第二十七話
アテルイはエクデステスの手首を掴み、エクデステスが押し出す力を受け流すように、そのまま体を反転させた。エクデスエスの腕が引っ張られる。
勢いにエクデスエスの腕の付け根が軋んだ。痛みに小刀を握った手が緩む。アテルイは小刀を奪うとエクデステスを突き飛ばした。踏み止まって、振り返ったエクデステスに微笑が走る。
アテルイは奪い取った小刀を力に任せて振り下ろしていた。エクデステスの頭に、小刀が突き刺さる。小刀の柄を握るアテルイの手が震える。
エクデステスはこと切れて、地面に倒れた。アテルイは呼吸を荒げていた。
「俺とお前は違う。お前は十三年前から変わらずに生きてきたんだろう。俺は違う。俺は十三年前に死んだんだ。今ここに立っているのは死人だ。お前は過去に固執した。だから過去の人間に殺されたんだ。それだけだ」
アテルイが言った。エクデステスの周りで、ざわざわと黒い霧が蠢く。エクデステスの体から染み出てくる黒い霧もあった。
そのうち、エクデステスの体は黒く変色し始めた。体が見る見るうちに萎んでいく。最後には枯れた倒木のようになってしまった。
「エクデステス、祈れ。俺たちの神に。行き着くところは俺も同じだ」
アテルイはもう一度エクデステスに背を向けた。雨が降る。激しい雨ではない。むしろ優しげに降っている。歩み去るアテルイに雨は降り、死に絶えるエクデステスにも雨は降る。
雨に濡れれば濡れるほど、二人にある呪いのような因縁が、二人の間から隔絶されていくようだった。
歩きながら、過去の一切が、アテルイの心に過ぎてゆく。思い出すのは、まだ親友だった頃のエクデステス。死神という、仲間であるはずの者から呼ばれていた二つ名。そして彼女のこと。
――アテルイ、彼女がギハオの巫女だ。まあ、正確には巫女候補だがな。
――ああ、あの花、綺麗ですね。名前はなんというんでしょう。
――待ってくれ! 違う、俺は裏切ってない、殺さないでくれ。全部、説明するから……。
――ここから出よう、エレクトラ。
――この子は、あなたが守ってください。名前は……あの花の名前が良いです。
アテルイはしゃがみこんだ。そこにはイリスがいる。アテルイはイリスを、そっと抱き上げた。イリスの頭が、こてん、とアテルイに肩に寄りかかる。小さな体は雨に濡れて冷えている。
アテルイは、イリスを慈しむように撫でた。
――お前、ギハオ神道の死神だな。ここになんの用だ。
――俺のことは殺してくれてかまわない、この子の命を助けてくれ。
――アテルイ、貴様、どういうつもりだ、寝返ったのか!
――信ある者は、沈黙のうちに一切を終わらせる。
「うぅん……」
イリスが小さく唸った。薄っすらと目を開ける。揺れる体と、体に密着する温かみ。とても心地良くて、安心する。目を覚ましたばかりだけれど、このまま眠ってしまいたい。
イリスは抱き枕を抱き締めるような気持ちで、アテルイのことを抱き締めた。
「起きたか?」
アテルイが言った。その声に、ようやく自分の状態を意識したイリスが、アテルイの顔を見た。
「アテルイ、なにしてるのよ。自分で歩けるわ」
「気にするな。怖い目にあったんだからな。しばらくこうしていろ」
「子ども扱いしないでよ」
――あの子は孤児院にいれる。捨て子ということにしておけば身元を詮索する者もいまい。
――俺にはまだやることが残っています。ここにはいられない。
――アテルイ、なぜ裏切った!
胸元に雨の滴が流れて、イリスは自分の胸に目をやった。服が破けて、小さな胸が露わになっている。イリスは頬を赤らめ、じろりとアテルイを見た。
「これどういうこと」
「これって?」
「服よ、服!」
「繕ってもらえ」
「そうじゃないわよ! なんで破けてるのよ!」
「どっかに引っ掛けたんだろう。ああ、そうだ、繕ってもらうんじゃなくて、自分で繕わないとな」
「ええー、いやよ」
「いやじゃない。服を繕うくらい、俺でもできるぞ」
「嘘よ。アテルイのクローゼットに、破けた服があるの知ってるわ。繕った跡があったけど、ひどいものね」
「……そんなにひどくない」
――お久しぶりです。
――お前、十年以上もほっつき歩いてたのか!?
イリスは破れた個所をたくし上げて、胸を隠した。
「そういえば、終わったの? アテルイ」
「ああ、終わった」
「流石はアテルイね」
「照れるな」
「これでアテルイも、皆から見直されるわね」
「え?」
イリスは安心しきったように、アテルイの首に手を回した。体重は全てアテルイに任せている。歩くたびに揺れるのが心地良く、うとうとし始める。夢見心地で、イリスはむにゃむにゃと唇を動かした。
「アテルイ、強くて格好良いのに、みんな陰で悪口を言うんだもの。別に法術なんか使えなくたって良いじゃない」
「そうか?」
「そうよ。わたし心配していたんだからね、アテルイの、こと……」
「イリス?」
イリスは微睡みに任せるまま、ついに寝息を立て始めた。アテルイは微笑んで、改めてイリスを撫でた。鉄の籠に乗り込み、レバーを引く。キリキリキリと音を立てた後、籠はゆっくりと上がり始めた。
「そうか、心配させていたか」
アテルイが独りごちた。
「俺もお前のことを心配していたよ」
アテルイはイリスを起こさないように気を付けながら、ゆっくりと腰を下ろした。
「なんだったかな……」
アテルイは目を瞑って、記憶の糸を手繰った。
「ああ、確かこんな唄だ」
息を吸い込んで、アテルイは慎重に唄い始めた。少しでも優しい響きになるよう、わずかでも彼女のことを感じられるよう、そう祈りながら。
――えへへ、アテルイのこと好きよ。




