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第六幕 剣の行き先⑥




第六章 脱出




 決行は処刑前日の夜だった。


 帝都の正面門前に、二つの人影が現れた。


 アルビオンが漆黒に輝く黒い剣を構えた。彼の持つ暗黒剣の黒い刃に、夜の闇が溶け込んでいた。精神力を刃に込める感覚は、五年間の修行が染み込ませたものだ。刃の縁が紫色に輝き、かすかに揺れるように見えた。


 一歩踏み込んだ。


 凝縮した一撃が城門の鋼鉄の扉に当たった。轟音が夜の帝都に響き渡り、分厚い扉が内側から押し割られたように砕けた。


「帝国の門番に告ぐ!」アルビオンは叫んだ。「解放軍、アルビオン・ブロムウィッチ参上!束になってかかってこい!」


「ちょっと! 派手にやりすぎだってば、バカビオン!」


 傍らの物陰から、ジュノがマスケット銃を構えながら鋭い声を飛ばした。彼女の指は、冷たい銃身をなぞり、火蓋の準備を完璧に整えている。


「陽動でしょ? これじゃ帝都中の兵隊がここへ集まってきちゃうじゃない!」


「いいんだよ、ジュノ。派手であればあるほど、裏をかくアランさんたちの道が安全になる。ほら、お前も一発ぶちかましてやれ。祝砲代わりにさ」


「もう……! 面白がって作戦立てないでって言ってるのに」


 ジュノは文句を言いながらも、銃口を空へと向けた。


 ――ぱぁん、と耳を弄する甲高い銃声が夜空に響き、火薬の煙が辺りに立ち込める。


 近衛兵が正面門に集まり始めた。走る足音。怒号。松明の光が増えていった。


 その混乱の中で、城内の別方向からグレイドルの声が上がった。落ち着いた、しかし通る声だった。将軍の声は訓練された兵士の反射を引き出した。警備が分散した。


 その隙を突き、アラン・モールは二十人の精鋭とともに「排気用の旧通路」の暗闇を突き進んでいた。

 石壁は湿り、頭上からは地下水の滴る不気味な音が響く。アランの心臓は、怒りと焦燥で早鐘を打っていた。


 地下通路は暗く、狭かった。


 人一人がようやく通れる幅だった。二十名が一列になって進んだ。先頭のアランがランタンを持ち、後続が壁を手で触れながら進んだ。石壁が湿っていた。どこかで水が滴る音がした。


 百歩ほど進んだところで、アランは立ち止まった。


 突き当たりに古い木製の扉があった。


 錠が古く、錆びていた。アランは肩を当てた。一度目、扉が軋んだ。二度目、蝶番が悲鳴を上げて、扉が内側に崩れた。


 地下牢の廊下に出た。


 石造りの天井が低かった。蝋燭の炎が揺れ、長い影が床を這った。


 廊下に警備が二人いた。


 アランは動いた。右の一人の背後を取り、腕で首を固めた。声が出る前に意識を落とした。左の一人が振り向いた瞬間、後続の兵が取り押さえた。床に引き倒し、口を塞いだ。


 制圧に十秒と経っていなかった。先へと進む。


 通路の先に六つ並んだ重い鉄扉が現れた。これが牢獄か。この中のどこかにロートがいる。アランがどれだ、と目を走らせた時、背後の闇から凛とした声が響いた。


「――手前から三番目よ。迷っている暇なんてないわ」


 全員が弾かれたように振り返る。


 そこには、ランタンの光を手に、燃えるような赤い髪をなびかせた女性が立っていた。


 第一騎士団の真紅の甲冑、腰には細身の長剣。その深紅の瞳には、一切の迷いがない。


「……あんたが、グレイドル将軍の娘、シェルファニールか」


 アランが低く問うと、彼女は鼻で笑い、手の中にあった鉄の鍵束を投げ渡した。


「ロートは三番目。……本当、あの子の周りには不器用な人間しかいないのね。お父様も、あなたも。そして、あの子自身も、ね」わずかに微笑みを浮かべながら、シェルファニールは小さく言葉を区切って続けた。「――ロートリットを、連れて行って。あの子は、ここで死ぬべき人間じゃないわ」


 アランは鍵を受け取り、三番目の牢の鍵穴に差し込んだ。


 重い扉が、嫌な音を立てて開く。


 そこには、数日前までの凛々しい姿とは程遠い、憔悴しきったロートリットが座っていた。


 紺碧のマントは剥ぎ取られ、煤けた肌着は薄く、骨まで凍みる冷気にその肩が微かに震えている。


「……アラン…か?」


 顔を上げた彼女の瞳は、暗闇に慣れすぎて、ランタンの光に痛ましげに細められた。


「遅れてすまなかった、隊長。待ちくたびれたか?」


 あまりの痛々しい姿に、アランの声は震えていた。彼は即座に自分の厚手のマントを脱ぎ、ロートリットの肩を包み込むように羽織らせた。


「……すまない。計算外のことが多くてな」


 ロートが立ち上がろうとするが、膝に力が入らず壁に手をついた。アランがその細い体を横から支える。その腕のあまりの軽さに、アランは帝国の狂気への怒りを再燃させた。


 そこへ、シェルファが歩み寄った。


「ロートリット・テンペスト。……あんたって、本当に救いようのないバカね」


「シェルファ……」


「まったくもう。皇帝にあんな正論を吐いて、何が変わると思ったの? 自分の命をチップにするなんて、合理的でもなんでもないわ。ただの、自己満足よ」


 シェルファニールの言葉は鋭かったが、その瞳には涙が溜まっていた。


「……私は、事実を捻じ曲げることはできない」


「知ってるわよ、わたしと同じね。それに、あなたがそういうやつだってことくらい、一緒に育ったわたしなら、嫌でも分かるわよ。……でも、だから、わたしもここに来た。あなたのその『バカ』に付き合うためにね。ほら、立ちなさい。案内してあげる。ついてきなさい」そう言って、シェルファニールは少しだけ笑みを見せた。「今、この瞬間だけは、わたしの後ろがあなたの定位置よ」


 ロートは、シェルファの背中を見つめた。かつて士官学校の廊下で、一度だけ立ち止まったあの背中。


「……ありがとう、シェルファ」


「礼なんて言ったら、今度こそ絶交だからね。こっちよ!」




脱出は、困難を極めた。


 旧通路へ戻る廊下の角を曲がった瞬間、正面から重装備の近衛兵の一団が現れた。さらに背後からも、異変に気づいた追っ手の足音が近づいてくる。


 完全な挟み撃ち。


「クソッ、二十人でこいつらを突破するのは……!」


 アランが剣を抜き放つ。いくら彼が歴戦の傭兵でも、戦えないロートを守りながらの乱戦は全滅を意味していた。


 その絶望的な状況を破ったのは、前方の闇から響いた、聞き覚えのある澄んだ声だった。


「――そこまでだ。道を開けろ」


 前方から現れた集団の先頭。


 ランタンの光を浴びて、金色の短い髪が輝いた。青い瞳が、冷徹に近衛兵たちを射抜く。


「叔母上。約束通り、迎えに来ましたよ」


 ロンバルティア・ライム。その人だった。


 彼が率いる解放軍の精鋭たちが、通路の先を塞いでいた近衛兵たちを、圧倒的な連携で瞬く間に無力化していく。


「ロンバルティア……なぜ、お前が城内まで」


 ロートリットが驚愕に目を見開くと、少年はわずかに口角を上げた。


「あなたを救いたかった、それだけの理由です。……さあ、ここは僕たちが引き受けます。アランさん、叔母上を。外にはアルビオンたちが道を空けて待っています」


 ロンバルティアの合図とともに、解放軍の兵たちが追っ手に向かって壁を作った。


 アランはロートリットを抱え上げるようにして、一気に通路を駆け抜けた。





 帝都の外壁を抜け、深い森にある解放軍の隠れ家に辿り着いた時、東の空がゆっくりと白み始めていた。


 夜明けの光が、数日間地下に閉じ込められていたロートリットの頬を優しく照らす。


 さっきまで先導してくれたはずのシェルファニールの姿は、いつの間にか消えていた。彼女は帝国の騎士としての立場を守るため、城内の混乱の中で自らの足跡を消し、父グレイドルの元へ戻ったのだ。それが、彼女なりの「ロートリットを守るための」最後の選択だった。


「……隊長、少しは落ち着いたか」


 アランが、水袋を差し出しながら尋ねた。


「まだ少し、眩暈がする。……しかし、外の空気は、こんなに美味かったのだな」


 ロートリットは深く息を吐いた。顔色はまだ青白いが、その瞳には再び、あの透明な光が戻っていた。


 そこへ、血と煤にまみれたロンバルティアが歩み寄ってきた。彼は一晩中指揮を執っていた疲れも見せず、凛とした佇まいでロートの前に立った。


「叔母上。改めて、お迎えに上がりました」


「ロンバルティア。……お前という少年は、兄上以上に無茶をするようだな」


「それが、あなたと同じ、テンペストの血族なのかも知れません」


 ロンバルティアは静かに微笑み、それから真剣な眼差しで彼女を見つめた。


「叔母上に、聞きたいことがあります。……あなたは昨日、帝国の法によって殺されるはずでした。あなたが守ろうとした帝国は、あなたを拒絶した。……ならば、これからのあなたの『剣』は、どこを向くのでしょうか?」


 ロートリットは、明けゆく空を見上げた。


 そこには、かつての父ゼイラムが見上げ、兄エルヴィンが夢見たのと同じ星が、最後の光を放っていた。


「……命令に従うだけの私は、あの監獄で死んだ」


 ロートリットは、マントを強く握りしめた。


「私の行き先は、まだ分からない」と言った。「しかしお前に、一つ答えを言える」


「はい、何でしょうか?」


「帝国の命令には、もう従わない」ロートは言った。「それだけは、今決めた」


 ロンバルティアは黙っていた。


「続きは、少し眠ってから話す」とロートは言った。「四日間全く眠れなかった。頭が回らない」


「それはすぐに休んでください」ロンバルティアは言った。「続きは起きてから話しましょう。急ぎません。ゆっくり答えを考えて下さい」


 アランが「俺が言っても聞かないくせに、甥の言うことは素直に聞くんだな」と少し不貞腐れて言った。


「お前が言い方を学べば良い話だ」とロートは言った。


「そんなのどこで教えてくれるんだ。士官学校か」


「そんなものは知らん。自分で考えろ」ロートは少しだけ笑った。


「さっきまでフラフラだったくせに、元気だな。隊長」アランも安心したように、少しだけ笑う。


 ロンバルティアも少し口の端を上げた。「今、馬車をこちらに回します。ここから一番近い解放軍の前線基地で少し休みましょう」


 見上げると、夜明けの空が広がっていた。




 ロートは馬車に揺られている。帝都が遠くなっていく。


 新しい答えは、まだ出ていなかった。



 しかし今夜、一つだけ決めた。

 それで、今は十分だった。







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