壱 帰るところ カエルトコロ
雨は夕刻から降り始めた。
初めは軒先を濡らす程度だったものが、暮六つを過ぎるころには往来を白く煙らせていた。道の土は人の足跡をひとつずつ呑み込み、提灯の灯は濡れた路面で細長く揺れている。町の輪郭が少しずつ水に溶けていく。
誰がどこから来て、どこへ帰るのかまで、雨が曖昧にしてしまう夜だった。小料理屋・砂丘屋の縄暖簾から、煮魚と酒の匂いがそんな雨の町へ漏れていた。戸を開ければ、外とはまるで別の世界だった。
炭の赤。
湯気。
酒の匂い。
人の声。
雨に濡れた者が一度だけ肩の力を抜ける、そういう灯が砂丘屋にはあった。「のいさん、そこ退きな。邪魔だよ」
お綿が盆を片手に、乃維助の肩を軽く小突いた。
浪人・斎藤乃維助は徳利を持ったまま、面倒そうに腰をずらした。
「俺はさっきからここにいる」
「あたしはさっきから働いてるんだよ」
お綿は悪びれもせず、その空いた場所を通り抜けた。
板場の奥から包丁の音がした。
炭火の上では鰯が焼けている。皮がぷつりと裂け、脂が炭へ落ちるたび、小さな炎が舌を出した。頃合いを見て魚が返され、仕上げに醤油をひと刷毛。焦げた醤油と脂の匂いが店いっぱいに広がった。
乃維助の目が、ほんの少しだけそちらへ動く。お綿は見逃さなかった。
「もう少し待ちなよ」
「何も言ってないだろうが」
乃維助が不満そうに目を戻す。
「顔がそう言ってるよ」
お綿は笑って小鉢を置いた。浅蜊を酒で蒸したものだった。殻の隙間から乳白色の身が覗き、刻んだ葱が散っている。その横には蕪の浅漬け。派手なものは何もない。だが湯気の向こうに並んだ料理は、どれも「もう一杯」と人の手を徳利へ伸ばさせる顔をしていた。
「僕ここ来ると帰りたくなくなるんだよなあ」
由ノ吉が猪口を傾け、しみじみと言った。
「もう帰れよ」
乃維助は鰯を待ちながら即答した。
「のいさんに言われたかないよ」
由ノ吉が口元を歪める。吉原の妓楼・吉本屋の若旦那が砂丘屋にいること自体は珍しくない。由ノ吉は時折、廓の空気を脱ぐようにここへ来る。
乃維助はもっと頻繁だった。何も話したくない時ほど来る。
お綿は理由を訊かない。ただ飯を出す。徳利が空けば燗をつける。
話したければ聞き、黙りたければ放っておく。
人には、帰る家とは別に、何も説明しなくていい場所が要る。砂丘屋は乃維助にとって、そういう場所だった。
「しかし最近、この辺は物騒だね」
店の隅で飲んでいた桶屋が、不意に声を上げた。
「物盗りか」
乃維助が訊く。
「いや……出るんだよ」桶屋は声を落とした。
「出るって何が?」由ノ吉が面白そうに身を乗り出す。
「これだよ」
桶屋は手首をだらりと曲げ、白目を剥き、口を半開きにした。ご丁寧に舌まで出した。由ノ吉の目が少しだけ上がる。お綿は露骨に嫌そうな顔をした。「またその話かい」
「見た奴がいるんだよ。雨の晩に、この店の裏でさ」
桶屋はますます声を潜めた。
白い着物。
濡れた髪。
顔は見えない。
店の裏口のところに立っている。
気づかず通り過ぎると、後ろから下駄の音がついてくる。
からん。
からん。
振り返れば、誰もいない。
また歩く。
からん。
からん。
雨音の中から二つだけ足音を拾い上げるように、それはいつまでも後ろについてくるという。
「酔っ払いだろ」
乃維助が鼻で笑った。
「夢がねえなあ、のいさんは」
由ノ吉が残念そうに猪口を回す。
「夢ってお前、幽霊に夢を求めるな」
「幽霊くらい夢があってもいいだろ」
「死んでからまで期待されちゃ死人も大変だな」
乃維助が真顔で言うと、お綿が吹き出した。
その時、板場の奥から低い声がした。
「俺も見た」
板前の桑吉だった。包丁の音が止まっている。店の笑い声も一緒に切れた。
お綿だけが燗徳利を持ったまま、ゆっくり桑吉へ目を向けた。
乃維助が猪口を置く。
「いつだ」
「三日前。店仕舞いの後」
「どこで」
「板場の奥」
「女か」
桑吉が頷いた。
「顔は?」
「見えなかった」
「酔ってたんだろ」
「あの時は飲んでねえ」
桑吉はそれだけ言うと、また魚へ向き直った。
乃維助は出てきた鰯を一口食った。皮がぱりっと割れ、熱い脂が舌へ広がる。大根おろしを少し乗せると、脂の重さがすっと消えた。
「うまい」
「今その鰯の話じゃねえだろ」
板場から桑吉の声が飛んだ。由ノ吉が笑う。
「のいさんは幽霊より鰯の方が信用できるんだよ」
「鰯にゃ足は無ぇが、間違いなくこの世にいるからな」
乃維助はもう一口食った。
その時だった。店の外で、何かが鳴いた。
細い声。雨に消えそうな声だった。一度だけ。お綿が顔を上げた。
「何だい、今の」
戸を開ける。雨の向こうに、小さな塊がいた。
犬だった。
白と黒の長い毛が泥と雨に濡れ、細い身体へ貼りついている。鼻は短く、目ばかりが大きい。泥まみれなのに、顔立ちだけは妙に品があった。首には擦り切れた紐と、小さな鈴が残っていた。
「狆か」
そう言って由ノ吉が立ち上がった。犬は逃げる気力もないのか、ただ震えている。お綿がその前にしゃがんだ。
「お前、どこの坊ちゃんだい」
手を伸ばす。犬は少し身を引き、かすかに唸った。だが噛もうとはしない。「お腹減ってんだろ」
お綿の声が自然と柔らかくなる。「拾うなよ」板場から桑吉の声がした。
「まだ拾ってないじゃないよ」お綿が犬から目を離さず答える。
「その言い方の時は拾うんだ」
お綿は聞こえないふりをして、犬を抱き上げた。
軽かった。驚くほど軽い。濡れた毛の下に、細い肋骨が指へ触れた。
「こんな小さいのが、よくここまで来たねえ」
お綿が背中をゆっくり撫でる。板場では魚の骨を外す音がしていた。
ほどなく、味のついていない白身が小皿に盛られて出てきた。
お綿が板場を見る。
「拾うなって言ったの誰だい」
「放っておくわけにもいかねえ」
それだけ聞こえた。乃維助は黙って酒を飲んでいた。
由ノ吉は犬を見ている。
いや。犬が見ている先を見ていた。板場の奥。灯の届かない隅だった。
「のいさん」由ノ吉の声から笑いが消えた。
「なんだ」
「こいつ、さっきからずっと同じところ見てる」
乃維助が振り返る。何もない。ただ暗がりがあるだけだった。
「鼠か何かだろ」
乃維助がそう言った瞬間、犬が低く唸った。小さな身体から出たとは思えない、腹の底へ響く声だった。
由ノ吉はもう笑っていなかった。
*
翌日も犬はいた。その翌日もいた。どこから来たのかは分からない。近所の者に訊いても知らないという。上等な犬だから、どこかの商家か武家から逃げたのだろうとは思われた。だが、探しに来る者はいなかった。
三日目、お綿が言った。
「三太郎」
乃維助が味噌汁から顔を上げる。
「なんでだ」
「この子の顔がそう言ってる」
お綿は当然のように答えた。
「犬の顔から名前が読めるのか」
「ゆん坊よりはね」
「なんで僕と比べるのさ」
由ノ吉が三太郎を抱き上げ、不満そうに言った。
三太郎は由ノ吉によく懐いた。お綿にはもっと懐いた。板場へ行けば魚が出てくることもすぐ覚えた。そして乃維助には、なぜか勝手について回った。「来るな」
乃維助が店を出る。三太郎がついてくる。
「お前んちは砂丘屋だ」
ついてくる。
「聞け」
乃維助が振り返って睨む。三太郎は一度座った。乃維助が歩き出す。
またついてくる。由ノ吉が腹を抱えて笑った。
「完全になめられてるよ、のいさん」
「犬に上下なんぞ分かるか」
「じゃあ同格なんだ」
「黙れ、ゆん坊」
そんな日が幾日か続いた。だが、濡れた女の噂は消えなかった。むしろ増えていった。
雨の夜だけ。
砂丘屋の裏。
白い着物。
濡れた髪。
からん、からんと後ろからついてくる下駄の音。
噂というものは雨染みとよく似ている。最初は小さな一点でも、放っておけばいつの間にか天井いっぱいに広がっている。
そしてとうとう、お綿自身が声を聞いた。
夜中だった。客を帰し、一人で店の戸締まりをしている時だった。
――帰っておいで。
女の声だった。
耳元からではない。
遠くからでもない。
頭の中へ水滴が一つ落ちたように、声だけが直接響いた。
お綿は戸締まりの手を止めた。
少しの間、黙っていた。
それから暗い店へ向かって言った。
「何処にさ」
返事はなかった。
雨だけが屋根を叩いていた。
*
翌朝。
乃維助は話を聞き終えると、味噌汁をすすった。浅蜊の身を箸でつまむ。
「そりゃ夢だろ」
お綿が目を細めた。
「ずいぶん便利だね、その頭は」
「お前、朝から晩まで立ちっぱなしだろ。疲れてるんだ」
乃維助は浅蜊を口へ放り込んだ。
「はいはい」
お綿は呆れたように湯呑みを置いた。由ノ吉は笑わなかった。
「お綿ちゃんその声、怖かった?」
由ノ吉が訊いた。
お綿は少し考える。
「いや」
「怒ってた?」
「それも違うねえ」
「じゃあ、悲しかった?」
お綿の手が止まった。しばらく考えてから、ゆっくり頷く。
「……そうかもしれないね」
由ノ吉は店の奥へ目をやった。
暗い板場の隅。三太郎が最初の晩から気にしている場所だった。
「怒ってるんじゃないのかもしれない」
「何がだ」
乃維助が怪訝な顔を向ける。
「女」
「……死人の気持ちまで読むな、ゆん坊」
乃維助が露骨に嫌そうな顔をする。
「死人かどうか、まだ分かんないだろ」
由ノ吉が真顔で返した。
乃維助は箸を止める。
「……そこからかよ」
お綿が吹き出した。その時、三太郎が立ち上がった。板場の隅へ歩いていく。床板の前で止まった。
鼻を鳴らす。
一度。
二度。
それから前脚で床を掻き始めた。乃維助が立った。
「そこか?」
床板を外す。湿った土の匂いが、長く閉じ込められていた息のように上がってきた。中から小さな包みが出てきた。油紙はほとんど腐っていた。
中には女物の櫛。欠けた簪。文字の滲んだ手紙。乃維助が慎重に広げた。
読めるところは少ない。待つ。帰る。約束。残っていた言葉は、それだけだった。たった三つの言葉なのに、それだけで誰かの一生が透けて見える気がした。近所の古老を訪ねると、昔この辺りには長屋があり、一人の女が住んでいたという。男の帰りを待ち続けていた。病で死んだとも。川へ入ったとも。男は結局帰らなかったとも。話す者によって、少しずつ違う。
「それだけか」
乃維助が訊いた。
老人は皺だらけの顔で笑った。
「それだけだ」
乃維助は何も言わなかった。事実というものは時間が経てば欠けていく。
最後に残るのは、誰かが覚えていた形だけなのかもしれない。
*
その夜も雨だった。乃維助と由ノ吉は帰っていった。板場も静かだった。
お綿は一人、店を片づけていた。鍋を洗う。包丁を拭く。残った出汁を甕へ移す。炭を落とす。毎晩やっていることだった。手が順番を覚えている。考えなくても身体が動く。最後に暖簾を外そうとした。その時だった。
――帰っておいで。
お綿の手が止まった。今度ははっきり聞こえた。
「またあんたかい」
返事はない。
お綿がゆっくり振り向く。
店の奥に女が立っていた。
白い着物。
濡れた髪。
袖から水が、ぽたり、ぽたりと床へ落ちている。
顔は伏せていた。
外で降る雨とは別の雨を、その女だけがずっと浴び続けているようだった。
お綿は動かなかった。
女が一歩近づく。
灯が揺れた。
もう一歩。
空気が冷たくなる。
「帰っておいで」
今度は唇が動いた。
お綿は女を見た。
怖くないわけではなかった。
脚は重い。
背中には冷たい汗が流れている。
それでも逃げなかった。
「あのね」
お綿が口を開いた。
声は少し震えていた。
「悪いけどね」
女がもう一歩近づく。
お綿は顎を上げた。
「帰るところなら、あたしが自分で決めるよ!」
女の顔が上がった。
その瞬間、灯が消えた。
闇。
雨音。
冷たい空気。
見えないものが一気に距離を詰めた気配がした。
そして。
一声。
三太郎だった。いつからそこにいたのか分からない。小さな身体がお綿の前に立っていた。毛を逆立て、四本の脚で床を踏ん張っている。
「三太郎!」
お綿が声を上げる。三太郎は女のいる闇を睨んだ。低く唸る。お綿や由ノ吉の前では見せたことのない、獣の顔だった。
一声、吠えた。
闇が揺れた。
二声。
女の輪郭が滲んだ。
三声。
見えない水面へ石を投げ込んだように、空気が大きく波打った。三太郎は退かない。むしろ一歩前へ出た。そして突然、何もない空間へ飛びかかった。何かが弾けるような音がした。闇の中に青白い光が一瞬走りすぐに消えた。
灯が戻った。
女はいなかった。
雨音だけがある。
床には、あの古い櫛が落ちていた。
三太郎が近づき、それを器用に咥えた。
お綿はその場へ座り込んだ。
「……あんた」
三太郎が振り向く。
お綿は笑おうとしたが、うまく笑えなかった。
「何者だい」
三太郎はお綿の前まで来ると足元でそっと口を開き櫛を放した。そして
ばきり、と音がした。
三太郎が櫛を噛み砕いた。
もう一度。
そしてもう一度。
古い櫛は、とうとう原形をなくした。
三太郎はその欠片を見下ろし、満足したように小さく鼻を鳴らした。
*
翌朝。
乃維助は話を聞き終えると、味噌汁をすすった。朝の光が砂丘屋の格子から斜めに差し込んでいる。昨夜ここに何かいたなどと、朝は少しも信じていない顔をしていた。
「そりゃ夢だろ」
乃維助が平然と言った。
由ノ吉が目を丸くする。
「ここまで聞いて、それ?」
「犬が吠えて目が覚めた。それだけだ」
乃維助は浅蜊の身を箸でつまんだ。
「便利だねえ、のいさん。理屈って」
由ノ吉が半ば感心したように呟く。
「便利だから使ってる」
「見事だね」
「褒めるな」
「褒めてないんだけどね」
お綿は二人を放っておき、三太郎の皿へ鯛の身を丁寧にほぐしていた。
乃維助の目がそちらへ向く。
「おいお綿それ昨日俺が食ったやつより上等じゃねえか」
「命の恩人だからね」
お綿は三太郎を優しく見つめながら答えた。
「俺も何度かお前を助けてるぞ」
お綿が手を止め、乃維助を見る。
「いつだい?」
乃維助は黙った。由ノ吉が肩を震わせる。
「三太郎の勝ちだな」
「ゆん坊、お前は黙ってろ」
乃維助が睨む。由ノ吉は笑ったまま三太郎を見た。
だが、その目から笑いが少し消えた。
三太郎は鯛を食べ終えると、何事もなかったように前脚を舐めている。
「のいさん」
「なんだ」
「昨日のあれ、夢じゃないと思うよ」
乃維助が面倒そうに由ノ吉を見る。
「見てもいないのに分かるのか」
「三太郎がいるから」
由ノ吉が静かに答えた。乃維助の眉がわずかに動く。
「犬だぞ」
「うん」
「犬がどうした」
由ノ吉は三太郎を見たまま、小さく笑った。
「いや。犬でよかったなと思って」
「意味が分からん」
「分からなくていいよ」
乃維助が何か言い返そうとしたところで、お綿が椀を置いた。
「朝飯時に化け物の話はそこまで」
湯気の立つ飯。葱の浮いた汁。甘辛く煮た穴子。冷やの酒。昨夜の闇は、飯の匂いの前ではずいぶん遠く感じられた。お綿は三太郎を見た。
「お前、帰るところないんだろ」
三太郎が首を傾げる。「じゃあ、ここにいな」お綿が何でもないことのように言った。三太郎は少しお綿を見上げた。それから尻尾を振った。
由ノ吉がその様子を見て、小さく笑う。
「決まったね」
「何がだ」乃維助が訊く。
「帰るところ」
お綿は何も言わず、三太郎の頭を撫でた。
*
それから数日後。雨は上がっていた。長く濡れていた町は朝日を浴び、軒から残った雫をぽつりぽつりと落としている。飯を終えた乃維助が砂丘屋を出た。三太郎が後ろからついてきた。
「おい」
乃維助が振り返る。三太郎は止まらない。
「お前んちはあっちだぞ」
乃維助が砂丘屋を指す。三太郎は一度も見なかった。そのまま乃維助の足元まで来る。
店先からお綿が笑った。
「連れていきな、のいさん」
「俺の犬じゃない」
「三太郎はそう思ってないみたいだよ」
お綿が暖簾に手をかけたまま言う。
「のいさんより人を見る目あるな」
由ノ吉が横から口を挟んだ。
「余計なことを言うな」
乃維助が睨む。由ノ吉は三太郎を見た。
「でも不思議だねえ」
「何がだ」
「帰るところが出来た途端、今度は出歩きたがる」
乃維助は三太郎を見下ろした。三太郎も見上げる。人と犬が、しばらく無言で睨み合った。
「……勝手にしろ」
乃維助が根負けしたように歩き出す。三太郎は尻尾を振り、その横へ並んだ。由ノ吉が二人の背中を見て笑う。砂丘屋の暖簾の向こうには、お綿が立っていた。店の奥では朝の火が入り、出汁の匂いがゆっくりと立ち始めている。乃維助が歩き出すと、三太郎は当然のようにその横へ並んだ。
店先からお綿が声を飛ばす。
「夕餉までには帰っといで!」
三太郎は振り返らなかった。ただ、尻尾を大きく振った。
乃維助が横目で見る。
「聞こえてるじゃねえか」
三太郎は知らぬ顔で歩いた。帰る場所を知っている者の歩き方だった。
振り返れば、お綿の笑う顔の上で、砂丘屋の暖簾が揺れていた。
夜になれば砂丘屋にまた灯がともる。腹を空かせた者が来れば飯が出る。酒が欲しければ徳利が置かれる。
雨の夜に誰かを呼んでいた女の声は、それから聞かれなくなった。
ただ、雨上がりの軒先で三太郎の小さな鈴が鳴る度、お綿は時々戸口へ目をやった。




