26話 太陽の下に出ると
水は冷たいときと、常温に近いときがある。おそらくは早朝とそれ以外の時間帯。
波の音は大きいときと小さいときがある。たぶん、潮の満ち引きでのことを言いたかったんじゃないかと思う。
あれから老人のつぶやいた言葉をずっと考えて、たどり着いた答えだ。
たしか、満月とそれ以外の日では干満が違うんだよな。
漁師は魚を獲るとき気にするのだと、同僚から聞いた話を思い出した。
俺の領地は海に面してしないが、国土の半分は海に面している。
自国から採れる良質な塩は『白い金』と言われるほどの価値があり、香辛料のように高値で売買されている。
塩は岩塩洞窟から運ばれてくると聞いた。
海に面している領土の領主たちは上級貴族。その中でも、岩塩洞窟が領地内にある領主は王族と関係が深い。
もし、俺の領地が海に面している土地で、それなりの地位があったら?
俺にもっと人脈があったら?
こんなことには、ならなかったかもしれない――そう思ったところで、俺は首を左右に振った。
だめだ。前向きにならないと。
太陽の光が当たらない、波の音しか聞こえない静かな場所にいると、自分の思考の中に深く沈んでしまう。
領地の収入だけではリリアーヌに飲ませる薬を買うことが難しいから、俺は給金が高い騎士をしていた。
その選択は間違っていない。
リリアーヌの体調は良くなっていたし、体力がついたらダンスを覚えて社交界デビューをする予定だった。
しっかりしろ、と言い聞かせていると、足音が聞こえた。
足腰の悪い老人が片手に吊下灯を持ち、片手に俺の食事を持って運んできた。
いつものように鍵で鉄格子の扉を開ける。
錆びた鉄が擦れる嫌な音が洞窟内に響き、俺の食事が牢の中に置かれた。
「お爺さん、ありがとう。なんとか生きている」
「……」
「なんとか、自我を保てている。貴方のおかげだ」
「……私は、なにも言っていません」
足腰の悪い老人はそう言って、鉄格子の扉を閉めた。
日課となった毒味をしてから、食事をはじめた。
椀に入った水を飲み終えると、俺は自分の髪の毛を一本抜いて、その毛を上着の内側のポケットにしまった。
また足腰の悪い老人が食事を運んできて、水を飲み終えたらまた髪の毛を抜く。それを毎回繰り返す……。
「これで二十六か」
水の冷たいときが早朝であることを前提として一日の始まりとし、俺は日数を数えはじめた。
はじめは鎖で凸凹した壁面に線を描いて残そうと思ったが、うまく壁面を削ることができず、無駄に体力を消耗したのでやめた。
洞窟内は暗いから、確かめるときは場所を思い出して、手の感触で確かめないといけない。
天井も地面も壁も凸凹しているから、もとから自然にあるものなのか、それとも自分が削ったものなのか、確認するのも難しいと思った。
自分の髪の毛なら、アーネウスや背の高い大男に知られにくく、それでいてちゃんと形として残る。
場所もアーネウスから聞き出せず、太陽の光が届かない場所で、足腰の悪い老人が運んでくる食事だけが頼りの日々。
体内時計が壊れた体で、なんの情報も得られない場所では不安を抱える精神に拍車がかかる。
だが、あのとき老人が教えてくれた言葉でなんとか自我も冷静さも保てている。
ノーラ。ジェシカロロシー……みんなはどうしているだろうか。
俺があの街を出ているというのは、商人のフリッツさんが知っている。
でも俺がここに閉じ込められていることは、きっと誰も知らない。
だれかが助けに来てくれる、なんて甘い希望はもてない。
俺は手首にはめられた鎖を、力任せに引っ張った。
じゃり、と連結している鎖が奏でる音を聴いただけで終わった。
光を求めてここから出たいけれど、錆びている鎖がしっかりと役割を果たしている。
何度も試したが、俺の力では引きちぎるという芸当なんてできなかった。
いつまで俺はここにいるんだ?
その疑問の答えを知っている顔が浮かぶ。
「アーネウス……」
俺の口から呪うような低い声が出た。
最近、アーネウスが来ない。
情報源となるあいつが来ないので、外の世界がどうなっているのかわからない。
「ふう……」
なにもできない、ここから出られない苛立ちを落ちつかせるために、俺は深呼吸をした。
けれどあまり効果はなくて、自然と首が垂れた。
両手で顔を覆う。
現実はままならないよな。わかってはいるけれど。
気分が沈んでしまい、深いため息をつきそうになったとき、複数の足音が聞こえた。
足腰の悪い老人じゃない。
耳をすませて集中すると、癖のある足音と規則的な足音が聞こえた。
足音が大きくなるにつれて、洞窟内がうす明るくなり、だんだんとその面積が広くなっていく。
「生きているか? アレクシス」
癇に障る高い声の主が、余裕のある笑みで俺を見下ろす。
アーネウスの後ろには手提灯を持って付き従う兵士と、背の高い大男がいた。
「アーネウス……」
手提灯の明かりで鉄格子と俺の顔が照らされる。
「その様子だとだいぶ滅入っているようだな。限界か?」
「そんなわけがあるか。また自慢をしにきたのか?」
「私はお前と雑談をするほど暇ではない」
最近までしていただろうが、と俺は心の中で突っ込む。
突如、背の高い大男が牢屋の扉を明けた。
牢の中に入って来て、俺は頭を掴まれてうつぶせにされた。
俺の背中に乗ってきて、身動きできないように背の高い大男は自分の体重を石代わりにする。
「くっ……」
あまりの重さに俺の肺が押しつぶされ、息苦しくなって呻く。
その間に俺の手枷、足枷は外され、すぐに別の枷でつながれた。
「立って出ろ」
立ち上がった背の高い大男の威圧的な口調に、俺は黙って従う。
暗い洞窟内を手提灯の明かりだけを頼りに歩く。
手提灯を持っている兵士、アーネウス、俺、背の高い大男の順で歩いている。
手提灯の明かりによる明暗で、洞窟内は広く、天井も岩壁も凸凹しているのがわかった。
目だけを動かして周囲を探ると、道具を使って岩壁を削ったような跡、木材で天井が崩れないように支えている場所を発見した。
ふと横を向くと、洞窟内のどこかに縦穴があるようで、光が垂直に差し込んでいる場所を見つけた。雪のように白い壁と青い海が見える。
「あそこが出入口じゃないのか?」
「黙って歩け」
背の高い大男に拳で背中を押されて、転びそうになった。
しばらく歩くと、三角形のような通路がうっすらと見えた。
手提灯の明かりで、斜めに倒れた岩壁同士がぶつかり合ってできた隙間の下を歩いているのだと知る。
「――っ!」
通り過ぎると太陽の下に出た。
雨風と長年の海の浸食によって削られた断崖のような地形。一部が苔に覆われている。
久しぶりの陽光に目が慣れず、自然と目が細くなる。
「歩け」
立ち止まった俺に、背の高い大男が命令口調で俺の背中を押してきた。
俺は切り立った断崖に荒く削られた細い道を歩く。
「!」
細い道を上りきるときると、元上司の副団長と数人の騎士が待っていた。
全員が装飾付きのマントを身につけ、灰銀色の鎧を隠している。
そのマントの裾からは、腰から下げている鞘先が見えた。
彼らの表情はみな硬く、口をかたく結んでいる。
酒場の出入口で、偶然視界に入り込んだ顔だと思わせる人物もいた。
「あとは我々が」
「よろしくお願いします」
元上司の副団長とアーネウスの短い引継ぎ。
アーネウスは去り際、俺に勝ち誇ったような笑みを向けてきた。
「私はこれからリリアーヌに会ってくる。安心しろ。おまえの分まで抱きしめてきてやる」
「リリアーヌに触れたら殴り倒すと言っただろう」
俺はあの時と同じように、射殺さんばかりの視線をアーネウスに向けた。
元上司の副団長は眉をひそめ、俺に注意する。
騎士たちに鎖を引っ張られ、俺は詰め込まれるように馬車に入れられた。
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