訳ございませんでした」

 先手必勝──。ランブレヒトは、深く頭を下げたが、

 その頭目掛けてペンが飛んできた。

 書斎テーブルの上には、様々な書類が置かれている。

 書類にサインをしていたペンだろう。

 ランブレヒトの頬をかすめて、床にぽとりと落ちた。


「お父様……?」

「ランブレヒト。俺がどれほど怒っているのか、わからんのか?」

 その憤怒の表情を見て、ランブレヒトは震え上がった。


「いいえ。わかります! 大変、申し訳ございませんでした!」

「たわけ! 謝れば、それで済むと思っているのか!」

 バンっ。今一つ、書類の束がランブレヒトめがけ飛んできた。その書類の束は、後ろの壁にぶち当たる。


「けれども! 間違えた時は、謝れとお父様から教えてくださったのではないでしょうか!」

「黙れ!」

 びくッ。ランブレヒトは、身体全体を震わせる。


「どうして、最後までアウグストの息の根を止めなかった? ロドルフによれば、怪我もなく五体満足というのではないか。どうしてそんな中途半端なことをする」

 ランブレヒトは、目を見開いた。

「お父様?」

「俺が、実際に跡を継がせたかったのは、お前、ランブレヒトだ。早く生まれただけの、アウグストになど継がせたくはないのが、正直なところだ」


 父の衝撃的な発言に、ランブレヒトは驚きを隠せない。


「お前が、きちんとアウグストの始末さえつけていれば、何も文句はなかったのだが」

 ユーリウスは、深くため息をついた。

「しかも、警備隊に捕まるとは、本当に何事だ……」


「それで、警備隊長などに根回しはしたのか?」

 ランブレヒトは、その父の問いかけに眉をひそめた。

「どういうことですか?」


 もう一つ、深いため息をユーリウスはついた。


「……そうか。お前は、使えぬな」

 ユーリウスは、書斎机の上にある呼び出しベルを二つ鳴らした。

「お父様?」

 父が二つ鳴らしたとき。その時は、非常に嫌なことが起きる合図──。


「お呼びになりましたか」

 ロドルフや、屋敷で子飼いをしている屈強な戦士たちが数名、書斎に入ってきた。

「ああ、呼んだ。そいつを連れて行け」


「お父様? じょ、冗談ですよね?」

「冗談なものか。お前がこのたびしでかしたことで、我がハイゼンベルクは、風前の灯だ。わかっているか?」

 ランブレヒトは、ひどい勢いで首を振った。

「だろうな。でなければ、このような状況にはならない」

 机の上の琥珀色を飲み干すと。


「お前は、このハイゼンベルクに剣を叩きつけたのだ。わかるか。お前は、お前の首だけじゃない。ハイゼンベルク自体の命をも危うくしたのだ」


「お父様! 俺はそんなつもりでは!」

「ええい! うるさい! お前達、疾く連れて行け!」


 ランブレヒトは、お父様! チャンスを! 誤解です! など、口々に叫びながら、屈強な戦士たちに引きずられていった。


「執事」

 ユーリウスは、頭を数回振ると恭しく礼をした執事に指示した。


「ランブレヒトの処理を頼む。わかるな?」

「は。……しかし、本当に良いのですか?」

「いいさ。嫡男は生きている。あんなやつだが、血筋は受け継がれるだろう」

 ユーリウスは、タンブラーにもう一度琥珀色を満たす。


「さて、どうするか……」

 ユーリウスの、薄暗い目は闇が広がっていく室内の暗がりを、静かに見つめていた。


 *


「なあ、俺達、どうする?」

 イアンが宿のベッドに転がりながらフィーランに、尋ねる。

 ジョベールとフランセットは、コンラート=ハイゼンベルク前伯爵から、臨時ボーナスという軍資金をもらって、のんびりシヒヴォラの町で買い物を楽しんでいる頃だ。


「どうするって。なにが」

 二人は、いったん身を起こして、お互いの顔を見た。

「いやさ。もう、アウグスト様の護衛は必要ないだろう? ハイゼンベルクの屋敷まで送り届けるという縛りだったけど、じい様というか、千騎の伯がもう守ってくれるだろうし。必要ないんじゃないか?」


「そうだな……。身の振り方を考えるべき、なのかもな……」


「だけど、イアン。本当はお前が一番、アウグスト様を気に入っているじゃないか」

「何いってんだよ。それは、お前だろう? フィーラン。アウグスト様と話しているときのお前、一番ウキウキしてるぞ」

「そんなことねえよ」

 フィーランは照れ隠しに口を拭った。

「だけど、あいつは、俺達の嫌いなお貴族様だ。もう、お呼びじゃないんなら、潮時なのかもと思ってな」

「……そうだな……」

 二人は、肩を落としてゴロンとベッドにそれぞれ横たわった。


 と、そこへ、ノックが数回。

「おう! いるか?」

 二人は、慌ててドアを開ける。

 アルミカル=パリスの力強い笑顔が、そこにあった。

「アルミカルさん。どうしました?」


「いや、この天気の良いときに若者二人で、何してんだと思ってな」


「ううん。これからの身の振り方会議ですかね」

「ふん。なるほどな。それで、結論は出たのかい?」


 二人揃って、首を振った。

「だよなぁ、結論は、なかなかでないよな。俺もそうだったから、気持ちはわかるよ」


「ですよね……」

「わかります」


 二人の若者から、ため息混じりの肯定を受けて、一瞬渋い顔をするアルミカル。

「まあ、いい。それよりも、お前達、ちょっと打ち込み稽古やらないか?」

「いやですよぉ。暑いし」

「うん。まだ陽射しが強いじゃないですか」


「まあ、いいじゃないか。やるぞ」

 アルミカルは彼らの腕を引っ張って行く。


「ちょ……」

「アルミカルさん?」


「……お前達、ジョベールの父親について、知りたくないか?」

 二人は意外な言葉に、耳を疑った。

「……どうして、それを?」

「アルミカルさん、なにか知っているんですか?」


「稽古に付き合ってくれたら、俺が知ってることを話してやらなくもない」

 茶目っ気たっぷりにアルミカルが笑う。

「ええ! ひどいっすよ!」

「しゃーない。イアン、やるぞ! その代わり、アルミカルさん。手加減しませんからね」


「おお! そうこなくちゃな!」

 三人は、宿の中庭に降り立った。


 *


 馬産地交易ギルド二階。

 公式文書課の係員が数名、両手に書類を抱えて応接室を目指して廊下を進んでいく。


「ほう、ようやくできたか」

 コンラート=ハイゼンベルクが、積み上げられていく書類の束から、一束取り、中身を確認する。

「よし。きちんと馬産地交易ギルドの印も入っているな。これなら戦える」


 コンラートの前に置かれた書類束は、血統および産業への重大な毀損に関する書類だ。これで、ハイゼンベルク家の非道を公的な立場から追い詰める。


 そして、アウグスト=ハイゼンベルクの前に置かれた書類束で倫理的・特権的証拠として、嫡男としての訴状を王宮宛に突きつけるのだ。


 これも、馬産地交易ギルドの公式印を入れてもらっている。

 伯爵家嫡男とはいえ、個人の力としてはまだ弱い。


 その弱いところを、公的なギルドの後ろ盾があると見せてその重みを追加したのだ。


 また、今頃は、シヒヴォラ警備隊長のカール=レンネゴードが、『現行犯逮捕及び供述調書』を司法省の地方局に届け出ていることだろう。

 これで、ランブレヒトのアウグスト襲撃事件は公的な刑事事件となる。


 実際のところは、伯爵家を揺るがす恥だ。

 通常であれば、内々に済ませたいと隠し通す道を選ぶだろう。


 けれども。


「アウグスト、本当にこれで良いのだな?」

「ええ。いいのです。父様は、道を間違えてこられている。そして、それを正そうとなさっていないようです。だとしたら、嫡男である、僕がその道を正さなければならない」


「そうだな……。儂も、お前のように強くなりたかった……」

 老人は、背中を丸めた。

「何をおっしゃっておいでです。まだまだ、僕は、じい様を頼りにしないといけないんですから。背中なんか丸めている暇は、ありませんよ!」


「そうだな……」

 二人は、再度書類の束に向き合った。

 事実確認が終わったあとには、その書類に、サインをする。


 そうして、一件の訴状となるのだ。


 *


「あなた! ランブレヒトをどうしたのです!」

 数日間の旅行から帰宅したアンネリース=ハイゼンベルクが、ユーリウスがいる書斎に飛び込んできた。


「ああ。あいつは。もう捨てる」

 アンネリースは、絶句した。

「……なんですって?」


「あいつのせいで、我らハイゼンベルクは風前の灯だ。今は、もう、いない」

「どうして! わたくしのランブレヒトに、何故そんなひどいことをなさるのです!」

「ひどいこと。ね。お前の空っぽの頭にも、わかるように説明してやりたいが、そればかりは、難しいな」

「なにを!」

 アンネリースは、顔を真っ赤にして持っていた扇子を投げつけた。


「そうだろう。初めて産んだ子供は、あんな出来損ないを産んで。その後産んだ子供も、育つには育ったが、役立たず。やはり、もう少し、見た目だけではない才媛を娶るべきだったな」


「なんて、ひどい……」

 アンネリースは、へなへなと崩れ落ち、声を上げて泣きはじめた。


「ええい、うるさい。誰ぞ! 誰ぞ居ないか」

 ユーリウスは、使用人を呼んだ。

「は、お側に」


「この女を、連れて行け。もう、顔も見たくない」

「は……」


 アンネリースは、錯乱した。

「あなた! 離して! 何をするのです! あなた!」


 ユーリウスは、一人残った書斎でギラリと、宙を睨みつけた。


「お父様。きっと、今、あなたは。私を排除するために動いているのだろうな……」

 乱暴に琥珀色を、立て続けに三杯あおった。


「いいでしょう。受けて立ちますよ」

 ユーリウスは、空になった瓶を床に転がした。

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