第十三話
アテルイは一階ずつ、簡単に見て回っていた。途中、何人かのギハオ神道の襲撃者に出くわした。全て倒している。だが、口を割らせることはできていなかった。
何処に行けばいいか考えながら、しかし目星がつかない。アテルイが今いるのは、聖獅子の間から二階上、使用人たちの居住区だった。使用人用の部屋と、厠がある程度のもの。
アテルイは部屋を一つ一つ見て回るようなことはしなかった。ぐるりと一周するように、さくさくとこの階を散策している。先程の聖獅子の間とはうってかわって、単純な造りの廊下だ。
変哲のない石の廊下に、面白味もない壁や天井。アテルイはかえって、安心感があると思っていた。
廊下を突き進んでいる途中、アテルイは開きっ放しになっている扉を見付けた。なんとなしに中を覗く。
クローゼットにベッド、机のある、ごく普通の使用人部屋だ。しかしながら、アテルイはそのまま立ち去る気になれなかった。なにか感じるのだ。見られているような、聞かれているような、そんな感覚だ。
アテルイは部屋に入った。クローゼットを見て、イドのことを思い出す。イドはクローゼットに隠れていた。まさかと思い、クローゼット開ける。中には誰もいなかった。誰かの服が掛かっているだけだ。
ちょっと残念に思いながら、アテルイはクローゼットに背を向ける。散策を再開しようと、扉まで戻る。やはり気になって、振り向いた。アテルイは咄嗟に身を避けた。
アテルイの足下を烈風が襲い、床に切り傷を付けていた。法術だった。アテルイは廊下に飛び退いた。猛烈な法術が辺りを襲い、壁や床を切り刻んでいく。
風が収まると、そこには扉と、前面の壁を失った部屋があった。ベッドの下で、なにかが動いた。
それがのそりと這い出てくると、顔を出したのは少女だった。くすんだような銀髪。勝気そうな目。イリスだった。
「イリス」
アテルイが言った。
「ここでなにをしている」
「隠れていたの」
相手がアテルイだと見ると、イリスはのそのそとベッドから体を這い出して、立ち上がった。体を叩いて埃を落とす。朱色の衣装はよれよれだ。
「お前、講堂にいたんじゃないのか」
「いたわよ、でも抜けた」
「どうして」
「わたしがあんなところにいつまでもいられるわけないでしょう」
実際には別の理由があったわけだが、イリスは見栄を張ってそう言った。
「それじゃあ、どうしてここに来たんだ」
アテルイが問う。
「講堂に人が降ってきて、皆を襲い始めたから、逃げてきたのよ。わたしが助ける義理もなかったし、助けられそうにもなかったし……」
イリスはあどけない顔を曇らせながら言った。
「講堂に人が降ってきただと?」
アテルイが言った。
「そう、わたしが講堂を出た後、講堂からガラスの割れる音がしたの。それから騒ぎになって……。そのときにはわたし、講堂の外にいたんだけど――」
イリスがそう言ったとき、アテルイが呆れた目をした。
「また外壁から覗いてたのか」
「誰にも言わないでよね! 秘密の通り道なんだから」
講堂は大聖堂の外側にあり、外壁とはすなわち崖と同様だ。それを通り道と称して強行するイリスを、アテルイは何度も諫めていた。
「イリス、お前にもしものことがあったらな、俺は……」
アテルイは言い淀んだ。イリスは円らな瞳をアテルイに向けた。
「俺は、なによ」
イリスが言った。
「いや、俺だけじゃない。皆、どれほど心を痛めると思う。絶対に無謀なことはするな」
アテルイが言う。
「わかったわ、と言っておくけど、期待しないでね」
悪びれもなくイリスが言う。アテルイは深く息を吐いた。
「それで、講堂でなにがあったか、イリスは知っているのか」
アテルイが言った。
「良くは分からないわ。ただ、襲ってきた奴らの頭みたいな人が、体から黒い霧みたいなのを出して、教主様を殺してた」
イリスの話を聞いて、アテルイは沈黙してしまった。教主マンダリンが死んでいるとは、考えていなかった。
「それと、ギハオ神道の巫女を出せ、みたいなことも言っていたわね」
「なんだと」
射竦めるようなアテルイの眼光に、イリスはたじろいだ。
「ギハオ神道の巫女がなんなのかは知らないわよ。講堂の中にも、ほとんど知っている人はいなかったみたいだし。ただ、何人か偉い人が、黒い霧に引きずり出されていたわ」
「偉い人?」
「ロマラムタもいたわよ。苦しそうだった」
「そうか」
アテルイは目を伏せた。
「イリス、お前はこのまま、俺の部屋に行け。人質から解放された人たちが砦を築いているはずだ」
「いやよ」
イリスはそう言って、アテルイに駆け寄って、アテルイを見上げた。
「アテルイについてくわ」
「駄目だ」
「だめじゃないわよ、なにがだめなの?」
「危険すぎる」
「足手まといにならないでしょ」
そう言って、イリスは背後を見遣った。イリスの法術によって無残に切り裂かれた壁と、前面開放プライバシーゼロの使用人部屋がある。
「そうだ、お前、こんな法術を使って、殺すつもりだったのか」
アテルイが言った。
「いいえ、本当はやりすごそうと思ったんだけど、なんだか凄く強そうな気配がしたから。居ても立っても居られなくなっちゃって。やらなきゃやられる気がしたの」
「いいか、絶対に人は殺すな」
イリスは目をぱちくりさせた。
「どうして? 敵でしょ?」
「奪うものが多すぎる」
アテルイは歩き出した。イリスが慌てて追う。
「ね、いいでしょ!? ついていくわよ」
「駄目だと言っている。一旦、俺の部屋に戻る」
「そんなことしなくていいわよ、先を急ぎましょう。人の多い所になんて行きたくないわ!」
「駄目だ」
アテルイが階段に差し掛かった時、下の階からギハオ神道の者たちが駆け上がってきた。三人や四人ではない。十数人いた。
「沈黙」
アテルイの法術が、周囲から言葉を奪う。ギハオ神道の者たちに法術を使う暇はない。アテルイが敵の一人に手を伸ばしたとき、鋭い光がギハオ神道の者たちを襲った。雷だった。
瞬く間にばたばたと倒れていくギハオ神道の者たち。アテルイは振り返った。そこには、得意満面の笑みで、口をぱくぱくと開閉させるイリスがいた。
「お前がやったのか」
アテルイが言った。
「ええ、そうよ! すごいでしょ!」
沈黙の法術が解けたらしく、イリスの声が聞こえた。
「沈黙の法術が掛かっていたはずだが」
「そんなもの、詠唱しなければいいだけの話しじゃない!」
アテルイはギハオ神道の者たちを見た。しばらく動けそうにないが、辛うじて息はある。
「加減したのか」
アテルイがイリスを見て言った。
「アテルイが殺すなって言ったんでしょ」
少し考えた後、アテルイは階段を下り始めた。
「部屋に戻らなくていいの?」
イリスが言う。
「絶対に俺の前に出るなよ」
アテルイが言った。イリスは嬉しそうに、にまにまと頬を緩ませた。
「えへへ、アテルイのこと好きよ」
すたすたと、大股で階段を下りていくアテルイ。イリスはそんなアテルイを、楽しそうに追い掛けた。
「遊んでいるわけじゃないぞ」
アテルイが前を向きながら言った。
「わかってるわよ。で、どこに行くの?」
「講堂の様子を知りたい」
「わかった、通り道ね」
「今回だけの例外だからな」
「ケチね」
アテルイとイリスは、階段を真っ直ぐに降りて、五階下に辿り着いた。小さな礼拝用の施設が立ち並ぶ階だ。聖獅子の間ほどではないが、ウィロウ教に関する彫像や絵画が所々に飾られていた。
「この階の勉強室からだったな」
アテルイが言った。
「そうよ、ついてきて」
イリスがアテルイの前を走った。
「おい、俺の前に出るな」
アテルイが追い掛ける。廊下を駆け抜けてゆくイリスは、女の子とは思えないほど素早かった。
「おい、イリス」
「え、もう追いついちゃったの?」
アテルイがイリスの肩に手を置いた。
「前に出るなと言っておいただろう」
「ごめんなさい。走りたくなっちゃって」
アテルイは乱れたイリスの髪の毛を手櫛で整えた。
「もうしばらくすれば十四になるんだろう。いつまでもお転婆じゃ困るぞ」
「そんなこと、ほうっておいてよ。アテルイには関係ないじゃない」
「それは、そうだが……」
「ほら、行きましょう。前を歩いてよ」
「ああ」
静かな廊下を、二人は歩いた。




