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そのメール、代筆いたします  作者: 蒼井スカイ
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4.思いがけない提案

「結局、2人の押しに負けて受け取ってしまった……」


 土曜日の午前0時を回った頃、ようやく自宅アパートに帰宅した。


――陽菜ちゃんも青海さんも、本当に怖かった。私が報酬を受け取るのを頑なに拒否したから、2人して私に詰め寄って来るんだもの。きっと、あの2人は最初から私に報酬を受け取らせるつもりだったに違いない。


 初めてメールの代筆を依頼してきた学生時代の友人――陽菜ちゃん――からは、現金3万円の報酬を受け取ることになった。それも白い封筒のまま渡されたから、中身までは確認しておらず、帰宅してから中身を確認したら、3万円が入っていた。

 さすがに、メール1つでこんな大金はもらえないと、陽菜ちゃんに返そうとしたが、あれこれと理詰めで説明されるうちに説得させられていた。


 そして、今夜、2度目の理詰めをされた。それも彼女だけでなく、その恋人の青海さんからも。2人がどれだけ仕事ができる有能な人なのか、身をもって体験した。仕方なく、青海さんから茶封筒を受け取った。帰宅してから封筒の中身を確認すると、5万円が入っていた。


「ちょ、そ、そんなぁ。こんなにたくさん貰えない……でも、きっと青海さんも、陽菜ちゃんも受け取ってくれないだろうな……仕方ない、今回は有難く受け取ることにしよう」


 きっとメールの代筆をするのはこれきりになるはずだ。最初で最後なのだから、対価として有難く受け取ることにした。




 その翌週の土曜日――。夏目さんとしたランチの約束を守るべく、お弁当を作っていつもの公園に出掛けた。でも、夏目さんは公園に現れず、お弁当を半分以上残したまま、帰宅した。


 その翌々週もお弁当を作って公園に足を運んだが、やはり夏目さんと会うことはできなかった。


 その次の週は風邪を引いて自宅アパートでずっと寝ていた。頭の中は、「夏目さんは今日来ていただろうか?」とそんなことばかり考えていた。


 そのうち、ランチの約束は社交辞令だったんじゃないかと思うようになった。次第に、公園から足が遠のいていった。





 それから2カ月後――。


 陽菜ちゃんからメールが届いた。


『理桜、櫂から連絡が来たんだけど、理桜が添削してくれたメールを先方に送った後、直接会った時に、とても和やかな雰囲気の中で話ができたって、櫂が喜んでいたよ。本当は理桜に直接お礼を言いたかったみたいだけど、仕事が忙しいみたいで、代わりに私から連絡することになったの。

 改めて、櫂の力になってくれて本当にありがとう。私たち、本当に理桜には感謝してるんだ。理桜は本当に、誰かの言葉にならない気持ちや想いを代弁する才能があるよ! それでさ、私思ったんだけど、プライベート専門のメール代筆サービスで起業でもしてみたら?

 理桜が起業するなら、私も周りにいる人に声をかけて、バンバン依頼主を紹介するからさ。ちょっと真剣に考えてみてよ。私が協力できることは何でもするからね。じゃあ、また今度お茶しようね。』


――取引先の社長さんに青海さんの気持ちが伝わったんだ。メールが良い方に向かってくれて本当に良かった。これで一安心だ。


 今、私の頭を占めているのは陽菜ちゃんから言われた起業のことだ。


 確かに、1人で完結するメールの代筆は、無職の私にとって魅力的な仕事と言える。ただ、私が作成したメールが相手に喜ばれたからといって、仕事として成り立つのだろうか。実績はたったの2通、しかも依頼主は学生時代の友人とその恋人だ。

 今後も安定的に依頼を受けられるか、それは定かではない。今は蓄えを切り崩しながら生活しているが、そのうち、蓄えがなくなれば、今の生活を維持できなくなる。


 かといって、会社勤めの仕事を選ぶのも違う気がする。この内気な性格ではどの企業に行っても、苦労することは目に見えて分かっていた。

 だからこそ、在宅でできる仕事がないか、探していた。でも、フルリモートの仕事でも、完全に人と関わらずに働ける訳ではない。コミュニケーション能力が低い私ができる仕事は限られている。その中でやりがいを感じる仕事があれば良かったが、興味をそそられる仕事はなかった。


「なかなかやりたいと思える仕事が見つからないもんだなぁ。これからどうすればいいんだろう? 陽菜ちゃんが言うように、文章力を活かして、起業するべき? でも、起業なんて、私には無理に決まってる……。

 あぁ~、これじゃあいつまでも堂々巡りだ。頭の中を整理したいっ! よしっ、いつものあの場所で、気分転換でもしてこよっと」


 気分転換をしに、久しぶりに池のある公園へ向かうことになった。お昼はすでに済ませたから、今日は昨夜焼いておいたレモンとドライフルーツのパウンドケーキを厚めにスライスして、公園のベンチでティータイムをすることにした。





「うぅ~んっ、いい天気~。少し日差しは強いけど。あっ、あのベンチだけ木陰にかかってて涼しそう。今日はあのベンチにしよう」


 ベンチの右側に座り、手提げバッグから1切れずつラッピングしたパウンドケーキとアイスティーを入れた水筒を取り出し、ベンチの中央に置いた。水筒の蓋を外し、コップ代わりにアイスティーを注ぎ入れ、乾いた喉へ流し入れた。


「美味しい~、青海さんに貰った紅茶もあと少しで切れちゃうな。陽菜ちゃんに頼めば、購入できるかな……」


 ベンチから池を眺めていると、ベンチの後ろから足音がした。後ろを振り返ると、学校帰りの子どもたちがベンチ裏にある芝生の上を駆けて行った。


――そういえば、夏目さん、あれから全然会わなくなったなぁ。私も、風邪を引いたし、考え事をすることがなくなってここのところ来ることもなかったからなぁ。今日は平日だし、きっとこの時間は仕事中だよね……。


 ラッピングされたパウンドケーキを1切れ取り出し、片側だけラップを丁寧に剥がしていく。一口分をゆっくり咀嚼した。一晩寝かせただけあって、パウンドケーキはしっとりしていてほのかに洋酒の香りが鼻腔を抜けた。


「美味しい~、蜂蜜漬けのレモンを入れて正解だ……」

「俺にも味見させてくれない?」


 不意打ちのようにどこからか声が聞こえてきた。後ろに人の気配を感じて振り返ると、そこにはスーツ姿の夏目さんが立っていた。


「夏目さんっ?」

「理桜ちゃん、久しぶりだね。なかなか会えないから、避けられているのかと思ったよ」

「えっ? 夏目さんこそ、全然公園に来なかったじゃないですか」

「えっ、理桜ちゃん、もしかして、毎週末、公園に来てくれてたの?」

「――そ、それは……」

「もしかして、毎回、俺のためにお弁当を作って持ってきてくれてたとか?」

「…………」

「――理桜ちゃん、隣座ってもいいかな?」


 私は俯いたままコクリと頷いた。すると、彼は隣に腰を下ろした。


 毎週のようにお弁当を作って公園に来ていたことが意図せずバレてしまい、恥ずかしくなった。まるで、私が夏目さんに会うのが楽しみで仕方なかった子どものようだと受け取られたと思ったからだ。


――それにしても、夏目さん、いつもと雰囲気が全然違う。ランニングウェアじゃなくてスーツ姿だからかな? 普段の夏目さんは私と同世代に見えたけど、こうしてきっちりとスーツを着こなして、髪をヘアワックスで固めて後ろに流していると、ずっと年上の大人の男性に見える……。



「――そうか、理桜ちゃんは毎週来てくれてたんだ……」

「そ、それは……でも、私も風邪を引いて来れなかった時もありましたし……その後は公園に来る理由もなくて、今日は久しぶりに来たんです……」

「風邪? もう大丈夫なの?」

「えっ、はい……もうずっと前のことなので……」

「――そう……」


 彼はその後、無言になった。


 続く沈黙に居心地の悪さを感じ、何か言わなければと彼に視線を向けた。彼の表情はどこか疲れているようで、ただ池だけをじっと眺めていた。何かあったのかと声をかけようとしたが、部外者の私が話しかけるのも気が引けた。


 結局、喉から出かけた言葉を飲み込んだ。かける言葉も思い浮かばず、ボーっと池の水面を見続けていた。


――こんな風にボーっとするのも久しぶりだなぁ。自分がやれそうな仕事も見つからないし、かと言って起業に踏み切ることもできない。いつまでも貯蓄を切り崩すだけの生活を送る訳にもいかないしなぁ……。どうしたらいいんだろう。




 それからどれくらいの時間が経ったのだろうか。気づくと、目の前に広がる池の水面は夕日色に染まっていた。さっきまで聞こえていた子どもたちの声はすでになく、風がそよいで葉が擦れる音だけが耳に届く。


「もう、こんな時間か……時間が経つのは早いな……さて、そろそろ行かないと……」

「――そう、ですね……」

「理桜ちゃん? もしかして悩み事?」

「――いえっ、悩みという訳ではないんですけど……」

「――」


 彼は腕時計を一目見てから、こちらを向いて口を開いた。


「理桜ちゃん、この後時間ある?」

「へっ? あ、はい……特に用事はありませんけど……」

「じゃあさ、夕食に付き合ってくれない?」





 彼に言われるまま、私は園内の駐車場に停められた彼の車の助手席に乗っている。車のことは詳しくはないが、全て革張りだが、クッション性があって座り心地のいいシートだ。きっと高級車なのだろう、とそんなことを考えていた。


 車はゆっくり発進し、駐車場を後にした。助手席の窓に流れる景色を見つめていた。


 だが、冷静になって考えてみると、自分はなかなか大胆な行動を取っていることに気づいた。


――何も考えずに助手席に乗っちゃったけど、この状況、かなりヤバいのでは……。夏目さんは顔見知りとはいえ、まだ数回しか会ったことがない人だし、こんな簡単に他人の車に乗ってしまった私って、危機管理なさすぎじゃ……。


 運転席に視線を向けると、暗がりでもその整った横顔のシルエットがはっきり見てとれた。時折、街灯の光に照らされたその横顔はとても美しく、まさに容姿端麗という言葉が当てはまる。


 彼は私の視線に気づいたのか、「どうかした?」と聞き返してきた。私は慌てて「いえっ、何も……」と答えた。すると、彼は苦笑しながら、言葉を続けた。


「ふっ……理桜ちゃん、今頃になってこの状況の危うさに気づいたの?」

「えっ?」

「もしも俺が送り狼の悪い男だったら、理桜ちゃんは困るでしょ?」

「送り……狼……そ、それって……!」

「ぷはっ……くっくっくっ……」


 どうやら、彼は冗談を言ったらしい。赤信号で停止したタイミングで、口元を片手で押さえながら笑いを堪えようとしていた。


――夏目さん、私を揶揄っただけ? 何だ、びっくりした……。私みたいに色気もない女を大人の夏目さんがどうこうする訳ないか。それにしても、今日の夏目さん、いつもと雰囲気が違う。何だか、変な感じ。


 最初は、いつもより一段と大人の男性の装いをしているからかと思ったが、公園でも様子がおかしかった。何か悩んでいるような……。


 信号が青に変わると、笑みを残したまま車を発進させた。


「理桜ちゃん、俺を信頼してくれるのはうれしいけど、やさしいからって男を簡単に信じない方がいい」

「――はい、気をつけます……」





「ごめんね、定食屋なんて、おじさんくさいよな」

「いえっ、そんなことないですっ。私、定食好きなのでっ」

「ぷっ……いや、それなら良かったよ。理桜ちゃん、好きなもの頼んでいいからね」

「あの、ここは私に支払わせてもらえませんか?」

「遠慮しなくたっていいよ」

「いえ、遠慮というより、以前お世話になったお礼をしていなかったので……」

「メールの代筆の時のこと?」

「はい、あの時は本当に助かりました。ありがとうございまし――」

「もうお礼は受け取ったよ」


 深く下げた顔を上げると、彼はメニュー表に視線を向けたまま、「じゃあさ、ここはいいから、別のことでお礼してもらってもいいかな?」と言った。


「別のこと、ですか?」

「うん……まぁ、話はご飯を食べてからにしようか」





「ごちそうさまでした。白身フライとっても美味しかったです」

「それは良かった。この店は俺のお気に入りの1つでね。時々ここの味が懐かしくなって、ふらりと立ち寄ることがあるんだよ」

「そうだったんですね。公園の近くにこんなお店があったなんて全然知りませんでした」

「公園からそう遠くないし、徒歩でも来れる」

「そうですね」




 食事が終わり、緑茶を飲んで喉を潤していると、彼が途中になっていた話の続きを話し始めた。


「そういえば、理桜ちゃん、公園で何か悩んでいるように見えたけど、俺で良ければ話を聞くよ?」

「あー、その……悩みという訳ではないんですけど、友達とその恋人から依頼されたメールの代筆が成功して、その友達から起業したらどうかと言われたんです。その、実は今、転職活動中で……」

「転職か、起業か、どちらかで悩んでいるのか……。理桜ちゃんを否定する訳ではないけど、起業するなら、もう少し実績を重ねてからの方がいい気がするな」

「――そうですよね……そんな簡単に起業なんてできる訳ないですし……」

「いや、起業自体はそんなに難しいことでもないんだよ。資金ゼロでも起業は可能だし、特別な申請もいらない。俺が心配してるのは、どっちかというと安定的に依頼主を確保できるかどうかってとこかな」

「……」

「――そうだな、起業自体はリスクゼロでできるけど、個人事業主として独立するには自分で営業して顧客を見つける必要がある。だから、大抵、本業の傍らで副業として小さく始めて、本業を超える収入を確保できるようになってから、独立起業するってパターンが主流なんだ。もちろん、リスクも顧みずに起業して成功する人もいない訳ではないけど……。理桜ちゃんは今1人暮らし?」

「はい……」

「実家は近いの?」

「いえ……大学入学と同時に地方から出てきて、そのまま就職したので……」

「転職より起業を選びたい理由はあるの?」

「――私、以前出版社に勤めていたんですけど、職場の人間関係がうまくいかなくて3年で退職したんです。元々、内気な性格でコミュニケーション能力も低いですし、会社勤めの仕事より在宅でできる仕事の方が向いてるのかな、と思って……」

「なるほど……確かに、職場も職業も向き不向きはあるからね。無理に転職して心や体を壊せば元も子もない。職安や人材派遣会社に相談してみるのはどう?」

「相談したことはあるんですけど、紹介される仕事の中に希望に合う仕事が見つからなくて……」


 彼は顎に指を当てて、何かを考えているようだ。


――こんな進路相談みたいなことを関係のない夏目さんに相談するなんて、迷惑極まりないよね……。やっぱりこういうことは自分で考えなきゃ。


「あの、夏目さん、私、やっぱり――」

「理桜ちゃん、こうしようか」

「はいっ?」

「俺が理桜ちゃんにメールの代筆をいくつか依頼する。それで成果が出れば、俺が君の起業をサポートするよ」

「――えぇっ?」


――夏目さん、今、私にメールの代筆を依頼するって……! それに、結果次第で私の起業をサポートするって……! えぇ~、意味が分からない……。


 彼はYシャツの袖をずらして腕時計を一目見た。


「理桜ちゃん、そろそろいい時間だから、今日はここでお開きとしよう」


 彼はそう言うと、会計を済ませにレジへ向かった。



「夏目さん、ごちそうになってしまってすみません」

「理桜ちゃん、こういう時はにっこり笑って『ごちそうさま、ありがとう』でいいんだよ。男は単純だからね。可愛い子の笑顔で満足するから」

「――えっと、夏目さん……ごちそうさまでした。ありがとうございました」

「うん、それでいい。暗いから、家の近くまで送るよ」


 一人でも大丈夫だと断ろうと口を開きかけたが、彼は私の返事を待たずに店を出て行ってしまった。


――これは、私が気を遣って断らせないため、なのかな……。




 定食屋から自宅アパートまで、車で数分と近かった。アパートに入る手前の道路に差しかかった時、彼に声をかけた。


「あのっ、ここで大丈夫ですっ」

「家はここから近いの? 1人でも大丈夫?」

「はい、ここから歩いてすぐですし、街灯もあるので大丈夫です」

「そうか、分かったよ」


 ドアを開けようとした時、手提げバッグにパウンドケーキが1切れ余っていることに気づき、手に取ると彼に差し出した。


「お礼にもなりませんが、蜂蜜漬けのレモンとドライフルーツのパウンドケーキです。甘い物が苦手でなければ召し上がってください」

「理桜ちゃんの手作り?」

「はい、焼き菓子が好きなので、時々自分でも焼くことがあるんです。さっき公園で勧めるのを忘れていました」

「ぜひ、もらうよ。家に帰ってじっくり味わうよ。理桜ちゃん、ありがとう」


――ひゃ~、夏目さん、何て顔をするのっ! 車内は薄暗く視界は悪いはずなのに、夏目さんの色気を醸し出す微笑みがはっきり見える……。きっとこのままいたら、顔が赤くなるっ。早く車を降りなきゃ……。


「じゃあ、送ってくださってありがとうございました。おやすみなさい」

「あっ、理桜ちゃん」


 車の扉を開けて外に足を踏み出そうとした時、逆の右腕を彼に掴まれ、後に引っ張られた。


「ごめん、勢いあまって引っ張りすぎた」


 私の後頭部は彼の胸板を直撃した。彼は私の右腕を掴んだ指の力を緩め、私が体勢を整える時にはその手を離してくれた。


「それでさっきの依頼のことだけど、改めて話す機会を設けたい。今日はもう遅いから、一度持って帰って考えてみてほしい。それでなんだけど、嫌じゃなかったら理桜ちゃんの連絡先を教えてもらえないかな?」

「――」


――確かに、仕事の依頼となれば連絡先を知っておいた方が便利だ。


 私はワンピースのポケットからスマホを取り出し、彼と連絡先を交換した。


「理桜ちゃん、気をつけて帰って。また連絡するよ」

「はい、夏目さんもお気をつけて」


 車のドアを閉め、彼に手を振ってから自宅アパートへと向かった。少し歩いてから、後ろを振り返ると、彼の車はもうなかった。

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