第十八話
アテルイはキイ・ゼテッタを追って、階段を下りていた。常人ならば既に倒せているだろう。
アテルイは考えた。しかしあいつは別格だ。もう一人のキゥとかいう男も、相当な使い手だった。キイ・ゼテッタはイリスの法術を切り抜けた相手だ。ちょっとやそっとじゃケリがつかないであろうことは、想像に難くない。
階段を下り続けると、階段の縁がえぐられたようになっている個所を、アテルイは見付けた。さらにその少し下の壁には、大剣を突き刺した跡がある。あの階か、とアテルイは思い、足を早めた。
アテルイが廊下に出ると、廊下の奥でひざまずくキイ・ゼテッタが見えた。アテルイへは背を向けている。キイ・ゼテッタの前には、キゥ・テアットの死体があった。
「怨嗟よ、瘴気よ、我がもとに集え、集え……」
アテルイはキイ・ゼテッタが詠唱している声を、微かに聞いた。そして、背筋に電流が走るような感覚を覚えた。それはアテルイの脳裏に、過去の記憶と後悔を、湧き上がらせた。
「やめろ」
アテルイが言った。
「それは、その法術は使わない方がいい」
アテルイはキイ・ゼテッタに近付いていく。
「他人の一生は重いぞ」
キイ・ゼテッタの背後に、アテルイが立った。
「キゥと俺は一心同体だ。今までと変わりない」
詠唱の合間に、キイ・ゼテッタが言った。
「一心同体なんてことはないさ。同じものを信じているつもりでも、見ている景色が全く違うこともある」
「貴様にはわかるまい」
「少しはわかる」
「俺はお前のことを知っているぞ」
アテルイは沈黙した。
「貴様はかつて、死神と呼ばれていた男だ。そして裏切り者だろう」
キイ・ゼテッタが言った。
「昔の……話しだ」
「昔? お前が奪った巫女を連れ戻すため、今、我々はここにいる。昔のことなどではない。今、現在の話しだ。お前は裏切り者で、我々は使命のために、貴様が寝返ったウィロウの信徒と戦っている。正義は我らにある。貴様ら悪の信徒に敗れはしない」
わかっていたことだと、アテルイは思った。ギハオ神道の目的が巫女だと知ったときからそうだった。事の発端は自分にある。だがそれは十三年も前のことで、今とは隔絶された、なんの関係もないことだと思っていた。
しかし蓋を開けてみれば、十三年なんていう些細な年月はなんの解決にもなっていなかった。十三年の間に、ギハオ神道は憎悪を肥やし、ギハオの巫女を奪い返すことを狙っていたのだ。では、十三年という月日は全くの無駄だったのか?
アテルイは想う。放浪した月日を。この大聖堂に来てからの日々を。暖かく、麗らかな安らぎの日々を。それらの星霜に、きっと意味はあった。
「確かに、悪いのは俺だ」
アテルイが言った。
「だが、ここにいる人々は悪くない。そのことを考えたのか。巫女を連れ戻すのに、他の手は考えつかなかったのか」
アテルイの問いにキイ・ゼテッタは笑った。
「ウィロウはすべからく悪だ。自らが虐げた者のことを忘れ去り、自らの罪悪に気付くこともない。愚者の極みだ。この呪わしき聖堂は、隅から隅まで誅すべき悪の巣窟だ! 滅ぼす以外に手立てなどない!」
キイ・ゼテッタが言う。
「そうか」
アテルイの声は低かった。
「俺に正義はないが、守るべきものはある。お前を殺すぞ」
アテルイが言った。
「ではなぜ待った。儀式は終わったぞ!」
キイ・ゼテッタはそう言って立ち上がった。床に転がっていたキゥ・テアットの死体が、黒い霧となって溶けていく。キイ・ゼテッタが拳を握ると、黒い霧が拳に凝縮した。
「しゃあッ!」
キイ・ゼテッタが拳を床に叩きつけると、黒い霧が爆散した。アテルイは吹き飛ばされて、階段の手前まで転がされた。受け身を取って起き上がる。
前を向くと、キイ・ゼテッタが剣を持っていた。黒い霧がマントのようにキイ・ゼテッタの体へ憑りついている。まるでキイ・ゼテッタの他にもう一人、誰かが立っているような気配、威圧感だった。
「ウオアァァァッ!」
キイ・ゼテッタが咆哮した。それはまるで、キゥ・テアットの咆哮だった。アテルイの目の前に、キイ・ゼテッタが立った。
瞬間移動と見紛うほどの素早さ。キイ・ゼテッタは大剣を切り上げた。避けるアテルイだったが、キイ・ゼテッタの拳が迫る。
腕を上げて防いだが、勢いを殺しきれない。後ろへ飛ばされ、階段の手すりにぶつかった。キイ・ゼテッタの動きが格段に良くなっている。
キゥ・テアットの身体能力がキイ・ゼテッタに上乗せされていた。
「死ね、死神!」
キイ・ゼテッタが脚を上げた。アテルイはキイ・ゼテッタを睨んだ。それはまるで、自分自身を見ているかのようだった。アテルイの胸に、キイ・ゼテッタの蹴りが入る。
アテルイの体は手すりを壊して、吹き抜けを落ちていく。
「逃がさん」
キイ・ゼテッタは止めを刺さんと、吹き抜けを飛び降りた。アテルイは落ちながら、階段の縁に触れ、手すりにぶつかり、落下の勢いを調節していた。そして途中、手すりに掴まって、完全に停止した。
そこにキイ・ゼテッタの大剣が振り下ろされた。アテルイは仰向けに落ちた。そしてついに地面に衝突した。
そのときにすでに、二階程度の高さしかなかったため、致命傷にはならなかった。
受け身を取って体を起こしたアテルイは、膝を床につけた。キイ・ゼテッタも着地する。埃が舞い、パラパラと粉砕された階段や手すりの破片が落ちてくる。
「ここは最下層じゃないんだ」
アテルイが言った。いつの間にやら、正座の形を取っている。キイ・ゼテッタが大剣を振り下ろした。
アテルイは膝行し、キイ・ゼテッタの足元に来ている。大剣の間合いから外れていた。
ならばと、アテルイを踏み砕くため、キイ・ゼテッタが足を上げた。その時、アテルイの肩が、キイ・ゼテッタの内腿を持ち上げていた。
「うあっ」
キイ・ゼテッタが呻いた。アテルイは片方の足を伸ばし、地面についていたキイ・ゼテッタの片足を押した。そうしてキイ・ゼテッタが完全に態勢を崩したところで、アテルイは腕を振り下ろすようにして、キイ・ゼテッタを床に叩きつけた。
キイ・ゼテッタは慌てて飛び起きる。アテルイは立ち上がって、態勢を整えていた。キイ・ゼテッタは大剣で薙いだ。アテルイはキイ・ゼテッタの一寸だけ横に立っている。剣は当たらない。
アテルイに手を掴まれたキイ・ゼテッタは、手首の関節にとてつもない負荷が掛かるのを感じた。アテルイが身体の構造を利用して、力づくで抵抗すれば関節が折れるように捻っていた。
キイ・ゼテッタは耐えきれず、体を大きく傾けてしまう。アテルイは赤子の手を捻るような力しかいれていない。キイ・ゼテッタはまさに、片手で押さえつけられていた。
「ウオアァァァッ!」
キイ・ゼテッタの咆哮とともに、黒い霧が翼のような形を取って羽ばたいた。翼に叩かれ、アテルイは後退る。自由になったキイ・ゼテッタが自分の手首と大剣を見比べた。そして、大剣を床に突き刺した。十分な距離を取れない以上、大剣はむしろ不利だと判断したのだ。
「格闘はキゥの領分だった」
キイ・ゼテッタが言った。
「今はキゥが、その力を俺に貸してくれる」
「いいから来い」
アテルイが言った。キイ・ゼテッタがアテルイの頭を目掛けて蹴りを放った。アテルイは前傾し、潜り抜けるように避けた。脚の動きを遮るように片手を添える。そして、キイ・ゼテッタの股間に、痛烈な掌打を放った。
「ッッ、アガヤアアアア!」
後退ったキイ・ゼテッタが背後にもたれる。そこには窓があった。窓の外は雲より低い。雨が降っていた。
アテルイはキイ・ゼテッタを殴った。キイ・ゼテッタが仰け反った拍子に、窓が割れる。風雨が吹き込んだ。アテルイは渾身の力を込めて、キイ・ゼテッタを蹴った。キイ・ゼテッタが窓の外に上半身を曝す。キイ・ゼテッタは首を動かして、アテルイを見た。アテルイは大剣を槍のように構えていた。
真っ直ぐに、大剣がキイ・ゼテッタの顔に向かう。キイ・ゼテッタはそれを黒い霧で防いだが、衝撃は頭を突き抜けた。キイ・ゼテッタは大剣とともに、窓の下へ滑るように落ちていった。
「最下層じゃないと言ったろう」
アテルイが吐き捨てるように言った。




