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汐風、駆ける 〜牧場伯爵家ご嫡男、馬と共に領地を再興する〜  作者: 石井はっ花


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19/30

19 泥まみれの肖像

「ようやくシヒヴォラだな」

 フィーランが、手綱を操りながら周囲にいた仲間たちに笑みを浮かべた。

 今まで牧歌的なポコポコと鳴っていた蹄の音が、賑わっていく町の喧騒に段々と薄れていく。

「あー。ちょっとゆっくり町を見たいー」

 ジョベールが、少しフラストレーションを溜めた声で呟いた。

「うん。任務が終わったら、行こうね」

 フランセットが笑顔で返した。


「みなさんとお別れするのが、とてもさみしいですな」

 馬産地交易ギルドの行商監督であるイヴォ=クノテクが、寂しい顔をした。

 遠くはトゥオモラの町までの往復約二週間の旅の仲間だ。多少の情は湧いてもおかしくはないだろう。


 *


 この旅は、通常の購入馬搬送のキャラバンとは色々と違いがあった。


 まずは、蹄鉄の不良品の件があった。

 すぐに対処できたから、馬が多少負傷しただけの被害で済んだ。

 そして、二度の盗賊の襲来だ。


 きちんと聞いたわけではないが、どうやら馬産地交易ギルドの統括コンラート=ハイゼンベルク前伯爵の孫で嫡男のアウグスト=ハイゼンベルクの同行によるものらしい。


 それでも、往路のトゥトールス騎士団の口利きのおかげで腕利きの用心棒を任されているフィーランたち四人がいた。


 彼らのお陰で人的にも金銭的にも被害はなかった。


 そして──。

 アイロラの町でキャラバンに入ってきたアルミカル=パリス元騎士だ。


 彼がいるならば、自分たち馬産地交易ギルドのキャラバン本隊が、ギルドに戻ったとしても──。


「おそらく、アウグスト様は無事にご自宅にお戻りになれるでしょう」


 キャラバン隊は、分かれ道を左に曲がった。


 *


 やがて前の月にあった王冠馬選定会のセリ会場が見えてきた。

 流石に今は閑散とはしているが、馬のトレーニング会場としても使われていたりもするため、人馬の出入りはかなりある。


 そのセリ場の後ろに厳かにそびえ立っているのが、馬産地交易ギルド本部だ。


「本当にこちらは、歴史のある建物ですよね」

「ええ。失礼ながら、ハイゼンベルク家様よりも古くからあるギルドではありますからな」

「ええ。じい様に聞いています」

「さようでしたか」


 オーク材の重厚なドアが開かれた。

 アウグストは、馬産地交易ギルドの貴賓室に通された。

 壁際の書棚には、分厚い革表紙の本が整然と置かれている。

 おそらくはこの革表紙には、一頭一頭の血統の記録が網羅されているのだ。


 アウグストとアルミカルは、静かに年季の入った皮のソファに体を沈めた。

 そこへイヴォ行商監督が戻ってくる。


「お二人。ここまで本当にお疲れさまでした。特に旅慣れていないアウグスト様は、大変だったでしょう」

「ええ。この旅を毎回されているのですものね。本当に頭が下がります」

 アウグストは深謝した。

 ハイゼンベルク家のような供給元であり生産をも兼ねた牧場であれば、馬産地交易ギルドのように、組織だって搬送してくれる機関は本当にありがたいのだ。


「いえいえ。しっかりと馬たちを生産していただけることが、私たちギルドが存続できる理由ですからな」


 と、そこへ。

 数名の係官が、今回搬送した馬についての書類などを運んできた。

 今回の旅は、統括でもある祖父のコンラートの名代としてだ。

 当然、書類のサインも必要になる。


 小一時間後、全ての書類にサインを終えた。

「いやぁ、この短時間でこの量の書類のサインを終えられるとは。さすがコンラート様の血筋でございますな」

「じい様も? そんなにすごいのですか?」

「ええ、あの方は、これくらいの書類であれば、もう少し早く終えられますね。また、書類の中身も完璧に覚えていらっしゃって」

「へえ。そうなんですね。じい様は本当にすごいなぁ」


「ええ。コンラート様も素晴らしいのですが、お父様のユーリウス様もそれは素晴らしい統治をされていましたよ」

「そうだったんですね。でも、モットーラの町の惨状は、驚きました」


「左様でございますな。あの町は、伝説馬ドミニュクスのライバルとなり得る馬をどんどん輩出する素晴らしい馬産地でもあったのですが。どうも、そこがユーリウス様の逆鱗に触れたという、噂がございましたな。いえいえ、あくまで噂でございましてな」

「そうでしたか……」

 アウグストは、あの町で感じた砂埃を噛みしめる思いがした。


 *


 昼食をごちそうになった一行は、また馬に乗り、馬産地交易ギルドを旅立った。

 今は、アウグストとアルミカル。用心棒としてのフィーラン、イアン、ジョベール、フランセットの四人。

 馬産地交易ギルドの職員であった馬丁のユストゥスや獣医エラスト=クラスニコフたちは、ギルドの入口で別れた。


 今夜は、シヒヴォラの町の宿屋で過ごすこととなった。

 家に戻るのは、少し怖いとアウグストは思った。


 今までの自分であれば、あの、自分の家のおかしさには全く気づかず生きてきたのだ。


 湯に浸かり、香りのいい温かい食事をしっかりと食べ、清潔な寝床に入れる。

 自宅では、そうはいかなかった。

 嫡男としての自分だが、それに気づかないまま今まで生きてきたのだ。

 愛されて生きてきた弟との差は、歴然としている。


 この前の成人の儀式にもそれが如実に現れていた。

 だが、それは、これからの努力によって、解消できるものだと心の底では思っていたのだ。


 しかし。

 ランブレヒトの命による二度の襲撃で、その思いは幻想に過ぎないということがわかった。


 けれども、ここで逃げることは、できない。


「僕が行かないと、馬たちのことをしっかりと見られる人間が居なくなる」

 アウグストは、寝台から立ち上がった。

 部屋の片隅に置いてある水瓶から、いっぱいの水を汲み、飲み干した。


「僕は、もう、負けない」


 *


 シヒヴォラと隣町ミエロネンの町境には、広い草原があった。古い街道沿いには誰もいない。


 心地よい海風がゆっくりと吹いている。

 ヨアキムにまたがったアウグストを、アルミカルが制した。


「どうかしたんですか?」

 「しっ」アルミカルは、口元に人差し指を近づけた。

 そして、小声でフィーランたちに合図を送る。

「襲撃だ」

「え。こんなところで?」

 アウグストは、知らずに体を固くした。

「アウグスト君は、俺から離れるな」


 草いきれの中から、盗賊まがいの男たちが現れてきた。

 その数二十人を超える。


「ようやく追いつきましたよ。お坊ちゃん」

「お前は! ユルカナか!」

 イアンが剣を抜きつつ、答えた。

「ええ。あの時は大変お世話になりましたね。ようやく、あのお礼を返せます!」


 ザッ。

 ユルカナの腕の振りに、男たちが一斉に襲いかかってきた。

「くそッ」

 ジョベールが、弓を構え男たちを瞬時に撃ち抜いていく。

「アタシに任せて!」

「わかったわ! フィーラン! 右手側をお願い!」

「承知した! お前達、こっちだ!」

 ガキン!

 あちこちで、金属がぶつかり合う音。

 また、急所を撃たれ、くぐもった声を上げ、絶命する男たちが見られた。


「アウグスト君! 危ない!」

「……! あ! ランブレヒト!」

 アウグストが見つめる先には、弟ランブレヒトが、数人の盗賊まがいの男たちに守られて立っていた。

 その側にはアナトリエヴィチがほくそ笑んで立っていた。


「ほらほら! しっかり戦いなさい! あの若造を倒せば! 報奨を弾ませますよ!」

 男たちが口々に応! と答える。


 男たちは、アウグストに向けて殺到する。

 その中にユルカナの姿もあった。


 ユルカナは、その身軽さで殺到し、アルミカルの剣が振るわれると簡単に距離をおいた。

「アウグスト君! 少し離れて!」

 アルミカルが、アウグストに指示を出す。


 アウグストは、草いきれの中を走ろうとしたが、長い草の根本に足を取られて、転んでしまう。

 と、そこへユルカナが、剣を突き立てようとする。

「ひぃっ」

 アウグストの腕のそばに、剣が振り下ろされる。


「不様だな! アウグスト!」

 ランブレヒトが、口元に歪んだ笑みを浮かべる。

「ほら! 逃げろ逃げろ!!」

 耐えきれなくなったのか、腹を抱えてランブレヒトが笑っている。


 さすがのフィーランたちにも疲れが見えてきた。

 襲撃してきた男たちの数は半分以上倒した。

 ジョベールの矢も尽きている。

 だが、アウグストを守るという依頼の完遂はしなければならない。


 何万回と振ってきた相棒の剣も、もうなぜか重い。

 アルミカルも憔悴していた。


「まだ! 倒せないのか!」

 安全な場所で、ランブレヒトとアナトリエヴィチが、勝手に憤慨している。

「どれだけの金が動いていると思っているのだ!」


 その時──。

 街道の西側から、矢が射かけられた。

 驚いた一同が剣を持つ手を瞬間的に止める。


「ここで! お前達何をしている!」

 シヒヴォラの町を守る警備隊が到着したらしい。


 蜘蛛の子を散らすように、盗賊まがいの男たちが、散り散りに逃げていく。


 *


「助かった……?」

 泥だらけになったアウグストが、土の上で身を起こした。


 警備隊が、男たちへの追撃を開始している。

 その間に、安全な場所から見学を決め込んでいた、ランブレヒトとアナトリエヴィチたちを捕らえている。


「俺達は! なんの関係もない!」

「そうですよ! 私たちは、たまたま出会っただけで」


「おやおや。よくもまあ、そんなことが言えますなぁ」

 捕らえられ、地べたに座り込んだユルカナが、軽口のように重要な証言をあげる。


「私らは、あのアナトリエヴィチに唆されたのですよ。おそらくは、大本は、あの若いのでしょうな」

「そうなのか! わかった! その二人を捕らえろ!」


 ユルカナは、大声で笑い始めた。

「ああ! 愉快だ!」


 *


「イアン。フランセット、ジョベール。大丈夫か。怪我は……ないようだな?」

 イアンが、軽い運動直後のように軽く肩を回した。


「うん。結構たいへんだったな」

「そうね。フランセット、何人倒せた?」

「三人くらいかしら。ちょっと手こずってしまったわ」


 そこにふらりと、アウグストが現れた。

 そして、そのまま彼らの横に座り込む。


「大変だったわね。アウグスト様。でも、無事で良かった」

 アウグストは、目一杯の涙をためて、

「怖かった……」というと、へなへなとそこに崩れ落ちた。


「警備隊が捕まえているのって、君の弟かい?」

 近寄ってきたアルミカルが、アウグストに尋ねる。

「ええ……。間違いないです。あれは弟のランブレヒトです」

「では、その隣は?」

「あの人は知りません……」

「そうか……」


 警備隊は、ランブレヒトとアナトリエヴィチ、そしてユルカナをシヒヴォラの町の詰め所へ連行していくという。


 アウグストたちも事情聴取のため、シヒヴォラの町に戻ることとなった。


 シヒヴォラの町は、もうすぐ夕暮れを迎える──。

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