14.初めてのショッピング(後)
本日、2本目の投稿になります。
「広い部屋……私のワンルームと同じくらいの広さじゃないかな。明日には、今日買ったベッドがこの部屋に運ばれるんだよね。1度も使うことがないのに、不思議な感じ……。
さてっ、服やパジャマ、下着を出して……これはクローゼットを借りよう。下着はこのタンスでいいかな?」
8畳ほどの部屋には備え付けのウォークインクローゼットと鏡台が置かれていた。仕事用の机とチェア、ノートパソコンは今日見に行ったお店にいいものがなく、ネット通販で注文することになった。そこまで買い揃える必要があるのか疑問だったが、彼と話をしながら買い物するのが楽しくて、つい彼の言うがままに自分が選んだものを買ってもらうことになった。
「よしっ、じゃあ、次はこの鏡台を借りて、引き出しにメイク道具をしまって、鏡台の上にスキンケアを置いておこう。うんっ、本当に私の部屋ができたみたい。これでベッドと仕事用の机とチェアが揃ったら、いつでも泊まりにこれそう……って、私ったら何言って……!」
ふと人の気配を感じて開けっ放しのドアに視線を向けたが、そこに彼の姿はなかった。
――ふぅ~、良かった。樹さんに聞かれたら、完全にひかれちゃうよ。仮の婚約者を演じるだけなのに、勘違いしてるなんて思われたら、きっと樹さんを不快な気持ちにさせてしまうもの……。
両頬を両手で包むように軽くパシッと叩いて気分を入れ替えた。床に置いたままの未開封の紙袋を手に持ち、彼のいるリビングへと向かった。
「理桜、部屋のセッティングは終わった?」
「はい、ばっちりだと思います」
「こっちも丁度できたよ。それじゃあ食べようか」
「す、すごいっ」
――樹さんっ、簡単なものしか作れない、なんて言ってたのに、何? このおしゃれな食卓は? まるでカジュアルなイタリアンレストランにでも来たみたい……。
「冷蔵庫にあるもので作ったから大したものは作れなかった。理桜の口に合うといいけど」
ガラスのダイニングテーブルの中央には、モダンなデザインの麻のテーブルランナーが敷かれており、氷水の入ったグラスと空のワイングラスが置かれている。向かい合わせになった座席の手前には、空の白い大皿がそれぞれ置かれており、皿の右側にはフォークとスプーンが並べられていた。大皿の左隣には彩りのいい生野菜のサラダが入ったボウル皿があった。
「理桜、好きな席に座って」
「はい……」
「もしかして緊張してる?」
「いえっ、そういう訳では……」
カウンターキッチンで調理していた彼が、両手に1枚ずつ皿を持ってダイニングテーブルにやって来た。
「はい、生ハムとグリーンアスパラのペペロンチーノ。あっ、理桜は辛い物は大丈夫だっけ?」
「はい、激辛料理は苦手ですけど、ペペロンチーノなら食べれます」
「そうか、良かった。さぁ食べようか」
「はい」
「「いただきます」」
「何だかこうしてると、本物の新婚夫婦みたいだな」
「――ゴホッゴホッ」
「理桜、大丈夫? ほら水飲んで、ゆっくり」
「ゴホッゴホッ……ゴク、ゴクン……はぁ~」
「大丈夫?」
「――はい、もう大丈夫です」
――もうっ、樹さんが急に変なこと言うからっ! びっくりした。まさか、樹さんも私と似たようなことを考えていたなんて……。
樹さんが作ったペペロンチーノはとても美味しかった。料理の腕には自信があったつもりだけど、樹さんの腕前も十分に凄かった。お店で出てきたら、普通に「美味しい」と言いながら味わっていただろう。
美味しかったのはパスタだけじゃない。サラダのドレッシングも美味だった。樹さんにどこで手に売ってるのかと聞いが、手作りだと聞いて驚いた。ドレッシングの味が気に入ったと言ったら、彼がレシピを教えてくれた。今から、自宅で作るのが楽しみだ。
「そうだ、忘れるところだった」
「――?」
彼は冷蔵庫から1本のワインボトルを取り出した。ポンッとコルク栓が抜ける勢いのある音が室内に響き渡った。彼はワインボトルを片手に持ち、ダイニングテーブルまで来ると空のワイングラスにボトルを傾けた。
「樹さん? 今日はお酒は――」
「いいから飲んでみて。すぐに分かるから」
――樹さん、どうしたんだろう? 私はあまりお酒は飲まないし、この後自宅まで帰らなきゃいけないのに……。まぁ、少しくらいお酒を飲んだところで、家に帰るのは問題ないけど。
ワイングラスを手にして口元へ持っていくと、ふわりと良い香りが鼻腔を掠めた。
「もしかして、これ……」
「飲めば分かるよ」
ワイングラスを傾け、1口、2口とゆっくり口内へ流し入れた。
「これっ! ロイヤルブルーティー?」
「理桜が気に入ってただろ? こんなに早くボトルを開けるとは思わなかったけど、買っておいて正解だったな」
「この間レストランで飲んだものも美味しかったですけど、こっちの方が好きかもしれません」
「理桜が気に入ってくれて良かったよ」
「樹さん、私のために買い置きしててくれたんですか?」
「うん……まぁ、いつか一緒に飲めたらいいなと思ってたんだ」
「へっ?」
「案外、願いは早く叶うものだな」
「――」
ロイヤルブルーティーは高価なものだから、全部飲まずに残しておこうとお代わりを遠慮していたが、彼は「残しても味が落ちるだけだから、今日のうちに開けてしまおう」と言った。その後、ロイヤルブルーティーをじっくり堪能させてもらった。
「理桜はソファで座ってて。洗い物が終わったら、家まで送るよ」
「いえっ、樹さんはお料理作ってくれたんですから、せめて洗い物だけは私にやらせてくださいっ」
「そんなに数はないから気にしなくてもいいよ」
「でも、やっぱり私にやらせてくださいっ」
「ふっ……理桜は案外頑固なところがあるよな」
「えっ? 今何て?」
「いや、何でもないよ。じゃあ、俺はゆっくりさせてもらうよ」
彼はカウンターキッチンに背を向ける形でリビングのソファに座り、書類を読んでいる。
――樹さん、休むと言っておきながら仕事してる。休日にも仕事があるなんて、すごく忙しいんだろうな。そんな中、私のために時間を作ってくれて、料理までしてくれて、何ていい人なんだろう。
私が樹さんにお返しできるとしたら、しっかり仮の婚約者を演じて、彼の悩み事を減らすお手伝いをすることくらいだ。気を引き締めて頑張らないとっ!
洗い物をしてる時に、ふとショッピングモールで購入したものを思い出した。
――そうだ、あれも一緒に洗っておこう。樹さん、どんな顔するかな? 仮の婚約者を演じるなら、あれは絶対必要なアイテムだよね。
「樹さん、洗い物終わりました。えっと、コーヒーかお茶か、何か淹れましょうか?」
「あぁ、コーヒーを頼んでもいい? コーヒーは奥の引き出しの一番上にあるから。紅茶も同じ場所にあったと思う。好きな物を飲んでいいよ」
「はい、いただきます」
――ふふ~ん、これくらいの役得はあってもいいよね。
手元には色違いのペアのマグカップが2つ。マットな質感のホワイトとネイビーのペアマグカップ。モダンなデザインでシンプルな形状がおしゃれで一目惚れした。電子レンジにも食洗機にも対応している優れものだ。
彼に見つからないようこっそりと洗って布巾で拭き上げ、ネイビーのマグカップにはコーヒーを淹れ、ホワイトのマグカップには紅茶を淹れた。
「樹さん、コーヒーです。確かブラックで良かったですよね?」
「あぁ、ありがとう。もう少しで読み終わるから待っててもらってもいいかな?」
「はい、私のことはお構いなく、1人でも帰れるので。これ飲んだら帰ります」
「いや、もう時間も遅いし、心配だから家まで送る。いいね?」
「――はい、分かりました」
彼の仕事の邪魔にならないよう、私は食事をした席に座って新しいマグカップで紅茶を味わっていた。
仕事をする大人の男性はかっこいい、と彼の背中をちらちらと盗み見ていた。彼はこちらの視線に一切気づいていないようだ。それだけ仕事に集中しているのだろう。
「理桜、理桜?」
「ん~、はわぁ~」
「ごめん、つい仕事に集中しすぎて、理桜の存在を忘れてた……」
「ん? えっ、私、居眠りを?」
「今日は随分と俺が連れ回したから疲れたんだろう……」
「すみません……私っ……」
「いや、俺はこのまま居てもらっても構わないんだけど……」
「えっ?」
「――はぁー、その、理桜が寝てる間に困ったことが起きて……」
「困ったこと? どうかしたんですか?」
「実は、明日の午後に仕事の予定を入れてたんだけど、急遽先方の都合で明日の午前に予定が変わったんだ。明日の午前はベッドを受け取らないといけない。配送日を変更したいところだけど、今更日時の変更はできない……」
リビングの壁時計を見ると、時刻は午後11時過ぎを指していた。
――確かに、仕事の予定はずらせないし、ベッドの受け取りも今更変更できない。誰かが代わりにベッドを受け取ってくれれば……。
「理桜、こんなことを頼むのは本当に申し訳ないんだけど……ベッドの受け取りをお願いできないかな?」
――そうなるよね……。どう考えても、樹さんはベッドの受け取りはできそうにない。かといって、連絡もせずに購入したベッドの受け取りを拒否するのも非常識すぎる。私が樹さんの代わりにベッドを受け取れば問題は解決する。それに、これは不可抗力というものだよね。
「――私で良ければ、ベッドの受け取りに立ち会います」
「あぁ、助かるよ。支払いは店で済ませてあるから、理桜のベッドは理桜の部屋に、俺のマットレスは交換で、古い方は引き取ってもらうことになってるから。たぶん、サインをするだけでいいと思う」
「あの、サインは樹さんの名前の方がいいでしょうか?」
「あー、そうだな。まぁ、表向きは俺たち婚約者だから、そう言って理桜の名前でサインすれば問題ないだろう」
「はい、分かりました。それで、ベッドは何時頃来る予定ですか?」
「それが午前中の予定で、時間指定はできなかった。配送がいつになるか、はっきりとした時間が分からない。まぁ、開店はたいてい10時頃だから、その前後に配送が始まると思うけど正直、時間が読めない」
「そうですか……じゃあ、午前9時頃に来れば間に合いますよね? あっ、樹さんは何時に家を出るんですか?」
「俺は……一旦会社に寄ってから取引先の会社に行くから、朝6時には家を出るつもりでいる」
「朝6時……」
――樹さんの部屋の鍵を持っていないから、樹さんが家を出る前にここへ戻ってこなきゃならない。そうなると、電車もバスの始発じゃ間に合わない。それならタクシーを呼ぶ? う~ん、でも、ウチから樹さんのマンションまで結構な距離があるしな……。
頭の中で明日のスケジュールを考えていると、彼が驚きの提案を申し出てきた。
「――理桜、変に勘繰らないでほしいんだけど、今の状況から見て一番の得策は理桜がここに泊ることだと思う。幸い、理桜が泊まるのに最低限必要なものは揃ってるし、ベッドは理桜が使ってくれて構わない。俺はリビングで寝るから気にしなくていいし、絶対に理桜が寝てる間は寝室に入らないと誓う。どうかな?」
「――」
――樹さん……本当に申し訳そうな顔をしてる。樹さんがわざとこんな遠回しな方法で私を引き留める、なんて考えるような人じゃない。
彼が自分の部屋に女性を無理やり引き留めるような人ではないことは、これまでの彼の態度や言葉から分かっていた。時間的に考えても、彼が部屋を出るまでに私がここへ来る手段はタクシー以外方法はない。とはいえ移動時間や睡眠時間を考えると、タクシーでの移動は現実的ではない。
だとすれば、彼の提案通り、私がここに泊るのが一番効率的で確実だ。そうすれば彼も私を自宅まで送らずに済んで睡眠時間を確保できる。それに最悪、私が寝坊することがあっても、ここにいればベッドの受け取りは十分可能だ。
どう考えても彼の提案は理に叶っていた。ただ一つ気がかりなのは彼のベッドを私が占領することだ。
「あの、樹さんがご迷惑でなければ、今日だけ泊まらせてください。でも、樹さんは明日も朝から仕事ですし、ベッドで寝て体を休めた方がいいです。私はリビングのソファをお借りしますから」
「いや、それは大丈夫。残業が遅くなって終電に間に合わない時は会社のソファで寝泊まりしてるから。それに、理桜がリビングで寝たら……俺は朝から可愛い寝顔を拝むことになるけど?」
「へっ?」
――えぇ! それは困る。寝顔を見られるのは嫌っ! さすがに恥ずかしすぎる。それに、涎垂らしたり、イビキをかいてたりしたら、それも嫌だっ。う~ん、やっぱり……。
「――すみません。樹さんのベッドを貸してください……」
「それがいい。それに俺はまだ仕事があるから、理桜は先に寝ていいよ。あぁ、風呂は入ろうと思ってさっき沸かしたから、お先にどうぞ。俺も後で入るからお湯は捨てなくていいよ」
「はい、じゃあ、お風呂お借りします……」
「タオルは洗面室の棚に入ってるやつ自由に使っていいから。朝、着替えを洗濯するなら洗濯機と乾燥機も自由に使って。えっと……後は何かあったかな?」
「あっ、はい。ありがとうございます。遠慮なくお借りします。分からないことがあれば聞くので……本当に私のことはお構いなくっ」
「ふっ……分かったよ。風呂、ゆっくり浸かっておいで」
「――はい……」




