第十六話
アテルイとイリス。キゥ・テアットとキイ・ゼテッタ。それぞれが向かい合った。キゥ・テアットとキイ・ゼテッタの見た目にさしたる違いはない。禍々しい鎧を着た偉丈夫だ。
もはや人間というより、地獄から来た魔物のようだった。そんな二人の外見、唯一にして最大の違いが、キイ・ゼテッタが持っている大剣だった。
青銅色の大剣を軽々と持つキイ・ゼテッタに対し、キゥ・テアットは無手だった。キゥ・テアットは拳を構え、キイ・ゼテッタは大剣を構えた。
「イリス、お前は逃げろ」
アテルイが言った。
「馬鹿言わないで。私はあんなのに負けるほど弱くないわよ」
イリスが言う。
「慢心するな」
アテルイが諫めた。キゥ・テアットとキイ・ゼテッタが、じりじりと近付いてくる。その慎重な動きは、まるで空気が強烈な粘性を帯びたようだった。
アテルイも容易には動けなかった。イリスも動いていない。イリスが動かないのは、敵の様子を窺っているのと、アテルイが動かないためだ。イリスはアテルイの支援をするのが最良だと心得ていた。アテルイの動きに合わせるつもりだったのだ。
しかし実際のところ、自分に構わず、イリスには逃げてほしいとアテルイは思っていた。アテルイが動けないのは、いざというときに、イリスを助けられる位置にいたいからだ。
キゥ・テアットとキイ・ゼテッタのどちらか一人が相手なら適当に翻弄しておけば良かったが、二人相手となるとそうもいかない。どちらか一人の相手をしている間に、もう一人がイリスに襲い掛かってしまうだろう。それは避けたかった。
四人が明確な行動を起こせないまま、時間だけが過ぎる。待ち切れなくなったイリスが、舌打ちをした。それまで粘性の空気に阻まれていたのが、たちまち解放されたように、キゥ・テアットが獣のような跳躍を見せた。
アテルイは下がろうとしたが、イリスより後ろにいくわけにはいかないと考え、頭上から振り下ろされた一撃を受け止めた。交差させた腕が、キゥ・テアットの手刀を止める。
岩でも落ちたかのような衝撃だ。アテルイはそのまま腕の関節を取ろうと動いたが、キゥ・テアットの脚が大きく振り上げられていた。反射的に下がってしまう。
アテルイがいた場所に、キゥ・テアットの踵が落ちる。床が砕けた。そしてキゥ・テアットの背後から、キイ・ゼテッタが駆けてきた。イリスの首を掴む。
その瞬間、ありとあらゆる法術がキイ・ゼテッタを叩いた。火、風、水、雷、等々。耐えかねてか、それともアテルイと引き離すためか、キイ・ゼテッタはイリスを階段側へと放り投げた。
けほけほ、とむせ返りながらも、イリスはすばしっこく態勢を整えた。
「イリス!」
アテルイが叫んだ。
「勝とうとするな、逃げろ。すぐ助けに行く」
「わかったわ」
イリスが言った。イリスは状況の不利を理解した。不利といっても、アテルイがやられることはないだろうと、イリスは信じている。イリスが不利と判断したのは、自分の状況についてだ。
イリスは振り返って、上の階へ逃げた。脱兎の如き敏捷さ。それを、キイ・ゼテッタが追い掛ける。大剣の突きがイリスの首を狙ったが、光の壁に阻まれた。
火花を散らすような金属音を鳴らした後、大剣が光の壁を貫く。光の壁に阻まれたことによって、その勢いを削がれた大剣は、イリスの髪先を切るに止まった。はらりと銀色の髪が舞う。
イリスはつい先ほど破壊された踊り場を軽く飛び越えていく。キイ・ゼテッタは少し手間取った。鎧の重みの所為だろう。僅かながら時間を稼ぐことができた。
イリスが逃げていったのを見届けて、アテルイは改めてキゥ・テアットを見た。打撃技は効きそうにない。鎧が硬そうだし、棘の装飾も痛そうだ。アテルイは間合いを詰めた。
キゥ・テアットが拳を放った。常人では動いたのが目に見えないほど速い突きだった。拳はアテルイの頬を掠めている。アテルイは突き出された腕を掴み、既に腰をキゥ・テアットに当てていた。
キゥ・テアットの視界が反転する。床に全身を叩きつけられた。アテルイの背負い投げだ。跳ね起きるキゥ・テアット。アテルイは構えもしないで、それを見ていた。
キゥ・テアットは構える。腰を落とし、アテルイの動きに備えている。アテルイはまるで気負うことなく、キゥ・テアットに歩み寄った。それは何気ない平生の歩き方と大差ない。隙だらけだった。
キゥ・テアットが弾丸のような拳を放つ。アテルイに当たった。だが手応えが浅い。腕が伸びきり、失速する瞬間を狙って、アテルイがわざと当たりにいったのだ。
そして再びアテルイが投げる。キゥ・テアットは飛び起きた。致命的な外傷は受けていないものの、アテルイに圧倒されていることを感じていた。
キゥ・テアットが体当たりを仕掛けた。熊と正面からぶつかっても、押し負けないであろう、凄まじい体当たりだった。アテルイはひょいと跳躍して、キゥ・テアットを飛び越えていた。
キゥ・テアットが振り返り、アテルイもまた向き直る。改めて二人は対峙した。そして再度の膠着状態が訪れた。
キゥ・テアットは鎧を着ている限り、ほとんどの攻撃の威力を半減できた。そうだというのに、アテルイには攻撃が通用しない。アテルイもアテルイで、キゥ・テアットの鎧に阻まれ、有効な一撃を与えるのは難しいはず。
だが、その表情に困難など露ほどもない。
「ウオアァァァッ!」
キゥ・テアットが咆哮した。床が爆ぜるほどの踏み込み。砲弾のような蹴りはけれど、アテルイに当たらない。アテルイは伸びきった脚の踵を、踏み込みながら押し上げた。
当然、態勢を崩してキゥ・テアットは倒れる。アテルイはキゥ・テアットの脚を捻り、自らの足で膝あたりを押さえ、梃子の原理で関節を折った。
「ウオアァァァッ!」
キゥ・テアットが叫んだ。残った脚を振る。アテルイは簡単に避けた。キゥ・テアットはもはや戦闘不能の体だが、このような中途半端では終われないことを、アテルイもキゥ・テアットもよくわかっていた。
キゥ・テアットがアテルイを倒せない以上、この戦いの結末は、キゥ・テアットの死以外にありえない。
キゥ・テアットは両手を床に付けて、アテルイに向き直った。その様は、さながら手負いの獅子だ。
「我ら瘴気に臨み我ら瘴気を受け我ら瘴気を降す」
キゥ・テアットが詠唱を始めた。アテルイは瞬時に距離を詰めて、キゥ・テアットの顔を蹴り上げた。だが詠唱は止まらない。
「我ら瘴気を手繰り我ら瘴気を操り我ら瘴気を用いる」
アテルイ渾身の手刀が、キゥ・テアットの首筋を叩いた。首の骨が粉砕されて、キゥ・テアットが息絶える今際の際の際、詠唱が終わった。
「呪殺」
キゥ・テアットの体から、黒い霧が溢れ出す。それはあらゆる生物の生命力を奪う、瘴気の激流だった。霧は水流のようなうねりをもって、周囲を真っ黒に染め上げていく。
おそらくキゥ・テアットが生きていたとしても、この瘴気を呼び出したキゥ・テアット自身、この瘴気の奔流に耐えきれず命を落としていただろう。アテルイは逃げることもままならず、黒い霧の渦に呑まれた。
やがて瘴気が治まっていき、部屋の有り様は元に戻った。
命を失ったキゥ・テアットと、悠然と立っているアテルイ。瘴気の激流に呑まれながら、アテルイは平然と立っていた。
なぜ立っていられるのか、それはアテルイにもよくわからなかった。ただ、敵とはいえ、殺してしまった人間を悼む。そのあと心に残るのは、イリスへの心配だけだ。
アテルイはイリスを追い掛け、この階を後にし、階段を駆け上がっていった。




