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29話 俺の目の前には


「――私は女神レレネスの使いである!」


 どこからか、女性の声が飛び込んできた。


「その者は濡れ衣を着せられた無実の若者である! 今すぐにやめよ! 女神レレネスと男神アドロリウスは全てをご存じである!」


 大声で叫ぶ女性の声は、上から聞こえる。

 誰なのか確かめたいが、今の俺は目隠しされていてなにも見えない。だが予想だにしていないことが起きて、場の空気が変わっていることは肌でわかる。

 俺の横や後ろにいるだろう騎士の動きが止まっていることが、場の空気から伝わる。隙をつくように耳をそばだてて、ざわつく声を拾う。


「おい! 空に浮いているぞ!」

「あそこを見ろ! 背中に羽がある!」

「本物なのか?」

「どうすればいい? 執行していいのか?」

「聞くな! 女神の使いなど噓だ!」


 聞こえてきたのは動揺している騎士たちの声。

 大声で否定しているのは国王の声だ。


「話を聞かぬというのなら、女神レレネスと男神アドロリウスの怒りをうけよ!」


 女性の声と同時に、爆発音と細かい水飛沫が入り混じった爆風が襲ってきた。

 そしてそれは、一度では終わらなかった。右からも、左からも容赦なく襲ってくる。

 爆風で舞い上がってきたと思われる小さい固形物が、被弾のように俺の全身を打つ。

 それと同時に水飛沫が打ちつけきて、通り雨にあったかののように全身が濡れる。


「っ!」


 俺の髪は激しく揺れて、顔に張りつき、鼓膜が破けそうなほどの音量が耳に飛び込む。思わず、耳をかばうように肩をあげて身体をまるめる。


「うわぁ!」

「目が!」


 俺の周囲にいる騎士たちの悲鳴が聞こえたが、新たな爆発音ですぐにかき消えた。

 手枷や足枷の鎖同士が激しくぶつかる高音も、途切れ途切れに聞こえる。

 爆風によって俺の上着は、旗のように激しくはためく。

 身体をまるめて風があたる面積を小さくしても、こんな強風ではいつまでも耐えられない。

 どこかにしがみつかないと吹き飛ばされる、そう思ったとき――不意に体が傾いた。


「うわっ!」


 爆風で体が一瞬浮いたと感じたら、次の瞬間には地面に転がっていた。


「っ!」


 転がった俺の体は何かにぶつかって止まる。感触からして石壁だろうか。

 しばらくじっとしていると、爆風と爆発音が止んだ。


「陛下!」

「陛下をお守りしろ!」


 遠くから国王の安否を心配する声や、突然の騒動に動揺して指示を仰ぐ騎士の声などが聞こえる。


「……」


 今はどういう状況なのだろうか。

 上空から聞こえてきた少女の声は味方なのか。

 誰かをつかまえて聞きたいが、こんな状況では誰も余裕なんてないだろう。


 俺の全身はびしょ濡れで、肌の感触が気持ち悪い。

 服を着たまま海に飛び込んで、砂浜にあがってきたかのようだ。

 目と口にある麻布も搾れるほどに水を含んでいて、俺の顔の凹凸に沿って張り付いている。


「アレクシスさん!」


 動いても大丈夫なのか。わからずにじっとしていると、俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。


「今、ほどきます!」


 聞き覚えのある少女の声が、耳元で聞こえた。

 まず、目隠しされた麻布が取り払われた。

 それからきつく縛られていた、口もとの麻布も肌から離れた。


「ノーラ……!」


 俺の目の前に、治療師ヒーラーの少女がいる。

 来てくれた。

 はじめて、仲間になってくれた少女が。

 困っていたところを金銭で解決し、契約をもちかけた。とは言っても、彼女からしたら断れる状況ではなかったから、半ば強制だろう。

 そんな関係で、手紙一つで行方不明となった俺に、彼女は当たり前のように俺の身を心配している。

 俺の目頭が熱くなった。その勇気と優しさが嬉しくて、目が潤んで視界が歪む。


「アレクシスさん大丈夫ですか⁉ って丈夫じゃないですよね⁉」


 そんな俺の様子に気づいていないノーラの表情は、ころころ変わっていく。心配して、驚いて、心配して、とせわしない。

 俺の姿は全身土汚れのうえに、水飛沫で髪と服は濡れている。

 人生の中で一番ひどいありさまだだろう俺の顔や服、手枷と足枷を見てノーラは血相を変えた。


「顔が腫れていますけど、誰かに殴られたんですか? なにがあったんですか? いえ、それよりもここら逃げないと! あ、でもその前に怪我の確認を!」

「俺はこの通り制限されている。服をめくってみてくれないか?」


 手枷と足枷で自由が利かないと俺がいうと、ノーラが失礼します、と呟いて俺の服をめくる。

 彼女の目が慌ただしく俺の身体を見まわす。


「ここにも痣が……。こっちにも!」


 ノーラがひどすぎます、と泣きそうな声を出す。

 ノーラが見たのは、背の高い大男からの殴打や鞭を使った折檻のような跡だろう。

 十五歳の少女には耐えられない光景だろうなと思い、少し後悔した。


「ありがとう。助かった」


 俺の口から感謝と命拾いしたという安堵の声音がでる。助けに来てほしいと願っていたが、本当に来てくれるとは思ってもいなかった。

 ノーラから見たら、俺がどこにいるのかなんて見当もつかなかっただろうに。


「それは、みんなのおかげです」


 ノーラは顔を上げて、微笑んだ。


「ジェシカロロシーさん、ローザさん、エルナさん、ヘルミーネさんが中心となってここまできました」

「そうか……」


 名前を聞いてまた目頭が熱くなって、胸がじんとした。泣きたい心境になったが、頭が冷静になれと告げる。

 現実は何も変わっていない。気持ちを切り替えて周囲を見まわすと、先ほどまで俺の正面にいただろう国王の姿が見えない。

 俺の鎖をずっと持っていた騎士もいなかった。


「なんか、嵐がさったような景色だな……」


 神殿の建物が破壊されたところは見えないが、泥水と化したものが地面から神殿の天井まで、石柱にも張りついている。

 そのひどいありさまは、俺といい勝負ができるほど。

 さらに辺り一面が水浸しになっている。広くて浅い水たまりには、爆風によって海から打ち上げられた魚貝類が散乱していた。

 まだ生命がある魚は、広くて浅い水たまりの中で跳ねている。


「みんな、避難したのか?」


 振り返って背後のほうを見ると、騎士たちが慌ただしく動いている。

 表情まではわかないが、副団長が手を動かして部下に指示を出している横顔が見えた。

 見学していただろう人々は見えない。

 ノーラはそうですねと返事をする。気になるところがあったようで、呪文を唱えて回復魔法をかけてくれた。


「アレクシスさんの前に立っていた偉い方々や騎士さまは、神殿の中に入って行きました。見学していた人々は街中の方へ走っていきました」


 ノーラは動けますか、と顔を上げる。


「ああ」


 俺は立ち上がる。

 ノーラの回復魔法のおかげで、背の高い大男に殴打された頬や腹部の鈍痛、さっき床に激突したときの痛みは感じない。


「ノーラ。逃げるなら騎士たちが対応に追われている今しかない」

「そうですね。あそにペガサスがいます。乗ってください」


 ノーラが指した方向へ顔を向けると、背から白い翼を生やした白い馬がこちらを見ていた。

 あれだけ爆発音と爆風が起きていたのに白い馬は落ち着いた様子で、ただそこに静かにいる。

 騎馬みたいに轡や頭絡、鞍はない。


「ペガサス……?」

「はい。ペガサスです。ここまで乗せてきてもらったんです!」


 ノーラが少し興奮気味に話す。

 もしかして、あれか。

 酒場で金の流星のメンバーと会って、ジェシカロロシーと戦闘狂が同席していたときに話に出たあの生きものか。


「最初は浮遊感に驚きますけれど、慣れてくれば景色を楽しめますよ」


 ノーラは自分の経験談を話してくれたが、俺が気になったのはなぜそこにいるのかというとだ。


「協力してくれているのか?」

「はい」

「どうして……?」

「私と金の流星のメンバーの皆さんで、説得しました!」

「いや、そうじゃなくて……」


 ペガサスだって、利がないと動かないだろう。俺はそう思いながらペガサスを見るが、ペガサスの表情からは何も読み取れなかった。


「アレクシスさん、早く乗りましょう! 騎士さまがこっちを見ています!」

「!」


 俺が振り向くと、副団長と目が合った。

 副団長は俺から視線を外し、近くにいる騎士を呼びつけて何か言っている。

 まずい。

 俺は今身一つだ。剣はアーネウスに取り上げられたままで、手枷と足枷によって自由を奪われている。

 今はペガサスの思考を読み取ることを気にしている場合じゃない。

 俺は急いでペガサスの背に乗る。


「ローザさんたちがいる船までお願いします!」


 ノーラは言いながら、俺の後ろに乗って俺の服を掴む。

 ノーラの頼みに、ペガサスは翼を広げてはばたかせ、上昇することで応えた。

 数人の騎士が俺のところに向かって走ってきたが、ペガサスが高度をどんどん上げて空へ飛び立つほうが早かった。

 騎士たちは待て、降りてこいと、俺とノーラを見上げて言っているが、聞こえぬふりをした。

 リリアーヌを取り戻すまでは死ねないし、ノーラの勇気を無駄にしたくはない。

 ペガサスは十分な高さまで昇ると神殿に背を向け、空を駆けだした。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

今後もよろしくお願いします。




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