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沈黙の神官(プリースト)  作者: こんたくみ
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第二十六話

 アテルイがエクデステスに向かって歩く。エクデステスがアテルイに向かって歩く。二人の間を遮るものはない。お互いに武器を持たない。エクデステスの作り出す瘴気の武具はアテルイに通じない。アテルイが使う並みの剣では、エクデステスの瘴気の鎧に傷をつけることさえない。


 だから二人は、素手だった。


 エクデステスが拳を握り締めた。アテルイは手を開いている。そして互いの拳が届く距離に――今、到達した。


 エクデステスが踏み込んだ。大地を深く抉る踏み込み。その強すぎる力の奔流は、足場を悪くし、態勢を崩してしまうことをアテルイは見抜いていた。


 雨を破砕し、空を穿ち、アテルイのこめかみ三寸を、エクデステスの拳が過ぎる。まともに当たっていれば、顔面に拳が突き抜けていても不思議はなかったろう。そんな凶悪な攻撃に、アテルイは怯むことなく踏み込む。


 アテルイはエクデステスの顔面に、平手を打ち付けた。


「がッ」


 エクデステスが仰け反る。エクデステスは直接打撃を受けたことに困惑した。瘴気の兜の意味は? アテルイに脚をかけられ、地面に張り倒された。


 衝撃が体に伝わったものの、それは鎧越しでの感覚。打ち付けられた痛みはない。エクデステスは顔面を踏みつけられた。しかし、これも兜越しの感覚。痛みはない。


 アテルイはエクデステスに痛手を負わせていないことを察知し、飛び退いた。エクデステスが立ち上がる。二人は対峙したまま、動きを止めた。


 エクデステスは、アテルイの打撃が効いた理由を考えた。アテルイは、いかにすればエクデステスに深い痛手を負わせることができるか考えた。


 お互いに違和感はあった。アテルイにしてみても、最初に平手を打ち付けたとき、エクデステスがああまで仰け反った理由がわからなかった。


 考えてもやむなし、アテルイが仕掛けた。手刀がエクデステスに振り下ろされる。腕で防ぐが、そこに痛みが走る。やはり瘴気の鎧が通じていない。


 エクデステスの拳がアテルイの胴を狙ったが、すり抜ける。アテルイはエクデステスの側面に回っていた。エクデステスの膝を足蹴にする。しかしこれは効かない。エクデステスは全力で拳を振りかぶった。


 振り下ろした拳は、アテルイの体と交叉する。アテルイはエクデステスの懐に入り込んでいた。アテルイの拳が、エクデステスの鳩尾にめり込む。自身の全力の勢いを受けたのとほぼ同様だ。


 エクデステスは仰向けに飛んで、苦しみもがいた。しかし痛みと苦しい呼吸の中で、アテルイの攻撃が効くときと効かないとき、その違いにエクデステスは気が付いた。そしてアテルイもまたその違いに気が付いた。


 エクデステスは立ち上がった。まだ痛みは抜け切れていないが、死闘の最中に気になるほどではない。


「どういうわけか、貴様の体は瘴気をすり抜けるようだな」


 エクデステスが言った。そうなのだ。例えば光と光が衝突しても、互いになんの影響も及ぼさないように。アテルイの肉体と瘴気は、お互いに干渉をしなかった。


 つまり、アテルイの拳は瘴気の鎧をすり抜けて、エクデステスに直接的な打撃を与える。しかし踏みつけなどになると、靴や衣類によって瘴気の鎧が機能し、エクデステスに攻撃が通じないということになるのだ。


「いっそ全裸で戦ったらどうだ」


 エクデステスが言った。


「必要ない」


 アテルイが言った。


「仕組みがわかった以上、お前が死ぬまで殴り続けるだけだ」

「ほざくな!」


 エクデステスが殴り掛かる。身を避けるのと同時、アテルイはエクデステスの顔面に拳を叩き込んだ。エクデステスが怯む。踏み込んで、エクデステスの腹を殴った。手刀で、エクデステスの首を打つ。構えて、エクデステスの胸を殴る。


「ぬあッ!」


 エクデステスが蹴り上げた。身を避けつつアテルイは、エクデステスに体当たりする。態勢を崩し、仰向けに倒れる。まずい、そう感じた瞬間、アテルイの拳がエクデステスの顔面に打ち込まれた。下段突き。それは例えば、遥か高所から落下した、重い石のような威力だったかもしれない。アテルイの怒りの威力だった。


 エクデステスの鼻は完全に圧し折れ、顔の骨にもひびが入っていた。


 エクデステスの体に纏わりついていた黒い霧が霧散していく。鼻がひしゃげ、片眼が潰れたエクデステスの顔が雨に晒された。


 眼に怒りを滾らせていたアテルイは、それを見て目を閉じた。そして目を開いたとき、その眼から怒りは失せていた。


「これで終わりだ、エクデステス。もう十分だろう。十分過ぎる」


 アテルイが言った。


「十三年前に言いそびれたことだが、俺は別に、ギハオそのものを信じられなくなったわけじゃない。ウィロウや他の宗教を憎む、そのことに疑問を持っただけだ」


 アテルイの言葉を聞いて、エクデステスが口角を上げた。


「ギハオの道行きを祈れ。民は地を惑い、災いより逃れんと欲す。ギハオは他の神により呪いを受け、地に住まい、民の祈りに応える。災いを怖れることなかれ。怖れるべきは、ギハオへの祈りが足らぬこと。不信を怖れよ。他を信ずるべからず。ただ一心にギハオに祈れ。他を信ずるべからず。信ずるものは一つなり。黙せよ、祈りに言葉は不要。口を縫え、祈りの他は無用。黙せ、黙せ、ただ祈れ。信ある者は、沈黙のうちに一切を終わらせる……お前は教えに反している。どんな綺麗ごとを並べようと、どれほどの理屈をこねようと、お前は死ぬまで裏切り者で、死んでからも裏切り者だ」


 エクデステスが言った。アテルイは言葉を返さず、沈黙したまま雨に打たれている。


「俺は神官だ」


 アテルイが言った。


「俺はただの神官だ。ギハオを信奉する神官で、ウィロウを信奉する神官だ。神そのものを信奉する神官だ。だからギハオ神道の神官ではないし、ウィロウ教の神官にもなれない」


 エクデステスは、アテルイの言葉に黙っていた。かつての親友は、どこで道を違えたのか、それを思いながら。


「俺は確かにお前たちを裏切ったが、神を裏切ったつもりはない」

「だから、なんだというのだ……」

「お前たちの気持ちはわかっているつもりだ。そのうえで、お前たちが間違えたこともわかる。だからこそ、俺はお前たちを止める。止めた。ウィロウ教を憎んでなんになる。こんなことをして、いったい誰が救われるっていうんだ。お前たちは、ただ憎しみを植え付けただけだ。ウィロウ教にとって、もはやギハオ神道は敵でしかない。どちらかが滅びるまで戦い続けることになるぞ」

「そんなものは始めからそうだ!」


 エクデステスは、血の混じった声を上げた。


「そんなものは始めからそうだっただろうが! 俺たちが生まれたときから! 生れる前から! 既に戦争は始まっている、どちらかが滅びるまで終わらない!」


 エクデステスは邪悪な笑みを浮かべた。


「だろう、死神。俺を殺さずに、この戦いは終われない。十三年前のあの日は終わらないぞ」

「あの日ってのは、どの日のことだ。俺とお前は違う。見てきたものも、信じるものも。お前は十三年前からなにも変わっていないつもりなのかもしれないが、俺は違う」


 アテルイはエクデステスに背を向けた。


「さようならだ」


 アテルイは歩き出した。


「待てよ」


 エクデステスの声に振り返ることもない。だから気が付いていない。エクデステスの体に再び黒い霧が集まっていることを。


 エクデステスは音もなく起き上がった。黒い霧は不完全で、エクデステスを立ち上がらせると、すぐに霧散した。しかしエクデステスは気にも留めない。腰に差してあった小刀を抜いた。大きさはエクデステスの手の端から端ほど。小型なものだ。


 エクデステスは、背後からアテルイに迫った。足音に気付き、アテルイが振り返る。エクデステスは小刀を突き出していた。




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