第102話 静かなる前震
ガルドリア国、玉座の間――
「モルード伯爵が参られました」
衛兵の高らかな声と共に、ガルドリアの玉座の大きな扉が開くと続けて、大きな声が玉座の間に響く。
「陛下、お久しぶりでございます」
そう言って、一人の男がズケズケと玉座に続く赤いカーペットを歩み出てきた。
モルードは、アークリオスより少し歳が上のいとこにあたる者であった。
「おぉ、これは、これは、モルード伯爵。よくぞ、参った」
アークリオス三世は、突然の知人の来訪に喜びを隠さず、玉座から眼下の階段を下りて、モルードのところへ早足で歩いていくと、彼の手を取って声をかけた。
「今日は、どうされたのだ?事前に言ってくれれば、いろいろと用意をさせていたものを」
と、上機嫌のアークリオスであった。
「いえいえ、陛下。今日は、少し不始末をいたしまして、そのお詫びに参った次第でして」
不始末の報告をしに来たにしては、明らかに声のトーンが高いモルード。
「不始末だと?ほう、それはどんなことですかな?」
アークリオスは、にっこり笑って、モルードの顔を見る。
「いや、大したことではないのですが、ちょっとした暴動がアシュベルトで起こりましてな」
「暴動!?」
さすがに驚いた様子のアークリオスをよそにモルードが続ける。
「もちろん。一瞬で鎮圧いたしました。まぁ、私に立てつくなど馬鹿な行いです。首謀者を捉えて即刻死刑に処しました」
悪びれた様子もなく、当たり前のように語るモルードの姿は、アークリオスの驚きを押さえるのに十分すぎたようであった。
「そ、そうか。流石は、モルード伯爵。にしても即死刑とは……」
「陛下、それは当たり前のことですぞ。私の領土で、反乱を起こすということは、陛下に剣を向けるようなもの。万死に値しますぞ」
モルードは、間髪入れずに、さも忠臣を示すかのように、ひょうひょうと言ってのけた。
「そ、そうだな!私も、あなたのような素晴らしい家臣がいるからこそ、枕を高くして眠れるというものだ!はっはっはっ!」
アークリオスの乾いた笑い声だけが玉座の間を埋め尽くす。
その様子を横目で見ていたのは、いつもの窓際のテーブルに座っているラグニアであった。
モルードは、ラグニアの存在に気づくと、身だしなみを整えて、声を張った。
「これは、これは、ラグニア殿。相変わらずお美しい。陛下が実にうらやましいですな。このような美女をいつも拝顔できるのですから」
そう言うと、ニヤリと笑うモルード。
「……」
ほんのわずかに、彼女の眉が動いた。
ラグニアは、モルードの傲慢な態度がいつも鼻についていた。
無言のままモルードを一瞥するも、そのまま顔を窓に向けると遠くの空を見つめた。
「……ちっ」
モルードは、ラグニアの態度が気に入らなかったのか、思わず舌打ちをする。
その態度にギョッとした顔のアークリオスに気づくと、
「おっほん」
咳払いをして場を繕うモルード。
「ところで、殿下……」
と話を切り替えた。
「新たな魔獣召喚装置を手に入れたと伺いましたが?」
モルードが興味深げにアークリオスの顔を見た。
「おぉ、その通り。少し前に、アルデオリスがやって来て、捕虜の魔物を魔獣召喚に使いたいと言ってきたところで……まぁ、多少の犠牲は仕方あるまいと思い、許可を出しました」
「なんと。それはそれは、魔獣召喚の現場を拝見してもよろしいですかな?」
とモルードは目を嬉々として輝かせながら言った。
「それは申し訳ないことをした。残念ながら、先ほど魔獣召喚が終わったとの報告があったところでしてな……」
「そうでしたか。それでは仕方ない。次の機会にぜひ見させてもらいたいですな。陛下」
「そうですな。今度召喚するときは呼ぶことにしましょうぞ。はっ!はっ!はっ!」
本当に残念そうなモルードに対して、半ば得意げなアークリオスが高らかに笑った。
それに対して、モルードが無言のまま、冷ややかな目を自分に向けていたことをアークリオスは気づかなかった。
そして、
「そうだ、モルード伯爵。この後は、どうされるのだ?」
アークリオスは、突如、笑うのをやめると、真顔でモルードを見た。
「そ、そうですな。せっかくなので二、三日、ここに滞在させていただけると助かりますな。たまに都会の食事を味わうのも悪くないと思いまして」
「なるほど。それはいいですな。では、部屋を用意させましょう。ゆっくりしていってくだされ」
そう言って、モルードの肩をポンと叩くアークリオス。
モルードは、笑みを零すが、その目はまったく笑っていなかった。
その脇から
「……ふぅ」
と、二人には届かないほど小さなため息が漏れた。
そして、ラグニアは、うんざりした顔つきで、顎に手を当てて、テーブルに肘をつきながら静かに窓の外を見つめ続けていた。
ここはラグナメア国の市街地――
「よう、景気はどうだい?」
「いやぁ、芳しくないねぇ。そっちはどうだ?」
「うちも同じさ。こう原材料費があがっちゃぁ、うちはたまらんよ」
「そこのお兄ちゃん。このパン、買って行かないかい?」
「うまそうだけど、ちょっと高いんじゃないか?」
「何言ってるんだい!うちは格安だよ!変なこと言わないでおくれ!」
街角では、他愛もない日常の会話が飛び交っている。
中には、ひそひそ話をしている姿も見受けられた。
「まったく、税金はあがるは、物価も上がるわで……まったくやってられないよ」
「しっ、憲兵がどこに潜んでいるかわからないのに、余計な愚痴を言うもんじゃないよ」
「でもさぁ、税金の使い道を聞いたか?新しい兵器開発だとよ。こっちは食うのが精いっぱいってのに……お偉いさんは下々のことなんか、考えないのさ」
人々の会話は、現在の情勢に対する不満の表れのようだった。
――そんな話をしていた時だった。
ギシギシギシ――。
屋台が音を立てて小刻みに揺れる。
小さな地震である。
物が落ちないように抑える者、立ち止まり、あたりを不安そうに見渡す者がいた。
しばらくすると、
「収まった……か?」
揺れが収まり、周囲に安どの声が漏れた。
「ここのところ、地震が頻発して心配だねぇ。いずれ大きなのが来たら、いやだよ」
「まったくだな。ちょっと地震対策でもするか」
人々が不安を口にしていた。
だが、ここにいる者たちは知らなかった。
目に見えない何かが、確実にこの街を覆い始めていたことを。
一方、ラグナメアのオルギーの執務室では二人の男が密談をしていた――
「やはり、バナムは死んでいたようだ。先ほど、調査に向かわせたキリアンから連絡が入った」
浮かない顔のオルギーがフトノスに話した。
「そうか。まぁ、バナムは決して優秀ではなかったが、そこそこの力があったことは間違いないからな。そいつを倒すということは、それほどの手練れということか」
「そうだな。その可能性があるとすると、牙咆のルダル……か、その謎の異世界人だな……」
オルギーが、赤いワイングラスを見つめ、静かに回しながら呟くように言った。
「いずれにせよ、捨て置けない話だ。軍隊を派遣するつもりか?」
フトノスは、深いソファーに足を組み、両手をソファーの背もたれの上に置いて、天井を仰ぎながら言った。
「いや。もうすぐオリンポス三国会議も開かれる。それまではよほどのことがない限り目立った行動は控えたい」
そう言うと、オルギーは、ワイングラスを口にした。
「なるほど。確かに、今後のことを考えると目立った行動は避けるべきだな」
と、フトノスは、先ほどの姿勢のまま目をつぶって言った。
「あぁ。それに、そろそろ神々もこちらの動きに気づき始めるころだ。慎重に動くことにする」
オルギーが、再びワインを口にすると、コトッ、と音を立ててワイングラスをテーブルに置いた。
天井を仰いでいたフトノスが、その音でオルギーの方へ顔を向けた。
オルギーの口角がつり上がっている。
「ところで……」
と言ったところで、オルギーは前かがみになって両膝を足につき、両手を合わせると、顎をその上に置いて言った。
「いま、例の兵器の進捗はどうだ?」
先ほどまで表情を見せなかったフトノスの顔が、不気味に崩れた。
「いよいよ完成する。いま、深い地下空間で実証実験をしている。前世の最終兵器など、子供のオモチャのようなものだ」
そして、フトノスが言い終わった直後だった――。
コトコトコト。
食器棚に収まっているワイングラスが揺れる音。
その音を聞いた二人の男は、顔を見合わせ、声を立てず笑いあったのであった。
二人の乾いた笑いは、静かな執務室の空気をゆっくりと歪ませていった。
それが何を意味するのか――この場の二人以外、まだ誰も知らない。




