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犬兎同舟


 相手がこちらを頭から疑ってかかっているのなら、下手(したて)に出てもあまり意味はない。かといって高圧的に出るのは当然ながら逆効果。

 むしろこういった手合いは、ドン引かせれば勝ちだ。


「今の何でした? 味と舌触り的には泥水かなって感じだったんですけど」


「や、たしかに泥水だけど……な、なんで飲ん……」


 とっさに止めようとでもしたのか、半端に浮いた少年の両手が行き場を無くしてふらふらと上下に揺れていた。


 なるほどやはり泥水。

 一人納得して頷いていると、俺の首元からそろりと顔を離したアルテアが、俺と(から)のマグカップを見比べて青い目をきらりと輝かせ、何かを期待するように上目遣いにこちらを見上げた。


「こぅ、おーし?」


「おいしくはないですね」


 泥水だから。


 まぁ味覚なんて主観的かつ流動的なものなので、例えばここが砂漠で、俺の喉がカラカラだったというならどんな高級品より美味しく感じたかもしれない。

 しかし残念ながら今はそこまで切羽詰まってないため、普通に泥水である。特に美味しくはない。というか不味い。泥多めで喉ごし最悪だし。


 そんなわけで俺が正直に感想を伝えると、アルテアは一瞬ぽかんとした顔をした。

 そして与えられた情報を懸命に咀嚼しているらしき沈黙のあと、幼児は突然カードをひっくり返すように不満げな表情になって、ぷくっと頬を膨らませた。ぱんぱんである。


 そのあとすぐに、ぐりんっと上体をよじって少年のほうを向いたかと思うと。


「めっ!!!」


「えっ、あ、いや」


 吠えた。いや叫んだ。

 一連の流れで動揺したままであろう少年が、幼児からの一喝に取り繕う余裕もなくうろたえている。


「め!! めーよ!!」


 言葉としては「めっ」だけを繰り返しつつも、伝えたい感情に追いつかない語彙をもどかしがるように、アルテアは手足をじたばたとさせた。怒るのはいいが落としそうで危ないからちゃんとしがみついといてほしい。俺の腕力のカスさを舐めるな。


 それにしてもニハルとの件から引き続き、アルテアがここまで敵意をあらわにしているところを見るのは俺としても初めてのことだった。

 正直今は少年との交渉に注力したいのだが、コミュニケーションとは往々にして時間制限が存在するものだ。

 今じゃなくても大丈夫だろうと後回しにした結果、最悪のこじれ方をする場合もある。相手が幼児だからと油断できるものではない。


 さてここで適当に流していいものか、と頭の中で優先順位を秤にかけていると、目の端で小さな光が揺らめいた。

 はっとして見ればアルテアの周りの空気が、アスファルトの上の陽炎のように、ほんの微かに揺らめいていた。


 俺はマナの流れをほとんど知覚できない落ちこぼれエルフだが、さすがにこの至近距離で二回目ともなれば分かる。

 先ほど、ニハルに対して起きた現象と同じ。


(これは、魔法だ)


 まずい、と思ったその瞬間。


「………………ごめん」


 ばつの悪そうな声が空気を揺らした。

 視線を戻せば、少年が気まずげに首の後ろをさすりながら、真っ直ぐに俺を見ている。


 アルテアはそんな少年にじとりとした眼差(まなざ)しを向けたあとで、俺のほうを振り返った。


「こぅ?」


 獲物に飛びかかるゴーサインを待つ猟犬のような顔でこちらを見上げてくる幼児へ、俺は柔らかく笑みを返す。


「アルテア、ありがとうございました。僕のために怒ってくれたんでしょう?」


「ん!」


「でも僕は平気ですよ。気にしてもないですし。それに血反吐を吐き散らかして三日三晩のたうち回る薬品を飲まされるのと比べれば、かわいいもんです泥水くらい」


「んー……、ん゛~~~~……!」


「大丈夫大丈夫」


 片手というか片腕はアルテア、もう片手はマグカップで塞がっているため、唸るアルテアの頭を撫でる代わりに頬をすり寄せて宥める。実際まじで平気だし気にしてないので鎮まってほしい。


 通常の細菌やウイルスや寄生虫にほぼ感染しないタイプの生命体であるエルフにとって、泥水を飲むデメリットなどプライドがどうとか生理的にどうとかのメンタル問題くらいのもので、俺に関してはその点もオールクリアしている。

 なにせプライドは果てしなくゼロの上に、数万倍ヤベェもんを実験体時代に散々飲んできている身としては、泥水の難点なんて先ほども述べた通り、喉ごしが悪くて不味い程度の話であった。


 いや、別に進んで飲みたくはないが、必要だというならいくらでも飲もうじゃないか。

 というか前々から旅資金が危なくなったら最終的に俺は泥水飲もうと思っていたので、予定が少々変わって繰り上がっただけだ。


「んぅ……」


 やがて不満げながらも力を抜いたアルテアが、ぽふりと俺の首元に顔を埋めた。

 それと同時に周囲へ集まっていたマナの気配が霧散したことに内心ほっと息を吐く。

 まったく次から次へとよく問題がわいて出るものだ。しかも何一つ解決しないまま山積みになっているときた。


「…………、血反吐?」


 俺とアルテアのやりとりが一段落したところで、所在なさげに立ち尽くしていた少年が先ほどの俺の言葉を拾って、問いかけと独り言の中間みたいなトーンでぽつりと呟く。


「おや、興味あります? “お坊ちゃん”の苦労話。いえ、正直なところ僕は不幸比べほど不毛な虚無の競技はないと思ってるんですが、それで同情が買えて交渉が有利に進むなら()()()ものです。お望みなら三分くらいにまとめてサクッと語りますけども」


「あ、……いや」


 先ほどまでの威勢はどこへやら、少年がしどろもどろに言いよどむ。

 実際のところ、あれは威勢ではなく虚勢だったのだろう。突如現れた外敵に体を膨らませて牙を剥く小動物と同じだ。


 この少年は口も頭もよく回るし、十二分に現実が見えている。

 そして、だからこそ、彼は()()()()()()のだと思った。


「気乗りしないですか? では聞くも胸糞、語るも暗黒な身の上話はまた今度にするとして」


 俺は空っぽになったマグカップを少年のほうに差し出しながら、静かに微笑んだ。


「ご回答は?」


「…………、………………わーったよ。オメェの話に、乗る」


 ここからまた虚勢を張って話を突っぱねるだけの気力も、体力も、もはや少年には残されていなかったらしい。

 疲れ切った溜息を吐きながら、しかしどこか安堵したように眉間の皺を緩めた少年が、俺の手からマグカップを受け取る。


「契約成立ですね。僕からの返しの(さかずき)は必要ですか?」


「いらねーよ……」


「なら省略ということで。それと大切な水を分けて頂いて、ありがとうございました」


「だぁもう……だから、ごめんっつってんだろ。んな、わざわざイヤミ言わなくても、」


「嫌味じゃないですって。だってさっきの泥水、普段あなた達が飲んでいる水でしょう? 貴重な飲み水だったんじゃないんですか」


 俺の言葉に、少年がぴたりと動きを止めた。

 彼の後ろにいる他の子供たちも、目を丸くして顔を見合わせている。


 一時間にも満たない長さの付き合いだが、ここまで見てきたかぎり、少年は根本的に正気(まとも)である。

 例の施設の人々などと違い、たとえ当てつけのためであっても、本人の視点から見てそこまで醜悪なものは出せないだろうと今までの対話で結論づけた。あとはマグカップの使用感とか、いくつかの状況証拠からの当てずっぽうだ。


 俺みたいな“お坊ちゃん”が嫌がりそうで、彼らにとっては普通なもの。

 それが先ほどの泥水だったのではないだろうか。


 などと当たれば儲けものくらいの気持ちでかけた鎌は、彼らの様子を見るに無事的中したらしい。


「ん、……いや、ここんとこずっと雨だったから、水だけはわりかし余裕あるし……」


 少年が気まずさをごまかすみたいにまた首の後ろをさすりながら、ごにょごにょと歯切れ悪く喋る。


 ようやく空気が緩んできたのを感じてか、ずっと身を縮こめていたニハルが横目に少年の顔色を窺いながら、身振り手振りをまじえて俺に話しかけてくる。


「お水、わっちらはいつもたまっとるやつの上のほう、そーっとすくって飲むんよ。泥んとこまで飲まんでありんす」


「僕のは体感三分の一くらい泥だった気がします」


「本当に飲むとは……おもわなかったんだよ。ちっとばかし嫌な顔させられりゃいいと思って、……その、さっきのは、だいぶ下のほうからすくったやつで……」


 泥マシマシだったらしい。


 とはいえ先ほどのが彼らの飲み水であったことに変わりは無い。

 社会の底辺を生きる彼らにとっては、一般人がいうところの“ただの水”すら貴重品だ。“綺麗な水”ともなればほとんど手の届かないものだろう。彼らはそういう世界を生きている。


 しかしそれに同情している暇は無い。

 俺の世界もまた、彼らとは違う意味で、明日をも知れぬ今日なのだから。


「さてさて、時間(とき)金貨(かね)なり。ということで早速お互いに契約を履行しましょうか!」


 俺はピピリマとやらの治療、子供たちは俺への情報提供。

 分配する食糧の買い出しはこの少年に任せよう。一人で金の持ち逃げとか出来なさそうだし。


「あ。それと」


 頭の中でやることを割り振りつつ、俺はすっかり意気消沈している少年の顔を覗き込んだ。

 至近距離からのエルフ顔面を浴びて反射的にズサッと後ずさった彼に、にこりと笑顔を向ける。今まであえてやっていた含みのある胡散臭い笑みではなく、ちゃんと相手への親しみを込めた、純度の高い美少年スマイルである。


「あなたの名前も教えてください。契約相手の情報はしっかり確認しておかないと、ですよ」


「……レピュス」


「いいお名前ですね。最初に言いましたが僕はコルです。この子はアルテア。短い間かもしれませんが、よろしくお願いします」


「よ、ろしく」


「ん゛や゛~~~~~~~~~~~」


「すごいですねアルテア、聞いたことないくらい嫌そうな声出てますよ」


「………………」


「ははは仲良くしなくてもいいんで、契約期間中だけ上手くやり過ごしてくださいね二人とも」


 そう言って今度は軽薄に笑った俺を胡乱げな目で睨んだ少年──レピュスが、「なんか早まった気がする」と早々に俺との契約を後悔し始めている呟きを零す。


 しかしあいにく異世界にクーリングオフ制度はないようなので、どうか野良犬に噛まれたと思って潔く泣き寝入りしてくれ。


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