27.天使の気持ち
白い壁に白い天井。小規模な病院程度の医療機器が備え付けられた部屋。
そこは永田町の内閣府関連施設にある医務室だった。政府関係者が昼夜を問わず出入りする所だけに、医師や看護師が24時間常駐している。
眩しい照明の下。中央に置かれた診察台に友子の姿があった。端にちょこんと座り、足をぶらつかせている。横に置かれたカゴには、血で汚れた制服のブレザーが放り込まれていた。
「痛てて……」
顔をしかめた友子。スクールシャツの袖を肘まで捲っている。額と口元には絆創膏、肘と膝の擦り傷にはガーゼが当てられていた。その他、至る所に青アザもできていて、後頭部には大きなタンコブも。最低なのは口の中、血の味がずっとしていた。
スタンガンのせいで続く痺れも気持ち悪かった。暫くすれば無くなるらしいが、全身に残る違和感。まさに、酷い有様といえた。
「よし。これで、おしまいね。レントゲンで異常はなかったけど、痛みとか続くようだったら精密検査を受けてね」
髪を頭のてっぺんでまとめ上げた白衣の女性が友子の顔を覗き込んだ。微笑む彼女だったが、その表情には少々戒めも込められていた。「無茶したわね……」治療の前に、この有様の顛末を聞いた彼女の言葉。
しかし、テイザーガンのニードルが刺さった背中と腰の傷を見た後は、相手に対して激しく憤慨していた。「それにしても、女の子にスタンガン撃つなんて、許せないわ……」躰に少々傷が残ることなど、まったく気にしていない友子だったが、初対面の人にまで心配されていることに気まずさを感じた。
「……はい、ありがとう……ございました」
俯き加減で苦笑する。そう、女子高生は男を相手に殴り合いなどしない。良く分かっているつもりなのだが、勢いが付くとそうなってしまう。何故か止められない……カワイイ女子への道のりは、まだ遠い。
「……はあ」
ため息が出たところで、ふと頬を触ってみる。
そういえば、あれはいったい何だったんだろう。お父さんが現れて気持ちが飛んじゃったけど、涙が溢れ出していたのは確かだ。だけど、あの時の感覚が思い出せない。忘れたという感じじゃない。上手く言い表せないが、その時だけ何かの扉が開いたみたいな。
目を閉じて、胸に手を当てた友子。
「あの人は、誰なんだろう……」
医務室の前はちょっとしたホールになっていた。待合用として長椅子が並べられている。天井には規則正しく電源用のコンセントや酸素吸入器のプラグが並んで設置されている。下にベッドを配置すれば緊急時の簡易病棟となる場所だ。
その片隅に浮かない表情の新垣がいた。顔には友子と同じように絆創膏が貼られている。大立ち回りしていない分、友子よりも治療の箇所は少ない。向いの長椅子に座っているのは越谷だった。二人は会話をしている。
その様子に、訝しげな表情を浮かべる直哉。ホールの反対側に設けられた休憩スペースから遠巻きに見ていた。暫くして、その視線は友子が入って行った医務室の入口に向けられる。ため息を漏らし、表情が曇った。
「医師の話では、お嬢さんの怪我も軽いそうです。治療もすぐに終わりますよ」
声を掛けたのは、傍らにいた鷹野だった。眼鏡のフレームを指でちょんと触る。
「そうですか……どうも」
この落ち着いた状況になるまでには、一悶着あった。直哉にとっては、たまたま学校に娘を迎えに来たに過ぎなかったのだ。それが、良く分からないことに巻き込まれ、娘はあの状態だ。怒りは、一時頂点に達した。越谷からの説明で少し落ち着いたところだが、納得はしていなかった。
発端はあの青年が関わった機密情報によるもので、それを狙う奴らが青年と友子を拉致しようとしたらしい。友子と青年に深い関係は無く、青年の一方的な好意だけだったというが、機密情報の守秘義務というやつで肝心なところは濁されてしまった。
渋い顔で、黙考する直哉。心配なのは友子のことだが、追っていた越谷分析官とこんなかたちで係わりを持つことになるとは、何とも皮肉としか言いようがない。今は自分の立ち位置が見えなくなってしまった分、彼に従うしかないのがもどかしい。
それにしても、解せないことが多すぎる。あの後、数台のパトカーがやって来て現場を収拾したが、大した検証などしていないように思えた。偽物だという制服の警官達は連行されていったが、何処へ行ったかは分からない。夜のTVニュースにもなっていない。この件は、今のところ完全に黙殺されていた。
内調が関わっている事案だからだろうか。それにしたって、根回しが良すぎる。内閣府の一機関に、そんな権限も力もないはずだ。ともすれば、自分の感が的外れではないということになる。何かが起こっていて、越谷分析官はその中心にいる。
加えて、あの女だ。泡みたいに消えて、存在していなかったような扱いにされている。越谷分析官は知っているのか。隠さなければならない事情があるのか。分からないことが多すぎる。
「――コーヒー、如何ですか?」
鷹野の声で我に返った直哉。取り繕うように頷く。
「……ええ、頂ます」
踵を返した鷹野。壁際に設置してあるコーヒーメーカーへと足を運ぶ。その後姿を見遣った直哉。ちょうど腰辺り、ジャケットのふくらみに注視する。
越谷分析官もそうだが、この鷹野という女もしかりだ。内調のスタッフと言っていたが、単なる職員ではないだろう。考えに耽っていると、自然とその背後に歩み寄っていた。
「――不用意に、私の後ろに立たれると困ります。あなたは、きな臭いから」
淡々とした口調だった。はっとして動きを止めた直哉。鷹野は振り向かず、屈んでドリップの支度を続けた。
「イラクで警備員をしていたと聞きました……半端な感じはしないですね。雰囲気で分かる。そういうのの、鼻が利きますから……」
鷹野は一瞬だけ振り向いて微笑する。苦笑いする直哉。やんわり遠回しの警告。愛らしい顔から想像できない牽制。
多分、本気なのだろう。何かあれば、容赦はしないということだ。先ほど現場での銃の構え方と安全確保のクリアリングを見れば分かる。特別な訓練を積んだ者の動き。一般的な日本の執行機関のタクティカルではない。
自分と同じ世界の人間なのかもしれない。大概そういう連中は同類を好まない。仲間でない限り、敵でしかないからだ。
「君は何だ? 内閣府の職員ではないな」
コーヒーメーカーに向かう背中に問い掛けた。鷹野は頭を少しもたげる。
「……ああ、これが気になるんですね?」
お尻を向けたまま、ジャケットの上からポンポンと腰に納まったXDsを叩いた。
「私、こう見えても警察官ですよ」
「……だろうな、そうでなかったら困る」
どう見えると思っているのか知らないが、何でそんなオーバースペックの人間が警察にいるのかと訊きたかった。だが、その先を質問した。
「何故、彼の下にいる? まさか、警護という訳でもないだろう? ……一体、今の内調はどうなっている?」
「さあ……どうなのでしょう。私は上からの通達で分析官の命令に従っているだけですから……」
肩をすぼめて見せた鷹野。直哉は目を細めた。
「……そうか……何でも、ありってことだな」
皮肉を含んだ言葉の投げ掛けだったが、鷹野は答えなかった。
PMC時代、周りにいた連中の雰囲気を思い出した。こんな感じだった。仕事に徹し、それ以上でもそれ以下でもない。だが、この女から殺伐とした感じを受けないのは何故だろう。
「――お父さん!」
掛けられた声に、直哉が驚いて振り返る。友子が立っていた。絆創膏が貼られた顔で片眉を吊り上げている。何故か、憤慨している様子だ。
コーヒーメーカーの前で屈む、パンツスーツ姿の鷹野を一瞥する友子。確かにスタイル抜群の美人である。腰のくびれも大したものだ。到底かなわない。しかしながら、自分の父親がそれに目を奪われているというのは見過ごせない。腹が立つというか、恥ずかしいというか情けない。
直哉に顔を寄せ、耳元で囁く友子。
「何処、見てるのよ。視線がいやらしーよ」
直哉が鼻で笑う。
「勘違いするな、バカ」
軽く受け流し友子の顔を覗き込んだ。
酷い顔だったが、減らず口を叩けることに少し安心した。お転婆なのは分かっているつもりだが、さすがに今回は度を超えていた。しかし、一喝する気にもなれず、無言のまま穏やかな表情を浮かべた。
友子は少し照れくさそうにして、尖らせた口のまま顎を引いた。
「……何よ、怒らないの?」
頷いた直哉。ポンと友子の頭を叩いた。
「ああ」
友子はバツが悪そうに首をすくめた。
「……ごめんなさい」
「はいはい……あんまり、無茶するなよ」
「……うん」
直哉の気持ちを察した友子。微笑みで返す。
安堵の吐息を漏らした直哉。実際のところ、この件に関して友子に非は無いのだ。娘の顔を見て安心したと同時に、再び腹立たしい気持ちが沸き起こる。
険しい表情で視線を新垣に向ける直哉。友子は不安げに、それを窺う。
「――よろしいかしら?」
両手に持ったコーヒーカップを差し出した鷹野。優しい笑顔を友子に向ける。
「大したことなくて、良かったね」
「……はい」
苦笑する友子。勢い余った行為を再び反省する。
話が終わったらしく、越谷がこちらにやって来た。後ろには新垣の姿もある。あからさまに、厳しい表情で迎える直哉。
新垣は気もそぞろだった。何故なら、先ほど新垣のストーカー行為を聞いた直哉が激高して、新垣に掴み掛かっていたのだ。越谷の目配せに、鷹野が一歩前に出て様子を窺う。さすがに、直哉は落ち着いていた。
直哉の前に立った新垣。俯き加減で口を開く。
「……お嬢さんを巻き込んでしまい、申し訳ありません」
痛々しい顔の友子を心苦しく横目で見た。沈黙で応える直哉。
「本当にすみません。奴らにお嬢さんのことが知れてしまって……それで、協力しないとお嬢さんにも危害を加えると脅されて……だから、何としても助けなければと思って……でも、結果的にこんなことになってしまって……本当に申し訳ありません」
辛そうに顔をしかめる新垣。自分勝手な言い訳としか受け取れない直哉は憤りを隠さない。だが、友子はキョトンとして微笑んだ。
「……詳しくは分からないけど……私を守ろうとしてくれたんだ」
はにかむ友子。その態度に唖然とする直哉。
「はぁ!? 友子。お前、やばい奴らに拉致されそうになったんだぞ! 分かってるのか?」
「分かってるけど……何とか乗り切ったじゃん。それに、悪いのはあの連中でしょ?」
売り言葉に買い言葉なのか、胸を張って見せる友子。
「そうだが、巻き込んだこいつが悪いんだろうが!」
「でも、一番悪いのはあの連中。巻き込まれたのは、二人の関係がたまたまそうだったからで……私の方も、なんていうか……」
「か、関係って……何だ、他に何かあるのか?」
「な、無いわよ!」
「本当か!?」
「本当よ! そうやって、何でもかんでも干渉しないでよ!」
ヒートアップする二人。新垣は目が点になっていた。越谷と鷹野は顔を見合わせる。
「はあ? 問題は、そこじゃないだろ! それに、親が子供に干渉して何が悪い」
「悪いわよ!」
「何! 今回だって、さっきの、誰か知らないが……あの女が助けてくれなかったら、どうなっていたか分からないんだぞ。よく考えろ!」
「そんなこと、分かってるわよ!」
「分かってない。お前は大人の世界を甘く見ている」
「くっ……」
痛いところを突かれた友子。口を尖らす。偽警官に絞めらた頸に手を当てる。反論できない。だけど、引き下がるのは悔しい。
「……そ、それはそうとして、お父さんの打撃……あの人に全部見切られてたじゃない。どうなってんの?」
「あっ?」
勢いに任せて、畳み掛ける友子。
「手加減したの? ……腕が鈍った? ……一枚上手? ……あの人、何者なの?」
「知らんわ! ……今は、そんな話をしてるんじゃない!」
直哉が睨む。友子はプイっとあらぬ方向を向いた。
様子を見守っていた越谷が割って入る。
「――よろしいですかね……」
越谷は新垣を一瞥してから、直哉を見据えた。
「彼の身柄は我々の方で預かります。状況からして、保護が必要と考えますので……」
直哉は感心なさげに頷いた。
「篠崎さん。あなたも、色々とお知りになりたいでしょうが、我々も情報を精査しなければ何とも言えません」
「ええ、そうでしょうね」
「詳細は後日ということで、宜しいかな? もちろん、お話しできたことでも他言無用でお願いしたい」
「分かりました」
素直に答えた直哉。娘が巻き込まれてしまっては、これ以上首を突っ込む訳にもいかない。自分が追っていた案件との関わり合いは見えないが、今はなるべく友子をこの件から離す必要がある。それが優先だ。
「今日は、もう帰っても?」
「ええ。ですが、念のため警護を付けさせて下さい。よろしいですか?」
「……はい」
少し考えた直哉だったが、越谷の提案を聞き入れた。友子は巻き込まれただけだが、相手の顔を見ている。何らかの理由で、今後も狙われる可能性が無いとも言えない。
「クマ、済まないな」
内閣府関連施設からの帰り道。パジェロロングのハンドルを握りながら、助手席に座る熊田を一瞥した直哉。
「構いませんよ」
何かしら不安を拭えない直哉は、熊田に応援を頼んでいた。運良く近くにいて、足を運んで貰った。もちろん友子の護衛だ。丸腰でも、こいつを倒すのは容易ではない。昔グリズリーと呼ばれていたのは伊達ではない……多分、今もそのはず。
直哉は苦い顔で続けた。
「それから、今回の件も……」
「問題ないですよ。友ちゃんが巻き込まれているとなったら、ネタなんていくらでも放りますよ」熊田は自分の胸を叩いた。「確かに、面白くなってきたとこですけどね……」
熊田はサイドミラーを覗き込む。パジェロの後ろには黒塗りのクラウンがぴったり付いて来ていた。越谷が要請し警視庁から来た警護課の連中だ。
「しかし、物々しいですね。相手は何者です?」
「分からん」
「話からすると、かなり組織的ですね」
「だな」
「警官を装っていたとか」
「ああ」
「それ……派遣屋かな」
「何だ、それ?」
「ヤバい仕事を請け負う連中のことです。裏の人材派遣。そういうサイトがあって、ネットで雇うんですよ。雇われるのは札付き共ですが、派遣元も依頼主も一切繋がらないようになってます。もちろん、誰でも依頼できる訳じゃなくて……プロご用達的なね」
「噂で聞いたことある……やけに、詳しいな?」
「まあ、この世界でいろんなことやってると、そんな話も耳に入ってきますよ。逃げた連中が依頼主ってとこでしょう」
「なるほど……」
少し複雑な顔。直哉は何か言いたげだったが口を噤んだ。熊田は話題を変えるように、後部座席の友子に一瞥をくれた。
「それにしても驚いたね。友ちゃんがストーカーされてたなんて」
表情を険しくする直哉。
「通学のバスで目を付けられたようだが、少し前に近所の公園をウロウロしてたのもそいつらしい」
「しかし、とんでもない奴に、好かれちまったね。友ちゃん」
熊田に茶化された友子だが、神妙な顔で身を乗り出した。
「でも、そんなに悪い人ではないんだよ」
熊田は目を丸くして、運転席を見遣った。
「おいおい、友ちゃん……どうなってるんですか? 篠崎さん」
「……だろ? さっき、そのことで喧嘩したばかりだ」
呆れ口調の直哉。熊田も同感の様子で言う。
「ストックホルム症候群かよ……いや、ナイチンゲール症候群か……」
「両方違うわよ! 確かにストーカー行為は許せないけど、責任を感じて私を守ろうとしてくれたのよ……あんな、危ない連中相手に」
同意を求めるような友子。直哉は返事を濁したが、熊田は失笑する。
「でも、そいつ友ちゃん助けに来て、友ちゃんに投げられちゃったんだろ。笑える。偽警官にも抵抗できず……いいとこ無しだけど?」
「それは、そうだけど……真剣だったよ……そこまで言わなくても……」
しゅんとなった友子。だが、熊田は追い討ちを掛ける。
「いいや。そいつは、もしかすると機密情報に関わる犯罪者かもよ。そんでもって、ストーカー。きっと、友ちゃん見て変なこと想像してたキモイ変態野郎だって」
熊田が卑猥な表情でニヤける。
「……」
俯いて、ふさぎ込む友子。
「――あれ? 友ちゃん?」
「……」
「もしかして、怒った?」
「……」
「ね? ね?」
友子は勢いよく顔を上げて歯を見せた。全力のしかめっ面。
「い――だ! クマちゃんなんて大嫌い!」
「……あらら」




