第二十八話
冷たい風がアテルイの体に吹き付けた。けれど暖かい太陽の光が注いでいる。アテルイは空中庭園を散歩していた。散歩と言っても、端から端を歩くだけ。歩く歩数は百歩に遠く及ばない。傍目から見て暇人である。事実、暇だった。
テマリスアマ大聖堂が占拠されたという事件は、ウィロウ教徒だけでなく、他の宗教団体にもそれなりの衝撃を与えた。多くの宗教がギハオ神道への印象を悪くした。
ギハオ神道は、一部の過激派が独断して行ったことで、ギハオ神道の総意ではないと釈明した。ウィロウ教徒にとってはどうでもいいことだった。ウィロウ教にとって、ギハオ神道は完全な敵になった。元々ウィロウ教はギハオ神道への嫌悪感が強かった。
そもそもこの世界の宗教は、特定の神への信仰で法術という神秘を得る。複数の神ではありえない。仲良しこよしにはというわけには中々いかない。自分の所が最良だと誰もが思っているのだ。それなのに勢力やらなにやらが拮抗しているものだから、排他的になるのも致し方ないと言えた。
「それじゃ困るんだがな」
アテルイは独りごちる。ここのところ独り言が増えたように感じる。歳だろうか、と考える。気分が落ち込んでしまう。アテルイは空中庭園を見渡した。虹色の花々はほとんどが焼け果てて、僅かに残った花だけでは、花茶の材料として摘むには少ないだろう。
「どこか別の場所から摘んでこなければならんか」
また独りごちる。そんな自分に気が付いて、アテルイは溜め息を吐いた。宇宙へ続く碧空をなんとなしに眺めていると、アテルイを呼ぶ声があった。
「アテルイさん! お久しぶりです!」
ウニンだった。ウニンはアテルイのもとへ駆け寄った。
「なにをしていらしたんですか?」
ウニンの大きな目が、無邪気にアテルイを見詰めた。なにをしていたと訊かれても、暇をしていただけである。分かって訊いてはいないだろうな、この小娘。
「ちょっと花の様子を見にな」
アテルイが言った。花の様子を見に来たわりには、眺めていたのは空である。
「あのお茶の材料だったんですよね、ここのお花……」
ウニンは手と手の指をくっつけて、残念そうに眉を下げた。それから、なにかを思いついたように手を合わせ、とびきり明るい笑顔でアテルイを見上げた。
「そうだ、私のところでお茶を飲みませんか? 前に言いましたよね、
私、お茶を淹れるのが得意だって!」
「そういえばそんな話もしたな」
「どうです!? お時間あります?」
まともな神官であれば、占拠事件の事後処理で時間などあるはずない。使用人であるウニンも、そのくらい分かっていそうなものだ。もっともアテルイの場合、不良神官といって差し支えないから、確かに時間だけはある。
「時間がない、と言えば嘘になるが……」
「やったあ! 来てくださいますよね?」
「ううん、まあ」
ウニンは鼻歌交じりに、アテルイの腕に自分の腕を回した。そのまま歩き出す。歩調はアテルイに合わせてはいるが、体をくっつけられては歩きづらい。そもそも、どうして腕を組んでいるんだ、この小娘。アテルイは思ったが、口にすることはなかった。やけに嬉しそうなウニンの顔を見ると、あまり強いことが言えないのだ。
アテルイは心の中で嘆息した。アテルイはウニンのことが苦手だった。
ウニンに連れられ、使用人の休憩室に入る。道中の視線は、流石のアテルイも堪えた。仕事もしないで、今度は女に手を出しているのか。破廉恥、不健全、節操なし、中年……そんな風に言われている気がした。
休憩室は使用人が使う台所に繋がっていた。ウニンはそちらで茶を淹れている。アテルイは休憩室側の椅子に座り、机に頬杖を立てていた。そうしていると、アテルイの後ろで扉が開いた。休憩室に入ってきたのはイドだった。
「アテルイ」
イドが言った。アテルイを見た瞬間に少し嬉しそうな顔をしたが、すぐに申し訳なさそうな顔をした。
「どうしてここに?」
イドが言う。
「茶に誘われてな」
「あ~イドちゃん! 丁度良かった、アテルイさんにクッキーあげてもいいかな?」
台所のほうからウニンが顔を出して言った。
「う、うん。いいよ」
「やたー、ありがとね。イドちゃんにもお茶を淹れるから、ちょっと待ってて」
ウニンは台所に戻って、棚を漁り始めた。アテルイはそれを見て、それから横目でイドを見た。イドは何故か居辛そうだ。椅子に座りもしないで、そわそわしている。
「どうかしたのか」
アテルイが言った。
「へ!?」
イドが声を上げる。
「座ったらどうだ? 茶を飲むんだろ」
「あ、はい、そうですね、失礼します……」
イドはアテルイの対角に座った。そんなイドの様子を見て、なにか怖がらせるようなことをしてしまったかな、とアテルイは考えた。
思い返せば、死体のある部屋に放り込んだり、服を引き裂いたり、肌に針を通したり、放置したり……怖がらせるようなことばかりをしていた。アテルイは姿勢を正した。
「イド」
「は、はい」
呼び掛けられたことに、イドは吃驚した様子だ。
「すまなかったな」
「え……なにがですか?」
イドは本当にわけがわからないという風だ。
「お前を怖がらせた」
目をぱちくりさせるイドに、アテルイはなにか間違えてしまったような感覚を覚える。
「つまりだな、お前を死体のある部屋に放置したり、服を裂いたり、色々としてしまっただろう。そのことを謝っているんだ」
アテルイがそう言うと、イドは黙り込んだ。そうして、表情が徐々に明るくなった。顔を赤らめて、とても嬉しそうに笑った。今度はアテルイが良く分からないという表情をした。
「そんなこと、もう気にしていませんよ」
イドが言った。
「そうか……? ならいいんだが」
内心、首を傾げるアテルイだった。
「肩の傷はもういいのか」
「はい、お陰様で。もう糸も抜いてあります」
「そうか、それは良かった」
そこに、茶を用意したウニンが入ってきた。ティーカップとティーポットがお盆の上に乗っている。そして手乗りサイズの編み籠には、クッキーが置かれていた。
「お待たせ!」
ウニンが言う。お盆を机の上に置き、ティーカップにお茶を注いでいく。果物の甘い香りがした。
「アテルイさん、このクッキーはイドちゃんのお手製なんですよ! おいしいので食べてあげてくださいね!」
ウニンの言葉に、アテルイはイドを見た。
「あ、あの、お口に合うかわかりませんけど……」
イドは恥ずかしそうに、小さく笑って見せた。
「じゃあ、いただきます」
アテルイはそう言って、先ずウニンが入れた茶を一口啜った。甘い、というのが口に含んだときの第一印象だった。それから果物の香りが、すーっと鼻に抜ける。
不味くはない。好きな人は好きだろう。だが甘い。苦手だ。アテルイにとって、ウニンと同じだ。苦手だ。アテルイはイドが焼いたというクッキーに手を伸ばした。
見たところ変哲のないクッキーだ。一口齧る。甘くない。いやほんのりと甘いが、かなり甘さ控えめだ。バターの香りも良い。悪くない。むしろ好きだ。アテルイはクッキーを口に入れて、それから茶を飲んだ。合わないこともない。アテルイはまたクッキーに手を伸ばした。
「どうですか、アテルイさん? おいしいですか?」
ウニンが訊いた。アテルイは食べていたクッキーを飲み込んだ。
「うまい」
「やったあ!」
ウニンが嬉しそうに手を合わせる。アテルイはまたクッキーに手を伸ばした。イドはそれを微妙な表情で見守っていた。




