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ポルタトーリ  作者: Vapor cone
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29/46

28.全容解明

 ちょっと豪華なホテルの一室。その表現がぴったりだった。

 ベージュ色した大理石調の壁に間接照明。ダブルサイズのベッドの横に革張りのソファー。鏡などの調度品も含めて落ち着いたインテリアでコーディネートされている。ただ、窓は分厚いカーテンで閉じられ、開けることは禁じられていた。

 そこは内閣府の関連施設にある宿泊棟だった。通常利用するのは政治家や事務次官以上の官僚で、緊急時など夜通しの対応を迫られる場合に使用している。簡易の宿泊部屋にしては立派過ぎる内装だが、海外要人の仮宿泊所として使われることがあり、見栄えもそれなりに重視していた。

 中央にある大きなソファーに、ぽつんと佇む新垣。きょろきょろと落ち着かない様子で辺りを見回す。ここは本日、家に帰して貰えなかった彼の寝床となっていた。

 突然、開いた入口のドア。大袈裟なリアクションで振り向いた新垣。入ってきたのは鷹野だった。タオルやアメニティ用品を胸に抱えていた。

「ここに必要な物置いとくから、適当に使ってね」

 鷹野はバスルームの扉を開けて中に入って行った。恐々とした表情で見守る新垣。それもそのはず、つい先ほどまでここで尋問されていたばかりだった。

 内閣情報調査室という、訳の分からない機関の男。越谷隆太郎と名乗っていた。分析官が何なのかは知らないが、警察でもないのに散々いろんなことを訊かれた。疑問はあったが、こちらからどうのこうの言える雰囲気ではなかった。

 質問の内容は会社の話に始まって、家族のことにまで及んだ。全く持って異常な状況で、気味が悪かった。よほど警察署にでも連れて行かれた方が納得できる。自分の考えの及ばないところで、何かが起きているという不安だけが増大した。

 越谷分析官は何処かに行ったようだが、未だ張り詰めた緊張が抜けきっていない。

 鷹野という女性が代わりに残った。学校の裏門に現れた時、銃を構えていたのを覚えている。この人は警察なのだろうか。あの時と違って穏やかに振舞っているが、自分の身柄を抑えている組織の人間であることに変わりはない。犯罪者である自分を鬱陶しく思っているに違いなかった。

 吐息を吐き。うな垂れる新垣。この先のことを考えると、沸き起こる苦悩に押し潰されそうになった。自分はどうなってしまうのだろうかと。

「――どう? 落ち着いた?」

 バスルームから、ひょっこり顔を出した鷹野。新垣は頭をもたげただけだった。

「ま、そうよね。不安だよね」

 新垣は黙ったまま頷いた。気持ちを汲み取ったのか、鷹野は優しい微笑みを浮かべた。ゆっくりと歩み寄る。

「まあ、あれね……やってしまった事を、今更悔やんでもしょうがないじゃない」

 当たり前のことを、さらりと言われてしまっては反論できない。新垣は微かに苦笑いして見せた。すると、鷹野は何のためらいもなく隣に腰を下ろす。

 急に縮まった距離。思わず身を引いた新垣。鷹野という女性。幼顔なのに妙な艶っぽさがあった。そして、まとわり付くいい香りに戸惑った。

 鷹野は追うように身を寄せ、強張った新垣の顔を覗き込む。

「あなたは、後悔しているの?」

「……何を、ですか?」

 焦りながらも、その言葉に驚いて訊き返す。

「あの子を助けようとしたこと」

 新垣は少し口籠る。

「……いいえ」顔を上げながら、はにかんで頬を指で掻く。「ただ、馬鹿みたいですよね。彼女を助けに行ったのに、結局巻き込んだだけで何もできませんでした……情けないですよね」

「……それじゃ、いけないの?」

「……」

 思い掛けない問い掛け。新垣は目をぱちくりさせる。

「確かに、逆に助けられちゃった感じもするけど、あなたはあなたなりに、真剣にどうにかしようとして頑張ったんでしょ?」

 小首を傾げてみせる鷹野。眼鏡の奥の瞳は何か大事なことを訴えているようだった。

「……」

 押し黙る新垣に、いっそう優しく囁き掛ける。

「それじゃ、いけないの?」

 その言葉は響いた。新垣は息を呑む。

「世の中の全てが、結果だけで決まる訳じゃないのよ。特に人と人の繋がりはね。きっと、あの子にもあなたの気持ちは伝わっているわ」

 鳥肌が立った。きっと、この人とは人生の経験値が違い過ぎるのだと新垣は思った。

「そ、そうでしょうか……」

「ええ、きっとね」

 鷹野は潤った唇の端を上げる。

 新垣はごくりと生唾を飲んだ。年上なのだろうが、さほど違わないように見える。なのに、この落ち着きよう。圧倒的な包容力。不安からすがり付きたい衝動に襲われる。このまま、ジャケットの襟元の膨らみに飛び込んでしまっても、許してくれそうな気がした。もちろん、そんな度胸は無いのだが。

 不埒な妄想の結果、新垣の顔は真っ赤になっていた。鷹野はくすっと笑う。

「可愛いわね。でも、そんなに奥手じゃ、好きな女の子をモノにはできないわよ」

 新垣は心を見透かされたようで動揺する。恥ずかしさに耳まで火照る。

「いえ、そんなつもりはありません!」

 訳の分からない言葉を発していた。大きく笑った鷹野。新垣の腕にしがみ付く。

「気に入った。あなたは、私が守ってあげる」

 柔らかいものが、新垣の肘に当たっている。

「いや……あの……ちょっと……」

 目を細めた鷹野。腰をぴたりと新垣に寄せ、その膝に手を置いた。更に躰が固まった新垣。頬がピクピクと引き攣る。鷹野は悪戯っ子のように微笑むと。耳元で囁いた。

「でもね……その代わり、話を聞かせて欲しいの」

「……何の……ですか?」

「天才プログラマーの考えるアルゴリズム理論」

「……え?」

 新垣は、ぽかんと口を開けた。


 薄暗いオペレーションルーム。大きなモニターの前に立っているのは越谷隆太郎だった。モニターには情報収集衛星によって探索された、日本列島周辺の鉱物資源を現した画像が映し出されていた。周りに職員はいない。静まり返った中で、携帯電話を手に話している。相手はリサ・パーカーだった。

 情報収集衛星に関しての情報がリサから伝えられたことが全ての始まりだった。そして、新垣洋一と篠崎友子の拉致未遂事件まで。一連の経緯について意見を交換した。事実確認のようなものだ。既に分析と整理はある程度できている。精査には今後も時間を掛ける必要があるが、新垣洋一からの事情聴取によって、ほぼ全容が解明されたといって良かった。

 衛星統合管理システム(SIMS)に不正プログラムを仕込んだのは野々村教授であり、その不正にノーマン・モラレスが関与したのは間違いない。野々村教授は見返りとして、多額の研究資金を受け取っていた。大学から押収した会計資料が、それを裏付けている。

 研究資金難に喘いでいたところに付け込まれたという見方もあるが、人柄に優れた教授が何故犯罪に手を染めてしまったかについては、モラレスとの接点も含めて調べる必要があるだろう。教授が死亡した経緯についても、病死となっているが疑念を持ってしかるべきだ。そちらは、事件性を示唆し警察に再調査を依頼した。

 モラレスの目論見としては、中国で資源開発の合弁会社を立ち上げ、情報収集衛星によって得られたデータを使い私腹を肥やそうとしたと見るべきだろう。解像度の高い衛星写真や高度なリモートセンシング情報の付加価値は高い。ましてや、その衛星をタダで使い放題できるなど、夢のような話である。他にも利用方法によっては莫大な富を生んだであろう。我が国の安全保障を考えれば許しがたい行為だが、その発想自体は奇知に富んでいる。

 モラレスは狡猾でしたたかな人間ということだが、それだけではないようだ。野々村教授を取り込んだことや中国共産党幹部との癒着といい、そういった才能に長けていることは間違いない。CIAという組織で培ったものを、そのままビジネスにしてしまったというところだろう。往々にして組織を抜け、そういう道に走る族は少なくないが、ここまで大胆なことをする奴は少ない。どちらにしても、厄介な相手である。

 モラレスが姿を消した要因としては、やはり新垣のSIMS(シムス)乗っ取りが関係していると考えられる。まさか、からくりを見破られるとは思っていなかったのだろう。想定外の変事に自ら腰を上げたと見て取れる。但し、リサを捨て駒にしておいて、身辺整理を早々に終えたところをみると、かなり計画的ではある。遅かれ早かれ、そういう流れだったと考えられる。自分の手の内を知らないリサを南米から呼んだのも算段の一つのようだが、結果的にそれは最大のミスとなった。

 状況から考えて、モラレスが日本にいる可能性は高いが、足取りは掴めていない。リサの話では、中国での資源開発の合弁会社話は頓挫しているらしい。中国に幅広い人脈を持っているモラレスにとっては一部の損害に過ぎないだろうが、中国共産党幹部との軋轢は作りたくないらしく火消しに回った形跡があった。日本でほとぼりを冷ましているのかもしれない。

 しかしながら、新垣洋一をこちらで抑えている以上、奴らがSIMSにアクセスすることは不可能となった。新垣の助言でシステムに侵入できるバックドアを完全閉鎖したからだ。技術的な問題は多少残るが、現状でSIMSの稼働に問題は無い。今後は新垣も入れて、メンテナンスすれば問題は全て解決する。

 今後、奴らの出方は分からない。ただ、同じことはモラレスも予想できるはずで、再び新垣が狙われるリスクは減ったと考えていい。逆恨みということはあえりえるが、利用価値としては無くなったからだ。

『――彼はどうしている?』

 リサの問い掛けは、新垣のことを訊いていた。

「ここの宿泊棟にいる。暫くは、このまま面倒を見るつもりだ。今は鷹野が付いている」

『……クレアが?』

「ああ。護衛としては十分過ぎるだろう」

 微妙な吐息と沈黙。

『……いいえ、違うことを心配しているのよ。あの子、前からそうだけど、変なところがあるのよね……』

 越谷は鼻で笑った。

「多少、遊んでも構わんよ」

 新垣洋一は今以て不安だろうが、その処遇については穏便に取り計らうつもりでいた。犯した罪は大きいが、結果的には彼の行動によってモラレスの計画が明るみに出た訳でもある。結果オーライということだ。但し、今はいろんな意味で反省してもらう必要がある。鷹野に振り回されれば、多少なりとも良い薬になるだろう。

 今後においては、モラレスとその一味の追跡が必要だが、一先ずSIMSの案件は一段落したといえた。越谷はリサとの相互認識に齟齬が無いことを納得すると、最後に何気なく訊いた。

「しかし……あそこに、君が現れたのは偶然か?」

『あら、そう。やっぱり気になるところかしら』

「どんな手品を使った?」

『手品って、ほどでもないわ……説明必要?』

「ああ」

『簡単なことよ。モラレスは私兵を多く持っているけど、組織を抜けた今はその数も限られる。多分、目的に応じたユニットを組ませているのだろうけど、人員が十分とは考え難い。そこで、事を起こす際には臨時で補充する可能性が高い。雇うとすれば、非合法の仕事を請け負う連中。大体、どの国にもあるわ。日本のは、何て呼ばれていたかしら……ま、そこに網を張っていたという訳。偽警官なんて依頼としては特殊よね。凝り性のモラレスらしいわ』

 勿体ぶることのない、淡々とした説明。

「なるほど……それで、そいつらをマークして現場に辿り着いたとういう訳か」

『まあ、そんなとこね。今回は狙いが的中したって感じだけど』

「……そうか、分かった」

 越谷は追加の命令をリサに下し、携帯電話を切った。

 オペレーションルームを出て自分の執務室へと向かう。その表情に普段の温和な面影はなかった。微かな喜怒哀楽も感じられない。無表情といってよかった。

 執務室のドアを開け、奥に鎮座している重厚な机まで歩く。屈んで引き出しのカギを開けると、中から書類を取り出し机に置いた。中央に秘文書扱いのスタンプ。既に中身に目は通していた。思案する仕草で書類に視線を落とす。

 それは、早急に調べさせた篠崎直哉に関する調査結果だった。国内は警視庁からの報告だ。一部公安からのものもある。米国での内容は知り合いのFBI職員からの情報だ。日本の警察はFBIとそれなりに交流がある。篠崎直哉が米国政府のブラックリストにでも載っていない限り信憑性は高いと言っていい。

 彼は陸上自衛隊を若くして退官していた。その後、渡米し長らく民間軍事会社(PMC)で働いていた経歴がある。本人の言っていた通りだ。その内の数年間、イラクに居たのだろう。こちらのことをよく知っていたので、現地で接点があった可能性もある。帰国してからは、個人で危機管理コンサルタント会社を設立。こんなご時世だから、需要もあるようで経営は順調のようだ。

 そして、娘の篠崎友子。米国生まれたが、幼いうちに日本に来ている。今も二重国籍のままだ。母親はエヴァ・メチニコフという、ルーマニア系の米国人。友子の祖母にあたる人物は生物学の権威だった。研究のために十代前半のエヴァを連れルーマニアから米国に移住している。後に市民権も取得。しかし、暫くして娘を残し他界。その後、エヴァは篠崎直哉と知り合う。大学在籍中に結婚し友子を出産。だが、エヴァにも不幸が訪れる。あの911テロに巻き込まれて亡くなっているのだ。事件当日、政府機関への就職の為、インターシップで訪れていたのは米国国防総省ペンタゴンだった。

 実にドラマティックな話ではあるが、越谷が興味を引いたのは友子の祖母である生物学者のことだった。彼女を知っていた。遺伝子研究では名を知られていた人物。人体に起こる運動機能障害の治療をライフワークとしていた。ルーマニアに居た時から、同じ生物学者であった夫と共に様々な研究をしている。だが、その一部は当時の独裁政権の影を落とすものであり、今以て公になっていないものもある。

 それは、越谷の思い描いているところに少なからず繋がっていた。湧き上がる高揚を抑え、顔を引き締めた。

「確かに……偶然ではなさそうだな」



 春の木漏れ日が、フロントガラスを通してダッシュボードに注いでいた。

 ハンドルにもたれ掛かっている細身の男。金髪で耳にピアス。退屈そうに、向かいの建物を眺めていた。平屋建ての南欧風洋館。スペイン瓦に白い塗り壁。駐車場から玄関ポーチまではテラコッタが敷かれている。

 小ぢんまりとしたビストロではあるが、昼時にもかかわらず駐車場に止まっているのは二台だけだった。

 車体側面に広告がプリントされた白のハイエース。乗っていた金髪が、おもむろに隣を見遣る。シルバーのゲレンデヴァーゲン。その運転席に座る屈強そうな男。暫く見ていたが、微動だにしない。

「あいつ、いつ見てもあんなだよな。サイボーグかよ」

 金髪が何気に呟くが反応がない。後ろを振り向いて言う。

「……痛むか? ドクターから貰った鎮痛剤打つ?」

 後部貨物室の簡易的な座席に腰を下ろしているのはショートボブの女だった。頸で吊る装具で右腕を固定されていた。真っ赤な口紅はいつも通りだが、黒い前髪に隠れた眼光はいつも以上に鋭かった。

「いいや、大丈夫だ。高々、弾が肉を貫通しただけだ」

 吐き捨てるように言ったショートボブ。舌打ちして顔を引き攣らせる。良い顔立ちが、酷い形相になっていた。

「あの女、今度会ったら絶対殺してやる……」

「……ああ、そっちね……朝から、そればっかじゃん」

 金髪は頭に両手を乗せシートに埋まった。渋い顔で、再び洋館に視線を移した。

「Mr.モラレスは、さぞやご立腹だろうね。SIMS使えないとなると、凄い損害だからな……普通なら、あんたもあいつもパージされてるところだ……俺もかな?」

「うるさい!」

 ショートボブは怒気を帯びた口調で眉間に皺を寄せる。たが、勢いは続かなかった。自然と肩が落ちる。

「……そんなことは、この世界では当たり前のことだ。最初から覚悟している……ただ、お前のお陰で巻き返しのチャンスができた……礼は言っておく」

 視線はあらぬ方向だか、険しさは消えていた。

「お、しおらしいね……そういう顔してたら、可愛いのに」

 ショートボブが殺意を持った目で睨む。

「冗談だって……ま、見付けた俺が驚いているくらいだから、偶然の産物だよ。しかし、あんなぼんくらがね……人は見かけによらないな」金髪は腕を組むと、満足気な表情を見せた。「逃走の為に仕方なく、封印してたサーバーを使ったんだろうけど、それが運の付きさ。リスクは承知の上だろうから、背に腹は代えられなかったということだな」

 またしても、反応がないので振り返る。ショートボブは頭を垂れたていた。何か呟いている。

「……絶対、殺す」

「やっぱり、それか……」


 モラレスはフォークをテーブルに置いた。

 春の食材を活かしたメニュー。カレイのムニエルの後、アサリのパスタを平らげていた。食欲の旺盛さとは関係ないようで、その表情は曇っていた。料理の皿が下げられると、エスプレッソが運ばれてきた。

 慣れた手際で給仕するウエイター。モラレスの後ろには、大柄の男が二人立っていた。取り巻きの護衛だった。

 ブロンドのオールバックヘアに、派手なネクタイ。モラレスはカップを持ち上げると香りを嗅いだ。視線は木製の格子窓越しに、中庭へと向けられていた。モンシロチョウがヒラヒラと飛んでいた。それに目を細める。目尻の皺がさらに深く刻まれた。

「(……そうか、詳細は分かった)」

 その言葉は、テーブルの横に直立不動で立っていた坊主頭の男に向けられていた。

「(お前たちの失態は重いが、見付けたモノはなかなかにして面白い、上等だ。どう使おうかと考えるとワクワクするよ)」

 モラレスは口角を上げた。不気味な笑いだ。

「(だが、お前達のユニットは暫らく外す……いいな?)」

「(はい。Mr.モラレス)」

「(そのうち、リベンジの機会を与えてやる。それまで準備しておけ)」

「(……分かりました)」

 坊主頭は頭を垂れた。苦虫を噛んだ表情で自分の腹を押さえる。強く拳を握り締めていた。

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