第7話 二年前の毒事件の真相をようやく聞いた件
離宮、三日目の、夜。
ハンナが、淡い藍色の、絹のドレスに、私を、着替えさせてくれた。
「お嬢様、本日は、夕食の後、客間で、殿下と、ゆっくり、お話のご予定が、ございます」
「ーー、お話、ですか」
「はい、殿下から、お嬢様に、二年前のお話を、ーー、と」
──、二年前。
──、温室での、めまい、と、お話の続き、なのね。
──、私の、エリクサーで、命を、繋いで、いらっしゃった、その、お話の、続き。
──、ようやく、聞かせて、いただける。
──、聞かせて、いただきたい、と、思っていた、私の、本当の気持ち。
私の中の、何かが、ふっ、と、静かに、震えた。
◇◇◇
夕食を、殿下と、二人きりで、いただいた後。
殿下と、私は、客間の、暖炉の前の、深紅のソファに、並んで、腰を、下ろした。
暖炉の火が、ぱちぱち、と、優しく、燃えていた。
外は、もう、すっかり、夜の闇に、包まれていた。
殿下が、ふっ、と、私の手を、優しく、握った。
殿下の手のひらは、いつもより、ほんの少し、温度が、低かった。
「エリーゼ嬢、聞いてほしい」
「は、はい」
「ぼくの、二年前の、お話」
殿下が、ゆっくりと、静かに、過去を、語り始めた。
◇◇◇
「ぼくは、二年前の、春、何者かに、毒を、盛られた」
「ーー」
「夜会の、お茶の中に、ーー、ごく、微量の、無味無臭の、毒」
「ーー、!」
「最初は、軽い、頭痛、だった。けれど、翌朝には、起き上がれないほどの、高熱」
「ーー」
「王宮の、御用達ポーション、王国一の、宮廷魔術師の、治癒術、ーー、すべて、効かなかった」
「ーー」
「一週間、ぼくは、意識が、朦朧、と、していた」
殿下の、空色の瞳が、暖炉の光に、淡く、揺れていた。
「医師団の、見立てでは、ーー、もう、数日も、もたない、と」
「ーー」
「王宮では、ーー、密かに、ぼくの、葬儀の、準備が、始まっていた、と、後で、聞いた」
──、!
──、葬儀の、準備。
──、原作小説の、通り、ーー、いえ、原作では、もう、亡くなって、いらしたはず。
──、こちらの世界では、ーー、辛うじて、生き延びていらした、と。
「ぼくの、密偵が、王国中の、薬草店を、回って、ーー、最後の、希望を、探していた」
「ーー」
「そして、北の山あいの、ノヴァク村に、半月前、新しく、開いた、小さな、薬草店、サラの店を、見つけた」
「ーー」
──、ーー、それ、私の店。
──、二年前の、春、開店したばかりの、サラの店。
「密偵が、店主のサラ嬢に、ーー、宮廷の、いかなる薬も、効かない、毒の、解毒剤は、ないか、と、尋ねた」
「ーー」
「店主のサラ嬢は、ーー、何も、聞かずに、ーー、その日のうちに、特製の、エリクサーを、調合してくれた」
「ーー」
「密偵が、それを、王宮に、持ち帰って、ーー、ぼくに、飲ませた」
「ーー」
「ぼくは、ーー、その夜、目を、覚ました」
──、ーー、!
──、それ、私が、調合した、エリクサー。
──、二年前の、春の、ある日、密偵さんが、お店に、訪ねていらして、ーー、藁にもすがる、と、いう、ご様子だったから、私、出来うる限りの、解毒の、エリクサーを、その日のうちに、お渡しした、あの、エリクサー。
──、まさか、ーー、まさか、それが、王太子殿下、いえ、第二王子殿下の、お命を、救った、エリクサー、だった、と?
殿下が、ふっ、と、私の頬を、優しく、撫でた。
「君の、エリクサーが、ーー、唯一、効いた」
「ーー」
「君は、ーー、ぼくの、命の、恩人、だ」
「ーー」
私の目から、ぽろぽろ、と、涙が、零れ落ちた。
◇◇◇
──、私、ーー、知らないまま、殿下の、お命を、救って、いたの。
──、私、ーー、原作で、亡くなる、はずだった、殿下を、ーー、生き返らせて、しまった、の。
──、私の、エリクサーが、ーー、王国の、未来を、変えた。
私の頭の中、ぐるぐる、と、いろんな、考えが、回って、ぐちゃぐちゃに、なって、いた。
「で、殿下、ーー」
「うん」
「ーー、よかった、です」
「えっ」
「ーー、本当に、ーー、よかった、です」
私は、震える指で、絹のドレスの裾を、ぎゅっ、と、握りしめた。
「殿下が、ーー、生きて、いて、くださって、ーー、本当に、よかった、です」
「ーー」
「私の、エリクサーが、ーー、お役に、立てて、ーー、本当に、よかった、です」
殿下が、ふっ、と、息を、呑んだ。
そして、私の頬を、両手で、そっ、と、包み込んだ。
「エリーゼ嬢、ーー、ぼくも、ーー、生きていて、よかった」
「ーー」
「君に、ーー、出会えて、よかった」
殿下の、空色の瞳が、暖炉の光の中で、淡く、揺れていた。
その目には、何の、迷いも、ない。
ただ、深い、深い、感謝と、ーー、何か、もう一つ、強い、想いが、湛えられていた。
◇◇◇
──、私の中の、何かが、決壊する、寸前。
──、いえ、決壊、してはいけない。
──、決壊、したら、もう、戻れない。
──、けれど、ーー、けれど、ーー。
──、殿下、いま、ーー、目の前で、私を、見つめて、いらっしゃる。
──、私の頬を、両手で、包んで、いらっしゃる。
──、ーー、私、ーー、私、ーー。
私の身体が、勝手に、動いた。
震える指で、殿下の頬に、そっ、と、触れた。
そして、ーー。
私の唇が、殿下の頬に、ふっ、と、優しく、触れた。
──、!
私から、初めての、口づけ。
殿下の頬、私の唇。
ほんの、一瞬の、軽い、触れ合い。
けれど、私の中で、ーー、何かが、ふっ、と、変わった。
私は、すぐに、唇を、離して、両手で、自分の顔を、覆った。
「ーー、ごめんなさい、ーー、勝手なこと、を」
「ーー」
殿下が、ふっ、と、私の両手を、優しく、引き剥がした。
そして、私の顔を、まっすぐに、見つめた。
殿下の頬が、ーー、ほんのり、と、赤かった。
「エリーゼ嬢」
「ーー、は、はい」
「ーー、もう一度」
「えっ」
「ーー、お願い」
私は、震える指で、もう一度、殿下の頬に、唇を、優しく、押し当てた。
殿下が、ふっ、と、目を、閉じて、深く、息を、吐いた。
「ありがとう、エリーゼ嬢」
「ーー」
◇◇◇
暖炉の火が、ぱちり、と、一段、大きく、爆ぜた。
殿下の、空色の瞳が、暖炉の光の中で、もう一度、深く、揺れていた。
私の、心の中の、何かが、ふっ、と、もう一度、変わった。
──、もう、戻れない、気が、する。
窓の外、夜の闇の中で、星が、ひとつ、ちかり、と、瞬いた。




