40.それぞれの日常
レイピアを片手に走り出したシン。
「カジリ、俺らも行くぞ。カバン置いてけ」
「はい」
カジリは、背負っていた大きな旅行カバンを地面に置いて、フリッカーと共にシンを追いかけた。
その向かってくる三人を、鬼熊は余裕を持って眺めていた。よくあることなのだ。追い詰められた獲物が逃げ場を失い、最後の抵抗で牙を剥く。この辺り一帯の食物連鎖の頂点にとっては、いつもと変わらぬ日常だった。
ただ違うのは、相手が放っている白い光に見覚えがあったこと。鬼熊はあの夜を思い出す。その光を忘れる筈もない。自らの失われた右眼が、最後に見たものだったから。
目の前の獲物が何者かを理解した鬼熊は、怒髪天を衝く雄叫びを上げた。
「バァァァァァァァアアアア!!!」
近づいてきた獲物めがけて、鬼熊は体重を乗せた背中の右前足を叩きつける。洞窟全体が揺れるようなその一撃を、ギリギリで回避した三人。戦闘が始まった。
それを見て、キャロルは呪文を唱えるのを急ぐ。そして杖の先端に魔力を込め始めた。ルーの方は槍を背負ったまま、震える手で盾だけを構えて、いつ鬼熊がこちらに狙いを変えてもいいように備えていた。
チョロチョロと敵の足元を走り回るシン達。三人は全ての攻撃を回避している。
「コイツ図体だけのノロマやな」
「油断してると死にますよ、フリッカーさん」
「お前ら、余裕があるなら後ろ足の腱を傷つけろ。上手く行けば逃げられる」
もしキャロルが魔術を外しても、足を攻撃して機動力を削れば、後々逃げられるとシンは考えた。
「わかった。ほな俺が…うわぁ⁉︎」
その案に賛成したフリッカーだったが、苛立った鬼熊は、ついに八本の足で無茶苦茶に暴れ出した。
「やばいやばい!」
「なんて馬鹿力だ!」
暴れる鬼熊の力は信じられないほど強く、三人は地面が揺れてまともに立っていられない。シンはたまらずキャロルを急かす。
「キャロル!いつでもいいぞ!」
「準備できたわ!アンタ達、避けなさいよ!」
キャロルはもう魔術を撃てるようだ。三人は巻き添えを恐れて退避を試みる。しかしその瞬間、カジリが鬼熊に踏みつけられてしまった。
「ぐはぁ!」
このままキャロルが魔術を撃てば、確実に巻き込まれるだろう。シンは慌ててカジリを助けようとするが、何故かフリッカーはシンの身体を抱え、鬼熊から走って遠ざかる。
「嬢ちゃん撃て!」
「まだだめでしょ⁉︎」
「かまへん!撃て!」
「なんなの…じゃあ撃つわよ!消し飛べ!」
フリッカーが走りながら合図を出した。それを聞いたキャロルは、渾身の爆発魔術を放つ。
「やめろ!まだあいつが!」
「気にすんな!」
シンがフリッカーの行動に困惑していると、直後大爆発が起こり、二人は吹っ飛んだ。キャロルの放った爆発魔術が、鬼熊に命中したのだ。辺りは爆煙に包まれる。
「いったぁ…ごっつい爆発やったけど、あの熊どうなったやろ」
「おいそれよりも…お前の仲間は大丈夫なのか…?」
シンとフリッカーは吹っ飛んだが、既に逃げ始めていたため怪我は無い。しかしカジリは鬼熊と共に爆発にのまれてしまった。
「心配せんでええ、あいつはすぐに怪我治んねん」
「それは知ってる。だが…この爆発でも無事なのか?」
「えっ…大丈夫やと思うで…多分」
「多分だと…」
曖昧な返事をするフリッカー。そこにルーとキャロルもやってきた。
「無事ですか!」
「俺たちは無事だが…」
「どうなったの…あのネズミみたいな格好の人は、生きてるの…?」
「多分大丈夫やって、アイツが死んでるの見たことないし」
「当たり前だろ!何言ってるんだお前は!」
「…そんな怒らんといてや」
カジリの生死について真面目に話すシン達と、ふざけた態度のフリッカー。平行線の問答だったが、答えは煙の中から現れた。
「勘弁してくださいよ、服が破れちゃったじゃないですか」
なんとカジリが戻ってきたのだ。マスク以外はほとんど破れて、身体は傷だらけだ。しかしその傷はすぐに塞がっていく。これが蛙の里でシンが話していた、彼の再生能力だろう。
「おかえり」
「おかえりじゃないですよ…フリッカーさんの服が破れた時、あの人めちゃくちゃ怒ってたんですから。今度は僕が怒られるじゃないですか」
「社長には俺が謝るから、許してや」
フリッカーとカジリは、なにやら和やかに会話をしている。彼らにとってはよくある事なのかもしれないが、あの爆発から生還した事実に、三人は驚いていた。気になったルーがカジリに質問をする。
「あなたは…不死身なんですか…?」
「…どうだろう、そうなのかな?」
カジリ本人にもわからないようだ。
「あの…あなたには魔力が無いんですよね」
「え、うん」
「ならその再生能力はなんなんですか?」
「ああこれは…」
カジリがそこまで話したところで、煙の中から大きな影が現れた。
「…仕留めきれなかったか」
「嘘でしょ…全力で魔力を込めたのよ…」
鬼熊は生きていた。煙が少し薄まると、五人は鬼熊と目が合った。慌てて五人は戦闘態勢を取るが、鬼熊は既に背中の左前足を振り下ろし始めている。間に合わない。その場の全員が、叩き潰されると思ったその時。衝撃音が響く。
「…なんや、どないなってんねん」
「な、なにが起こったの?」
「ルー、お前…」
ルーの背中から白く毛深い腕が二本飛び出して、鬼熊の一撃を受け止めていた。
「ウデウデ、ありがとう…でも…重たい…」
前足の叩きつけはウデウデが防いでくれたが、その重さは全てルーの足が支えていた。ルーが地面にめり込んでいく。
「ちょっと…ルー…なによそれ…」
キャロルは異形と化したルーを見て、現実を受け止められないようだ。フリッカーとカジリも同じように驚いていた。だがシンは、声を上げて三人を目の前の敵に集中させる。
「話は後だ!チャンスを逃すな!倒しきるぞ!」
見ると鬼熊は、背中の右前足の毛が焼けて無くなり、皮膚が大きく抉れて血がドボドボと溢れている。爆発魔術はここに命中していたのだ。シンは今しか無いと思い、攻勢に出た。




