表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
23/27

第四幕 ハール城の攻防③




第三章 攻略




 東部の夜は深い。湿り気を帯びた重苦しい霧が、陣営の松明の光をぼんやりと滲ませていた。


 第三騎士団の本陣、カルノワ将軍の天幕に、ロートは再び足を踏み入れた。机の上に広げられたのは、年代物の設計図と、ロートが自ら書き足した最新の地形図である。


「……山道の崩落跡、その岩影に『針の穴』があります。これはどの地図にも載っていません」


 ロートの指先が、地図の一点を鋭く指した。


「数年前の地震で道は死にましたが、同時に城の死角となる隙間が生まれました。そこを伝い、絶壁を抜けて城の裏壁へと侵入します。我々B中隊の精鋭百名が潜入し、内側から第一、第二城門を開放する。将軍、その瞬間に正面から全軍を叩き込んでいただきたい」


 天幕の中に、冷ややかな嘲笑が漏れた。カルノワの脇に立つ参謀の一人だ。


「百人で裏から? 狂気の沙汰だな。城内には三千の守備兵が詰めているのだぞ。一度でも見つかれば、百人は鼠のように袋叩きにされて全滅だ。その無謀に、我が騎士団の四千を付き合わせろと言うのか」


「見つからなければ良い。それだけのことです」


 ロートは参謀の言葉を冷徹に切り捨て、カルノワを直視した。


「夜闇に乗じ、城内の巡回ルートの隙を突きます。すでに昨晩、裏壁までの動線は確認済みです」


「偵察しただと?」


 参謀が声を荒らげた。


「この霧の中をか! 正規の偵察兵ですら、昨晩は一歩も動けなかったはずだ。嘘を吐くのも大概にしろ!」


「嘘かどうかは、明日の夜明けに判明します」


 ロートの青い瞳が、揺るぎない鋼の光を湛えてカルノワを見据える。


「将軍。もし百人が全滅し、門が開かなければ、正面攻撃を中止してください。その際、B中隊は全責任を負い、使い捨ての傭兵として消えるのみ。第三騎士団の名誉に傷はつきません。……ですが、門が開いたなら。その時は、一年の沈黙を破り、勝利を掴むのは貴殿だ」


 カルノワは長い沈黙の後、ゆっくりと茶を飲み干した。老将の鋭い眼光が、ロートという存在の奥底にある「覚悟」を測っていた。


「本当に、できるのか」


「正面突破で、あの城は落とせません。それは、将軍が一番ご存じでしょう。我々が呼ばれた理由(わけ)は、()()()()()()()ではないのですか」


「……やってみろ。合図は」


「城門が開いた瞬間、最上部から橙色の狼煙のろしを上げます。それが我々の命の火です」


「了解した」


 カルノワは重々しく頷いた。


「狼煙が上がれば、我が騎士団の全戦力を持ってハールの門を粉砕する。……死ぬなよ、テンペスト。お前のような怪物を失うのは、帝国にとっての損失だ」





 決行の夜。空には月もなく、ただ濃密な霧が世界を白く塗り潰していた。


 ロートが選んだのは、南方時代から苦楽を共にしてきた百名の精鋭。彼らは皆、重い板金鎧を脱ぎ捨て、黒く染めた革鎧に身を包んでいた。音を立てる盾も槍も捨て、手元には短剣とクロスボウのみ。


 ただ一人、ロートだけが、その背に巨大な大斧を背負っていた。城門のかんぬきを断ち切るための、破壊の質量だ。


「……テンペストのマントは、ここに置いていく」


 ロートは、アランにそう告げた。紺碧の地に金の鷲は、今夜の闇にはあまりに眩しすぎた。


「隊長、あんた両手斧が使えるのか?俺が代わるぞ?」アランは、ロートの背に無造作に括りつけられた巨大な両手斧を見て、心配そうに聞いた。しかし彼女は、「私を誰だと思っている。短剣から長弓まで、私に扱えない武器はない」表情を全く変えずに、ロートはにべもなく言った。アランは一瞬、きょとんとした顔をした。

 

「頼もしいな。じゃあ、しっかり頼むぜ。俺が先頭を行く。あんたは真ん中で全体を見てくれ」


 アランの提案に、ロートは首を振った。


「いや、私が先行する。あの岩の感触を覚えているのは私だけだ。お前は最後尾で、恐怖に足を止める者がいないか見張っていてくれ」


「……大丈夫なのか?…わかった。隊長の指示に従うぜ」アランは不承不承、ロートの指示に従った。





 行軍は、音との戦いだった。


 山道の隙間――「針の穴」は想像以上に過酷だった。一人ずつ横向きになり、壁に体をこすりつけながら進む。革鎧が岩肌に擦れる「ギィ……」という微かな音すら、霧の向こうの敵に届くのではないかと神経が削られる。


 一人が足を滑らせ、小石を蹴落とした。その瞬間、アランの巨大な手がその者の肩を掴み、音を殺す。百人が岩の隙間を抜け切るのに、優に一時間を要した。


 たどり着いたのは、城の裏手にある物資搬入用の小扉だった。


 設計図通り、そこには三十年前の古い鉄錠が鎮座していた。ロートは懐から、グレイドルが「念のため」と贈ってくれた特殊な細工棒を取り出した。


 指先の感覚だけが頼りだ。冷たい鉄の感触、内部のバネの跳ね返り、ピンが噛み合う微かな振動。


 隣でアランが息を殺しているのが分かった。後ろの百人全員が息を殺しているのが分かった。


 ――カチリ。


 静寂の中に、運命が動く音がした。





 城内への侵入は、まさに亡霊の行進だった。


 夜明け前の城内は、眠りと油断に支配されていた。数少ない巡回兵が角を曲がるたびに、百人は影となって壁に溶けた。


 城門まで残り三十メートルという地点で、一人の守備兵がこちらの気配に気づき、目を見開いた。彼が叫ぶより速く、アルマンが影から飛び出し、その喉を圧し折る。一切の声は漏れなかった。アルマンは表情を変えずに、ロートを見て頷いた。




 ついに、第一城門の内側に到達した。




 そこには、三本の巨大な鉄製のかんぬきが、難攻不落の証として横たわっていた。


「……ここからは、時間との勝負だ!」


 ロートは背中から両手斧を解き放った。凄まじい鋼の重みが、右腕に心地よい負荷を与える。


「全員、門を固めろ! 敵を中に入れるな!」


 両手斧を頭上高くに掲げ、自らの右足を軸に回転した。一回転、二回転。そしてその全身の筋力を、そして鋼の重量と遠心力を、門の閂、ただ一点に集約させる。



 ――一撃。



 凄まじい金属音が、城内に響き渡った。閂を支える支持金具の留め金が、衝撃でひしゃげる。


「何事だ!?」「侵入者だ! 裏から回ったぞ!」


 城内が蜂の巣を突いたような騒ぎになる。松明が次々と灯り、守備兵たちがこちらへ殺到してくるのが見えた。


「アラン!ラサール!時間を稼いでくれ!」


「こっちは任せろ!ここは俺たちが通さねえ!」


 アランが大剣を振り回し、狭い通路を血の海に変えていく。百人の傭兵たちが自らの体を盾に、死に物狂いで押し寄せる守備兵を食い止める。


 ロートは周囲の音を遮断し、渾身の二撃目を叩き込んだ。


 火花が散り、鉄の支持金具が弾け飛ぶ。一本目の閂が、重々しい音を立てて床に落ちた。



 三撃目、四撃目。最後の一撃は、遠心力を最大限に利用して柱ごと断ち切った。


 その瞬間、ロートの腕の感覚は痺れて消えていた。


「門を開けろ! 引けッ!」


 十数人の兵士が城門に取り付き、渾身の力で扉を引く。巨大な石造りの扉が、断末魔のような軋みを上げて開いていく。


 その隙間から、夜明けの冷たい光が、一本の矢のように差し込んだ。


 ロートは足場の階段を駆け上がり、城壁の最上部へ躍り出た。懐から橙色の煙玉を取り出し、打ち振る。


 早朝の白い霧を、鮮やかな橙色の煙が切り裂いた。




 一瞬の静寂の後。




 地平線の向こうから、大地を揺らす咆哮が聞こえてきた。


 四千の蹄の音。鉄の規律が解き放たれ、津波となって押し寄せる死の響き。




「……約束を、守ってくれたようだな、カルノワ将軍」




 正面から突っ込んできた第三騎士団の騎兵連隊が、無防備に開かれた城門へと雪崩れ込んだ。


 ハール城の守備兵たちは、背後からの急襲と、正面からの圧倒的物量に挟まれ、一瞬で組織的な抵抗力を失った。




 陥落まで、わずか二時間。


 丸一年間にわたり帝国の野望を阻み続けた難攻不落の要塞は、合理という名の毒を呑まされ、朝日の中でその歴史を閉じた。


 ロートは血と煤にまみれた顔で、開かれた門を見下ろした。


 背後で、返り血を浴びたアランが肩で息をしながら笑っている。


「……ったく、心臓に悪いぜ。次はもっとマシな作戦を立ててくれよ、隊長」


「……ああ。では次は、もっと確実に勝とう」


 ロートの未だに痺れる両手に残る、大斧の重み。

 その掌には、赤い血が滲んでいた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ