第十四話
講堂の中を外壁から覗くためには、勉強室の窓から外壁を伝っていかなければならない。そのために勉強室へ向かっていたアテルイとイリスだが、勉強室の手前で、ギハオ神道の者と出くわした。
「沈黙」
アテルイが法術で、敵の詠唱を妨げる。詠唱ができなければ、大抵の者は法術を使えない。
たった一人を相手取るのに、アテルイだけならば沈黙の法術を使うこともなかった。だがイリスの安全を考慮して、念のためにそうしたのだった。
アテルイは切り掛かってくるギハオ神道の者をかるくいなして、手首を掴んで関節を極めた。今までならここで止めを刺してしまうのだが、イリスの手前、止めを刺すのを躊躇った。仕方なしに投げ飛ばす。
壁に頭から突進したギハオ神道の者は、ふらふらしながらも立ち上がった。アテルイは始末に困った。
不意に小さな落雷が、ギハオ神道の者を痺れさせた。小さな煙を上げながら、ギハオ神道の者が倒れる。イリスの法術だった。
詠唱が必要な法術も、類い稀な信仰心と才覚があれば、詠唱なしで行使できる。無詠唱法術の使い手は、沈黙の法術しか使えないアテルイと相性が良かった。
もっともそれは、無詠唱法術の使い手が敵に回った場合、アテルイには法術への対抗手段がなくなる、ということを意味している。
「わたしがいて良かった?」
イリスが訊いた。アテルイはまだ息のあるギハオ神道の者とイリスを見比べた。
「半々だな」
「素直じゃないわね」
そんな会話をしていると、たくさんの足音が聞こえてきた。走っている。こちらに近付いている。
「イリス、来い」
アテルイはイリスの手を掴んで、勉強室に向かって駆け出した。廊下の奥、勉強室の扉が見えた。アテルイは扉を蹴破って、イリスを勉強室に入れた。
小さな部屋だ。大きな窓が一つあって、大き目の机に、二脚の椅子が向かいあっている。それだけの部屋だ。
「いいか、イリス。自分の身は自分で守れよ」
アテルイが言った。
「当然でしょ」
イリスが言う。アテルイは勉強室の前に立った。そして、ギハオ神道の者が多勢で現れた。
「沈黙」
法術を発動し、アテルイが敵の集団に向かって駆けた。アテルイの拳が、先頭にいた者の心臓に衝撃を与えた。その後方に構えていたものは、飛ばされた先頭の者の下敷きになった。
次いで、アテルイは左隣にいた者の鎖骨を殴って折る。右隣にいた者の顎に肘打ちを仕掛けると、その者はあっさりと気絶した。二秒も経たないうちに三人を仕留めたアテルイは、その場で敵の攻撃を待ち構えた。
誘われているとも気付かず、後続がアテルイに攻撃を仕掛ける。アテルイの体に突き刺したと思った剣は、アテルイの脇腹すれすれを通り過ぎていた。アテルイに喉を打たれひるむ。仰け反ったところに足を払われ、床に打ち倒された。
次の者は剣を横薙ぎに切り掛かった。アテルイは一歩前に出て、敵の懐に入る。剣を振った手を押さえ、頭突きをした。さらに手を捻り上げて、剣を奪い取る。アテルイは、群がる敵の真っただ中に向けて歩き始めた。
誰かが剣を振ろうとする。アテルイの振った剣に、握っていた剣が弾け飛んだ。剣を突くが、当たらない。剣を剣で巻き上げられて、手から剣が跳ね跳ぶ。呆気にとられていると、アテルイに剣の柄頭で頭を打たれた。
次から次へと切り掛かり、次から次へと剣を取り零していく。動きの止まった敵から、アテルイは蹴り、殴り、投げた。敵の集団はみるみるうちに統率をなくし、瓦解していく。
ふいに勉強室のほうから、烈風が飛んできた。アテルイの周りの敵を負傷させていく。イリスは眉を吊り上げて、ぱくぱくと口を開閉させていた。おそらくは、さっさと倒せと文句を言っているのだろう。戦闘が始まってから、そう時間は経っていなかったが。
できればイリスに流血を見せたくなかったアテルイだが、こうなっては致し方ないとばかり、瞬く間に敵を切り刻んでいった。あくまでもイリスの手前、即死しないように気を付けながら。
「終わったぞ」
アテルイがそう言ったとき、アテルイの足元は死屍累々といった有り様だった。しかしながら、今のところ誰も死んでいないらしい。この先、手当てを受けなければどうなるかわからない者もいるが。
「じゃあ、行きましょう」
イリスが言った。
「待て、少し休ませてくれ」
アテルイはそう言って、勉強室に入り、戸を閉めた。椅子に腰かける。慣れない手加減で、妙に疲れた気持ちになってしまった。
「なによ、じじむさいわね」
イリスが言う。アテルイは苦笑した。
「そう若くはないさ」
「そうなの?」
「ロマラムタの二つ下だ」
「……見かけの割には歳食ってるのね」
アテルイはやるせなくなった。なんとなくイリスを見る。イリスは窓の外を見ていた。横顔はまだまだあどけないが、将来は美人になりそうな目鼻立ちだ。
アテルイはイリスの白い頬に手をやった。イリスはアテルイを見るが、それだけだ。アテルイはイリスの頬を指で撫でながら、母親似だな、と思った。
「ところでイリス」
アテルイが言った。イリスの頬から手を離す。
「なに?」
「その、あれだ、最近うまくやってるのか?」
「なによ急に」
「食べ物の好き嫌いとか、していないか」
「好きでも嫌いでも残さず食べるわよ」
「そうか、偉いな」
「偉くないでしょ、別に」
「勉強はちゃんとしているのか?」
「愚問ね」
妙に自信ありげにイリスは言った。あまり良くない意味でそう言ったのだと、アテルイは察した。
「友達はいるのか?」
「いないわよ、そんなもの」
「いないのか。同じ年頃の子とかはどうした」
「人の悪口も面と向かっていえない卑怯者よ。連れ合いになんてなりたくないわ」
「そもそも人の悪口を言うものではないがな……」
アテルイは会話に詰まった。イリスは頬を膨らませている。
「そうだ、プルウィアとの仲はどうなんだ。あいつに勉強を教わっているんだろ」
「最悪」
「そ、そうなのか……。だが、孤児院からずっと一緒なんだろう?」
「腐れ縁」
「なにがそんなに嫌なんだ」
「なにもかもよ」
「例えば」
「口喧しいところ」
「他には」
「融通の利かないところ」
「それだけか?」
「物の言い方がいやなのよ。それに、こっちを従わせようとするやり方も嫌い。本人は正しいことをしているつもりかもしれないけど、迷惑なだけよ」
「それを本人には言ったのか?」
「……言ってない」
「言いにくいのか」
「そうね。口喧嘩では負ける気しかしないし」
「俺が言っておいてやろう」
「やめてよ。わたしがアテルイに告げ口したみたいじゃない」
「そうか、じゃあやめておこう」
「うん」
「ところでイリス」
「なによ」
「今のは、プルウィアの悪口じゃないのか?」
「欠点を指摘しただけのつもりだけれど」
「口喧しいのは、お前を心配しているから。融通の利かないのは、それだけ規律を意識しているから。そうも言えるな」
「まあ、そうかもしれないけど……」
「本人は正しいことをしているつもりなのに迷惑がられるのは、頑張りが空回っているから。周りがその頑張りを認めて手を貸してやれば、結構、上手くいくと思わないか?」
「貴方まで説教するの? やめてよ」
「説教をするつもりはない。ただ、お前にもうちょっと器用な生き方をして欲しいだけだ」
アテルイはそう言って、イリスをそっと抱き寄せた。
「今のままでも可愛げはあるがな。負けん気が強すぎる」
「アテルイ……」
イリスはそっと、アテルイから離れた。
「ちょっと臭うわよ」
イリスの台詞と表情に、アテルイは今日一番の傷を負った。




