第十九話
それから、アテルイは階段を上っていた。その足取りは軽くない。落下の衝撃が体に堪えていた。それでもなんとか上り続け、イリスと別れた階に辿り着いた。
「イリス、いるか」
アテルイが呼び掛けた。奥の曲がり角から、イリスが顔を出した。アテルイを見ると駆け寄った。
「アテルイ、ぼろぼろね」
「まあな」
「倒したの?」
「あいつが空でも飛ばない限りはな」
「そう、良かった」
「人が死んでいるんだ、良くはない」
「あ、な、た、が、無事で良かったって言ってるの」
アテルイはくすりと笑った。
「そうか、それはすまないな」
「それはともかく、少し休みましょう。そんな状態じゃあ、この先、まともに戦えないでしょう」
「そうだな、俺の部屋に行くぞ」
「わかったわ」
アテルイとイリスは階段を上った。イリスとキイ・ゼテッタが戦った階段の傷跡を見て、アテルイは呻いた。手すりの彫刻や、温かみのある絨毯の模様が見るも無残だ。切り傷のような跡が、凄まじい量になっていた。
「すっごく怖かったのよ」
イリスが言った。
「良く頑張った」
アテルイはそう言って、イリスの頭を撫でた。そして、イリスの法術によって消滅した階段まで辿り着いた。壁には大穴まである。
「これは?」
アテルイが言った。
「全力で法術を撃ったらこうなったの。それでも倒せなかったんだから」
「どうやって先に行ったものか」
「任せて」
イリスが手をかざすと、空中に光の板が並んで、階段を作った。二人はその上を歩く。
「ねえ、アテルイ」
「なんだ」
「アテルイはまだ法術を使えないの?」
「沈黙の法術は使える」
「沈黙の法術なんて、誰でも使える使い道のない法術じゃない。もっと格好良いやつよ」
「使えないな」
「もう……」
光の階段を過ぎ、普通の階段に降り立つ。その時だった。
「イリス!」
アテルイがイリスに飛び掛かった。二人は倒れ込む。二人の頭上を、壁から出てきた青銅色の大剣が突き抜けていた。
大剣は壁に引っ込み、再び突き出る。 そして縦横に壁を斬っていく。それが都合、四度繰り返されたとき、壁は四角形に縁取られていた。そして縁取られた壁は蹴られて、内側に倒れた。
壁の外では、キイ・ゼテッタが宙に浮かんでいた。巨大な翼の形を為した黒い霧が力強く羽ばたいていた。
「空を飛べたようだ」
アテルイが言った。キイ・ゼテッタが大剣を構える。
「燃えろ!」
キイ・ゼテッタが大剣を振ると、斬撃が炎となって、アテルイとイリスを襲った。しかし当たる直前に光の壁にぶつかり、火の粉が散った。
「法術ならなんとか防げるわ」
イリスが言った。
「掴まれ」
アテルイがイリスに背を向けた。イリスは一瞬だけ面食らったが、すぐにアテルイの背に体を預けた。
「逃げるぞ、お前は法術で応戦しろ」
アテルイが言った。
「わかったわ」
イリスが頷く。アテルイはイリスを背負って、階段を駆け上った。
「逃がすものか」
キイ・ゼテッタが大剣を振る。壁を紙のように切り裂いて、刃がアテルイに迫る。アテルイは手すりに飛び乗った。
「イリス、足場だ!」
「了解!」
手すりから跳び上がったアテルイの足元に、光の板が現れる。光の板に着地したアテルイは、そのまま跳び上がった。キイ・ゼテッタの大剣は二人に当たらない。
「この調子で上っていくぞ」
アテルイが言う。また跳び上がる。光の板が現れて、それを踏み台に次々と上の階に上がっていく。
「アテルイ、あれ!」
イリスが下を指差した。大剣が突き出て、壁をなぞるように上へ上がってきている。アテルイは光の板から飛び退いた。這い上がるような剣が、光の板を切り裂いた。そして壁を切り裂いた隙間から、炎熱が噴き出た。光の壁がそれを防ぐ。
「厄介ね、上に行ってどうするの?」
イリスが言った。
「一対一に持ち込む」
アテルイはそう言って、階段をさらに上がっていった。そうして上り階段の終わりに辿り着く。アテルイは回廊を駆け抜けた。
横のガラス張りの窓には、飛翔するキイ・ゼテッタの姿が見えていた。キイ・ゼテッタは急速に接近する。
アテルイの背中を追いながら、大剣を水平に突き立てた。その状態でキイ・ゼテッタは飛行を続ける。大剣がアテルイと背負われているイリスに迫る。
一瞬でも立ち止れば、胴体が泣き別れになるだろう。大剣に触れたガラスが次々に割れていく。
「アテルイ、急いで急いで!」
「防壁を使え」
アテルイの言葉に、イリスははっとして法術を使った。キイ・ゼテッタの行く手に光の壁が現れ、衝突する。光の壁は砕け散ったが、キイ・ゼテッタは失速して、雲の中に落ちていった。
「やったの?」
イリスが言った。
「また来る」
アテルイが言う。アテルイは回廊を駆け抜けて、廊下の奥に辿り着いた。そこには机やらクローゼットやらが山のように積まれ、行く手を塞いでいた。
積まれた家具類の隙間から、にゅっと掌が出てきた。
「敵だぞ、殺せ、火炎!」
フンコロガシが丸めたフンみたいな形の顔をした、あの神官の声がした。
「火炎!」
詠唱が唱和された。炎がアテルイを襲ったが、イリスの法術によって防がれた。
「馬鹿な!?」
家具類の向こうで、フン顔の神官が言った。
「馬鹿はあなたです!」
次いで聞こえたのは、プルウィアの声だ。棒でなにかを殴ったような音がした。
「ぎにぁあ!?」
フン顔の神官の悲鳴が聞こえた。積まれた家具類の隅が、ごそごそと動く。椅子が引っこ抜かれると、抜け道ができていた。潜り抜けてきたのは、ウニンだ。
「アテルイさん!」
ウニンが駆け寄る。さらに抜け道から、イドが出てきた。その後にジョーが出ようとするが、肩で引っ掛かって暴れていた。
「無事ですか?」
イドが言った。
「悪いが話している暇はない。この子を頼む」
アテルイはそう言って、イリスを背中から降ろした。
「アテルイさんはどうするんです!?」
ウニンが言った。
「始末をつけにいく」
アテルイが答える。ジョーが暴れるのをやめた。
「無理すんなよ、なんなら援護するからな」
ジョーが言う。
「援護は要らん。危険な相手だ」
「そうか、わかった……おい、押すな、いててて!」
ジョーが抜け道の向こうを見ながら言った。
「早く抜けて下さい! 今アテルイの手伝いをできるのは私だけです!」
プルウィアが言う。プルウィアに押されたお陰か、ジョーが抜け道から出た。すぐさまプルウィアが続こうとするが、上半身が出たところで止まってしまった。
「あれ、お尻がつかえて……」
プルウィアが言った。プルウィアの様子を見て、ジョーはにたにたと笑った。
「なんだよ、あんたもつかえてんじゃねえか」
「う、うるさいですよ! 別にこんなもの、すぐに抜けられます」
「いい気味ね」
イリスがプルウィアの前に立った。
「イリス! どこに行っていたんですか!」
「姉さんには関係ないでしょ。わたしのことより自分の心配をしたら。お尻が太っているんでしょ?」
「太ってません! 怒りますよ!」
「いつも怒っているじゃない。ふん、これはきっとその報いね」
「そんな風に人を見下ろすんじゃありません!」
「うるさいわね、黙ってなさい!」
イリスはプルウィアに向けて、水の法術を放った。当然、そこに威力はないが、プルウィアは水浸しになる。
「イリスううぅ!」
イリスの足元に、棒が突き刺さった。次々に棒が降る。全てが肌を掠めて、イリスは身じろぎできなかった。
「あ、アテルイ……」
イドが言った。それに気付いて、ウニンも振り返る。アテルイの姿がない。
皆がイリスとプルウィアの喧嘩を見ている間に、とっくにアテルイは歩き出していた。




