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汐風、駆ける 〜牧場伯爵家ご嫡男、馬と共に領地を再興する〜  作者: 石井はっ花


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13/13

13 絆

陽射しは幾分翳ってきたが、それでもまだじっとりと汗が出る。


「さあ、どうぞお入りください。冷たいものを持って来させましょう」

 この館の主、マクシミリアン=サリニャック男爵が、執事に合図を送った。

 執事は心得たように一礼すると、その場に控えていた従僕たちに指示をする。


 *


 アウグストとイヴォは、マクシミリアンと談笑しながら、応接室に通された。

 玄関ホールからもそうだが、内装からその小物に至るまで、夏用の涼しげなものではあるのだが、どこか心がほぐれるような温かなものであった。


「不調法で申し訳ないのですが、こちらの品々はもしかして、奥様が?」

 マクシミリアンのモノクルの奥の瞳が、その瞬間優しげに緩んだ。


「ええ。家内の手作りでして。田舎臭いとお嫌かもしれませんが」

「いいえ。とんでもないですよ。これほど、なにか、心が温まるような空間は、初めてです」

 アウグストは、周りを見渡して微笑んだ。


「そう言っていただけて、とても嬉しく思います……。おや」

 その時、両開きの応接室のドアが片方、静かに開いた。

「リリアーヌ。今日はお客様だから、いい子にしていなさいと言ってあったよな」


 リリアーヌは、小さな足をトコトコと動かして、父親のもとに駆けていった。

「おとうさま!ごめんなさい。リリアーヌは、おとうさまにおあいしたくなったの」

 マクシミリアンは更に相好を崩した。


 と、そこにリリアーヌを追いかけてきた侍女のジョエルがようやく追いついた。

「リリアーヌ様!見つけました!もう、急にお出にならないで、くださ……い……」

 ジョエルはそこまでいいかけると、その部屋が今、どんな状況か思い至ったようだ。


 その部屋は、今、雇い主の男爵と賓客である伯爵家嫡男と取引先であるギルドのトップクラスの会談中だ。


 彼女の顔色は一気に青白くなった。

「申し訳ありません!」


 リリアーヌは、そんな自分付きの侍女の絶体絶命には、構ってなどいない。

「おとうさま。リリアーヌといつになったら、あそんでくださるんですの?」

「今、お父様は。こちらの方々とお話の最中だから、我慢しなさい」


「ええっ。いやだぁ。おかあさまは、フレデリクにかかりっきりだし。ジョエルはおこりんぼだし」

 と、最後にお父様がいいと、ふくれっ面を見せたリリアーヌ。


「こんにちは。リリアーヌ様。僕は、アウグストといいます。今日はお父様に招かれてこの家に来ました。もう少しだけ、お父様をお借りしてもいいですか?」


 客から、これほどまでに丁寧に声をかけられたことはなかったのだろう。

 リリアーヌは瞬間、目を丸くした。そして、首を傾げるようにして、アウグストを見つめた。


 アウグストは、優しげな笑みを深くして、待った。


「わかったわ。だったら、おはなしがおわったら、おにいさんがわたしとあそんでくれる?」

「これ!リリアーヌ!」と、マクシミリアンが慌てるが。

「いいよ!後で、僕と遊ぼうね」

「やくそくよ!」

 そういうとリリアーヌは踵を返し、廊下へ出ていってしまった。


「あ!お嬢様!」

 慌てたのは、ジョエルだ。なんとか辞去の礼をすると、リリアーヌを追いかけていく。


「アウグスト様。娘が大変無調法を働きまして。ご不快に思われたでしょうな」

 二人が去った応接間で、少女の父は深謝した。

「いいえ。可愛らしいお嬢様ですね。いまは、おいくつなんですか?」

 嬉々としてマクシミリアンはそれに答えた。


「今は、四つになったばかりです。あれの下にはフレデリクという息子もできまして。それが、全く可愛らしく……」

 そこまでを語り、我に返ったのか顔が赤いまま、マクシミリアンは気まずいように一つ咳払いをした。


「これは、不調法なのは、私のようだ。大変失礼いたしました」

「いえ。素晴らしいと思います。家族仲がよろしいのは、一番素敵なことですから」

 アウグストは、その表情に拭いきれないような悲哀を少し滲ませてしまった。


(なにか、あったのだろうか……)

 マクシミリアンは、アウグストのそんな様子を少し案じた。少しの躊躇のあと、

「アウグスト様。なにか、ございましたか?」と尋ねた。


 アウグストは、芽生えた感情を包み隠すように、少しだけ笑顔を深くした。

「ご心配いただき、ありがとうございます。おそらくは、旅の疲れかと」


「そうですか。それなら無理はなさらず、当家で回復を図られてください」

 アウグストは、一呼吸置いて。

「ありがたい申し出です。とはいえ、僕一人の一存では、決めかねるのが正直なところです。皆としっかり相談したいと思います」


「そうですね。わかりました。ご入用なら、何でも私にお申し出くださいませ」

 マクシミリアンの心配するような気持ちが、アウグストに沁みた。


 *


 夕食前の少しの時間、リリアーヌの自室に招かれたアウグストは、彼女のために絵本を読んでやっていた。

 衣服を改め、礼装姿であった。


「そして、お姫様は、王子様と末永く幸せに暮らしましたとさ」

「すてきなおはなしでしょ。リリアーヌは、このおはなしがいっとうすきなのよ」

 おしゃまな令嬢は、ニコニコと隣に座るアウグストの顔を見た。

「ええ。とても素敵だと思います。このお姫様、どこか、リリアーヌ様に似ておいでだ」

 リリアーヌは、少し照れたように笑った。


「アウグスト様、夕餉の準備ができました。ダイニングへどうぞお越しくださいませ。ご案内いたします」

 そこに現れたのは、執事だった。

「わかった。案内を頼む」


 先導する執事の後を、アウグストとリリアーヌが並んで歩く。

 リリアーヌは、どういうわけかアウグストの手に自分の手を重ねる。

 アウグストは、静かにその小さな手を握り返した。

 満ち足りたようにリリアーヌが、笑顔を見せた。


 *


 そして、ディナーが始まった。

「田舎料理と笑われるかもしれませんが……」と恐縮しながら、出される料理には、今までのディナーとは違い、しっかりと気持ちが込められた料理ばかりが並んでいた。


「何を、おっしゃいますか。どのお料理も心尽くしの一品ではありませんか」

 イヴォも、満ち足りた様子でどの皿も空にしていく。

「これほどの嬉しい言葉はありませんな」

 マクシミリアンも嬉々として、アウグストやイヴォたちに酒を振る舞った。

 飲みつけない酒だが、アウグストも少しだけ口に含んでいた。

 

 *


「おや、リトルレディは、お休みの時間ですか?」

 見ると、リリアーヌが眠たそうに船を漕いでいる。

 そのふっくらした頬が、料理の皿についてしまいそうだ。


「おお、これは、いけませんな」

 マクシミリアンが合図を送ると、壁際に控えていたジョエルが進み出て、「失礼します」とひと声かけて、小さなリリアーヌを抱きかかえた。


「まだ、おきてるのぉ……」

 そう言った瞬間、リリアーヌは寝落ちした。


「本当に、失礼ばかりで……」

 困惑するマクシミリアンだが、アウグストが意に介さない様子に、ホッとしたようだ。


「いいえ。このように素敵な時間をありがとうございます。僕もいつか結婚することがあれば、マクシミリアン様のような温かな家庭を作りたいです」

 本心だった。

 

(きっと、僕にはこういう温かい家は作れないのかもしれない)

 アウグストは、静かにグラスを傾けた。


 *


 その日の遅い時間。マクシミリアンは旧友に向けて文をしたためていた。


 書き出しは、こうだ。


『親愛なる友よ──。急ぎ君に頼みたいことがある。どうかこの願いを聞いてほしい……』


 その文は、静かに屋敷を出た早馬に乗せられて、夜闇の中、駆けていった。


 文を受け取った者は、静かに旅支度を整え、部屋を出た──。


 *


 小さな女の子の泣き声が、その朝、屋敷の前に響いた。

「いやだぁ! もっと、アウグストおにいさんとあそぶの! かえっちゃうのいやぁ!」

 弟ができたことで、母テレーズの気持ちが自分から離れたこと。それがまだ、小さなリリアーヌには、納得できていないのだろう。


 普段から、少しはわがままを言うけれど、ここまで駄々をこねることは珍しかった。


 アウグストは、困ったように笑うとリリアーヌに向けて身をかがめて話しかけた。

「リトルレディ。僕には、必ずまた会えるよ。君がお父様お母様の言うことをちゃんと聞いて、弟君のことをしっかり大切にしていたらだよ」


「ほんと?」瞬間的に泣き止んだリリアーヌは、泣き濡れた顔でまっすぐにアウグストを見つめた。

「本当だとも。いつかは、僕の住む町にもきたらいい。その時は、歓迎するよ」

 リリアーヌは新たに湧き出てくる涙を零しながら、何度もうなずいた。


 *


 サリニャック男爵邸を出た一行は、件の森に到着した。

 昨日の襲撃跡は、まだ生々しく残っていた。だが、警備隊の検分が入ったのか、血の跡などは、かき消されてはいたが。それでも、どこかあの時の恐怖心が戻ってきたようでアウグストは小さく身を震わせた。


「ねえ。フィーラン。あれに気づいてる?」

「ああ、単騎。ずっと追いかけて来るな」


 見るともなしにイアンが静かに言葉をつなげた。

「どうする。今のうちに叩くか?」

「いや」フィーランは首を振った。

「彼はこのままでいいかもしれない。何しろ殺気を感じられない……」


「ああ、わかった」

「了解!」

「わかったわ」三人は口々に同意を示した。


 午前中の早い時間でも、夏の空は地面に強い影を残している。

 キャラバン隊はそんな中ひたすらに東を目指す。

 次の町ウトリオはまだ遠いのだ。


 それでも、納期のないゆっくりとした道行きだ。緊張感をもって納品する馬たちを世話していた馬丁のユストゥスをはじめとした面々は、仕事をやり遂げたという誇りと開放感で満ち足りた顔をしていた。


 対照的だったのは、アウグストの表情で、顔色を失い深くもの思いにふけっていた。

 どう考えてもわからないのは、弟ランブレヒトが刺客の野盗たちを雇い、自分を襲わせたことだった。


「僕は、ランブレヒトを見くびっていたのだろうか……」

 命を狙われる恐怖ももちろんある。

 けれども、その恐怖心を上回るのは家族という絆がもうないと、実感したことだ。


「じい様……。早く、じい様に会いたいよ」

 ぽたり。

 涙の雫が、アウグストの頬を伝って、夏の熱気にくゆる地面に落ちていく。

 その涙は、静かに形を消していった。

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