16 強い雨にうたれて
翌日は雨となった。
良かったことといえば、日が出る前から降ってきていたため、出発間際までに雨用の対処ができていたことだろう。
荷馬車には大きな油布をしっかりと被せ、雨合羽代わりに厚手のウールマントをそれぞれ羽織った。
「ああ、このウールマント、暑いから嫌いなのよね」
「ジョベール。しょうがないでしょ。体が冷えて熱を出すか、そのまま死にたいの?」
フランセットにきつく言われ、ジョベールは、唇を尖らせてそのマントを羽織った。
苦手なのは、アウグスト=ハイゼンベルクも同じだった。
家紋のついたウールマントを、しかたなく羽織った。
その重さには、やはり慣れない。
厩舎であれば、雨の日は基本的に馬を放牧に出さないし、寝藁も天日干しをしないため、厩務員としても濡れずに済むのだ。
あの雨の日の厩舎の匂いが、今は懐かしくてたまらないのだった。
「おう、そろそろ出発するぞ」
雨の降る中、率先して準備をしていた、新たに一行に加わったアルミカル=パリスがアウグストたちを呼びに来た。
「パリスさん、雨は強そうですか」
「アルミカル。でいい。そうだな。この先少し強い雨になるかもな。ヒラカリまで保てばいいけどな」
アウグストは、同意した。
「ヨアキム。大丈夫?」
ヨアキムの背から首を撫でてやる。
街道は石畳だが、あちこち水たまりができていて、やはり歩きづらそうだ。
ブルルッ。
ヨアキムは、大丈夫という返事を鼻を鳴らすことで返した。
昼も過ぎた。
途中の小川の川岸は多少氾濫しているように見える。
雨は弱まることなく、降り続いていた。
今はエルメントラウトへ帰っていく道中。
急ぎの旅ではない──。
そして。
「ランブレヒト……どうして、お前が?」
ぽたりと、雨粒が頬に落ちる。
見ると、枝振りの良い大樹が道の端にあった。
後ろを振り向くと、馬産地交易ギルドから来た者たち、そしてフィーランたち四名の用心棒たちが、雨の中少し疲労しているように見える。
アウグストは、反省した。
自分の思いだけで周りが全く見えていなかった。
「これでは、だめだ。だから、ランブレヒトが、僕を排除しようと思ったのかもしれない」
アウグストは、馬産地交易ギルド、イヴォ=クノテクのそばに馬を進めた。
「ごめん。僕は僕の心配ばかり考えてた。イヴォ。あの木のところで小休止しよう。あれだけ大きければ、雨も当たらないだろう」
イヴォは安心した様に笑い、一同に指令を出す。
*
「フィーランにイアン。それと、フランセット、ジョベール。お疲れ様。体調に変わりはない?」
乾いたタオルで拭いてもすぐに湿ってしまうほどの雨だ。
下草に燃え移らないように気をつけて焚いている小さな焚火の周りに、一同みんな、肩を寄せ合って集まっている。
「ああ、アウグスト様。俺達は大丈夫です。雨の中、結構慣れているんで。でも、アウグスト様はそうじゃないでしょ。体を冷やしちゃ大変だ。もう少し、火にあたってくださいよ」
イアンが少し体をずらし、アウグストが入れるよう隙間を空けてやった。
「ありがとう」
「ほら、アウグスト様。スープ作ったから飲んで」
ジョベールが手渡した。
シンプルなスープをすすると、それは体だけではなく、アウグストの心まで温めていく。
「フィーラン。ちょっといいか」
そこへ、アルミカル=パリスが声をかけてきた。
「パリスさん。どうしました?」
「この木は、ティルガの木じゃないか?」
「はい。そう思います」
「だとすると、そろそろ出たほうがいいな」
「フランセット。ティルガの木ってなに?」
「ああ。アウグスト様は知らないのね。この辺のおとぎ話よ」
*
フランセットがいうのはこうだ。
「昔、たぶんだけど、この木がまだ若木だった頃って言われているわ──」
ヒラカリの町にティルガという女性がいたという。
「ねえ、いつ、戻ってこられるの?」
彼女には、小さな頃から大好きだった幼馴染がいた。
「俺は、君を大事にしたいから、立派な騎士になって迎えに来るよ」
彼は、立身出世を目指して愛するティルガを残して、ヒラカリの町を出ていったらしい。
「バルテル……いつになったら、帰ってくるの?」
いつしか、ティルガは町外れのこの丘にある若木のそばでバルテルを待つようになった。
ティルガは、雨の日も風の日も猛暑の日も、愛するバルテルをその木のそばで、待つようになった。
一騎の早馬が、ヒラカリへ向かう。
その一騎は、若木のそばで待ち続けていたティルガのすぐそばを走り抜けていった。
「ティルガ! あんた、もう聞いたのかい?」
「おばさん。どうしたの?そんなに血相を変えて」
ティルガはのんびりと答えた。
「ああ、まだ、聞いていなかったんだね……。さっきの早馬だけど……」
ティルガにバルテルの訃報が、届けられた。
「嘘よ!……信じないわ!」
「マヌ平原の戦乱に出兵していたそうよ。けれど、エスケリネンの騎士に……」
「どうして……。私を置いていくの……。バルテル!」
*
「──でね。絶望したティルガは、この木の根元で毒を飲んだんだって」
フランセットが、声を落とす。
「え……?」瞬間、アウグストの顔が青ざめた。
「うん。ちょっと怖い話だよね。で、もっと怖いのが」ジョベールの声が、明るく続ける。
そこにアルミカルが、言葉を重ねた。
「騎士についてくるんだとよ。そして、追いついて、こう、一言言うんだとさ」
「あなたじゃない」全員の声が揃った。
「その後、その騎士がどうなったのかはわからないんだって」
「それ、本当の話ですか?」肩を震わせて、アウグストが尋ねた。
「さあ?どうかしら」フランセットが楽しげに笑った。
「ああ。なんせ生き残ったやつはいないという、噂だからな」
「え……」
「はっはっは。アウグスト君、怖がってるのか?」
「怖がって……なんか」
と、そこへ、雲の切れ間が陽射しを連れてきた。
雨が小降りになり、周囲がほんのり明るくなった。
雨はもうすぐ、止みそうだ。
一行は、焚き火を消し、荷をまとめる。
「アウグスト様。そろそろ行きましょう」
イヴォが、アウグストを呼びに来た。
「さ。ヒラカリの町は、もう少しよ」ジョベールが、アウグストを励ました。
*
一同が街道を東に進んでいく。
雨は、小降りになり、ヒラカリの町では完全に止んだ。
キャラバン隊は町の小さな宿屋数軒に分散して泊まることとなった。
アウグストとフィーランたち四名とアルミカルが同じ宿に泊まる。
そこは、フィーランたち四人が今のアウグストの護衛任務につくまでに定宿にしていたところだった。
「ああ、あんたかい?貴族の坊っちゃんは。でも、お貴族様には見えないね」
宿の女将さんが、テーブルの上に料理を広げながら、アウグストに笑いかけた。
「え。僕ってどう見えるんでしょう」
アウグストは純粋に疑問に思った。
「そうさね。どっちかっていうと、まあ、いいところのお坊ちゃんには間違いないんだけど。でかい牧場の厩務員さんかな。ほら、手をみせてご覧」
アウグストは、両の手のひらを女将さんに差し出した。
「ほぉら。この手は、とても働き者の手だもの。まあ、お貴族様は、私なんかにこうやって手を差し出したりは、しないけどね」
「そうなんですか?」
目を丸くして驚いたアウグストに女将さんは、吹き出した。
「あんた。本当に貴族の坊っちゃんかい。普通だったら、今、アタシがいったこのくらいのことで手討ちにされるよ」
アウグストは、どう言葉を続けていいのか、わからなくなった。
「まあ、いいさ。あんたは、あんたの正義で生きているのが、この手にしっかり表されているよ。あんたの希望、思い、信念。そういうの曲げたりしちゃいけないよ。まっすぐ生きなさい」
なんだろう。
アウグストは、初めての感情に鼻の奥がツンとする。
「あ、ありがとうございます」
アウグストは、思わず女将さんの手を握り返していた。
「僕、本当に頑張ります」
「よし、その心意気だ。さぁ、温かいうちに食べな!」
アウグストは、スプーンを温かいスープに浸け、一口、口に含んだ。
それはシンプルな味付けの薄切り肉の浮いた、なんてことのないスープだったが。
「すごく、美味しいです……」
ぼろぼろとアウグストの目から涙がこぼれ落ちた。
周りで、アウグストの様子をうかがっていた一同は、ほっこりと笑った。
*
「アウグスト君。これも食べなよ。足りないんじゃないか?」
「アルミカルさん。いいえ。結構いただきましたよ」
「そうか?俺が君くらいのときは、バケツ三杯は食べたぞ」
「ええっ。といいますか。バケツって。馬じゃないんですから」
アウグストの冷静な物言いに、アルミカルは笑いを押さえきれなかった。
「君は、本当に面白いな」
「そうですか?」
「ああ、女将さんじゃないけど、本当にあの、ハイゼンベルクの嫡男なのか?」
「ええ。そうみたいです」
「本当に面白いな」アルミカルは、アウグストの髪をグリグリと撫でた。
*
「あ。気になってたんですけど、あの、昼間のあの木って結局はどういうことなんですか?」
フォークで肉料理を一所懸命に口に運びながら、ふとアウグストは尋ねた。
「ああ、俺、騎士だったって話したろう?あの木、ティルガの木にずっといるとついてくるっていう話だったろう」
「はい。そう言ってましたね」
「あの時、みんな死んだっていう話だったけど、生き残りはいるんだよ。俺の隊にもいて結構なオヤジさんだったけど。そのオヤジさんが言うには、俺が探しているのもお前じゃないって言ったっていうんだよ」
「俺が探しているのもお前じゃない、ですか」
アルミカルは、ジョッキを煽った。
「うん。そう言っていた。そういうと、どうにもおかしな顔で離れていったんだと」
ジョベールもジョッキを手に持ちながら、会話に入ってきた。
「ああ、アタシもそれ聞いたことある。たぶんね。何があってもブレない自分の意志を持ちなさいってところじゃない?」
と、アウグストは騒がしい食堂から、宵闇に沈むヒラカリの町を見つめた。
「ブレない自分の意志、か」
雨上がりの小さな町の夜は、まだ眠らないようだった。




