第六幕 剣の行き先①
第六幕 剣の行き先
第一章 出撃命令
第五騎士団が正式に発足して、三年が経っていた。
南部の都市ガルタに設けられた第五騎士団の駐屯地は、かつてのB中隊の野営地とは似ても似つかない場所になっていた。整然と並ぶ石造りの兵舎、磨き上げられた訓練場の石畳、各所に掲げられたテンペスト家の稲光の紋章。三年前、ここに来た者が今の姿を見れば、同じ場所だとは信じられないだろう。
総員、三千。
かつてのB中隊を支えた千人の精鋭が堅牢な「骨格」となり、彼らに鍛え上げられた二千の新兵が「肉」となって、この新しい騎士団を形作っていた。南方の焦熱に焼かれ、東部の極寒の川を渡り、ハール城の闇を切り裂いた者たちの泥臭い経験は、洗練された騎士団の教本よりも遥かに重い「智慧」として、新兵たちの血肉に注ぎ込まれていた。
変化は、規模だけではなかった。
訓練の質、そして兵士たちの「目」が変わったのだ。
かつてのB中隊には、どこか自暴自棄な傭兵特有の「値踏みするような目」があった。だが今の彼らの瞳に宿っているのは、自分たちは帝国の盾であり、何より碧き「雷光を抱く鷲の旗」の下に集う、選ばれた戦士であるという、静かな自負――すなわち、誇りの光であった。
この変化は、一夜にして成ったものではない。
騎士団への再編が決まった翌日、アランが全員を広場に集めた。
「今日から俺たちは第五騎士団だ」とアランは言った。「名前が変わる。装備が変わる。任務が変わる。しかし一つだけ変わらないことがある」
広場に集まった千人が黙って聞いていた。
「忘れるな。俺たちが南方の荒野で砂塵にまみれ、東方の深い森の中で彷徨ったのは、帝国の偉いさんの命令があったからじゃねえ。隣にいる仲間の背中を守るため、そして俺たちの隊長が信じる『合理』を証明するためだ。騎士という皮を被っても、中身はあの泥まみれの傭兵のままでいろ。新しく来る坊やたちに、戦場の本当の臭いを教えてやるのが、俺たちの新しい仕事だ」
ジャンが後ろの方で「すげえ。副長が演説している」と囁いた。ラサールが「ああ。珍しいものを見た」と返した。
その夜、ロートはアランに言った。
「いい言葉だったな、アラン」
「本来は、隊長が言うべきことだったがな」第五騎士団は、騎士団となった今でも、ロートの事をあの頃と同じに「隊長」と呼んでいた。ロートもそれを特に何も咎めなかった。
「いや、お前が言った方が届く」
「俺の方が声が大きいだけだろ」
「それも才能だ」
アランは少し間を置いた。「隊長、一つ聞いて良いか」
「なんだ」
「騎士団になって、俺たちは変わるのか」
「変わる部分と、変わらない部分がある」
「どちらが大きい」
「変わらない部分が大きければ、お前たちらしいままでいられる」ロートは言った。「変わる部分は、形だ。制服が変わり、名前が変わり、立場が変わる。しかし、誰かのために戦うという理由は変わらない。それだけは変えてはいけない」
アランはしばらく黙った。それから「わかった」と言った。
訓練は苛烈を極めた。
ジャンが先頭に立って朝から晩まで走り込みを指導し、ラサールが木剣ではなく「実際に殺し合うつもりで」当たる模擬戦を徹底させた。アランは目を光らせて全体を見回り、腑抜けた動きに終始する新兵がいれば、容赦なくその足を払い、冷たい地面に叩きつけた。
「正規騎士団の訓練は、もっと、こう……華やかなものだと思っていました」
最初の一ヶ月、泥にまみれて音を上げた新兵の一人──言葉遣いや所作から、おそらく貴族の子弟──が、ラサールに向かって泣き言を漏らした。
ラサールは鼻で笑い、汗を拭いながら答えた。
「華やかな型で腹が膨れるなら、いくらでも教えてやる。だけど、俺たちが通ってきた戦場は、教本が真っ先に燃え尽きるような地獄だったんだ。川を渡る時は水の冷たさが思考を奪い、闇の中では友軍の顔さえ分からなくなる。型を覚える前に、まず絶望の中で動ける体を作れ。それがB中隊流だ」
「副長のアラン殿は、なぜあんなに狂ったように渡河訓練をさせるのですか?」
別の新兵が聞いた。アランは、防具もつけずに冷たい川に兵を飛び込ませる「東部戦線模倣訓練」を日課にしていた。
「実際にやったからだよ」とラサールが肩をすくめる。
「東部でな。心臓が止まるかと思うほど冷たかった。だが、あの冷たさを知っていたから、俺たちは包囲を破れたんだ。アラン副長は、お前らにあの時の俺たちと同じだけの『生存の権利』を与えようとしてるんだよ。訓練で動ければ、実戦でも動ける。俺たちはな、ひとりもお前らに死んでほしくないんだ」
そう彼は言って、傷だらけの顔で大きく笑った。
古参兵たちの「地獄の自慢話」が語り継がれるにつれ、新兵たちの不満は敬意へと変わっていった。三千の意思は、徐々に一つの鋼へと鍛え上げられていった。
国民からの支持も、第五騎士団は他を圧倒していた。
それは帝国政府への不信感の裏返しでもあった。私腹を肥やす軍高官、腐敗した既存騎士団への不満を抱える民衆にとって、実力で道を切り開き、裏切り者の汚名を戦果で塗り替えたロートリット・テンペストは、暗雲の合間から差し込む一筋の光であった。
市場を視察するロートリットの姿を見つければ、人々は足を止め、敬意を込めて「テンペスト様」と囁いた。ある日、小さな子供が警備の隙間を縫ってロートリットに駆け寄り、道端の花を差し出した。
「お姉ちゃん、悪い人たちをやっつけてくれてありがとう」
ロートリットは足を止め、膝をついて子供と同じ目線になった。その手には紺碧のマントが触れている。彼女は静かに微笑み、小さな手から花を受け取った。
「わざわざ立ち止まる必要はないだろうに。ただでさえ、あんたは帝都のお貴族どもから目を付けられているんだぜ」
後から歩み寄ったアランが、苦笑しながら言った。
「気にするな。私は、この人たちのために剣を振るっている」
ロートリットは立ち上がり、花をマントの内側にそっとしまった。
「守るべき者の顔を知らず、声を聞かぬまま戦うのは、軍人ではなくただの殺戮者だ。効率よりも大事なものが、この街の至る所に落ちている」
アランはその夜、自らの日誌に書き留めた。
『隊長はあまりに正しすぎる。だが、この帝国の暗闇が、その正しさを飲み込もうとしている。俺たちが、彼女の盾にならねばならない』
命令書が届いたのは、秋の初めの朝だった。
ロートは執務室で読んだ。
『第五騎士団団長ロートリット・シュトラム・フォン・テンペスト。北東部における反乱鎮圧任務を命ずる。目標はラファを拠点とする自称解放軍の指導者ロンバルティア・ライム、並びにその一派。速やかに鎮圧し、指導者を捕縛または排除せよ』
「ついに、来たか」小さく呟く。読み終えて、机に置いた。
窓の外を見た。秋の帝都の空は高く、澄んでいた。訓練場では、今朝も点呼が行われていた。整然と並ぶ三千の兵。三年かけて作り上げた組織が、今日も動いていた。
アランが入ってきて、開口一番、ロートに言った。「命令書を読んだか」
「ああ、読んだ」
「隊長、これをどう読む」
「文面通りには読めない」ロートは命令書を見た。「違和感を感じる点が、三点ある。一つ、今の反乱軍の規模と展開状況から見て、第五騎士団だけで鎮圧できる規模ではない。三つの精鋭騎士団が壊滅した相手だ。なぜ第五だけを動かす」
「二つ目は、なんだ?」
「銃だ。カルノワ将軍は『銃』で撃たれて戦死したと聞いている。騎士の装甲を貫く武器の規模と威力が分からない。それを無視した命令書になっている」
「あと一つか。三つめは?」
「指導者の名前がロンバルティア・ライム。彼はエルヴィン兄上の息子という情報がある」
アランは少し黙った。
「……テンペスト家の血族を、テンペスト家の隊長に討たせる、ということか」と彼は言った。「帝国はどこまで計算して動いているんだ」
「全部を計算しているかもしれないし、何も考えていないかもしれない。どちらにしても」ロートは言った。「この命令書は、私たちを試している」
「試している、だと?」
「この命令に、第五騎士団が素直に従うかどうかを。従えば利用できる。従わなければ、排除する理由になる」
アランは腕を組んだ。
「帝国は、まだ俺たちを信用していないというのか。それでも行くのか?」
「それでも、行く」
「命令だから行くのか?」
「命令だからではない。行って、自分の目で確かめる」
「何を確かめるというんだ?」
「…ロンバルティアという少年が、本当に兄の意志を継いでいるのか。それとも、ただの復讐者なのかを」ロートは言った。「命令書には鎮圧と書いてある。しかし鎮圧の方法は書いていない。現地判断の余地がある。現地で判断するためには、現地を見なければならない」
アランはしばらくロートの顔を見た。
「隊長」と彼は言った。「俺は最近、考えることがある」
「ふむ、聞かせてもらおう」
「解放軍がやっていることは、はたして間違っているのか?ということだ」
「アラン、『反乱軍』だ。間違えるな」
ロートは小さくアランを窘めた。
「すまん、そうだな。『反乱軍』の連中が言っている『理想』……あれは、本当に間違っているのか? 重税に喘ぎ、明日も分からぬ暮らしを強いられる民の叫びは、俺たちが南方で見てきた現実そのものだ。正直に言えば、俺たちの部下の中にも、連中の理念に共鳴しかけている奴がいる」
ロートリットは視線を伏せた。
「……騎士として、命令を無視することは組織の崩壊を意味する。命令に背けば、我々に付き従ってくれた三千の兵とその家族は、明日から反逆者として追われることになる。……守るために従い、従うために剣を汚す。その矛盾から、私たちは逃げられない」
「わかってる。わかってるが……あいつらの言うことが正しいと思えば思うほど、剣が重くなる」
「だから、行って話すのだ、アラン」
ロートリットは力強く顔を上げた。
「命令は『鎮圧』だ。だが、血を流すことだけが鎮圧ではない。説得し、矛を収めさせることもまた、一つの形式だ。私は……剣を抜く前に、言葉の限りを尽くしたい。帝国の期待通りには動かない。それが、私の選ぶ『過程』だ」
アランはしばらくロートリットの顔を見つめ、やがて不敵に笑った。
「……全くだ。あんたのそういう理屈っぽさが、今は救いだぜ。分かった。形はどうあれ、あんたが決めた道だ。俺たちはその足元を照らす盾としてついていくよ」
ロートは全員を広場に集めた。
三千の顔が、秋の朝の光の中でこちらを見ていた。
「命令が届いた。北東部にある反乱軍の根拠地、ラファの鎮圧だ。明日、出発する」
広場が静かだった。
「反乱軍については、各自が情報を得ているだろう。彼らが何のために戦っているかも、知っている者も多いはずだ」ロートは言った。「私は今から、正直に話す。この命令には、疑問がある。第五騎士団だけで動かす理由が分からない。私たちが捨て駒にされる可能性がある」
ざわめきが起きた。
「しかし行く。行って、現地で判断する。剣を抜く前に、言葉を使う。それが私の方針だ。その方針に従えない者は、今言え。無理に連れていくつもりはない」
誰も動かなかった。
ジャンが「全員行きます」と言った。ラサールが「当たり前だろ」と言った。
アランは腕を組んで、広場の端で見ていた。
出発前夜、ロートはグレイドルへの手紙を書いた。
窓の外は暗く、帝都の灯りが遠くに見えた。
「明日、出撃します。ロンバルティア・ライムがエルヴィン兄上の息子であるという情報があります。もし本当であれば、単純な鎮圧にはなりません。どういう結果になるかは分かりませんが、御屋形様には正直に伝えておきたかった。ロートリット・テンペスト」
書き終えて、蝋燭の前に置いた。
テンペストのマントを手に取った。紺碧の地に、稲光を抱く鷹の紋章。南方の荒地から東部の城まで、ずっと纏ってきたものだ。
エルヴィン兄上の息子が、今、解放軍を率いている。
父が死んだ街で立ち上がった十八歳の少年。
その少年を討ちに行く命令が来た。
ロートはマントを折り畳んで、荷物に入れた。
返事は翌朝の出発直前に届いた。グレイドルの筆跡だった。
「わかった。どんな結果になっても、わしはお前の側にいる。くれぐれも気をつけろ。グレイドル」
ロートリットは手紙を懐に収め、白馬に跨った。
彼女の背後には、紺碧の海のような三千の隊列。
北東の空を見据え、第五騎士団は重厚な蹄の音を響かせて出発した。
その先にあるのは、かつて父ゼイラムが兄エルヴィンを討った街。
彼女にとって、血塗られた宿命の地、ラファ。
会ったことのない甥と、未だ知らぬ答えを求めて、ロートリット・テンペストの剣は動き始めた。




