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婚約破棄でやっと自由になれたはずなのに、 死んでるはずの殿下の妃にされそうです  作者: 葉月晴子


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第14話 暗殺計画発覚、そして結ばれた夜

翌朝。


カーテンの隙間から差し込む光が、深紅の絹のシーツの上で淡く滲んでいた。私はその柔らかな明るさの中で、ゆっくりと目を覚ました。


ルークの腕の中。


背中越しに伝わる規則的な鼓動。とくん、とくん、と私の呼吸より、ほんの少しだけ遅いリズム。


──温かい。


これほど深く眠れた朝を、私はいつ以来経験しただろう。指折り数えてみたけれど、思い出せなかった。


ルークはもう、目覚めていらしたらしい。私の髪にふっと軽い口づけが落とされた。


「エリー、おはよう」


「ルーク、おはようございます」



◇◇◇



朝食をお部屋でいただいていた、その時。


客間の扉が控えめに、けれどいつもより速い動作でノックされた。


入ってきたフィンの足音は、普段の音もない歩み方とは違って、わずかに強い。


「殿下、お嬢様、ご報告申し上げます」


ルークがナイフを置いて姿勢を正した。


「うん」


「昨夜、離宮の森に潜入していた不審な人影、捕縛いたしました」


「うん」


「襲撃が目的ではありませんでした」


「では何だ」


「お嬢様のご所在の確認。偵察にございます」


「ーー」


「街道での襲撃失敗の後、雇い主はお嬢様のご行方を必死に探っておられたご様子。殿下がお連れになったのではないか、と疑っていらっしゃるようで」


「うん」


「殿下の忘れられた離宮の存在は、王宮の方々には伏せきれません。ここ数日、人を入れ替え入れ替え、森の中まで踏み込んで、お嬢様が本当にこちらにいらっしゃるか確かめようとしておりました」


「ーー」


「昨夜の者はその、何度目かの偵察にございます」


「うん」


「それからその者を絞りました」


フィンの声は淡々としていた。けれどその淡々が、かえって何が起きたかを雄弁に物語っていた。


「雇い主の名前を、最後まで吐きませんでした」


ルークがわずかに姿勢を正した。


「うん」


「契約金が相当の額。命と引き換えに口を噤む約束をしているようでございます」


「状況証拠は」


「襲撃者の懐に、革袋に入った金貨が数十枚。その革袋の口にはロイス男爵家のご紋章入りの封蝋が、押されてございました」


「ーー」


「それから密偵が、二週間前からミラ嬢のお屋敷を見張っております。その間にミラ嬢がお忍びで、見知らぬ男とお会いになった日時、お場所、いずれも控えてございます。ただしお会話の内容まで聞き取れたわけではありません」



◇◇◇



ルークの空色の瞳が、フィンの上でゆっくりと止まった。


その瞳の色が徐々に、深い暗い藍に変わっていく。


「つまりミラ嬢が直接、指示を出した決定的な証拠はない」


「左様でございます。状況証拠のみ」


ルークがご自分の手のひらを、ゆっくりと見下ろした。


「エリー」


「は、はい」


「座って聞いてほしい」


ティーカップの脇で、私の指が無意識に強く握り合わさった。


ルークは深く息を吐いた。それから私の目を、まっすぐに見つめた。


「ミラ嬢が君を暗殺せよ、と命じていた可能性が極めて高い」


「ーー」


「状況証拠は出揃っている。けれどミラ嬢本人を直接指し示す決定打が、ひとつ足りない」



◇◇◇



暗殺。


私を暗殺。


頭の中で繰り返してみても、その言葉は現実のものとしてなかなか像を結ばなかった。


「私を、ですか」


「うん」


ルークの声は低く抑えられていた。けれどその奥には、押し殺された怒りのようなものが確かに燻っている。


「これは昨夜、初めて企てられたものではない」


「ーー」


「ぼくの密偵が一ヶ月前から、ミラ嬢の独自の動きを追っていた」


「ーー」


「一ヶ月前、ミラ嬢は宰相の王家傀儡計画とは別に、ご自分の人脈を使って君の暗殺計画を密かに進めていた」



頭の奥がふっと白くなった。


一ヶ月前。


それは私がまだ、王太子殿下の婚約者として屋敷で地味な日々を送っていた、あの頃。


刺繍をして、薬草の調合をして、本を読んで、そんな何でもない、けれど私にとってはそれなりに穏やかだった日々の、すぐ裏側で。


「修道院送りの馬車をミラ嬢がご自分の息のかかった者で手配なさり、道中の街道で盗賊の偽装で君を襲撃し、殺す計画だった」


「ーー」


「ぼくの密偵がそれを察知して、君のお父様に密書をお送りした」


「ーー」


「お父様はぼくを信じて、君をぼくに託す約束をなさった」


「ーー」


「けれど君に伝えれば、君は計画を変えるかもしれない、とお父様は判断なさった」


「ーー」


「だから君には一言も伝えずに、修道院送りの当日、ぼくが君を雲隠れさせる形を取った」



◇◇◇



頭の中で、いくつもの記憶の断片がぱちん、ぱちんと音を立てて繋がっていった。


──お父様もお母様も。


──朝、ルーカス殿下を応接間でお迎えになった時の、お二人の嬉しそうな顔。


──修道院送りが王太子のご命令だったはずなのに、なぜかにこにこなさっていたあの表情。


あれは家名が保たれる喜びだけじゃなかった。あれは私を生かす段取りが、すでに動いている安堵の表情だった。


──私が置き手紙を残して出ていった、その後。


──お父様とお母様は、たぶん知っていらしたのね。


──街道でルークが必ず私を保護してくれる、と。


ぜんぶ。


ぜんぶ繋がっていた。



そして、もう一つ、私の中ですとんと嵌った記憶。



「ルーク、フィンさんーー」


私の声が震えた。


「うん」


ルークがフィンの方を振り返った。


フィンが口元を覆っていた黒い布を、指先でゆっくりとずらした。


その下から控えめで、けれど優しい笑みが現れた。


「お嬢様、ご無沙汰しております」


──!!



その声。その笑み。


私の「森の小さな薬草店」に、月に一度宿屋のご主人を経由してエリクサーを受け取りにいらしていた、いつもの口数の少ないあの方。


「いつもありがとうございます」「お薬、頂戴いたします」と、それだけしか言わなかったあの方。


──フィン、貴方様だったのね。


「フィンさん、ぜんぶ繋がっていたのですね」


「左様でございます」


ルークが私の手を握り直した。


「フィンが二年前から、君の店に通ってぼくのエリクサーを運んでくれていた」


「ーー」


「フィンが一ヶ月前、ミラ嬢の独自の暗殺計画を察知してくれた」


「ーー」


「フィンがヴェラを、君の身辺に配置することを提案してくれた」


ヴェラがフィンの隣で、深く頭を下げた。


「お嬢様、いつでもお命をお守りいたします」



◇◇◇



私の身体が震えた。


私、本当に死ぬところだった。


一ヶ月前から、ミラ嬢の独自の暗殺計画が進んでいた。


けれどフィンが察知してくれた。


ルークがお父様に密書をお送りくださった。


お父様お母様が私をルークに託してくださった。


ヴェラとハンナが私を見守ってくださっている。


ぜんぶ、ぜんぶぜんぶ、私を生かすために繋がっていた。


私一人だけが何も知らないまま、けれど確かに生かされていた。



頬の上を温かいものが、ぽろぽろと伝っていった。


「ルーク、フィン、ヴェラ、ハンナ、皆様、ありがとうございます」


声は震えて、最後の音まで続かなかった。


ルークが私をぎゅっと抱きしめた。


「エリー、もう絶対、君を危険な目には合わせない」


「ーー」


「もう君をぼくの腕の中から出さない」



◇◇◇



夜。


ルークの寝室の深紅の絹のシーツの上で、私はルークの腕の中に身体を預けていた。


ルークの長い指が、私の頬の輪郭をゆっくりと辿っていく。


「エリー」


「はい、ルーク」


「今夜はすべてがほしい」


ルークの声は低く、わずかに掠れていた。


──私のルーク。


身体の中のずっと張りつめていた、ある糸のようなものがふっと緩んだ。


「はい、ルーク」


「ぼくだけのものになって」


「はい」



ルークの唇が、私の唇にゆっくりと深く降りてきた。


長い指が絹の夜着の細い紐を、丁寧にほどいていく。糸の擦れる微かな音。


首筋、鎖骨、肩のくぼみ、ルークの唇は迷うことなく、けれど急ぐこともなく、ゆっくりと辿っていった。


私の身体の奥の奥の、もっと奥の方が、ゆっくり、灯りが点るように温度を持ち始めた。


「ルーク、私をあなたのものにしてください」


「エリー、愛してる」


ルークの空色の瞳が、月光の下で深く揺らいだ。


深紅の絹のシーツが、私の肌をすっと滑り落ちていった。



◇◇◇



月光が深紅の絹のシーツの上に、淡い銀色をこぼしていた。


ルークの腕の中で、私の身体はすべての強張りを解いていた。重さも輪郭も、もうよくわからない。ただ温度だけが、確かにある。


ルークの長い指が、私の汗ばんだ頬をゆっくりと撫でた。


「エリー、ぼくの妃」


「ルーク、私のルーク」


ルークの唇が、私の額に深く、口づけを落とした。


その温度に包まれながら、私の意識はゆっくり、ゆっくり、渾然一体となりながら温かい闇の中に溶けていった。



窓の外では、フィンとヴェラの確かな、けれど影のような気配が、離宮の周囲を優しく覆っていた。


夜はまだ深い。

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