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沈黙の神官(プリースト)  作者: こんたくみ
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第二十九話

 アテルイの部屋に、ぽかぽかとした陽気が差し込む。割れていた窓ガラスは直っている。室温は実に快適で、アテルイは日向ぼっこと称して昼寝をしていた。


 夢と現実の間を行ったり来たりするアテルイの耳に、扉を叩く音が聞こえた。現実に引き戻されたアテルイは、眠そうに扉を見遣った。


「アテルイ、俺だ」


 ロマラムタの声だった。アテルイは立ち上がって、扉の前に立った。


「俺っていうだけじゃ、誰のことか分かりませんね。合言葉を言ってください」


 アテルイが言った。


「合言葉だと?」


 扉の向こうで、ロマラムタは考え込んだ。実際には合言葉など決めてはいない。こんな遊びに付き合うなど、ロマラムタは案外と暇なのか? とアテルイは考えた。自分から仕掛けておきながら。


「プルウィアの下着の色を知っているか?」

「はあ!?」


 アテルイは久しぶりに動揺した。扉の向こうにいるのは、本物のロマラムタなのか? 面白いことを言おうとして頑張った結果、おかしな方向に行ってしまったのか?


「いや、なんでもない。忘れてくれ」


 ロムラマタの声はいかにも後悔の色が強かった。


「なにがあったんですか……」


 アテルイはつい訊いてしまう。


「いや、ちょっと印象に残っていたもので……」

「見たんですか」

「ああ、まあな」

「この淫行神官!」

「なんだと!?」

「まあ、とにかく仕切り直しましょう。合言葉っていうのは、こちらから掛けた言葉に対し、決められた言葉を返すのが基本のはずです。よろしゅうございますね」

「ああ、そうだな、わかった」

「ええと、それじゃあ……『地上に降りて花を摘みにいってもいいですか』」

「……おい、アテルイ」

「はい、なんでしょう」

「いや、なんでもない。合言葉の答えは『駄目だ』だ」

「残念、合言葉が違います。お引き取りください」

「もう一度だけ試しても良いか?」

「いいですよ。『地上に降りて花を摘みにいってもいいですか』」

「『許可する』」

「はい、正解。どうぞ上がってください」


 アテルイは扉を開けた。ロマラムタは呆れた目をしていた。


「ふざけているのか」


 ロマラムタが言った。


「ふざけていなかったら、一体なんだというんですか」


 アテルイがそう言って返すと、ロマラムタは溜め息を吐きながら首を振った。


「お前にもそういうところがあるんだな」


 ロマラムタは部屋に上がった。


「適当に座ってください。花茶を淹れますけど、残りが少ないので薄くしますよ」

「かまわん」


 そうしていつものように、アテルイは火打ち石を使って火を起こす。


「そういえば聞いたぞ」


 ロマラムタが言う。アテルイは作業をしたまま。振り向いたりはしない。


「なにをです」


 アテルイが言った。


「お前の沈黙の法術だ。効果を及ぼした範囲が大聖堂全てに及んだそうだな」

「らしいですね」

「お前、本当は他の法術も使えるんじゃないのか?」

「無理です。本当に沈黙の法術しか使えません」

「ではなぜ強力な法術が使える。信仰もなしにできることではないだろう」

「それなんですがね、どうも私に瘴気が効かなかったのと、同じ理由じゃないかと思うんです」

「なに?」


 ロマラムタはアテルイを見た。アテルイはじっと湯が沸くのを待っている。部屋に薪が燃える音が響く。


「お前がギハオ神道の関係者だったから、瘴気が効かなかったんじゃないのか」

「全く関係ありませんね。あれだけの瘴気、ギハオ神道の関係者だろうがギハオ神道の高位神官だろうが、浴びれば瞬く間に死にます。イチコロです」


 アテルイは「エクデステスが特殊なんですよ」と付け足した。


「本当か? ギハオ神道に伝わる怪奇な儀式とかはないのか?」


 ロマラムタは信じられないらしい。


「ありません」


 アテルイは言った。言った後で、キイ・ゼテッタやキゥ・テアットが使った法術のことを思い出した。しかし変に疑られても面倒だし、そうなるとこれからの説明が通じなくなるかもしれない。言わなくてもいいや、と思った。


 アテルイは湯が沸くと茶を淹れて、ロマラムタに差し出した。


「これが理由です」


 アテルイが言った。ロマラムタは花茶を凝視した。


「茶がか?」

「それ以外に考えられませんね」

「どうして茶を飲んだら瘴気が効かなくなる」

「ウィロウの加護でしょう」


 ロマラムタはアテルイを睨んだ。はぐらかされているように感じたのだ。アテルイは気にする素振りもなく花茶を啜った。薄いのも薄いので悪くないと思った。


「おいアテルイ、あまりふざけるのも大概にしろ」


 ロマラムタが言った。


「この茶に使われている花は、空中庭園に咲いていた花です。なんという名か知っていますか」


 アテルイが湯呑みを置いた。アテルイはどこか遠くを見詰めるように、花茶を見ていた。


「確か、清浄の花と言っていたか?」

「そうです。ではなぜ清浄の花なのか。そもそもどうしてあの空中庭園で栽培されていたのか、ご存知ですか」

「いや、知らないな。俺が大聖堂に来た時にはすでに栽培されていた。特定の誰かが管理するでもなく、使用人が見栄えのために手入れをしていたようだが」

「俺は調べました。ここに来た始めの頃」

「お前が調べたのか? 花のことを。意外というかなんというか」

「分かったことは、あの花はこの大聖堂が建てられたときには、既に栽培されていたということです」

「どこにそんな資料があったんだ」

「書物庫で埃を被っていた外典の一節です。ウィロウが築いたこの聖堂には、千種にも及ぶ花があったと」

「千種?」

「そうです。ところが、現在あるのは清浄の花が一種です。これは俺の推測ですが、ウィロウが選定して、品種改良したんじゃないでしょうか。瘴気に効果のある花を」

「なんのために」

「愚問ですね。人々を瘴気から救うために決まっているでしょう。私は毎日この花茶を飲んでいましたから。瘴気になんらかの耐性ができたんでしょう。そんな影響を体に与える花ですから、ひょっとしたら法術の威力を上げてくれるかもしれません」

「俺が訊きたいのはそういうことじゃない」


 ロムラマタが言った。


「なぜウィロウがそんなことをしなくてはならなかったのか、ということだ。花なんぞなくても、ウィロウなら手ずから瘴気を浄化することができるだろう」

「できなかったんですよ」

「なんだと」

「できなかったから、瘴気の及ばぬ場所で花を作り出した。地上に民を残してね。要は医者ですよ。瘴気に苦しむ人のために、頑張って薬を作ったんです。そしてウィロウが生み出した花は、地上にも咲くようになり、地上の瘴気は激減した。と私は考えています」

「おいアテルイ、お前、それはつまり……」

「ええ、ウィロウは神ではなかったと思っています」


 ロムラマタは俯いて顔に手を当て「馬鹿者が」と吐き捨てた。


「だったらなぜ信仰によって法術が会得できる。神の存在なしにどうやって説明する」

「私の知るところではありませんね」


 ロマラムタはいよいよ呆れ果てたといった様子で立ち上がった。


「俺はもう行く」


 ロマラムタが言った。


「私に用事があってきたんじゃないんですか?」


 アテルイが訊くと、ロマラムタは立ち止まった。


「そうだった」


 ロマラムタはそう言って、一枚の書類をアテルイに手渡した。アテルイはそれを見て眉を顰める。


「お前は大聖堂を出ていけ、アテルイ」


 アテルイは黙っていた。


「ああ、それから」


 ロムラマタが言った。


「地上に降りたいんだろう。そのための仕事も用意してやる。それとは別にな」


 書類をくるりと丸めて、ロマラムタを見た。


「餞別と思っておきますよ」




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