14 継ぐ次代
夏の陽射しの中、一行はウトリオの街まで戻ってきた。
そのまま、まっすぐにエルメントラウトを目指しても良かったのだが、パンチェレイモン=バマノフ子爵の申し出もあったので、子爵邸を目指すこととした。
「お、居なくなったな」フィーランが呟く。
「ええ、ウトリオに入ってから、気づいたらいなかったわ」
その独り言にフランセットがうなずいた。
「あれは、何だったのさ」
ジョベールが怪訝そうに聞いた。
「わからん。ただ、ただキャラバンについてくるだけなんだよなぁ」
「いやだ。気持ち悪い」
「そこなんだよ。殺気もないんだぜ?」
四人は怪しんで、もういないその男を振り返った。
前回は納品する馬がいたため、アウグスト共に裏門へ回ったが、今回は違う。
アウグスト=ハイゼンベルクは、堂々と表玄関でヨアキムの背から降りた。
その横で馬畜産交易ギルドの引き渡しの監査をも務めるイヴォ=クノテクも騎馬を降り手綱をしっかりと握っている。
フィーランたち用心棒の一行と馬丁たちはそのまま裏門に回った。
おそらくは既に騎馬たちも今は厩舎に留め置かれ、たっぷりと水を飲んでいるだろう。
裏門から伝令が走り、ようやく正面の玄関が開いた。
「大変お待たせいたしました。主ももう少しで戻ってまいります。どうぞ館の中でお休みください」
アウグストとイヴォは、顔を見合わせて苦笑した。おそらくまた、バマノフ子爵は趣味の狩りに出かけているのだろう。
二人は到着した馬丁たちに馬を預けて、館に迎え入れられた。
陽射しが遮られた屋内は幾分ひんやりと感じられた。
調度品には、狩りの好きなバマノフ子爵らしい品々が飾られている。
立派な角をした剥製の鹿の頭がいくつも壁のあちこちに飾られているのが圧巻だった。
二人は、背の低いソファに座った。
ソファに掛けられているのは、美しい斑点のある毛皮だった。
「イヴォさん、夏ですけど、なんか毛皮って、柔らかくて滑らかで気持ちいいですね」
「ええ。なかなか質のいい子鹿の毛皮のようですね。数日前、ここに来られたとき、狩りに行かれてましたが、いかがでしたか」
イヴォはそんなふうに軽く尋ねたが、アウグストは曖昧に笑うのみだった。
しばらくすると、汗と埃にまみれたままのバマノフ子爵が応接室に現れた。
「いやあ、すまないすまない。今日もなかなかいい狩りができたので、遅くなってしまった。我が家にまた寄ってもらったというのに。すまないことをした」
アウグストとイヴォがその場で立ち上がる。そのアウグストの口元には優雅な笑みが浮かんでいた。
「いいえ。お気になさらず。こちらの紅茶もこの鹿の毛皮も堪能させていただきましたから」
「それは、それは。お気に召していただいてありがとうございます」
「アウグスト君。君が狩った子鹿の皮だが、今、剥製業者に頼み、毛皮にしてもらっているところだ。出来たら、送るから楽しみにしていてほしい」
「これは、ありがたい」
「トゥオモラの町はどうでしたかな。サリニャックもなかなか面白い男だったでしょう」
衣服を整え汗を拭ったバマノフ子爵は、もう一度応接室に戻り、アウグストの前のソファに腰掛けた。
「ええ、大層よくしていただきました。お嬢様のリリアーヌ様とも仲良くしていただけまして」
「そうか。奥様のテレーズ様も良い方なのですが、お体もお強い方ではないから。ご長男をお産みになってからは、どうも……」
「そうだったのですね。それは、何も知らずにお邪魔をしまして、ご迷惑をおかけしたかもしれませんね」
「いや。それほどのこともないだろうと思うぞ。お気になさるな」
アウグストは、バマノフ子爵の気遣いに静かに一礼をした。
「子爵様。そろそろ夕餉が整いましてございます」
執事が恭しく礼をし、応接室の三人に声をかけた。
「おお、そうか。それでは、向かうとしますか。今日は、アウグスト君の狩った鹿がうまいこと熟成されて、料理されていると聞いた。楽しみにされよ」
「ありがとうございます。とても楽しみです」
ディナー後。
ゆっくりと別室に招かれて、アウグストたちは香り高いコーヒーを嗜んでいた。
「そういえば、アウグスト君はまだ婚約者殿がいらっしゃらないということを聞いたのだが、本当か?」
「ええ。ご縁がないようで」
「ふうん。君ほどの男がね……って私もだが。……結婚や、家とは、なんだろうな」
ふと、陽気なバマノフ子爵の笑顔に陰がさした。
そして、アウグストも静かに息をつく。
道すがら、イヴォにバマノフ子爵の家庭事情を聞いていたのだが、それは無情というに等しかった。
兄の家督相続につき、若いパンチェレイモン=バマノフは王都に出ることを決意した。王都に名高いバガードリ騎士団に仕官するためだ。
しっかり順調に地位を重ねていった若き騎士パンチェレイモンは、騎士団長に抜擢されることになった。
「これほどの光栄なことはございません……」
「パンチェレイモン=バマノフ。しっかり励めよ」
団長を兼務していたスクリムジョー子爵が、団長章を手渡した。
その三年後。思わぬ早馬が騎士団長バマノフに急を知らせた。
子爵を継いでいた兄が病気で急死したのだ。
急ぎウトリオに戻らなければなるまい。
団長職を辞したバマノフは、ウトリオに戻った。
子爵領は、荒れていた。
「これは、立て直すのに骨が折れそうだ……」
本来であれば、子爵位は兄の息子のセレドニオが継ぐことになるが、まだ五歳の子供には無理だ。
「やはり、私がやらなければなるまい……」
バマノフ家の血筋の者たちは、兄の妻を娶るよう勧めたが、それには及ばないと断った。
「オクタビア。どうかお心を強く、セレドニオとゆっくり過ごしてください」
「ありがとう存じます」
未だ夫を亡くした悲しみに暮れる妻は、静かに涙を零した。
それから十年。
「子爵様!」
「どうぞ、焼き立てのパンをお持ちください!」
「狩りは近頃どうですか!また、ウチの山でも狩りをお楽しみください!」
活気を取り戻したウトリオの町を歩くと次々に住民から声がかかる。
五歳だったセレドニオもそろそろ成人の儀を執り行う手はずが整っている。
「いつ、セレドニオに爵位を譲るとしようか」
近頃のパンチェレイモンの悩みは、それだった。
「アウグスト君。君は嫡男だが、次に爵位を譲られることをどう思う。息苦しいか?それとも、楽しみだろうか」
瞬間。アウグストは苦悩した。
爵位を継ぐこと。それには重責を伴うこと、それに思い至ったのだ。
そして……。
弟ランブレヒトのこともある。
「……わかりません。僕にあの重責が背負えるのか……。だけど、民や馬たちが幸せでいられるよう。きっと僕は努力するでしょう」
年老いたパンチェレイモン=バマノフ子爵は、深くうなずいた。
バマノフ子爵自体もその思いでここまできたのだ。
「本当に君に会えて、私は、幸せに思う。君が望む時、いつでも頼ってくれ。すぐに駆けつけよう」
そのバマノフ子爵の言葉を、アウグストはしっかりと胸に刻んだ。
*
バマノフ子爵邸の上には、満天の星々が輝いていた。
ベランダに備え付けられたチェアに寄りかかってその星々を見つめる。
夜風が頭を冷やしてくれるが、問題は目の前から立ち去ることはない。
「僕は……これから、どう生きていけばいいのだろう……」
それもそのはずだ。
成人の儀をなんとか受け終わったものの嫡男としての責務を任されていない身の上だ。また、この16歳という年になるまで、婚約者がいた事実もない。
そして、弟ランブレヒトが兄の自分に向かって刺客を放ったという事実。
「どうして、これほどの苦しみを受けなければいけないのか」
いつもであれば……。
夜風に当たり、星空を眺めていたら、心が静まる。
しかし、どうしてか。
「今日はだめだ……」
涙が溢れて。
バマノフ子爵邸、客間のベッドに深く沈み込む。
どこに行っても、自分の居場所じゃない気がする。
「僕の居場所は、本当にあるのだろうか……」
今夜のアウグストは、どうしても寝付くことは出来なかった。
*
景色は、牧歌的な風景からだんだんと荷馬車や隊列などが多くなってくる。
「あれ、大丈夫か?」
イアンが心配そうにアウグストを振り返る。
「うーん。あんまり眠れなかっただろうな。刺客、弟さんが放ったみたいだし」
フィーランが眉をしかめて言う。
「坊っちゃん、あれだけいい子だから、ご家族もそれなりなのかと思ってたら、違うのね」とフランセット。
「人って、わからないものよ」そう淡々とジョベールが続けた。
「あの子、そんな中に帰らないといけないのね……」
一番心配そうに言ったのは、ジョベールだった。
ジョベールは、貴族の落とし胤らしいのだが、どこの貴族が父親かはわからないという。
侍女として奉公に出た先のことだ。もしかしたらわかるのかとも思うが、ジョベールの母親は、生まれ故郷に戻ることは叶わず、
行きずりの地でジョベールを生み育てた。
そして、その奉公先のことは、誰にも打ち明けなかったという。
その母も、父親が誰かも告げずに病死した。
親戚も居ない。だが、フィーラン、イアン、フランセットたちの親や周りの大人達が温かかった。
そんなジョベールは、孤独を克服した。
そばには、今の仲間たちがいつも一緒に居てくれたからだ。
だが……。
今、ジョベールがアウグストを見るにつけ、そういう対象が少ないだろうと見えた。
一人、二人は。きっといるのだろう。
アウグストを支えてくれる人は、きっといるだろうが。
だが、本当に心を救ってくれるまでの仲の友達は……。
おそらく居ないだろう。
「しんどいよ、ね……」
ジョベールは先行する馬の背から、後方で俯いて騎馬を操るアウグストを心配そうに見た。
*
アウグストは、何度目かはわからないため息をつく。
ため息を我慢してしまったら、それ以上に苦しみが押し寄せて、涙が溢れてしまいそうだったのだ。
この旅で。
アウグストは、外の社会を知った。
今までは、自分の家の状況が普通だと。
そう思い生きてきたのだ。
だが、トゥオモラのサリニャック家の温かさ。ウトリオのバマノフ家の品格がアウグストを揺さぶった。
そこへ来て、弟ランブレヒト=ハイゼンベルクが刺客を放ったということ。
「僕は、生まれてきては、いけなかったのか?」
夏の太陽の下。背中を丸めて騎馬を繰る少年の背を、街道を離れたところで進む男は、しかと見つめていた。




