第十二話
講堂は今までにない緊張に包まれていた。原因は、アテルイが放った沈黙の法術だった。完全に詠唱して放った沈黙の法術は、アテマリスアマ大聖堂の全体に効果をもたらしていた。
この講堂も効果の範囲だった。講堂は一時的に、何人も声を出せない状態になっていた。そのときになって、エクデステスたちは、自分たちの想定しない強大な敵がいることを察知していたのだった。
エクデステスは演台の上で、天日干しにされている魚のようにうつ伏せで並ぶウィロウ教の人質たちを眺めながら、敵の正体を考えていた。
沈黙の法術という、決して上級とは言えない法術とはいえ、この講堂にまで影響を及ぼした。法術を放った神官の気配は、講堂にはない。
おそらくは、ここから大分距離のある場所で法術が行使されたはずだ。だとするならば、余程、高位の神官だろう。そのようにエクデステスは考える。巫女捜索の障害となることは明らかだった。
既に偵察を向かわせてはいるが、容易に気が晴れるものではない。巫女の発見に時間が掛かり過ぎている。瘴気での拷問も、ロマラルタの口を割らせるには至っていない。エクデステスは焦り始めていた。
「そろそろ、巫女の居所を喋ったらどうだ?」
エクデステスが、演台からロマラムタを見下ろした。ロマラムタは手足を黒い霧に拘束されて、無理矢理に立たされている。瘴気によって苦痛を与えられているが、呻きも小さなものとなっていた。
「何度も、言っているだろう、居場所は、わからんっ」
ロマラムタが絶え絶えに言った。エクデステスは顔をしかめた。
「ならば質問を変えよう。あの沈黙の法術を放ったのは誰か、心当たりはあるか?」
「さあ、な。沈黙の法術は完全に詠唱をしたとしても、効果があるのは五十歩ほどの距離までだ。この講堂一つを取っても、全域に効果をもたらすなんて、できやしない」
「では誰が法術を放ったというんだ。貴様らの仲間ではないと言うのか?」
「少なくとも俺は、あんな強大な沈黙の法術を使う奴を知らない」
「巫女ならば?」
エクデステスの問いに、ロマラムタは沈黙した。
「そうか」
にたりと、エクデステスは笑った。不意にロマラムタを拘束していた黒い霧が霧散した。ロマラムタは、力なく床に倒れ込んだ。そんな一連の様子をじっと見つめる瞳が人質たちの中にあった。
「大司教……」
意識を取り戻したプルウィアだった。プルウィアは腹部を押さえていた。鎧の男、キゥ・テアットにやられた傷は、こっそりと行った応急処置により、一応、ふさがっていた。
一応というのは、あくまで止血しただけで、少しでも激しい動きをすれば、傷が開くのは明白だったからだ。
そんな状態ながらも、プルウィアは打開策を探して、講堂のあちこちに視線を飛ばしていた。有効な手は見つからない。希望があるとすれば、あの沈黙の法術を放った何者か。
そこまで考えて、プルウィアはアテルイのことを思い出した。そもそも、ロマラムタは最初に言っていた。アテルイを探して来いと。ならばアテルイは、この状況をどうにかする手立てを持っているのではないか。プルウィアはアテルイと合流することに決めた。
そうと決めたものの、この講堂を抜け出すのは容易ではない。少なくとも、見張りの目を盗んでというのは絶対に不可能だし、この怪我では無茶な行動もできない。確実に、そして安全に講堂を出る必要があった。
「んう……」
プルウィアは体を起こした。痛みに呻いて、息が漏れる。すかさず見張りの男が、プルウィアを押さえつけようと近寄ってきた。
「待って」
プルウィアが言った。見張りの男は、プルウィアの髪を掴んだ状態で、手を止めた。
「貴方たちは、巫女とかいうのを探しているのでしょう?」
「それがどうした」
見張りの男が言った。
「お前には関係ない」
その言葉を聞いて、プルウィアは微笑した。
「私なら探し出せる、と言ったら?」
「嘘じゃあるまいな」
「嘘だったら殺してくれてもいい」
数秒、考え込んだ後、見張りの男はプルウィアを立ち上がらせた。そして、演台まで歩かせる。痛む腹を押さえながら、プルウィアは緊張に震えていた。
まかり間違えば、すぐにでも殺されてしまうだろう。ウィロウ教の仲間たちが一様に伏せっているこの異様な講堂の中で、プルウィアは自分の寿命が尽きてしまうような心地がした。
そしてプルウィアは、エクデステスの前に立たされた。
「どうかしたのか」
エクデステスが言った。見張りが前に出る。
「この女、巫女を探し出せると言っております」
「ほお」
エクデステスは嬉しそうに笑うと、プルウィアの目の前に来た。プルウィアの華奢な顎に手を当て、自身に顔を向けさせた。プルウィアは顔を強張らせた。
「この女、俺の記憶に違いがなければ、無詠唱の法術を行使していたな」
エクデステスはそう言って、プルウィアから手を離した。
「確かに、私は一部の法術を無詠唱で扱えます」
プルウィアが言った。うっすらと涙の滲んだ目で、エクデステスを睨む。
「それで? どうやって巫女を探すんだ」
「私は探知の法術が使えます。大聖堂内に残っている人物を徹底的に探し出せば、いずれ見つかるはずです」
「なるほどな。仲間を売るのか?」
「貴方がたの巫女のことなど知りません。私はただ、これ以上、罪のない人を苦しめて欲しくないだけです」
プルウィアがそう言うと、エクデステスは嘲るように鼻を鳴らした。
「それで、お前一人をこの講堂から出すとでも?」
エクデステスの言葉に、プルウィアの血の気が引いた。
「わかりやすい魂胆だ。お前ほどの術師をそう簡単に出すわけがないだろう」エクデステスはまたプルウィアの顎に手を当てた。「だが――」
不意に、エクデステスがプルウィアの腹を掴んだ。それは傷のある個所だった。肉を抉るように爪を立てる。プルウィアの傷が開いて、血が流れだした。
「あああっ、あああ……!」
プルウィアが苦悶の声を上げる。エクデステスの足元から黒い霧が現れる。黒い霧は、プルウィアの脚を滑るように這い上がっていって、プルウィアの傷口に入っていった。
エクデステスはそこでプルウィアから手を離した。プルウィアは脚をがくがくと震わせて、力なく崩れ落ちてしまった。
「傷は塞いでおいてやる」
エクデステスが言った。
「その代わり、お前の命はあと一日だ。或いは、俺の気分次第。早いとこ巫女を見つけ出すことだな」
エクデステスはそう言い捨てて、見張りの男にプルウィアを立たせた。プルウィアの呼吸は荒い。瞳孔が開き、目の焦点が合わない。意識を保つので精一杯だった。
だが、腹の傷はふさがっていた。黒い霧が、出血口を塞いでいるようだった。
「プルウィア」
床に倒れていたロマラムタが言った。
「頼んだぞ」
そんなロマラムタの言葉を、プルウィアはふらつく足取りで聞いた。後ろから見張りにせっつかれながら、講堂の出口へ向かう。
頼まれた、なにかを。プルウィアは考えた。――巫女を渡せということか、ちがう。そうだ、アテルイだ。アテルイを見つけ出さなくては――。ついに講堂を出て、プルウィアはへたり込んだ。
はっきりしない視界の中で、辺りを見た。いつもなら誰かしらが通行している廊下だ。講堂からは聖典を諳んずる声が聞こえることもある。今は静かだ。ただ静かだ。
「おい、さっさとしろ」
見張りが急かす。プルウィアは必死で意識を保った。一心に、目的の人物を念じながら。
「探知」
プルウィアが唱えた。見付かれ、見付かれ、と何度も祈った。そして、祈りとは無関係に、プルウィアの法術は目的の姿を捉えた。
「見つけた」
プルウィアが言った。
「ほら歩け」
見張りに肩を掴まれながら、プルウィアが歩く。その横を、ギハオ神道の者が通り過ぎ、講堂の中に入っていった。かなり慌てた様子で。その男は、講堂のエクデステスに駆け寄り、こう報告した。
「聖獅子の間の人員が全滅しています」
エクデステスの顔色が変わる。
「馬鹿な」
「下手人は見つからず……」
深く考えた後、エクデステスはキゥ・テアットとキイ・ゼテッタを呼び寄せた。
「ここは俺一人でも足りないことはない。二人とも、必ず厄介な下手人を始末してきてくれ」
キゥ・テアットとキイ・ゼテッタはそれぞれ頷き、講堂を後にした。残ったエクデステスは冷や汗を流した。
「一体、誰が、どんな奴なんだ」
エクデステスの呟きを聞き取ったロマラムタは、秘かに笑みを浮かべていた。




