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第五幕 自由への火種④




第四章 ジュノとの出会い




自治宣言から二ヶ月。ラファの街が熱狂の余韻から、静かで着実な「統治」へと移行し始めた頃、アルビオン・ブロムウィッチは一人、西の荒野を駆けていた。


ロンバルティアが率いる解放軍が、ラファという一つの点からより広範な面へと広がるためには、各地の抵抗勢力との「連帯」が不可欠だった。そのための使者として、アルビオン以上に適任な者はいなかった。フォーマルハウト譲りの知識と交渉力、五年の修行で得た暗黒剣の実力、そして何より、ロンバルティアが全幅の信頼を寄せる親友であること。


アルビオンは、すべてを両断する漆黒の刃を腰に馬を走らせる。かつての彼は力任せに武器を振るうだけの豪傑であったが、今の彼には、守るべき故郷と、友に託された使命という「重み」があった。


彼が目指すのは、鉱山都市フェルロン。帝都の南、黒い岩山に囲まれたその街は、帝国の繁栄を支える鉄と銅の供給源であり、同時に、労働者たちの「墓場」でもあった。




フェルロンの街を覆っているのは、絶え間なく吐き出される溶鉱炉の煙と、人々の絶望が混ざり合った黒い霧だった。


石造りの家々は煤に汚れ、道を行く坑夫たちは、有害なガスに焼かれた肺を庇うように背を丸めて歩いている。ここでは、二十代で腰が曲がり、三十代で命を落とすのが「当たり前」だった。


しかし、今年のフェルロンを包む緊張感は、単なる過酷な労働によるものではなかった。


「古代兵器の発見」。


坑道の深部、忘れ去られた太古の地層から、帝国の建国以前に存在した高度な文明の遺物が出土したのだ。それは、訓練を積んだ者でなくとも、引き金を引くだけで鋼の甲冑を貫くことができる「銃」と呼ばれる兵器だった。


帝国はこの発見を独占し、神格化された自らの武力を揺るがしかねないその存在を、歴史から抹消しようとした。


方法、は単純かつ残虐だった。


『発掘に関わった者、全員の口を封じろ』


フェルロンの街は帝国による「粛清」の対象となり、罪なき数多くの鉱山労働者が処刑されたという。

それがわずか先月の話だ。


ロンバルティアはすぐにアルビオンにフェルロンの現状の調査と、労働者たちの代表との面会をアルビオンに依頼した。アルビオンはその依頼を即時に引き受けた。恐るべき威力を誇るという、「銃」というカラクリにも興味があった。


ラファから騎馬でおよそ十日。アルビオンがフェルロンに足を踏み入れた夜、街は死んだように静まり返っていた。だが、裏路地の奥から、その静寂を引き裂くような怒声と、硬い軍靴の音が響いてきた。


「……また『粛清』か」


アルビオンは舌打ちし、闇に紛れて音のする方へと駆け出した。




路地の突き当たり、ゴミ捨て場の影に一人の少女が追い詰められていた。


あどけなさの残る容姿。幼い。まだ十五歳前後だろうか。肩まで伸びた亜麻色の髪は乱れ、大きな瞳には、恐怖を塗りつぶすほどの激しい怒りが宿っていた。


彼女の両手には、長く無骨な金属の筒――「マスケット銃」が握られていた。木製の銃床は古びているが、金属部分は丁寧に手入れされ、月光を浴びて鈍く光っている。


少女は震える手で銃を構え、迫り来る二人の帝国兵を睨みつけた。


「う、動かないで! あと一歩でも近づいたら、本当に撃つから!」


「はっ、何を言っていやがる。そんな鉄の棒が何の役に立つ」


兵士の一人が、下卑た笑いを浮かべて剣を抜く。


「それを寄越せ、ガキ。それは帝国の所有物だ。泥棒はお仕置きしなきゃなぁ」


「盗んでない! これは、あたしの父さんの……あんたたちが殺した、父さんの形見なんだ!」


「だったら、親父と一緒の所に送ってやるよ。俺たちがたっぷり楽しんだ後になあ!」


「やめて!来ないで!…いや!触らないで!」


少女の叫びは、冷たい夜風に虚しく霧散した。兵士が獲物を狩る獣のような足取りで、じりじりと距離を詰める。恐怖に引き攣った少女の目に、涙が溢れた。


その瞬間、影が舞った。


「――邪魔するぜ」


低く、落ち着いた声。アルビオンが二人の兵士の間に割って入った。


兵士たちは突然の乱入者に驚愕し、剣を振り上げようとした。アルビオンは無理に力でねじ伏せることはしなかった。彼は、五年の修行で得た効率的な体術を使い、最小限の動きで状況を支配する。


まず、一人目の剣を肘で受け流し、がら空きになった胴へ膝を叩き込む。


「ぐはっ……!」


呻きを漏らして倒れる兵士。もう一人が横から斬りかかってくるが、アルビオンは腰の長剣を抜くことすらせず、その長い柄の部分を相手の顎へと突き上げた。


「……あがっ」


脳を揺らされた兵士が、崩れるように膝をつく。わずか数秒。路地には再び、重苦しい静寂が戻った。

アルビオンは荒い息を吐く少女を振り返った。


「大丈夫か?怪我はないか」


少女は、救世主を見るような目ではなく、得体の知れない怪物を見るような目でアルビオンを凝視していた。銃口が、わずかにアルビオンに向けられる。彼女の声はまだ震えていた。


「……だ、誰?…帝国の追っ手?」


「追っ手が味方を殴り飛ばすかよ」


アルビオンは苦笑し、彼女の銃を見つめた。


「いい武器だが、そんな風に見せびらかして歩くもんじゃない。隠せ、ジュノ。その火種は、まだお前一人で背負うには重すぎる」


「……なんで、あたしの名前を……」


「その胸のバッジだ。坑夫の家族に配られるネームプレートだろう」


アルビオンは路地の外を指差した。「走れるか。ここはすぐに他の連中が来る」


少女――ジュノは一瞬躊躇したが、アルビオンの瞳にある不思議な静けさを信じることに決めたのか、力強く頷いた。




街外れの、崩れかけた廃屋。かつて坑夫たちが道具置き場として使っていたその場所で、二人はようやく腰を下ろした。


「……あたしの名前はジュノ・ウィン。変な名字だけど、本名よ」


ジュノは膝の上でマスケット銃を抱きしめるようにして、ポツリと漏らした。


「俺はアルビオン・ブロムウィッチだ。俺の名も、負けず劣らず変わってるさ」


「アルビオン……。なんか、キラキラした名前」


ジュノは少しだけ頬を緩めたが、すぐにその表情は曇った。


「父さんは、一ヶ月前に死んだわ。カイン・ウィン。この『マスケット銃』を坑道の奥で最初に見つけた坑夫よ。父さんは喜んでいたの。これがあれば、もう辛い仕事をしなくて済む、みんなが楽になれるかもしれないって。……でも、帝国は違った。これを、自分たちを脅かす悪魔の道具だって決めつけた」


アルビオンは黙って話を聞いていた。五年前の自分なら、「帝国なんてぶっ潰してやる」と威勢よく叫んでいただろう。だが、今の彼には、彼女が背負っている悲しみの深さが痛いほど分かった。


「父さんは死ぬ間際、あたしにこれを託した。……『捨てるな、大切にしろ。いつか、この銃が誰かを殺すためじゃなく、誰も死ななくていい世界を作るための火種になる日が来る』って」


ジュノは銃の機関部をそっと撫でた。


「使い方は教わったわ。でも、弾はこれだけしかない」


彼女が掌を見せると、そこには黒ずんだ金属の丸玉が数十粒、転がっていた。


「これだけか。……世界を変えるには、心許ない数だな」


「そうね。でも、あたしはこの弾丸を、父さんを殺したあいつらに叩き込んでやりたいって思ってた」


ジュノの瞳に、再び鋭い火が灯る。


「……あんたは、あたしたちを仲間に誘いに来たんでしょ。帝国と戦う、その集団に」


アルビオンはジュノの真っ直ぐな視線を受け止めた。


「ああ。ラファという街で、俺の親友が立ち上がった。ロンバルティア・ライム。あいつは、ただ帝国を憎むだけじゃない。その先の、誰もが明日を恐れずに眠れる世界を作ろうとしている」


「……そのロンバルティアって人を見れば、あたしにも分かる?」


「ああ。あいつの目は、お前と同じだ。大切なものを失って、それでも前を向こうとする強さがある」


アルビオンは立ち上がり、手を差し出した。


「一緒に行こう、ジュノ。お前のその弾丸は、復讐のために使い切るには惜しすぎる。それは、未来への『鍵』にすべきだ」


ジュノは、差し出されたアルビオンの手を見つめた。


彼の手はそう大きくはなかったが、傷だらけで、武骨な手。だが、その温かさは、孤独だった彼女の心を溶かすには十分だった。


「……わかった。あんたについていくわ、アルビオン。でも、勘違いしないで。あたしは、あたしに借りを作ったあんたを見届けるだけ。……その借りを返すまで、あんたに死なれたら困るから」



アルビオンとジュノは、それからフェルロンの鉱山労働者の代表であるニーガンと会い、フェルロンの現状を聞き、現在のラファの状況、それからロンバルティアと解放軍の理念を説明した。代表の男、ニーガンはジュノの父の古くからの知り合いで、ジュノが仲介してくれたお陰もあり、交渉はすんなりと進んだ。


「ラファの自治宣言は聞いている。だが、我々は大っぴらにはまだ動けん。先日の粛清があったばかりだ。町全体が立ち上がるまでには、もう少し時間をくれ」


「わかっている。拙速に動くとフェルロンも危ない。今は話を聞いてくれるだけでいい。時期を待ってくれ。連絡は密にする。正確で迅速な情報網が、俺たち解放軍の力だ」

 

 アルビオンの言葉に、ニーガンはうなずいた。

 

「しかし、若いの。お前もたいしたものだ。解放軍、期待しているぞ。必ず、銃を揃えて駆けつける」


「ありがとう。その言葉、ロンバルティアに必ず伝えよう」


「ジュノ。カインの分までしっかり生きるんだぞ」それからニーガンはジュノを見て言った。「こっちは俺たちに任せておけ」

 

「…ニーガンおじさん、ありがとう。行ってくるね」




フェルロンの街を出る夜、二人は丘の上から黒い街を見下ろした。


溶鉱炉の火が、血のように赤く夜空を染めている。


「ねえ、アルビオン」


「なんだ?」


「いつか……平和になったらさ。この銃も、あんたのその怪しそうな剣も、もういらなくなるのかな」


「怪しそうって」アルビオンは、腰の剣に手を置いた。


「そうだな。これらは、いつか博物館の隅で埃を被るのが一番いい。俺たちが戦うのは、そんな退屈な平和を、お前たちの世代に残すためだ」


「……あたしたちの世代、か。なんか、おじさん臭いこと言うのね」


「おい。これでもまだ俺は十八だぞ」


ジュノは小さく笑った。その笑い顔は、戦火の中にある世界で、唯一咲いた花のようだった。


「あたしと二つしか変わらないじゃん」笑ったあと、不意に真面目な表情になってジュノは続けた。「じゃあ約束してよ、アルビオン。あたしがこの十発を撃ち切る前に、あんたが言ったその『平和』ってやつを見せて」


「ああ。約束する。……お前の銃が、二度と火を噴かなくていい世界を、俺たちが作ってみせる」




亜麻色の髪をなびかせる銃士と、銀髪の若き魔剣士。


二人の影は、昇り始めた月明かりの下で、まだ見ぬラファの街へと続いていた。





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