16.父と偽婚約者の約束(後)
本日2本目の投稿です。
翌朝、今日は樹さんの実家へ行き、ご両親に挨拶する日――。
昨日実家から帰宅する途中、樹さんのご両親から急な来客が決まったと連絡が入り、今日訪問する時間が午前から午後に変わった。彼の実家へ行くまでに時間ができたため、途中にある観光スポットに立ち寄って時間調整をすることになった。
昨夜は移動と普段と違う緊張が続いたため、夕食は外で済ませて彼のマンションへ戻り、入浴すると疲れが出たのか、あっという間に寝てしまった。きっと疲れていたのだろう。目覚めたのは日が出たばかりの早朝だった。早く寝たこともあり、前日より熟睡した感覚があった。
身支度を整えるとキッチンに移動し、お弁当のおかずを調理し始めた。昨日は移動時間が長く、外食ばかりだったため、今日はせめて朝とお昼だけでも手料理にしようと思い、お弁当を作ることにした。
お弁当のおかずに選んだのは、一段目にアスパラと人参の肉巻き、塩麹唐揚げ、しょうゆベースの卵焼き、じゃがいもとウインナーの粒マスタード炒め、小松菜とカニカマのわさび和え。色味としてプチトマトを散らすように詰めた。
二段目にはツナと青しその和風おにぎり、塩昆布おにぎり、バター風味の鮭おにぎりの3種の味付きおにぎりを詰めた。
自宅から持ってきた二段の重箱におかずを詰め、余熱を冷ましている間に朝食の準備をした。朝食のメニューは、お昼が和食メインでボリュームがあるため、目玉焼き、トースト、野菜とベーコンの洋風スープ、と軽めにするつもりだ。
ちょうどお弁当のおかずの余熱が冷め、蓋を閉じたところに樹さんが寝室から出てきた。
「理桜、おはよう。早いね」
「樹さん、おはようございます」
「よく眠れた?」
「はい、昨日の寝不足を取り返せたと思います」
「これ、お弁当? 中、見てもいい?」
「はい、ちょうど出来上がったところです」
彼はうれしそうに重箱の蓋を開けた。中身を見た瞬間、パァッと明るくなったのが分かった。
「唐揚げに、卵焼きもある。まだ食べたことがない料理もあるな、美味しそうだ。これ、もしかして重箱? この下にも何か入ってる?」
「その下には3種類の味付きおにぎりが入ってます」
「こっちも美味しそうだ。この間公園に持ってきてくれたのとは違うみたいだな」
「はい、違う味なので、楽しめると思います」
「何だかピクニックにでも行くみたいで楽しみだな」
「――私……樹さんのご両親に挨拶しないといけないのにちょっと緊張感なさすぎですよね? でも、意識したら緊張してきた……」
「大丈夫だよ。この間も言ったけど、両親はどっちもおっとりしてて陽気な人たちだから心配いらないよ。いつも通りの理桜で大丈夫だ」
「――はい……」
――そうは言っても、やはり緊張するものは止められない。昨日、樹さんは完璧に私の婚約者役を演じてくれた。今日は私が樹さんの婚約者役を頑張らなくちゃいけないものっ。ちゃんと挨拶できるかなぁ……。
「さて、そろそろ行こうか?」
「はい、そうですね」
重箱を入れた保冷バッグは彼が持ってくれている。私は自分のバッグと樹さんのご両親への手土産を入れた紙袋を持って、玄関へ向かった。
ご両親への手土産は事前に買って用意しておいた。樹さんからご両親はお酒も甘い物も苦手というから、何にしようか悩んだ末、自分では普段買わないような高級調味料のセットにした。
というのも、樹さんのご両親は揃って料理をするのだとか。お父様がお休みの日は夫婦揃ってお料理をするとのことだ。調味料なら合っても困らないだろう、と彼と相談した末に選ぶことにした。
「休日だけあって結構混んでるな」
「本当ですね。やっぱり家族連れが多そうですね」
私たちは、都内から2時間程車を走らせた場所にある自然史をテーマにした博物館へ立ち寄った。博物館に行きたいと言ったのは私だ。館内には地域の自然から恐竜の化石、骨格標本などまで幅広く展示されている。
私は幼い頃から好奇心旺盛で、恐竜や宇宙といった未知のものに強い興味を示した。人間よりも大きな体格の生物が遥か昔に存在していたのだ。その謎めかしい古代にロマンを馳せるのも至極当然に思えた。
昨夜、彼からどこか行きたい場所はあるか、と聞かれ、博物館に行きたいと言ったところ、彼は「理桜が恐竜に興味があるなんて意外だな」と言っていた。確かに、年頃の女の子が恐竜好きなんて、変わっている。きっと好きだったとしても、普通ならもっと可愛げのある場所を選ぶだろう。
彼が博物館を調べてくれて、すぐ近くにプラネタリウムがあることが分かり、気になる上映プログラムがあったため、その時間に合わせて移動することに決まった。
「私、恐竜の化石、初めて見ました」
「そうなんだ。俺は小学生の時、遠足でここに来て見たことがあったな」
「そうなんですかっ? 羨ましいです……あっ……マンモスってこんなに大きかったんだ……!」
「ぷっ……理桜、楽しんでるな」
「はいっ、とっても楽しいですっ」
初めて見る展示ばかりで、ついつい彼の実家に行くことを忘れてはしゃいでしまった。彼はそんな私を見ても、呆れた様子も見せず私に付き合ってくれた。
「次はプラネタリウムだな。今ここを出るとちょうどお昼だな。敷地内の広場で飲食持ち込みできるみたいだから、先にお昼にして、プラネタリウムの上映を観に行くにしようか」
「はいっ」
「よし、出発だ」
博物館からプラネタリウムまで車で30分程かかった。先に上映チケットを購入してから、重箱とコンビニで買った飲み物を持って広場へ向かった。
「ベンチは一杯で空いてないな」
「大丈夫です」
「大丈夫って?」
「こんなこともあろうかと、レジャーシートを持ってきました」
「準備がいいな、さすが、俺の婚約者だ」
「へっ?」
彼はいつものように私を揶揄ったのかと思い、抗議しようとしたが、彼は悪戯気な笑顔ではなく、やさしい微笑みを浮かべていた。彼の意外な反応に驚いて、抗議するのを忘れてしまった。
「理桜、あっちの日陰が良さそうだ」
「――あっ、はいっ」
彼に数歩遅れて止まっていた足を進め、彼のそばに駆け寄った。
彼が手際よくレジャーシートを地面の上に敷き、保冷バッグと飲み物をその上に乗せた。靴を脱いで座り、横に並べた重箱を2人で突いては互いの幼少期や思春期の話で盛り上がった。
お重一杯におかずとおにぎりを詰めてきたが、いつもの如く、彼がぺろりと平らげてくれた。おかげで空になって残飯の処理をせずに済んだ。お重を片付けていると、彼が満足そうな笑顔で口を開いた。
「はぁー、ご馳走様。どれも美味しかったよ」
「樹さんのお口に合って良かったです」
「あ、そうだ。さっきコンビニでこれ買ってきたんだけど、口直しにどう?」
彼がコンビニの袋から取り出したのは、瀬戸内レモンを使ったレアチーズケーキだった。
「理桜、レモン味が好きだと思ったから、買ってみた」
「樹さん、ありがとうございます。美味しそうです。ぜひ頂きますっ」
レアチーズの上に瀬戸内レモンを使用したジュレがたっぷりとかかっていた。スプーンで1口分を掬って口の中へ入れると、レモンの酸味が濃厚なレアチーズが中和されて、さっぱりとした後味が気に入った。
「これ、美味しいですっ。家に帰ったら私も買いに行こっ」
「そんなに気に入ったの?」
「はいっ、これまで食べたコンビニスイーツの中でも5本の指に入るくらい気に入りました」
「ふっ、そうか、選択を間違えなくて良かった」
彼は笑いながら、私の頭をやさしく撫でていた。それもごく自然に。
――樹さん、また、頭を撫でた……。あれっ? 急に心臓の音が早くなった?
以前も感じたことがあった。胸の鼓動はドクンドクンと大きく高鳴っていた。この時、鼓動が早鐘を打った理由を理解せずにいた。
「理桜、上映まで後15分だ。1回、荷物を車に置いてからプラネタリウムに行くか」
「そうですね。プラネタリウムの席はそれほど広くないですから、荷物は少ない方がいいですね」
「あぁ、片付けるか」
「はい」
彼はさも自分の仕事であるかのようにレジャーシートを折り畳んでコンビニの袋に入れ、保冷バッグと一緒に持って駐車場へと向かった。
「樹さんっ、私も何か持ちますっ」
「いや、軽いし、これくらい大丈夫だ」
「それより、上映は40分あるみたいだけど、理桜はトイレとか行かなくていいのか?」
「あっ、そうですね。上映後は混み合いそうですから、行ってきます」
「俺は荷物を車に置いたら、2階の上映室の前で待ってるよ」
「はい、分かりましたっ。樹さん、荷物よろしくお願いします」
――私、化粧直しとか慣れてないから、樹さんに声かけてもらって良かった。そういえば、ここへ来るまで一度も化粧直ししてなかった。汗とか皮脂で崩れてないといいんだけど……。はぁ~、男の人と長時間一緒にいる経験があまりないから、女子力だいぶ足りてないなぁ。気をつけないと……。
「理桜っ、こっち」
2階にある上映室の前に行くと、すでに上映を待つ人の列ができていた。その最後列に並ぶ樹さんが私を見つけ、手招きしている。
「お待たせしましたっ」
「いや、後5分あるから大丈夫だよ。それにしても混んでるな」
「本当に……家族連れも多かったけど、次の上映は親子よりカップルが多そうですね」
「あぁ、そうだな。上映プログラムが大人向けなんだろうな」
「お待たせいたしました。天の川銀河の上映がまもなく開始されます。チケットをお持ちの方はこちらで拝見いたします。確認が終わった方から指定の座席へお進みください」
プラネタリウムはあっという間に満席になった。館内の照明が落ち、上映プログラム開始の案内が始まった。
頭上には満点の星が輝いていた。ドーム型の天井に映し出される映像に合わせて音楽が流れ、時折、ナレーションが入った。
「天の川、本物ではないけど綺麗でしたね」
「あぁ、プラネタリウムに来たのは初めてだけど、たまにはこういうのもいいな」
駐車場に着いて車へと乗り込んだ。ふと頭に浮かんだことを彼に質問しただけだったが、話は別の方向に進んでいった。
「そういえば、樹さんのご実家からも綺麗な星空が見えるんですか?」
「いや、俺の実家は街中にあるから、もっと山に近い方が綺麗に見えるだろうな。そういえば、どこか近くに天文台があった気がする」
「天文台ですか? 天文台って一般公開されてるんでしょうか?」
「あー、確か、誰でも観に行けたと思う。ちょっと待って」
彼は自分のスマホをジャケットのポケットから取り出し、調べ始めた。
「あった。実家からそれほど遠くないな……理桜、せっかくだから帰りに寄って行くか?」
「えっ、でも、ご実家を出る頃には営業時間は終わってるんじゃ」
「いや、ここの天文台、22時までやってるから大丈夫だよ」
「私はうれしいですけど、樹さん、明日お仕事ですし、帰りの運転もあるから遅くならない方がいいんじゃ……」
「俺なら大丈夫だよ。それに夜は昼間より渋滞の心配もないからね。明日は念のため午前中半休を取ってあるから、少しくらい遅くなっても構わない。それに、帰りが遅くなるなら、京もマンションに泊まっていけばいい」
「えっ?」
「あ、いやっ、理桜が良ければ、だけど……」
――今日も樹さんのマンションに? 2晩続けて泊まっても迷惑にならないかな。樹さんはあぁ言ってくれてるけど……。でも、樹さんのマンションに着替えを置いてきたし、1度荷物を取りに行かないといけない。私が1人で帰れると言っても、樹さんはきっと車で送ると引き下がらないだろうし……。明日半休とはいえ、ずっと運転しっぱなしじゃ疲れてしまうよね。
「理桜、そんなに深く考えなくていいから。一応、仮の婚約者でもある訳だし、理桜が俺のマンションに泊まるのは迷惑でも何でもない。せっかくベッドも揃えたし、使わないより理桜の役に立つ方がいい」
――本当にいいのかな? 私、偽物の婚約者なのに、こんなに甘えてしまっていいのかな……。でもっ、樹さんが言ってくれてるように、あの部屋を使わないのはもったいない気はする。それに今夜泊まって、明日また洗濯してから帰れば、樹さんが洗濯する手間も省ける。よしっ、今日もお言葉に甘えさせてもらおう。
「――じゃあ、お言葉に甘えさせてもらって、いいでしょうか?」
「あぁ、もちろんだ」




