18 帰路
どうして──。
アウグストは荷馬車の中で目を覚ました。
モットーラの町には宿がないため、野営することになったのだ。
「みんなと同じ様に寝るよ」
アウグスト=ハイゼンベルクは、テントの中での簡易ベッドによる就寝を申し出たのだが、
「もし、追手がついているのなら、少しでも安全な方がいいだろう」
アルミカル=パリス元騎士が、その提案を止めた。
「でも、僕だけ、守られているようでなにか……、なんていうか……」
アルミカルは、声を落としアウグストの耳元で話した。
「聞いているぞ。君には、弟からの刺客が放たれているのだろう?」
アウグストは、怖気づいた子鹿の目でアルミカルを見つめた。
「腕っぷしが立つなら、迎え撃ってもらうが。そうはいかないからな。大人しく寝ててくれ。荷馬車が、君の寝床だ。そうだな。……エラスト先生。君も荷馬車で寝てくれるか」
指名されたエラスト=クラスニコフ獣医が、驚いた。
「それをいうなら、イヴォさんもじゃないですか?」
このキャラバンは、馬産地交易ギルドが主催しているキャラバンだ。アイロラとウトリオ、トゥオモラを巡り、それぞれの領主への購入馬を搬送するというキャラバンだったのだ。
そのため、行商監督でもあるイヴォ=クノテクも同行している。
エラスト獣医にしてみたら、自分よりも身分の高いイヴォが屋根のしっかりある荷馬車の中のほうがいいだろうというところだが。
「いや。イヴォ殿よりもエラスト先生。あなたが負傷したりするほうが、損失になる」
「そうですよ。先生は、どうぞ荷馬車へ。私はテントの方で構いませんから」とイヴォが、胸を叩いた。
*
辺りはまだ、薄暗いようだ。日の出前の空は、紫紺からの青系のグラデーションが時系列で目まぐるしく変わっていくのだろう。
荷馬車の中からは、その一瞬の奇跡も見ることはできない。
身体を起こしたが、アウグストは夏の夜気の中もう一度身を横たえた。
頭を、枕に預ける。暗がりの中、荷馬車の幌の天井が見えた。
隣の簡易寝台では、エラスト獣医が健やかな寝息を立てていた。
「アルミカルさんが、ああ言ってくれたけど、僕に何ができるんだろう」
今、宿営地になっているモットーラの町は、父ユーリウス=ハイゼンベルク伯爵の圧政のため、町の殆どが廃墟と化していた。
弟ランブレヒト=ハイゼンベルクが放った刺客もそうだが、ここにきて父の圧政が町を壊したのを目の当たりにしたのだ。
アウグストは何度目かのため息をつく。
「本当に僕はどうしたらいいんだろう」
当然、答えは出ない。
目を閉じて。
呼吸に集中する。
睡魔が、アウグストの意識をまたさらっていった。
*
「おい。ここに居た盗賊、どこに消えた?」
「あ? どこかに移送したんじゃないのか」
アイロラの警備隊詰め所。牢屋の門番が二人、焦った顔を見合わせた。
「鍵は……かかっているな。間違いはない。おい! 灯をつけろ」
「ああ! だけど、こんなところから、どうやって逃げる?」
一人が、牢屋の鍵を開けて中を確かめる。──と。
ドシン!
中に入った者が、急に倒れて泡を吹く。
「どうしたんだ!」
もう一人まで牢の中に入る。
そして、彼も、くぐもった声を残して倒れた。
「フン。いつまでも、こんなところに居られるわけないじゃないか」
盗賊ユルカナが、体を伸ばす。
「さてと。長々と足止めされたけど。あの坊っちゃんは、どこまで帰りなさったかね」
まるで鼻歌でも歌うように言うと。
当然のように外に出た。
「いただいた分の仕事は、しないとね」
ユルカナは、街道を東に向かう。
*
数日前のこと。
ハイゼンベルク家の応接室に、珍しくランブレヒト宛の客があった。
アナトリエヴィチである。
「どうした。いいのか? 手紙でやり取りすると決め事があっただろう」
ランブレヒトは、多少面倒くさそうにアナトリエヴィチの向かい側のソファに座った。
ランブレヒトが応接室に入ってきたタイミングで立ち上がっていたアナトリエヴィチは、二つ折りになるほど深く頭を下げた。
「この度は、何度も失敗しまして大変申し訳ございません」
「え。失敗というのは、なんだ」
「襲撃に、ございます」
ランブレヒトが目を丸くして、ゴム人形が跳ね上がるように身を起こした。
「襲撃って。誰が、誰を」
「もちろん、あなた様。ランブレヒト様が、兄上であるアウグスト様を襲撃しているのでございます」
ランブレヒトは、幼子がいやいやをするように首を振った。
「俺は、そんなこと。求めた……いや、求めてはいない」
「いやいやいや。ご命じになりましたとも。あなた様がお求めになった伯爵位を持つということは、このご命令と同義でありますよ」
「……どうして。そんな……。貴様、わかっていて、俺をたぶらかしたのか?」
アナトリエヴィチは、驚くふりをした。
「滅相もございません。あの穀潰しの兄の影に隠れ、艱難辛苦を嘗めているランブレヒト様をお助けしたい、その一心でございますれば」
ランブレヒトは、貴族特有の自制心ですんでのところで怒鳴るのをやめた。
「……それで。今回の面会は、どのようなことなのだ」
ランブレヒトの声が、動揺に震えている。
「ええ」
わざとらしく、アナトリエヴィチはため息をついた。
「私の失態なのか、アウグスト様が優秀なのかはさておき、度重なる襲撃の失敗についてですが、大変申し訳ございません。お詫び申し上げます」
「それについては、わかった。仕方がないことだ」
「ええ。恐れ入ります」
「それでは、どんな要求なのだ?」
「これは、話がお早い。──ええ、資金面でございます。襲撃の失敗が、少々広まりましてな。レートが上がってしまったのですわ。ここで、しっかりとあのアウグスト様の息の根を止めておきませんと。ねえ。ランブレヒト様の御身をも……危なくなりますからな」
ランブレヒトは、身震いをした。
「どうして……、俺まで?」
アナトリエヴィチは、面白いように目を丸くした。
「これは異なことを申されますな。もし、無事にアウグスト様がお戻りになったことをお考えください。貴方様の悪事である嫡男の襲撃。それが公になることでもありますからな」
「ぐっ……、わ、わかった。では……、いくら必要なのか。用意させよう。後で、侍従に伝えてくれ」
アナトリエヴィチは、更に薄暗い笑みを顔に貼り付けた。
「恐れ入ります……。それでは、刻限でございますね。午後の授業もお励みいただければ、幸いにございます」
アナトリエヴィチは、深々と再度一礼すると、応接室を出ていった。
ランブレヒトは、この世の終わりという顔色で、ソファに力なくもたれかかった。
「どうして、こうなった……」
この優秀な俺の前に、あの凡庸な兄がいる。
それが邪魔だっただけだ。
だから──。
「それだけだったのに。アウグストめ!」
体を起こしたランブレヒトの瞳には、逆恨みの炎が宿っていた。
おもむろにランブレヒトは立ち上がると、足早に応接室を出た。
ドアを開けると、そこではまだ、アナトリエヴィチが侍従と金銭のやり取りについて話をしていた。
「おや。ランブレヒト様」
「アナトリエヴィチ。俺も出るぞ。アウグストには言いたいことが、たんまりとある」
「かしこまりました。ランブレヒト様」
恭しく礼をする。
「決行の前日に、またお迎えに上がります」
*
「さて、出発するか。フィーランたちも準備はいいか?」
「ええ。アルミカル様。いつでもどうぞ」
「よし。アウグスト君もどうだ」
「僕も、いつでも」
「君たちもいいのか」
イヴォが答えた。
「ええ、行きましょう」
荒廃したモットーラの町を一同は後にした。
盛夏に切り替わった陽射しは容赦なく照り付けてくる。
「暑くないか? 水分は取っているか?」
アルミカルが心配そうにアウグストを気遣っている。
「ええ。この海風のおかげか。それほど。それよりもみなさんも大丈夫ですか?」
キャラバン隊の一同から口々に無事を告げるように声が上がる。
アウグストは、安心したように騎馬のヨアキムを撫でる。
アウグストにとっては、難しい帰路だ。
何もなく行けばあと2日で到着するだろう。今夜はシストネンの町で一泊することとなる。
この旅の往路の行程は、トゥトールス騎士団に守られての道行きであった。
それだけでない。
「僕は、この社会をこの世界のほんの少しも、見えてなんかいなかったんだ」
悲しげなアウグストのつぶやきは、汐風に消えていく。
父ユーリウスの行っていた徴収という非道。
そして、弟ランブレヒトによる度重なる襲撃。
無事に戻ったとしても──、
「母は別に、喜んではくださらないだろう。でも──」
アウグストの脳裏には、前伯爵コンラート=ハイゼンベルクの力強い笑顔が、あった。
「今は、他に考えることはなくていい。とにかく。じい様に会いに帰ろう」
風に揺らぐ草いきれの間から、白波を浮かべる青い海が見えた。
*
コンラートは、いつもの作業中だった。
天日干しにしている寝藁のまだ濡れているところをひっくり返してしっかり乾かすという作業だ。
「アウグスト。もう少しだな」
つい、そこにはいない孫息子に話しかけてしまう。
「あ、そうか……。だが、それこそ。もう少しで帰ってくるな」
風は、寝藁を少しかきあげ、埃となって辺りを汚していく。
コンラートは、腰を伸ばすと作業に戻った。
*
父ユーリウスは、書斎机から顔を上げた。開け放した窓から入ってきた風が、机の上の書類を部屋のあちこちに、吹き飛ばしたからだ。
「忌々しい……」
書類の中に、モットーラの町の徴収についての書類もあった。
「ヨハンネス。どうしてモットーラの町の徴収がこれほど少なくなっているのだ。これでは、予定の半分も取れていないではないか」
「は……、しかし、この町は既に……」
「言い訳は良い。しっかりと仕事をするのだ。良いな?」
「は……」
執行官ヨハンネスは困り眉で、辞去した。
「あの町は、もう、取るものもないと言うのにな……」
ヨハンネスのつぶやきも、聞くものがいない。
屋敷の暗がりに小さく消えていった。




