1.レクチャー(前)
本日の投稿は2本立てとなっております。
「理桜! こっち、こっちっ」
「陽菜ちゃん、ごめんね。待たせちゃって」
「ううん、そんなことないよ。私も今来たところだから。それより、メールが完成したって本当?」
「うん、メールで陽菜ちゃんに確認してもらうこともできたんだけど、やっぱり直接会って、見てもらってから採用するかどうかを確認してほしかったの」
「うん、分かった。理桜、先に飲み物をオーダーして。私は先に頼んだから」
アイスティーをオーダーすると、彼女は前のめりになって、「作成したメールを見せて欲しい」と懇願してきた。バッグからスマホを取り出し、作成したメールの文章を表示させてから彼女に手渡した。
『櫂へ
返事が遅くなってごめんなさい。櫂と一緒にフランスで暮らすことに不安があって返事をしなかったわけじゃないの。私は櫂のことが好き。その気持ちに嘘はないよ。
櫂が子どもの頃から叶えたがっていた海外で仕事をすること、その夢が叶うと知って私もうれしかった。それに、櫂が私と一緒にフランスへ行きたいと言ってくれて、ベッドから転げ落ちるほどはしゃいで喜んでいたの。
でもね、私も櫂と同じように叶えたい夢が2つあるんだ。
夢の1つは、何かで一番になること。少し前に話したと思うんだけど、新規プロジェクトのリーダーに抜擢されたの。入社3年目で、女性がリーダーになるのは社内で史上初めてのことなんだ。私も櫂と一緒で、今、夢を叶えられそうなの。
櫂の夢をそばで支えたいとは思ってる……でも、今、目の前にあるチャンスを諦めたら、この先ずっと後悔してしまうと思う。そんな気持ちのまま、櫂のそばに居たくない。だから、このプロジェクトが終わるまで、私のことを待っていて欲しいの。
私のもう1つの夢はね、子どもの頃からずっと願っていた夢なんだよ。それは、櫂のお嫁さんになって一緒に世界中を回ること。
櫂とこのまま離れ離れになるのは私も嫌。だから、このプロジェクトが成功したら、会社を辞めて、櫂のいるフランスに行くって決めた。それまでは、私の夢を応援してくれないかな? 櫂、一度会って、2人で話し合おう。連絡待ってます。』
「――すごいっ! 理桜、すごいよ。私、こんな文章を櫂に送りたかったのっ。この文章でメールを送らせてもらってもいい?」
「うん……でも……そのメールは、陽菜ちゃんの期待する結果を保証できる訳じゃないから、そこだけは分かっていてほしい……」
「もちろん、分かってる。理桜は私が作成したメールの文章や私から聞いた話に肉付けして整えてくれただけ。このメールを櫂に送って、その結果、私の気持ちが届かなかったとしても、それは理桜のせいじゃないから。そこは安心してっ。それに、私たち、そんなことで切れる関係じゃないでしょ?」
「――陽菜ちゃん……そうだね、うん。陽菜ちゃんの想いが彼に届くことを祈ってるね」
「うん、ありがとっ」
代筆したメールの内容は彼女のスマホに全文を送信した。彼女に喜んでもらうことができてホッとしたところだった。
「じゃあ、ここからは報酬の交渉と行きましょうか」
「えっ? 報酬って、どういうこと?」
「理桜、言ったじゃない。報酬はしっかり支払うからって」
「そんなっ、友達からお金は受け取れないよっ。それに、まだあのメールの内容が彼に伝わるか、分からないし……」
「理桜、私ね、本当に感謝してるんだ。理桜も私のメールを読んで気づいてると思うけど、私、文章力に自信がないんだよね。もちろん、仕事上のビジネスメールは作成できるの。でも、自分の感情とか気持ちを文章で伝えるのは苦手で……。
だから、入社当時は、メールでの気遣いの言葉が足りなくて、随分と苦労したんだ……。上司や先輩からは叱られるし、同僚からは冷たい人だって言われたこともあるの。今でこそ、何とか信頼関係を築くことができたんだけどね」
――大学でもあんなに大勢の人に囲まれていて、誰からも好かれる陽菜ちゃんが、職場でそんな苦労をしていたなんて……知らなかった。
「理桜が作ってくれたこのメールを読んで、感動した。私の言葉にならない想いをここまで言語化してくれて、本当にありがとう……うっ」
「陽菜ちゃん……」
彼女はそう言うと、声を抑えながら静かに泣いた。私は、彼女にハンカチを差し出し、泣き止むまで待つことにした。
「理桜、ごめんね。泣いたりして……」
「ううん、陽菜ちゃんに喜んでもらえただけで私は満足」
「結果はどうであれ、私は絶対に報酬を支払うからね」
「えっ、でも、それは――」
「私たちは友達だけど、理桜はこのメールを作ってくれるのにたくさん時間を使ってくれたんでしょ?」
「それは……でも、私、今は無職で暇だし――」
「私ね、仕事でライターさんに依頼することもあるの。ライターさんが作成した記事を自社のメディアにアップするんだけど、1つの記事が完成するまでに何人もの人が携わっていて、いくつもの工程を経ているの。理桜は編集者だったから、そこは私よりも詳しいよね?
そのライターさんの書いた記事を読んで、本当に驚いたの。ウチの会社に1度だけインタビューに来ただけの人が、私以上に会社のことも、商品のこともよく熟知していて、ターゲット層の関心を引く言葉がたくさんあった。文章だけで会社の雰囲気や商品の良さを伝えるのって、すごい才能だと思わない?」
「――」
「だからね、理桜が私の代わりにメールを作成してくれて、その文章を読んで、私は感動したの。自分以上に私の気持ちを理桜が代弁してくれたから。
理桜のその才能は報酬を得るのに値する。私はそう思ってる。だから、このメールの代筆は、1人のプロに依頼したものとして扱いたいの」
「陽菜ちゃん……そこまで考えてくれて、ありがとう」
「ううん、私の方こそ、ありがとう、だよっ」
「うん」
「それでね、報酬の金額についてなんだけど」
「――うん」
「メールの代行サービスの相場とか調べてみたんだけど、参考になる数値がなかったの。だから、相場とか関係なしに、私の気持ちをこの封筒に入れておいたから」
彼女は白い封筒をバッグから取り出し、私の前に差し出した。
「正直、私の人生を左右する大事なメールだから、もっと払ってもいいと思うんだけど。あんまり多すぎても、理桜の負担になると思うし。だから、結果次第で、お礼に食事を奢らせてもらうね」
「そんなっ、お金をもらうのに、食事まで奢ってもらうなんて悪いよ……」
「理桜、さっき私が言ったこと、ちゃんと聞いてた?」
「えっ……」
「理桜が作ってくれたこのメールは間違いなく、私の人生を変えてくれるメールなのっ。メール1つで、櫂との関係を修復できるなら、私はいくらでも払う! それくらい、理桜が私にしてくれたことは、大きな影響を与えるってことっ。分かってくれた?」
「う、うん、分かった……」
「本当に分かってるのぉ?」
「うんっ、陽菜ちゃんの気持ち、伝わったよ。だから、私、このお金をメール代筆の対価として受け取るね」
「うん、それでよしっ。そのお金は家に帰ってから開けてね。さて、小腹も空いてきたし、スイーツでも食べよっ」
「うん、そうだね」
彼女から封筒を受け取った時、数枚のお札の厚みを感じて一瞬ヒヤッとしたが、彼女の想いを無下にできないと思い直し、封筒をバッグへしまった。
スイーツのメニューを眺める彼女の顔は、すっきりとした表情をしていた。そんな彼女の晴れやかな表情を見て、自分が役に立つことができたのだと少し自信を持てた気がした。
「ねぇ、それにしても、理桜はどうしてここまで私の気持ちを汲み取った文章が書けるの?」
「――えっと……正直なところ、私、恋愛経験とかほとんどなくって……」
「うん、知ってるっ。初めての彼氏が前職の二股男でしょ? もしかして、私の櫂への気持ちは、その男とのことに置き換えて?」
「えぇ! ち、違うよっ、全然っ、彼のことは思い出しもしなかったから……」
「じゃあ、どうして?」
「実はね……恋愛経験もないし、陽菜ちゃんの気持ちを代弁できる文章が思い浮かばなくて、気晴らしにアパートの近くの公園に行ったんだ。その公園でたまたま会った男の人が、教えてくれたの」
「男の人? 教えてくれたって、何を?」
「うん、恋愛感情に代わる感情を知る方法」
「どういうこと?」
「それはね……」
「君は恋愛経験がないんだよね?」
「――はい……」
「それなら、恋愛感情に代わる感情を知るのが一番手っ取り早いと思うよ」
「えっ? 恋愛感情に代わる感情を知る方法があるんですかっ?」
「うん」
私は、咄嗟にベンチの角に引っ掛けた手提げバッグの中からメモ帳とペンを取り出し、膝の上でメモを取る準備を整えた。




