16.父と偽婚約者の約束(前)
本日は2本に分けて投稿いたします。どうぞ2本目もお楽しみください。
彼のマンションから自宅アパートに帰ってきたのは午後7時半頃。夕食は彼のマンションで一緒に食べる予定だったが、彼は疲れて眠ってしまったため、夕食を食べ損ねてしまった。2人分の夕食を作ったばかりのせいか、それほど食欲が湧かず、最寄駅近くのパン屋で買った総菜パンと菓子パンで済ませることにした。
シャワーを出てからスマホを確認すると、彼から電話の着信と受信メール1件の通知が入っていた。メールを開いて中身を確認した。
『夕食を用意してくれたのに寝てしまってすまない。気を遣って起こさないでくれたんだな。この時間だから、もうアパートに着いてるよな? 今日の穴埋めは必ずするよ。本当にすまない』
「樹さん、起きたんだ。3時間位は寝てたってことか……よっぽど疲れてたんだろうな」
彼に気を遣わせないため、メールを返信し、謝罪も穴埋めもいらないと伝えた。すると、すぐにメールの返信があり、「俺の気が済まないから、必ず穴埋めはする」と彼は言ってきた。
――樹さんは私のことを律儀だ、真面目だって言うけど、樹さんだって律儀だし、真面目だよね。それに、口にしたことは必ず守る人……。きっと断りの言葉を返しても、受け入れないよね。
諦めたように、彼への返信には「分かりました。今度は美味しいスイーツをご馳走してください」と伝えた。すると、彼は「分かったよ。次会う時までにお店を探しておくよ。おやすみ。」と返ってきた。そして、私は「おやすみなさい」と返した。
両親と仲人さんに樹さんを紹介する土曜日の朝――。
「理桜、荷物は後部座席を使って」
「はい、置かせてもらいますね」
実は、今日は都内から西方面に車で3時間程の場所にある私の実家へ、明日は北関東にある樹さんのご実家に行くという過密スケジュールを効率良くこなすため、今夜、私は樹さんのマンションに泊まることになった。
「理桜、昨夜はよく眠れた?」
「――それが、今日のことが気になって寝つくまで時間がかかってしまいました。樹さんは眠れましたか?」
「最低限の睡眠は取れたと思うよ。自分が言い出したこととはいえ、理桜のご両親を騙すことに変わりはないからね。せめて、ご両親には理桜を任せても大丈夫な男だと信じて安心してもらえるよう、頑張るつもりだよ」
「樹さん……母はおっとりしてますし、父は寡黙で生真面目な性格ですが、樹さんなら大丈夫だと思います」
「だといいんだけどね」
彼の微笑みはいつも通りやさしく、緊張している様子は全くない。
――さすが、樹さんだ。CEOの重責を担っている樹さんのことだ、きっと婚約者の両親に挨拶するくらい、何てことないんだろうな。むしろ、自分の親に会いに行くのに緊張してる私こそ、もっと頑張らないとっ。
樹さんが運転する車で実家へ向かう途中、大通りで見つけた飲食店で昼食を済ませることにした。
両親には紹介したい人がいるということだけを話し、仲人の村上さんにはお見合いのことについて話したいことがあると、母から伝えてもらった。
「おかえりなさい、理桜ちゃん」
「ただいま、お母さん」
「あら、そちらの方が?」
実家の玄関に入ると、母が出迎えてくれていた。挨拶を交わすと、母が彼の存在に気づいた。すかさず、彼は玄関の中に入り、私の横へと並び、自然な笑顔で母に挨拶をした。
「初めまして、夏目樹と申します。いつも理桜さんにはお世話になっています。理桜さんから、ご両親が和菓子がお好きだと伺いましたのでお持ちしました。ぜひお召し上がりください」
「あら、ご丁寧にありがとうございます。理桜の母です。さぁ、立ち話も何ですから、どうぞ上がってください」
「はい、失礼いたします」
「お父さん、理桜ちゃんが帰ってきましたよ」
「あぁ」
「お父さん、ただいま」
「理桜、お帰り」
「あらまぁ、理桜ちゃん、とっても綺麗になって」
「村上のおばさま、お久しぶりです」
「あらっ、理桜ちゃん、そちらの方は?」
「お父さん、村上のおばさま、こちらは夏目樹さんです」
「「――」」
「初めまして、夏目樹と申します。理桜さんとは最近、結婚を前提にしたお付き合いの申し込みをさせていただきました」
「――」
「あらっ、理桜ちゃん、そうなの?」
「はい、村上のおばさまには申し訳ないのですが、お見合いの後、彼とお付き合いすることになったんです」
「あらあら、そうだったの。でも、素敵な方じゃない。お見合いの方は私からお断りしておくわ」
「いえ、それは――」
「横から失礼します。東雲君は私も存じ上げておりますので、後日、彼と会って話しをしようと理桜さんと話をしていたところです。よろしければ、私たちに任せていただいてもよろしいでしょうか?」
「そういうことでしたら、ぜひお願いしたいわ。理桜ちゃんの話は分かったわ。後はご両親とゆっくり話すといいわ。私はお先に失礼するわね」
「村上のおばさま、ご厚意を無下にしてしまって申し訳ありません」
「いいのよっ。理桜ちゃんが幸せになってくれるのが一番ですもの。それに、こんな素敵な男性がいるなら、安心ね」
「村上さん、玄関までお送りするわ」
「ありがとう」
仲人の彼女は自分への用が済んだと理解し、自宅へ戻って行った。彼女が気を悪くせずに話が済んだことにホッとした。
母がダイニングテーブルに4人分のお茶を用意してくれたため、リビングからそちらへ移って話すことになった。
「改めまして、夏目樹です。本日はお忙しい中、お時間をいただきましてありがとうございます。理桜さんにはお付き合いについて快諾いただきましたので、ぜひご両親にも結婚のご許可をいただきたく、ご挨拶に参りました」
「――――」
「――まぁ、そうだったの。理桜ちゃんったら何も言わないんだから、紹介したい人がいるって連絡があってびっくりしてたのよ。ねぇ、お父さん?」
「――あぁ、そうだな」
「お父さん、他に言うことあるでしょ?」
「――あぁ、そうだな……」
「突然のことで驚かれておられるかと思います。私も理桜さんのお見合いの話を伺って、ようやく自分の気持ちに気づいて理桜さんを失いたくないと思い、結婚前提の交際を申し込みました。
ですが、理桜さんとの結婚を決めたのは、彼女を失うかもしれないという焦りや誰かに奪われたくない、という気持ちだけで決めたことではありません。理桜さんは私にとってなくてはならない存在だと気づいたから、すぐに行動に移しました。
理桜さんがお見合い相手の方と会う前に、ご両親に挨拶したいと私の方から理桜さんに無理を言ってしまいました。ですので、急なご訪問となり、申し訳ございませんでした。
理桜さんのお父様、お母様、理桜さんを必ず幸せにします。どうか、結婚前提の交際をお許しいただけませんでしょうか」
――樹さん……そこまで真剣に両親を説得する言葉を考えてくれてたんだ。思わず、見惚れちゃった。本当に私たち、結婚の挨拶に来てるみたいだって錯覚しちゃいそう……。これが本当だったら……?
それまで沈黙を続けていた父がようやく重い口を開いた。
「夏目さん」
「はい」
「理桜はしっかりしているように見えて、案外抜けているところがある」
「へっ? お、お父さん?」
普段口数の少ない父が、すらすらと話し始めて私は動揺した。しかも、娘の良いところではなく、欠点と捉えかねないことばかり並べ、語り出した。
「感情は表情に出やすい上に、嘘や隠し事も苦手です。素直な性格は父として誇らしいが、それ故に他人に騙されないか、利用されないか、今でも心配になります。あなたはそんな娘をあらゆるものから守ってくれると私に誓えますか?」
「――――」
「ちょ、お父さん?」
「理桜ちゃん、いいから」
「お母さん……」
「理桜さんのお父様が心配なさるようなことは決して起こりません。もしもそのようなことが起こりそうになったら、私が理桜さんを全力で守るとお約束します」
「――そうですか。夏目さん、理桜を、娘をよろしくお願いします」
「はい、お任せください」
「理桜、お父さんもお母さんも、お前が幸せになることを心から願っている。私たちのことは気にせず、自分たちの幸せを第一に考えなさい」
「お父さん……ありがとう」
「理桜ちゃん、おめでとう。夏目さん、娘をどうぞよろしくお願いします」
「はい、こちらこそどうぞよろしくお願いします」
私たちは無事に両親への挨拶と結婚の許しを得て、都内へ戻るべく帰路に就いた。




