第112話 黙する耕作者
「おりゃあああっ!!」
石斧が唸りを上げ、小さな魔物の眉間を真っ向から叩き割った。
魔物は短い悲鳴を上げて崩れ落ち、動かなくなる。
「ふぅ……やった!こいつ、見た目より手強かったな」
満足げにあたりの樹々を見回し、ソウタは額の汗を拭いながら仕留めた獲物を見下ろした。
そして、ずしりと重い脚を持ち上げる。
「こいつは肉がうめぇんだ。……親父、喜んでくれるかな!」
期待に胸を膨らませ、ソウタは獲物を担いで意気揚々と歩き始める。
しばらく歩くと、やがて一つの村が見えてきた。
その村はオーガの村――岩肌に食い込むようにして家々が並ぶ、荒々しい造りの集落だった。
ソウタは、村の入り口の前でいったん立ち止まり、重い獲物を
「よいしょ」
と言って担ぎなおすと、門を通り抜けていく。
村の中心部に行くにつれて、通りの脇では、幾人かのオーガが鍛錬をしていた。
「うりゃぁーっ!」
「せやっ!」
それぞれが真剣な顔で武の型を磨いていた。
そんな様子を、興味津々な眼で見回しながらソウタは先へ進んで行く。
そして、彼の行きついたところは、村の外れにひっそりと建つ一軒家だった。
ソウタがその家の戸口の前に立ち、獲物を地面に下ろすと扉を開け、
「親父ぃ!」
と言って中へ入った。
だが、返事はなかった。
部屋の中を見回すが、父の姿はどこにもなかった。
「また、畑……かな?」
そう言って、外へ出て行くと、先ほど地面に置いた獲物を担ぎ、再び歩き始めた。
ソウタが歩いている道の両側には、岩がごろごろと転がり、草木が一本も生えていないような荒れた地が広がっていた。
しばらく歩いていくと、通り沿いの一角に、不自然なほど手入れの行き届いた畑が広がっていた。
ソウタは、その畑の奥の方に目をやると、そこには黙々と手を動かしている大柄な背中があった。
「親父ぃ!」
ソウタは手を振り、獲物を抱えたまま、その男の方へ走って行った。
男は腰を上げ、ソウタが駆け寄る様子を見ている。
そして、ソウタが男の傍まで駆け寄ると、
「どうした。その獲物は……」
とその男が言った。
「ほら、見てよ。おいらが一人で狩ってきたんだ!」
と言って、魔物を両手で握り、高々と上げて喜ぶソウタ。
だがその男は、
「あまり危険なことはするな……」
と一言だけ言って、再び作物に向き直った。
「親父……」
言いかけて、ソウタは言葉を飲み込んだ。
「魔物の干物がうちにはたくさんある。だから、その肉は村の者に分けて来なさい」
黙々と作業を続けながら、その男が言った。
「うん。わかった……」
顔を下げ、獲物を前に下ろす。
指先に、わずかに力がこもった。
ソウタは、振り返ると通りの方へ歩き出す。
すると、
ダダダダダダーーッ。
大きな足音と共に、魔馬に乗ったガラの悪そうな若者たちが畑の前の通りで止まった。
ソウタは、獲物を一旦地面に置くと、その音の止まった方を睨むように見た。
そして、その中のひょろっと背丈の高い男が声を上げる。
「おい、ゲンマ。まだそんなことやってんのかよ!」
すると、もう一人、今度は青色の髪の女が
「だらしねぇ。これがあのゼルヴァス十傑とまで言われた男のやることかねぇ」
とやじると、他の者が笑いの声を上げた。
「……」
ゲンマは顔を上げることもなく、ただ黙々と作業を続けていた。
その岩のような背中には、飛んでくる嘲笑など最初から存在しないかのようだ。
「チェッ。シカトかよ。つまんねえな……」
背の高い男が鼻を鳴らす。
「おいゲンマ! お前がそのザマだと、ソウスイさんも浮かばれねぇな!最強のオーガが聞いて呆れるぜ。今じゃ村の隅っこで芋掘りか? 情けねぇったらねえな!」
仲間たちの下品な笑い声が、静かな畑に響き渡る。
「やめなよ。レンジ。もうこの男は、戦う心なんてとっくに土の中に埋めちまったのさ」
「サヤ、だけどよぉ。このままだと、俺たち無視されてるだけだぜ?」
すると、レンジとサヤの間に魔馬に乗っていた男が、低い声で言った。
「お前ら、黙れ……」
空気が、一瞬で冷えた。
その男の威圧は、他の者を圧倒するものがあった。
レンジが、オドオドと返す。
「だ、だけどよ。リョウガ……」
すると、その男は鋭い目つきでレンジを睨みつける。
「わ、わかったよ……」
レンジは、仕方なく押し黙った。
次の瞬間――
リョウガが魔馬の手綱を引くと、向きを変えた。
「行くぞ」
そう言うと、若者たちは魔馬を蹴ると、リョウガの後に続き、
ダダダダダダーーッ、
という音と共に砂埃を上げて去っていった。
静寂が戻った畑で、ソウタは拳を固く握りしめ、震えていた。
「……親父。なんで、何も言い返さないんだよ」
その囁くような声は、去り行く魔馬の蹄が土を蹴る音でかき消されてしまった。
ソウタは、地面に置いた獲物を乱暴に担ぎ直すと、逃げるようにその場を後にした。
その日の夕刻――
ソウタは親父に言われた通り、里を回り、肉を配って歩いた。
「あら、ソウタ! こんなに立派な肉をいいのかい?」
「助かるよ。親父さんにもよろしく伝えてくれ」
近所の人たちは一様に喜び、お返しにと野菜や干し魚をソウタの袋に入れてくれる。
「ねぇ、おっちゃん。これ……親父に、直接渡してくれないかな?」
ソウタが期待を込めて頼んでみるが、村人は少し気まずそうに視線を逸らした。
「あ、ああ……すまないな。これから少し野暮用があってね。ほら、お前がいるんだからいいじゃないか。な?」
誰もがソウタには感謝した。
だが、ゲンマの名が出るたびに、決まって一拍だけ言葉が遅れた。
その距離感が、ソウタの胸を締め付けた。
最後に訪れたのは、村長テツゲンの家だった。
「おお、ソウタか。ん?この肉は……お前がとってきた奴か?」
「そうだけど……どうしてわかるの?」
少しだけ驚くソウタにテツゲンが答える。
「ゲンマのは、いつも干し肉だろ?生肉はめずらしいからな」
テツゲンが肉を受け取ると、ソウタの頭をポンと叩いた。
「そうだ。ちょうどいい。今夜はここで夕食を食べていきなさい。シノ、ソウタに席を用意してくれ」
「分かったわ。ソウタ、こっちへおいで」
村長の妻シノに促され、ソウタは温かい食卓についた。
湯気の上がるスープに、炊き立ての飯。
しかし、ソウタはなかなか箸が進まない。
「……ゲンマは元気でやってるか?」
食後、テツゲンがポツリと、気遣うように尋ねた。
その一言が、ソウタの中に溜まっていたものを決壊させた。
「……元気だけど」
ソウタは俯き、膝の上で拳を握りしめた。
ポタポタと、涙がテーブルに落ちる。
「どうして……どうして親父は、あんな畑なんか耕しているの!? 十傑だったんでしょ? 十傑のゲンマっていえば、誰もが憧れる英雄だったんでしょ!? なのに、あんな荒れ地で……みんなにバカにされても、何も言い返さない……」
テツゲンは何も言わず、深く目を閉じた。
シノが寂しげな、それでいて深い慈愛に満ちた表情でソウタの側に寄ると、その震える頭を優しく、何度も撫で続けた。
「ソウタ……」
少年の泣き声だけが、オーガの村の夜に静かに溶けていった――。




