第三幕 荒野の剣⑨
第九章 名声と、遠くの声
砂漠の捕食者、サンドワームを討ち果たしてから一ヶ月。
南方の乾燥した大地には、依然として揺らめく陽炎が立ち上っていたが、B中隊を包む空気は劇的な変化を遂げていた。かつて「使い捨ての傭兵崩れ」と自嘲していた千人の兵士たちは、今や背筋を伸ばし、その瞳には寄る辺なき者特有の卑屈さが消え、確かな誇りが宿っていた。
そんなある日の午後。駐屯地の城門を、黄金と真紅の意匠を凝らした帝国の軍使がくぐり抜けた。
使者が携えていたのは、帝国南方軍管区司令部の重厚な印章が押された一通の書状。それは、非正規部隊である傭兵中隊に対しては極めて異例となる、「帝国功績賞」の授与を告げる公式表彰状であった。
「……信じられねえ。功績賞だと?」
執務室で書状を検めた副長のアランが、掠れた声を上げた。その顔には、驚きと、それ以上に隠しきれない喜びが滲んでいる。
「隊長、これは帝国の正規第一、第二騎士団並みの扱いだ。傭兵の寄せ集めが公式に軍の『英雄』として認められたんだぞ。これ一枚で、連中の身分も保証されたようなもんだ」
「……意外だな。帝国という組織が、これほどまでに柔軟だとは思わなかった」
ロートは碧紺のマントを静かに翻し、表彰状を机に置いた。その表情には、アランのような手放しの歓喜はない。
「嬉しくないのか? あんたが立てた理詰めの戦術が、帝都の連中を認めさせたんだ」
「嬉しいとか、そういう情緒的な話ではない、アラン。帝国が非正規の傭兵団をあえて表彰したということは、そこに明確な『利用価値』を見出したからに他ならない。これは恩賞であると同時に、さらに過酷な戦場へ送り込むための、より強力な『首輪』だ」
冷徹な分析に、アランは苦笑を漏らした。
「……あんたは相変わらず、可愛げのない見方をするな。だがな、その通りだろうよ。上層部はあんたという名馬を手放したくなくなった。……だが、今日くらいは首輪の鎖の重さを忘れてもいいだろ。隊員たちに見せてやってくれ。あいつらが今日まで流した汗と血に、ようやく公的な『勲章』がついたんだ」
その夕刻、広場に集められた千人の前でロートが表彰状を読み上げると、駐屯地はかつてない熱狂に包まれた。
拍手では足りなかった。誰からともなく「俺たちのB中隊!」「隊長万歳!」という叫び声が上がり、それが地鳴りのような合唱となって、南方の夕闇を震わせた。
演台の上に立つロートの胸の中には、言葉にならない「何か」が芽生えていた。それは熱いとも冷たいともつかないが、確かに重みを持った感覚だった。
――御屋形様、父上、兄上。私は、このはぐれ者たちに、居場所を与えられたのでしょうか。
彼女は自分の中のその感情を「感動」と定義してよいのか分からなかったが、拳を突き上げて叫ぶ兵士たちの誇らしげな横顔を、ただ「良い光景だ」と思った。
狂喜の全体集会が終わり、深夜の静寂が訪れた頃、もう一通の私信がロートの元に届けられた。
封蝋には、見間違えようのないグリフォンの紋章。グランシール家の紋章である。
手紙の文面には、南方の活躍が帝都でいかに語り草になっているかが記されていた。そして、厳格な武人であるグレイドルには珍しく、そこには揺れ動く感情が滲んでいた。
『ロートよ。お前がテンペストの名を背負い、砂漠の地で上げた戦功は、わしの言葉のすべてを尽くしても表現しきれぬほどに誇らしい。お前の戦いぶりを……ゼイラムに見せてやりたい。あの男なら、不器用な笑みを浮かべて、お前の頭を撫でてやっただろうに』
ロートはその一文で、読み進める手を止めた。
石造りの粗い天井を見上げると、蝋燭の炎が微かに揺れている。
――ゼイラム・ヴィンド・フォン・テンペスト。
実の父であり、帝国の逆賊。記憶の中の彼は、いつも遠い背中か、あるいは自分の幼い頭をすっぽりと覆うほどの大きな「手」の感触に集約されていた。その手の持ち主が、今の自分をどう見るのか。想像しようとすると、胸の奥が締め付けられるような感触があった。彼女は初めて、自分が父に「認められたい」と願っていたことに気づかされた。
手紙の続きには、もう一つの名があった。
『シェルファは現在、第一騎士団で務めを立派に果たしている。折に触れてはお前のことを聞かれるぞ。まだ怒っているようだが……お前が贈ったあのマントの話を聞くと、どこか寂しげに、それでいて嬉しそうに目を細めている。ロート、お前がその名を捨てなかったことを、彼女もまた、救いに感じているのだと思う』
ロートは手紙をゆっくりと折り畳んだ。
あの時、帝都の暗い回廊で背を向けて去った、かつての親友。
「その名前を、捨てないで」
その約束は、今も碧紺のマントと共に、自分の背中にある。怒っているなら、それでいい。消えてしまった感情は、怒りにすら昇華されない。いつかまた、剣を交えるか、あるいは言葉を交わせる時が来れば、その時にすべての「合理」を超えた本当の言葉を伝えればいい。
ロートは手紙を、大切に荷物の奥底へしまった。
着任二年目の春。あとひと月ほどで、着任三年になる。
その夜の始まりは、アランの一言だった。
「さて、こんな時間か。俺はもう行くぜ」
訓練場の端で大剣の素振りを終えたアランが、木剣を壁に立てかけて汗を拭いながら言った。夜の六時を回っていた。南方の夜は冷えるが、激しい素振りの後では丁度良い。
「どこへだ」とロートは言った。自分も素振りを続けながら、視線だけ向けた。「明日の朝も早いぞ」
「酒だよ、酒。ジャンとラサールが『たまには副長の奢りで』なんて抜かしやがってな。断れなかった」
「気が向かないなら、自分で断ればいいだろう」
「無理だ。あんなのでも俺の部下だからな。で、だ。隊長、あんたも来い」
ロートは素振りの手を止めた。
「なぜ私も、なんだ。私は酒が得意ではない」
「得意じゃないんじゃなくて、まともに飲んだことがないだけだろ。お貴族様の上品なワインじゃなくて、平民のガツンとくる美味い酒を教えてやる。これも立派な『現地視察』だぞ、隊長」
「……現地視察、か」
「B中隊の兵士たちが夜をどう過ごしているか、把握しておく必要があるだろう。指揮官の務めとして」
ロートは大剣を下ろした。
合理的な判断回路が、妙な結論を導き出した瞬間だった。
「……確かに、部下の夜間の行動実態を把握することは、隊長の職務に含まれる」
「そうだろ?じゃあ、一緒に来い」
「……行く」
面白くなってきたぞ、とアランは内心で小さくガッツポーズをした。ただし顔には出さなかった。
帝国南方の荒くれ者たちが集う、駐屯地近くにある傭兵隊御用達の酒場。その名も『赤砂亭』。
砂埃と酒の匂いが染み込んだ木造の建物は、夜ともなれば傭兵たちの熱気で窓が曇るほどだった。
その扉が開き、見慣れない人物が入ってきた。
その酒場に明らかな場違いな、金色の短い髪、すらっとした手足。手入れされた白いプールポワン(鎧の下に着る服)。その美しい顔は普段は氷のような無表情のくせに、今夜は『視察』の緊張からか、僅かに眉間に皺を寄せている。
「げぇっ! 隊長!? なんでここに!?」
ジョッキを片手に持っていたジャンが文字通り飛び上がった。隣のラサールも、口に含んだエールをあわや吹き出しそうになり、必死に飲み込んで噎せた。
「副長が視察だと言うので来た。私に構わず続けてくれ」
ロートが真顔で椅子に座ると、酒場全体に奇妙な緊張が走った。賭け事をしていた男たちが札を伏せ、腕相撲をしていた二人組が静かに手を離し、誰かが口笛を吹くのをやめた。
「気にするな!構わず飲め!今夜は俺の奢りだ!」
アランが豪快に怒鳴ると、傭兵たちの現金な性格が勝ち、宴は再開された。
酒場の女性店員が持ってきたのは、木のジョッキに並々と注がれた琥珀色の地酒だった。
ロートはそれを、初めて見る生き物を観察するような目つきで凝視した。
「……これが、南方の酒か」
「そうだ。飲んでみろ」
「色が、濁っているようだが」
「それが旨さの証だ」
「これ、沈殿物があるぞ」
「それも旨さの一つだ。気にするな」
「においが、なんだか凄いのだが。それに、泡も」
「いいから飲め。慣れろ」
ロートは意を決して、一口飲んだ。
一秒。
二秒。
「……ん」
「どうだ、俺たちの酒は」
「喉が灼ける。しかし……」ロートは少し考えた。「麦の旨味と、発酵した果実の香りが後から来る。複雑な構造だ。もう一口、確認する」
二口、三口。
「……確認のため、もう一杯、同じものを」
「ははっ!いける口じゃねえか!」
アランが豪快に笑い、ジャンとラサールが顔を見合わせた。
三十分後。
ロートの頬が、薔薇色になっていた。
正確に言えば、普段の石膏のような白い肌が、薄く色づいていた。目の焦点が僅かに緩み、いつもの鉄面皮に小さな亀裂が入っていた。ぼんやりと天井を眺めている。
「それで、その賊の首領に斬りかかったんですよ」とジャンが昔の武勇伝を語っていた。「奴の剣の構えを見た瞬間、俺には分かった。こいつは下段から来る、ってね」
突然、「ほう」とロートが相槌を打った。「しかしジャン、その状況では下段からの攻撃は非合理的だ。斜面の地形を考えれば、上段から踏み込む方が重力を活かせる。おそらく敵は、左足に古傷があって踏み込みが弱かったんだろう。だから下段を選んだ。面白いな」
ジャンが目を丸くした。
「……隊長、聞いてたんですか、そんなに酔っぱらってんのに」
「私は常に聞いている。ただ黙っているだけだ」
「なんか、それはめちゃくちゃ怖えな」とラサールが小声で言った。
「それに」とロートは続けた。「お前の体の使い方には一つ癖がある。右の踏み込みが一拍早い。今日の訓練でも見えた。次の模擬戦までに直せ」
「飲みの席でそれを言いますか?」
「いつでも言える時に言う。お酒を飲むと忘れるからだ」
「飲み会の最中で戦技指導する人、初めて見た」とジャンが頭を抱えた。
アランは盃を傾けながら、その様子を楽しそうに眺めていた。
その時だった。
「おいおい、B中隊のアランじゃねえか。随分と腑抜けた顔をしてやがるな」
隣のテーブルから、下卑た声が飛んできた。
近隣のA中隊の荒くれどもだった。隊長こそいないが、その部下たちが五、六人、下品な笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「……なんだと?」とアランが低く唸った。
「あの『狂犬アラン』も、お貴族様の小娘に牙を抜かれりゃ、ただの飼い犬か。女の尻を追いかけて飲む酒は美味いかよ? ああ?」
B中隊の面々の顔が変わった。
アランは青筋を立てながらも、拳を握りしめて耐えた。ここで暴れれば隊長の顔に泥を塗る。
「うるせえよ。戦果もロクにあげられねえA中隊が、ゴチャゴチャ抜かすんじゃねえ。おとなしくてめえらの小便でも飲んでろ」アランは極めて冷静に対応した。
しかし相手は調子に乗って続けた。
「『狂犬』アラン様ともあろうものが、情けねえなぁ!喧嘩の仕方も忘れちまったのか?よっぽどその女隊長と『夜の特別訓練』が忙しいらしいな! さっさと帰ってその女に慰めてもらえよ、ママーってな! ははははっ!」
B中隊の全員が、ジョッキを握りつぶしそうになったその時。
ロートが、すっ……と立ち上がった。
迷いのない動作だった。
彼女は自分のジョッキを持ち、因縁をつけてきた男の背後に、音もなく回り込んだ。
「あ? なんだ、小娘。文句があるのか……?」
男が振り返ろうとした瞬間。
ロートは無言でジョッキを傾けた。
どぼどぼどぼっ。
琥珀色の地酒が、男の頭から盛大に浴びせかけられた。
「…………へ?」
男が固まった。
酒場全体が、息を呑んで凍りついた。
ロートは空になったジョッキをカウンターに置くと、僅かに緩んでいたはずの瞳の中に、絶対零度の光を灯して男を見た。
「貴官の発言は、事実無根の推測に基づいた誹謗だ」声は静かだった。しかし酒場の隅まで届いた。「副長と私の関係は、指揮系統上の上下関係かつ、信頼に基づく戦略的パートナーシップだ。それを根拠のない性的な文脈で語ることは、我々の名誉への侮辱であり、B中隊全体への侮辱でもある。騒音値も許容範囲を超えていた。以上の理由から、物理的な洗浄が必要と判断した」と、ロートは一気にまくし立てた。いつもの数倍、早口だった。
「て、てめえ……っ!!」
男が真っ赤になって立ち上がり、拳を振り上げた。
ロートは動じなかった。
迫る拳を、柳のようにかわした。男の手首を掴み、その力を使って床に叩きつけた。
すさまじい轟音がして、床板が鳴った。
「喧嘩なら、私が買おう」とロートは言った。「……かかってこい」
「こ、この女狐……!野郎ども、やっちまえ!!」
「てめえら、泣く子も黙るB中隊をバカにして生きて帰れると思うなよ!」
アランが歓喜の咆哮を上げ、A中隊の一人に掴みかかった。ジャンとラサールも「隊長がやっていいって言ったんだからな!」と叫びながら飛び込んだ。
一分後。A中隊の面々は、酒場の床で魚のようにぴちぴちと動くだけの状態になっていた。
ロートが一番暴れた。三人の傭兵をあっという間にのして、ジョッキに残った酒を飲み干した。彼女は乱れた金髪をかき上げると、懐から金貨を一枚取り出し、ガタガタ震えている店主に放り渡した。
「騒がせてすまなかった。備品の修理代と清掃代だ。足りなければ言ってくれ」
その姿は、酔っているとは思えないほど凛としていた。
店を出た後、夜風が火照った頬を冷やした。
アランが「ぷはぁっ」と声を上げ、ジャンが肩を組んで笑いながら歩いた。
「隊長、あんた自ら暴れるなんてバカか?」とアランが言った。わざとらしく溜め息をつきながら。しかし顔は満面の笑みだった。「規律はどこへ行ったんだ、規律は。報告されたら責任問題だぞ」
「兵士の士気を維持するためには、時に理不尽な外圧を物理的に排除することが最短の解決策だと判断した」
ロートは真面目な顔で答えたが、足取りが僅かに千鳥足だった。
「ひっく……それに、あいつらは私の大切な部下をバカにした。それは、絶対に許しがたい」
ジャンとラサールが顔を見合わせた。
「隊長……」
「……なんだ」
「かっこいいっす」
「……事実の評価には感謝する」
一行が去った後、酒場の店主がぼんやりと床を見た。A中隊の五人がまだ転がっていた。
「あれが噂のB中隊の隊長かよ。強すぎる……」と誰かが言った。
「あの人酔ってたよな? 絶対酔ってたよな?」
「酔ってたのにメチャクチャ強かった」
「しらふだったら一体どうなるんだ」
宿舎へ続く街道を歩きながら、アランはロートの隣に並んだ。
ジャンとラサールは少し前を歩いており、二人だけになった。
「隊長」
「なんだ」
「今夜は、良かった」
「何がだ」
「こういう夜が、たまにはあっても良い」とアランは言った。「お前が笑って飲んで、バカ騒ぎをする夜が」
「バカ騒ぎはしていない。合理的な判断に基づいた行動だ」
「酒をジョッキで頭からかけるのが合理的な判断か?」
「状況に応じた最適解だ」
「……最適解、か」アランは笑った。
しばらく、二人で歩いた。
南の星が多かった。北と違う並びだが、北の星だけはどこからでも見えた。低い位置だが、確かにあった。
不意に、ロートは口を開いた。まだ酔いがまわっている。足元がふわふわする。
「…三年いれば、私も少しは変わる」
「……あんたは、どう変わった?」
「……人の話を、以前より聞くようになったと思う。以前の私は、聞く前に結論を出していた」ロートは少し間を置いた。「あいつらの武勇伝は、戦術的に面白かった。聞かなければ分からなかった」
「そうだな。あんたに聞いてもらえると、話す方も嬉しいんだ。隊長に聞いてもらえた、ってだけで、自分の経験に意味が出てくる気がしてな」
「……そうか」
「あんたは変わったよ、三年で。最初に来た時は、もっと人間離れしていた」
「今は人間らしくなったか」
「少しはな。まだ鉄分が多いが」
「鉄分」
「鉄の意志が多いって意味だ。悪口じゃない」
ロートは少し間を置いた。
「アラン、お前は変わったか」
「俺か」アランは空を見た。「変わった。剣を抜く前に一呼吸置くようになった。お前が、必死に考えてから動く姿を三年見ていたら、力だけで解決しようとすることが雑に思えてきた」
「それは私が悪い影響を与えたということか」
「反対だ。大人の男の嗜みってやつを教えてもらった気分だよ」
アランは笑った。
「あんたの方はどうだ。少しは変わったか」
「来た時よりは、少し話せるようになった」ロートは言った。「お前に話していることも、以前の私なら切り捨てていただろう」
「俺に対しては特別か」
「お前は私より感情が大きい。それが、わたしの論理の緩衝材になる」
「緩衝材、か」アランは肩を揺らした。「ひどい言い方だな。だが、悪くない」
「悪口ではない。化学反応だ。似た者同士では起きない反応がある」
「ははっ、なんか難しい言い方してるが、つまり俺たちは相性が良いってことか」
「そういうことだ」
アランは少し間を置いた。それから、真面目な顔で言った。
「……隊長。次はどこへ行く」
「分からない。帝国が決めることだ」
「じゃあ問いを変える。どこに行っても、お前は『ロートリット・テンペスト』として戦い続けるか」
「ああ。この名前は捨てない」
「なら決まりだ」アランは言った。「隊長が行くところ、地の果てでも。俺はお前の隣にいる。緩衝材として」
「……それは副長の言葉として受け取って良いか」
「副長としてもそうだし、俺個人としてもそうだ」
ロートは少し止まった。
「……そうか。わかった」
前を歩くジャンが振り返った。「隊長~! 明日の訓練、二日酔いで遅れたらどうなりますか!?」
「外周五十周だ」
「そりゃねえよ! 今夜のあれで相殺してくださいよ!」
「私は相殺という概念を採用していない」
「鬼だ!」
「副長が奢りに誘った。私は視察をしただけだ。今夜の責任は副長に帰属する」
「え、俺か?」
「そうだろ、違うか?」
「いや待て、それはおかしい!」
「どこがだ」
「どこがって……あんたが暴れた部分は?一番暴れたの、隊長だぜ?」
「それは合理的判断だ。私には問題ない」
ジャンとラサールが「やべえ、隊長の合理性は都合が良い時だけ発動する」と小声で言い合っていた。
アランは声を上げて笑った。
ロートは真顔のまま歩いた。しかし、口の端が微かに上がっていた。
南の星が輝いていた。
宿舎の前で、アランが立ち止まった。
「隊長、一つ聞いても良いか」
「なんだ」
「今夜、楽しかったか」
ロートは少し間を置いた。
「……ああ。とても、楽しかった」と言った。
「そうか。なら良かった」
「ただ、頭が少し痛い」
「それは二日酔いの予兆だ」
「これが二日酔いか。初めての感覚だ」
「それに慣れるな。二日酔いは慣れると堕落の始まりだ」
「お前は慣れているのではないか」
「だから言えるんだよ。隊長」
ロートは少し考えた。
「アラン、今夜は……礼を言う」
「いきなり、どうした?」
「酒場連れて行ってくれたことに対して。視察という名目だったが、実態は……」ロートは少し間を置いた。「楽しい夜だった。ありがとう」
アランは何も言わなかった。
代わりに、ロートの頭をわしゃっと乱暴に撫でた。
「な、何をする」
「俺も、楽しい夜だったからな」
「り、理由になっていない」ロートの顔は真っ赤になった。
「俺の中ではなってるんだよ」アランは楽しそうに笑った。
ロートは乱れた髪をあわてて直しながら「む。そうか。ならいい」と顔の赤いまま言って、それ以上追及しなかった。
宿舎の扉が閉まった。
南の夜が、静かに続いていた。
翌朝の点呼。
ジャンが若干のくまを作りながら整列していた。ラサールが眠そうな目で立っていた。
アランは何もなかったかのように、普通の顔で前に立っていた。
ロートが前に出た。
いつもと変わらない、完璧な顔だった。
「全員揃っているな。では、本日の訓練を始める」
昨日の夜が、何事もなかったかのようだった。
アランだけが、ロートの口の端が僅かに上がっているのを見た。
昨夜と同じ、微かな笑みだった。
アランは「B中隊は面白え場所だな」と思いながら、訓練場に向かった。
南の空が高かった。




