第二十一話
日が傾き、講堂には灯が灯っていた。特大の燭台に、法術の火が灯っている。講堂では誰もが限界を迎えていた、人質にされたウィロウ教徒も、占拠したギハオ神道の者も。事態には一向に進展がなく、焦燥と不安ばかりが募っていた。
そうとわかっていながらも、ロマラムタを始めとする上位神官は何一つとして手を打つことができなかった。理由は一つ。エクデステスの力だ。この講堂にいる全ての者が一斉に掛かっても、エクデステスの操る瘴気を打ち破ることができるとは思えなかった。
現に、ウィロウ教で最強であり最大の法術を行使できる人物は、エクデステスに一矢報いることすらできずに命を落とした。すなわち、教主マンダリンである。一方、エクデステス自身も、打つ手の無さに焦れていた。
目的である巫女は見つからず、さらには脅威となる謎の敵もいる。その敵の正体は未だに掴めていない。
腹心であり、さらには自身に次ぐ戦士である、キゥ・テアットとキイ・ゼテッタを敵の討伐に送り出したものの、戻ってくる気配がない。巫女を探し出すと豪語していた女も戻ってこない。
試しに女に仕込んだ瘴気を暴れさせてみたりもしたが、瘴気の気配そのものがなくなっていた。エクデステスにとって、万事休すだ。――なぜ、こうも追い詰められている?――エクデステスは考えた。
始めは一方的に制圧したはずだ。テマリスアマ大聖堂すべてをだ。それが、何故だ。巫女が見付からないのはともかく、なぜ味方がやられている。ここに連れてきたのは、選りすぐった精鋭だ。誰もが危険な任務を一人でこなすことができるだろう。失敗する理由がない。負ける理由がない。
なのに、何故? この状況を打開するにはどうすればいい。エクデステスは黙々と考え続けていた。そして突然、天井のガラスが割れる音がした。誰もが天井を見上げた。
そして、天井からなにかが落ちてきた。それは轟音を立て、講堂の床に墜落した。落ちたガラスの破片が、儚げな音を立てる。
講堂の床には、人の形をしたものが落ちていた。黒々とした苔色の鎧。棘々しい装飾はほとんどが折れている。それには、黒い霧が纏わりついていた。周囲に血が広がっている。
「キイ……か?」
エクデステスが呟いた。なにかに引き寄せられるように、上を見た。ガラス天井の向こうに見えるのは、空中庭園だ。そこから、講堂を覗く人影があった。
――誰だ、あれは。あいつがキイをやったのか?――エクデステスは演台から降りて、その人影を見上げながら移動した。
――誰だ、どんな奴だ、何者なんだ――。エクデステスは、あの人物こそ、自分たちをこの苦境に立たせた原因のような気がした。
「誰だ、お前は!」
その人物の真下で、エクデステスは叫んだ。そして、さらに数歩移動したとき、その人物の後ろで炎が燃え盛っていることに気が付いた。エクデステスの脳裏に、過去の映像が映し出される。――まさか、いやそんなはずはない。だがしかし、あいつは……――。
エクデステスは瞠目していた。
「俺か、俺はただの神官だ」
エクデステスの叫びに応えたのか、それともなんとなく独りごちたのか、それは誰にも分からない。ただ、アテルイはエクデステスを見下ろしながらそう言った。
「アテルイ!」
回廊のほうから、プルウィアの声がした。
「水流」
プルウィアが、法術で花園に燃え広がった火を消していく。火は段々と小さくなっていく。一通りの消火が済むと、辺りはうら寂しさに包まれた。プルウィアはアテルイに駆け寄った。
「敵は?」
プルウィアが言った。
「もう終わった」
アテルイはまだ講堂を見ている。
「あとは講堂に残っている奴らだけだ」
「そうですか、では一度、作戦会議をしましょう。このまま講堂に乗り込むわけにはいきませんから」
「そうだな」
「人質のことだけではありません。あのエクデステスと名乗る首魁は、教主様ですら歯が立たなかったのですから。普通に戦うだけでは絶対に勝てません」
プルウィアは「行きましょう」と言って、アテルイの手を取った。しかし、アテルイは動かなかった。
「アテルイ? どうかしましたか」
プルウィアが言った。
「首魁はエクデステスと名乗ったのか」
「そうです。言っていませんでしたか」
「頬に傷跡はあったか?」
「ええ、ありました。……アテルイ、貴方はなにか知っているのですか」
「ああ」
アテルイは踵を返して、回廊に向かった。プルウィアが少し慌てて追い掛ける。
「昔の友人だ」
アテルイは言った。
「アテルイ」
プルウィアは再び、アテルイの手を掴んだ。プルウィアに引き留められて、アテルイは立ち止まる。
「ええと、その……気にすることはないのですよ?」
プルウィアが言った。
「そこまで気にしているわけじゃない」
「でも、昔の友人と戦うということは、つまり、その……」
「ウィロウ教徒がギハオ神道の悪党と戦う。なにかおかしなところでもあるのか?」
「ですが、貴方はっ――」
「もう一度、訊くぞ。ウィロウ教徒がギハオ神道の悪党と戦う。なにかおかしなところでもあるのか」
プルウィアは少しの間だけ押し黙った。
「おかしなところは、ありません」
プルウィアは言いながら俯いた。
「そういうことだ」
アテルイが言った。
「いつかは、それもやめなくちゃならんがな」
「アテルイ?」
「行くぞ」
「え、何処に」
「作戦会議をするんだろう」
「あ、はい、そうでしたね! 急ぎましょう」
プルウィアは急ぎ足で回廊に戻った。アテルイは歩いて、その後ろに続く。空中庭園から回廊に差し掛かるとき、アテルイは振り向いた。そこにあるのは、夜の陰を深めていく花園。月は見えない。
まるで自分に関わりのない景色だったが、それなのに何故か、自身の過去を暗示しているような、そんな不吉さをアテルイは感じた。それは、この空中庭園そのものよりも、講堂にいたかつての友、エクデステスから感じ取ったのかもしれない。
もしそうだったならば。アテルイは思った。これから俺が戦いに向かうのは、現在の敵のもとではない。過去の敵のもとに向かうのだ。十三年前につけ損ねたけじめを、今、つけにいく。
そこに意義はないかもしれない。あたら命を奪うだけかもしれない。それでも、だがそれでも、今日があの日の続きならば、それは宿命というものかもしれない。そしてもし出来得るならば、せめてその先では、誰も死なない道を選びたい。
「アテルイ、どうしたのですか。やっぱり様子が変ですよ」
プルウィアが言った。先に進んでいたプルウィアが戻ってきていた。夜風に吹かれる髪を押さえている。プルウィアを見て、アテルイは頭を振った。
「なんでもない、今行く」
「ええ、寒いのですから、早く移動したほうがいいでしょう」
プルウィアはアテルイの顔をじっと見た。
「……本当に平気ですか?」
「平気だ。いつからそんなお節介を焼くようになったんだ」
「お節介とはなんですか。私はいつも周りの人のことを心配しているんですよ」
「そう言われてみればそうだったな。お節介は今に始まったことじゃなかった」
空中に棒が現れて、プルウィアはそれを掴んだ。アテルイの額に打つ。
「痛いだろう、なにをする」
「一々私のことをからかわないでください」
「そんなつもりはなかったが」
アテルイはプルウィアの前を進んだ。プルウィアは怒ったように眼光を光らせながら、その後ろを歩いた。アテルイはじんじんと痛む額を撫で擦る。
こういうことも今日で終わるかもしれない。そう考えると、今の一瞬一瞬でさえ、アテルイには愛おしく思えた。




