第六幕 剣の行き先⑤
第五章 アランの決断
ロートが投獄された翌日の夜明け前、アランは第五騎士団の全員を帝都郊外の訓練場に招集した。
松明が等間隔に立てられた訓練場に、三千人が集まった。夜明け前の冷気が広場を包んでいた。誰も私語を交わさなかった。隊長が投獄されたという知らせは、昨夜のうちに全員に届いていた。
アランは台の上に立った。
普段より表情が硬かった。しかし声は揺れていなかった。
「隊長が投獄された。処刑は五日後だ」
広場に静寂が落ちた。松明の炎だけが音を立てた。
「俺は隊長を救いに行く。それだけだ」アランは続けた。「誰も従う義務はない。これは命令じゃない。断ってくれて構わん。ただ、一緒に来てくれる奴がいるなら、ありがたい」
台を降りようとした瞬間、ジャンが前に出た。
「俺も行きます」
声が広場に響いた。
「俺も」とアルマンが言った。「当然、俺もだ」とラサールが続いた。
それが波のように広がった。声が重なり、やがて三千人分の声になった。
アランは台の上で、その声を聞いていた。
目を一度閉じた。
「お前ら、恩に着る。だが、待て」と言った。声が広場に通った。「全員で動けば、帝国との全面衝突になる。それはわかって言っているか」
「わかっています」とジャンが答えた。「でも、俺たちは副長と隊長がいなければ、今ここにいません。南方で、東部で、ハール城で、ずっと一緒だった。今さら知らない顔はできないですよ」
「ジャン」
「副長」とジャンは続けた。顔が真剣だった。「俺たちが南方にいた時、副長は言いましたよね。隊長の剣になると。俺たちも同じです。副長が隊長の剣になるなら、俺たちは副長の剣になる。それだけのことです」
アランはしばらく黙っていた。
「……お前らの気持ち、受け取った」と言った。「ただし、作戦は俺が組む。勝手に動くな。無駄に死ぬな。生きて帰ることが最優先だ」
「帰ってきたら、隊長に叱ってもらいましょう」とジャンが笑った。
「ああ。そのためにも、あいつを絶対に助けないとな」
招集が終わった後、アランは一人で訓練場の端に立っていた。
夜が明け始めていた。東の空が薄く白くなっていた。
隣にジャンが来た。
「副長」
「どうした、ジャン」
「副長も、帝国を敵に回すのは怖いですか?」
アランは少し間を置いた。
「まあな。そりゃ怖い」と言った。「失敗すれば三千人が反逆者になる。隊長も俺たちも全員死ぬかもしれねえ。怖くないわけがない」
「でも、やるんですね」
「やる。怖くても、やれることはある。それは隊長に教わった」
「副長が隊長に教わったことを、俺たちは副長から教わりました」
「そうだな」アランは空を見た。「だから全員で生きて帰る。それが一番の恩返しだ」
アランが単独で帝都を出たのは、その日の昼前だった。訓練場の演説から、わずか数時間のことだ。時間は一刻を争う。処刑までに間に合わなけてば、意味がない。アランは目的地に向かって馬を走らせた。
彼の目的地である、解放軍の前線基地に辿り着いたのは、翌日の夕方だった。
案内もなく踏み込んだ形だったが、基地の入口で待ち受けていた兵士が「第五騎士団・副長のアラン様ですね。お待ちしておりました」と言った。
「情報が早いな」
「ロンバルティア様が昨日から、あなたが来ると言っていました」
通された天幕の中に、ロンバルティアがいた。アルビオンが隣に立っており、その少し後ろにジュノが座っていた。
ロンバルティアはアランを見て言った。「第五騎士団副長、アラン・モール殿。お待ちしていました」
「俺が来るのを、なぜわかっていた?」
「あなたが来ることは、予測できました。叔母上が投獄されて、動かない副長ではないと思っていた。それに」ロンバルティアは少し目を細めた。「あなたの動き方は、斥候が把握していました。二日前から追っていました」
「尾行か。全く俺は気づかなかったぞ」
「不快にさせたら申し訳ない。けれど、それが解放軍の情報網の強みです」
アランは椅子に座った。遠回しな話をする時間はなかった。
「単刀直入に言う。隊長を救いたい。力を貸してほしい」
「理由を聞かせてください」
「隊長が投獄されたのは、お前と会って撤退したからだ。直接の原因はあんたらとの会談にある。だから頼みに来た」
「……それだけですか?」
アランは少し間を置いた。
「それだけじゃない」と言った。「俺は隊長の剣になると誓った。どこへでもついていくと言った。隊長がもし消えたら、その場所に俺がいられるか?ということだ」
「消えた場所、というのは」
「隊長がいなくなった世界に、おそらく俺は生き続けることができん」
天幕の中が静かになった。
「……副長は、ロートリットさんのことが」アルビオンが言いかけた。
「何とでも言え。隊長が生きて帰ってくるのなら」とアランは遮った。「とにかく、俺はロートを助けに行く。一人でも行く。ただ、俺たち第五騎士団だけより、あんたらが力を貸してくれれば、成功する確率は大きい」
ロンバルティアはアランをしばらく見ていた。
それから言った。「安心してください、アラン副長。僕の心は決まっています。叔母上を助ける。それ以外の選択肢はありません」
「俺たちはあんたらの敵なんだぞ。本当にいいのか?お前が動く理由を聞かせてくれ」
「血の問題です」ロンバルティアは言った。「父の妹を、こちらが呼んだ形になって投獄させた。その責任がある。それと」
「それと?」
「叔母上は、私の言葉を聞いて撤退した。帝国への不信任を口に出した。僕が伝えたものが、叔母上を追い詰めた。叔母上は信頼に足る人間だと解りました。だから私が取り返す。それだけのことです」
机の上に地図が広げられた。
ロンバルティア、アラン、アルビオン、そしてジュノが囲んだ。
「地下牢の構造は」とロンバルティアが聞いた。
「この図面が手に入った」アランが別の紙を広げた。「帝国の旧い建築図だ。地下への入口は三箇所。二箇所は常時守備がある。残り一箇所は、普段使われていない旧い通路だ。二十年以上放置されているが、土台が石だから崩れていないはずだ」
「そこから入る」ロンバルティアは通路の位置を指で押さえた。「表は陽動で引きつける。アルビオン、お前に頼む」
「陽動なら任せろ」アルビオンは即答した。「正面でどれくらい騒げばいい?」
「一時間、引きつけてくれれば十分だ。大げさなくらいでいい」
「大げさなら得意だ」
ジュノがアルビオンの袖を引いた。
「あたしも連れてってくれるよね」
「当たり前だ。お前も来い」
「よかった」ジュノは少し表情を緩めた。「あなたはこういう時、絶対一人で突っ込んでいくから。そばにいないと心配で」
「まあ、俺は一人でも行けるけど」
「行かせないもん」
「……お前さ」アルビオンは少し困った顔をした。「なんでそんなに俺についてくるんだ」
「なんでって」ジュノはアルビオンを真っ直ぐ見た。「そんなの、あなたと一緒にいたいからに決まってるじゃない」
アルビオンは何も言わなかった。しかし耳が少し赤くなっていた。
ロンバルティアが二人を一度見て、地図に視線を戻した。咳払いを一つした。
「いいか?続けるぞ?」
「……すまん。続けてくれ」とアルビオンが申し訳なさそうに言った。
「アランさんは旧い通路から入ってください。精鋭を何人連れていけますか」
「隠密行動に長けた者で二十は出せる」
「二十で十分です。それ以上は地下では邪魔になる」ロンバルティアは言った。「牢の鍵をどうするかが問題です。叩き壊すのは時間が掛かりすぎる」
「それについては、内部に協力者が必要だ」アランは言った。「一人、心当たりがある」
「誰ですか?」
「第一騎士団団長、グレイドル・グランシール将軍だ」
ロンバルティアは少し目を上げた。「グランシール将軍は、帝国の人間です」
「そうだ。しかし、ロートを自分の娘のように育てた人間でもある。今回の投獄を、あの人が良しとするとは思えない」
「……会えますか」
「会ってみる。それだけの価値はあるだろう」
アルビオンが言った。「ロン、グレイドル将軍が動かなかった場合は」
「その時は別の方法を考える」ロンバルティアは言った。「ただ、動いてくれると僕も思っている。僕らの情報網から見ても、あの将軍は不正義を嫌う人間だ。帝国最大の功臣を証拠もなく処刑しようとしている事実に、黙っていられる人間ではないはずだ」
グレイドルへの接触は、さらに翌日の朝に行われた。処刑まではまだ二日ある。
解放軍の陣地から早馬で、わずか半日で戻ったアランが、単独でグランシール邸を訪ねた。
執事が取り次ぐより早く、グレイドル本人が玄関に出てきた。
「アラン・ヴィニュロー・フォン・モールか」とグレイドルは言った。「来ると思っていた。中に入れ」
通された書斎は、ロートが子供の頃に本を借りに来た部屋だった。棚に本が並んでいた。机の上に、手控えの冊子が一冊置かれていた。
「将軍」とアランは言った。「正直に話します。我々はロートリット隊長を助けに行きます。解放軍と協力して動きます。それについて、将軍に頼みたいことが一つあります」
「脱出の際に、城内の警備を引きつけてほしい、ということだな」
「……さすが、話が早い」
「考えれば分かる」グレイドルは椅子に座った。「お前のような男が単独で動くとすれば、外の戦力を引き込む準備をしてから、城内の協力者を求めに来る。解放軍との接触は済んでいるはずだ」
「その通りです」
「一時間でいいか」
「十分です」
グレイドルはしばらく黙った。
窓の外を見た。帝都に目覚めを告げる朝の輝きが、宮殿の尖塔を白く染めていた。
「わしはこれまで、軍人の務めとして帝国に従ってきた」と彼は言った。「間違っていると思うことがあっても、従ってきた。帝国という枠組みが正しいかどうかより、自分に課された役割を果たすことを優先してきた」
「……将軍」
「しかし」グレイドルは続けた。「帝国最大の功臣であるロートを、証拠も正当な手続きも抜きに処刑しようとしている。それはわしが守ろうとしてきた帝国の姿ではない。軍人の義務と、人としての筋が、初めてこれほどはっきりと矛盾した」
アランは黙って聞いた。
「ロートは」グレイドルは言った。「六歳でわしの屋敷に来た時から、ずっと真っ直ぐだった。誰かのために動く子供だった。成長しても変わらなかった。南方での報告を聞くたびに、ゼイラムに似てきたと思っていた」
「将軍は隊長を…」
「娘だ、と思っている」グレイドルは静かに言った。「血が繋がっていないが、娘だ。シェルファニールと同じだ。その娘が、正しいことをしたために牢に入れられている。それを放っておけるほど、わしは老いぼれてはいない」
立ち上がった。背筋が伸びていた。
「一時間ではなく、一時間半にしよう。一時間半でカタを付けろ。シェルファにも話す。あの子は既に何かを感づいているはずだ。黙っていられる性格ではない」
「将軍、しかしそれでは将軍自身が」
「それはわしの問題だ」グレイドルは言った。「お前はロートを連れ出すことだけ考えろ。わしの心配は後回しにしろ」
アランは立ち上がり、騎士の礼を取った。
「……ありがとうございます」
「礼はいらない。ロートを連れてきたら、わしが叱る。告げずに行こうとしたことを、きちんと叱る。それが楽しみだ」
グレイドルは珍しく、腹の底から笑った。
作戦の決行は翌日の夜と決まった。
アランは解放軍の基地に戻り、最終確認を行った。
天幕の中で、ロンバルティアが地図を見ていた。アルビオンが隣に座っており、ジュノはその斜め後ろに陣取り、丁寧な手つきで銃の手入れを行っていた。
「準備は整いました」とロンバルティアは言った。「後は動くだけです」
「ロンバルティア、一つ聞かせてくれ」とアランは言った。
「なんですか?」
「お前は、隊長を助けた後どうする気だ。第五騎士団と解放軍が協力した事実は、帝国に知れる。お前の叔母は帝国への反逆者として扱われる。それは分かってやっているか」
「分かっています」ロンバルティアは言った。「だからこそ、助けた後の話が重要です。叔母上が帝国に居場所を失った後、どこへ行くかは叔母上が決めることです。ただ、居場所があることは伝えたい」
「居場所というのは、どういうことだ?」
「解放軍の中に、です。叔母上の経験と戦術眼は、我々に必要なものです。しかしそれを理由に来てほしいのではない。叔母上自身が選んで来てほしい」
アランはロンバルティアを見た。
「お前は十八歳か」
「そうですが」
「十八歳でよくそれが言える」
「師匠に教わりました。力で引き寄せた者は、力で去る。自分の意志で来た者は、自分の意志で留まる。それが組織の力だと」
アランは少し黙った。
「……ロートが選ぶとすれば、そっちだろうな」と言った。
「そう思います」
ジュノが手入れを終えた銃をしまいながら、アルビオンに小声で言った。
「アランさん、すごくロートさんのこと好きだよね」
「ああ。俺たちとはなんか違う種類の好き、って感じだけどな」
「なにそれ?」
「うーん。俺はアホだから、説明が難しい。ただ、あの二人の間は愛とか恋とか、そんな安い感情じゃない感じがする」
「……あたしは、あなたのそばにいられるだけで十分なんだけど」
「何の話だよ」
「あなたと一緒にいれば、怖くても動けるから。それだけで十分」
アルビオンはジュノを見た。それから前を向いた。
「明日、無茶はするなよ」
「するよ。あなたがするから」
「……俺が無茶しなければいい、って話か?」
「そうだよ。分かった?」
「分かった。善処する」
「もう。善処って結局、何もしないやつだよね。努力するって言って」
「じゃあ、努力する」
「よーし」ジュノは満足そうに頷いた。「じゃあ、アルビオン、また明日がんばろうね」
「ああ、おやすみ、ジュノ」
天幕の外で、夜風が草を揺らしていた。
決行の夜が、近づいていた。




