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そのメール、代筆いたします  作者: 蒼井スカイ
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8.理解しがたい想い

「んっ……ん? あー、私、あのまま眠っちゃったんだ……」


 目覚めの悪い朝だった。夢を見た気がするが、その内容は全く覚えていない。ただ、思い出せば嫌な気持ちになるような気がして、無理に思い出そうとはしなかった。


 昨夜は夏目さんから3通目のメール代筆の依頼を受けることになった。その依頼というのが、手紙の受取人が学生時代に付き合っていた女性からの手紙に返信するメールの代筆だ。ところが、その手紙の送り主は数年前に自ら命を絶ったという。

 しかも、その手紙こそ、彼女が最後に残した遺書だった。辛く重苦しい内容の手紙を読み返すのに、お酒の力を借りるため、普段はしない晩酌をした。


「はぁー、何だか気が重いなぁ……やっぱり、あの手紙の内容のせいだよね……。でも、ちゃんと向き合って依頼主さんの期待に応えるメールを代筆しないとっ」


 ボーっとした頭をすっきりさせるため、洗面所で顔を洗った。冷水が寝ぼけたままの眼をシャキッとさせてくれた。スキンケアをして歯を磨き終えると、寝起きよりもいくらかましな気分になった。


 今朝はそれほど食欲が無かったため、冷蔵庫の残り野菜と果物で野菜ジュースを作り、飲むことにした。



「よしっ、手紙をじっくり……あー、昨夜の片付けが先かな……」


 テーブルの上には食べかけの惣菜と倒れた空き缶が数本、開きっぱなしの手紙のコピーがあった。すぐに片付けをして、テーブルを水拭きし、乾いたところに手紙のコピーを広げた。


「さてと、少しずつ読んでいって、手紙の送り主の気持ちを考えてみるか。

 最初は……『私、最近、離婚をしたの。旦那のことは愛していたし、旦那の子が欲しかった。でも、それは叶わなかった。私は今、独りぼっち……。とても寂しい、寂しくて仕方がない。』か。

 これは彼女が離婚をしたという近況報告で、旦那さんとは嫌いで別れた訳ではないってことかな? 旦那さんの子どもを産みたいと思うほど、好きだったってことだものね。でも、子どもはできなかった? それとも、彼女は子どもを望んだけど、旦那さんはそれを望まなかったとか?

 きっと、彼女に子どもがいたら、離婚しても孤独を感じずに済んだかもしれない。子どもの存在が寂しさを紛らわしてくれたかもしれないし、自ら命を絶つこともなかったのかも……」


 ネットでリサーチしてみると、子どもを産むかどうかの意見が対立する夫婦は、関係が破綻するケースが少なくないらしい。夏目さんからの共有情報には離婚理由に関することはなかった。あくまでも推測の域を出ないけれど、子づくりの意見対立、その他の理由が考えられる。


「次は……『過去を振り返ると、不思議だけど、旦那のことよりもあなたのことを思い出しているの。あなたと過ごした時間は私にとって宝物だったから。

 ねぇ、覚えてる? 私たちの初めてのデート。私は待ち合わせ時間を勘違いしてて、あなたを1時間以上も待たせてしまったよね。でも、あなたはずっと待っていてくれた。嫌な顔もせずに。』の部分か……。

 思い返すのが旦那さんではなく、手紙の受取人ってことは、手紙を書いた時には旦那さんへの愛情は薄れていたってことかな? 『私にとって宝物だった』ってことはそれだけ、彼とは幸せな時間を過ごしたってことだよね。

 初めてのデートか……彼は1時間以上待っていた……とてもやさしい彼だったんだろうな。学生カップルの初デートで1時間以上の遅刻って、男性にとって許容範囲内なのかな? 検索結果は……」


――なるほど、遅刻する正当な理由による早めの連絡と謝罪があれば、許容範囲内ってことか。ん? このアンケート調査だと、男女ともに、遅刻した恋人を何時間でも待てると答えたのが全体の3割。約4割は1時間が許容範囲か……約2割は30分以内、男性の4%は『すぐに帰る』って答えてる……。ってことは余程短気な人でなければ、約7割の人は1時間位の遅刻なら待てるってことか。

 だとしたら、夏目さんが言っていた通り、この手紙を受け取った男性は、彼女に特別な感情を抱いてはいなかったと言える。この2人はごく普通の学生カップルだったということか。

 でも、遅刻した側の女性からすると、『1時間以上も遅刻したのに、待っていてくれた。うれしいっ』ってテンションが上がってたのかも。もしかすると、彼女の心の中で彼に対するイメージが美化されていたのかも? だとしたら、不思議。そんなに良い人だと思うなら、どうして自然消滅してしまったんだろう?

 男性の方は女性に未練はなさそうだから、連絡をしなかったのも納得できる。じゃあ、女性の方は? 好きな人がいるのに、連絡もせずに放置することができるのかな?


「それで、彼女が唯一心残りに思っていたのが次の文ね……『なぜ私たちの関係は終わってしまったのか、このところずっと考えていたけれど、その答えは見つからなかった。私はあなたのことが好きだったし、あなたも私のことを想っていてくれていたと思うの。あなたはどう思う? あのまま別れていなければ、私たちは今もずっと笑い合うことができたかな?』ってところかぁ。

 男性の方は就活で忙しくて、恋人を気にする余裕がなくて自然消滅したって考えている。その後も連絡をしようとは思わなかったみたいだから、彼女への未練はやはりなかったと言える。

 でも、彼女はどうだろう? 彼との想い出を宝物と言っているから、彼以上に彼女の方が恋愛感情を強く抱いていたはず……。でも、彼は一度も連絡を取り合わなかった、と夏目さんは言ってたから、彼女も彼と関係修復する意思がなかったってことだよね? それなのに、どうして亡くなる直前になって彼のことを思い出したんだろう?」




 一息つくため、冷蔵庫からアイスティーと作り置きしておいた蜂蜜漬けオレンジの入ったガラスタッパーを取り出した。グラスにオレンジのスライスを数枚入れてから100%オレンジジュースと水出しアイスティー、氷を入れてオレンジティーが完成。


 昨日、夏目さんとカフェで会った時に注文したオレンジティーが美味しくて、自分なりにオリジナルのオレンジティーを作ることにした。これが意外と美味しくて、暫くはレモンティーよりもオレンジティーが私の定番になりそうだ。


「ふぅー、よしっ! 次は『今日、病院に行ったの。私、末期のがん、なんだって……おかしすぎるでしょ。離婚の次はがん……余命はもって半年。私に残された時間は半年だけ……孤独な私に何ができる?』の部分。

 末期がんの診断と余命をたった1人で聞いたのだとしたら、彼女はどんな気持ちで医師から話を聞いたんだろう。私はがんや他の病気を診断されたことがないし、私の家族に余命を告げられた経験もない。私には、彼女がどれほど辛かったのか、理解することができない……」


 彼女の置かれていた状況に同情心は芽生えたが、彼女がどんな想いで手紙に言葉をしたためていたのかを理解することはできそうになかった。そこで、自分が彼女の立場と同じ状況になったとしたら、と仮定で考えてみることにした。


――彼女のように余命を宣告されたら、私はどんな風に感じるんだろう? 真っ先に思うのは、『まだ死にたくない』って気持ち。他には……『これから夏目さんのサポートを受けて起業できるかもしれないのに』って残念な気持ち、かな? それに、まだ夏目さんにお弁当を作るっていう約束も果たせてない。


「私って、未練だらけだな……。でも、未練があるのは当たり前のことだよね。だって、病気で死ぬかもしれないって聞いて、『はい、そうですか』って、すぐに受け入れられるはずがないもの。

 彼女は離婚したばかりで、欲しかった子どもも作れなかった。そのうえ、独りぼっちで余命宣告を受けたんだ……とても辛かったに違いない……。せめて、そばに好きな人がいたら……。

 私だったら……両親や陽菜ちゃん。私が突然死んじゃったら、きっと皆、悲しむよね……。置いていかれる人も辛いはず……。けど、最期のお別れはちゃんとできる。『ごめんね』とか『ありがとう』とか、ずっと言えなかった言葉を……」


 その時、急に胸がギューッと強く掴まれたように苦しくなった。何故か分からないけど、彼女も似たような胸の苦しさを感じていたような気がした。




「余命半年って、長いようで短い。半年でできることはあると思うけど、彼女が希望した子づくりは到底叶わない。でも、手紙を送った彼に会いに行くことはできたんじゃ……、彼女はどうして彼に会いに行かなかったの? 最後に思い出すほど好きな人に……。

 次の文は……『もしかしたら、私はあなたと過ごした時に、人生の幸せの貯金を全て使い果たしてしまったのかもしれないね。だから、もう悔いはないの。もう十分、私なりに精一杯生きることができたと思う。

 あなたに「さよなら」は言わない。私は一足先に天国(あっち)に行ってるからね。じゃあ、またね。』これで最後か……。

 彼女は『人生の幸せの貯金を全て使い果たしてしまった』と書いてる。つまり、結婚生活よりも彼と過ごした時間の方が、彼女にとっては幸せだったということ? それとも、学生同士だから気楽な付き合いで嫌だと感じることも、喧嘩することもなかったから想い出を美化しているだけ? だから、悔いはない……?

 最後の一文はきっと、彼へのお別れの言葉、だよね……。手紙でも、彼に「さよなら」だけは言いたくなかったってことかな? 天国でまた会えるって信じてるってこと? それとも来世があるなら……?

 あぁー、全く分からないよー。恋愛経験のない私には難しすぎるっ、はぁ~」


 手紙のコピーをテーブルの上にそっと置き、ベッドの上で大の字になって寝転んだ。全開にしたバルコニーの窓から涼しい風が室内に通り抜け、レースカーテンが大きく揺れた。手紙のコピーは風に流されるように、床にすとんと落ちた。





 それから、手紙の解読は困難を極めた。あっという間に依頼を受けた日から2週間が過ぎていた――。


 そもそも恋愛経験のない自分が、学生時代に、社会人になって恋愛を楽しんでいた人の手紙に返す、完璧なメールの文章を考えることができるのか? この依頼を受けた時から、こうなることは自分でも分かっていたはずなのに、何のフレーズさえも浮かばない自分に、焦りと苛立ちを感じていた。




「あ~、もうっ、何も浮かばないっ! 夏目さんに提出する期限は残り2週間を切ってるし、まだ一言も文章が書けてないって、さすがにマズイ……!

 うんっ、これは大々的に気分転換が必要よねっ! ここのところ、ずっと部屋にこもりっぱなしで、さすがに気分も滅入ってきてるし……。よしっ、いつもの公園に行こう」


 お弁当を持って行きたいところだけど、作る余裕すらない。


「今日は公園近くのパン屋さんで総菜パンでも買って食べようかな……」



 いつもの手提げバッグにオレンジティーを入れた水筒といくつかの紙コップを放り込み、ハンドタオルとお財布を入れて、アパートを出た。





「わぁ~、美味しそうなパンが一杯っ」


 池のある公園へ行く途中、公園のそばにある小さなパン屋へと立ち寄った。ガラス扉を開けて店内に足を踏み入れると、焼き立てのパンの匂いが迎え入れてくれた。


 店内は3畳程で狭く、ガラスケースを境界に手前がお客、奥が店員というようにスペースが分かれていた。店内に入れるお客はせいぜい2~3人というところだ。それでも、ガラスケースの中にはぎっしりと十数種類ものパンが並んでいた。


「只今、デニッシュが焼き上がりましたので、こちらもおすすめですよ」

「本当だぁ、焼き立ての香ばしい香りがいい匂い~。じゃあ、そのデニッシュとこれとそれ、こっちのこれと隣のこれも1つずつお願いします」

「はい、畏まりました」


――そういえば、夏目さん、今日も公園に来てるかな? 会った時のために、夏目さんの分も買って行こうかな? 来なければ、明日の朝ごはんにでもすればいいし、よしっ。


「あっ、すみませんっ。デニッシュはもう1つ追加で! あと、これとそれもお願いします」




――パンを食べるのは自分だけかもしれないのに、8つも買っちゃった……。そもそも、私は最初に5つ買ってるから、どう考えても買い過ぎかも……。空腹時の衝動買いほど恐ろしいものはないかも……。


 パンの衝動買いをしたことに後悔の念を抱きつつ、公園へと歩みを進める。


 すぐに池のある公園に着き、その足で日陰のベンチを探した。


「あった! ん? あー、先客がいた……。他に木陰にあるベンチあるかな? 池の周りを回って探してみるしかないか」


 ベンチは1つを除いてガラ空きだったが、唯一、お昼時に木陰ができるベンチは先客が座るベンチのみだった。仕方なく、木陰にあるベンチが他にないかと探そうとした時、自分の名を呼ぶ誰かの声が聞こえてきた。


 声がした方を向くと、木陰にあるベンチの先客がこちら側を向いて大きく手を振っていた。手を振る相手が後ろにいるのでは、と思い、振り返って後ろを確認したが、誰もいなかった。


――やっぱり、あの人、私に手を振ってるんだよね? 誰だろう?


 私が反応を見せないからか、ベンチの先客はこちらへと歩いて近づいてきた。すると、徐々にその顔が見覚えのある人に似ていることが分かった。


「やぁ、理桜ちゃん、久しぶりだね? カフェで会った以来かな?」

「――夏目さんっ? こんにちは」

「こんにちは」


 彼はスーツ姿でも、ランニングウェアでもない、私服を着ていた。上は白シャツに紺の薄手ジャケットで、下は黒のジーンズ、足元は黒のスエードのローファーだった。スーツ姿よりもカジュアルで、ランニングウェアよりも大人っぽい服装だ。


「夏目さん……今日はスーツじゃないんですね?」

「――あー、今日は休みを取ったんだ。最近、休みなしで稼働してたからね。仕事が一段落したから、ようやく休めるとこでね」

「そうだったんですか……お仕事、大変そうですね……」

「いや、まぁ……大変ではないとは言えないけど、自分がしたくてしてる仕事だからね」

「あっ、そうだ。夏目さん、お昼はもうお済ですか?」

「いや、これからコンビニにでも……あははは……情けないけど男の1人暮らしだと、食生活が案外疎かでね……」

「良かったっ」

「ん?」

「ここでお昼を食べようと思って、そこのパン屋で焼き立てのパンを買ったんです。良かったら、一緒に食べませんか?」

「うれしいけど、理桜ちゃんの分が減るんじゃ……」

「いえっ、もしかしたら夏目さんに会うかもしれないと思って、多めに買ってきたので大丈夫ですっ」

「――そうなんだ。それじゃあ、遠慮なく頂くよ」



「うんっ、おいひぃ~」

「理桜ちゃんは本当に美味しそうに食べるね」

「えっ、あ~、お恥ずかひぃです~」

「いや、そんなことはないよ。俺は結構、美味しそうに食べている人を見るのは好きだよ。見てるだけで不思議とこっちまで元気をもらえるからね」

「――そういうものでしょうか?」

「うーん、俺はね。他の人はどうか分からないけど」


 そういう夏目さんも、美味しそうにデニッシュを頬張っている。お腹が空いていたのか、はたまた私が美味しそうにパンを被りつく姿に触発されたのか……。


「あっ、そうだ。忘れてた……」

「ん?」


 手提げバッグから水筒と紙コップを2つ取り出し、紙コップにアイスティーを注ぐと、彼に手渡した。


「これ、蜂蜜漬けのオレンジ入りのアイスティーです。えっと、コーヒーでなくて申し訳ないのですが……」

「ありがとう。今日はレモンじゃなくてオレンジか、これも美味しそうだ。有難く頂くよ」




 彼とパンを食べながら、他愛のない話を楽しんだ。8つあったパンはあっという間に完食した。私が3つ食べて、彼が残りの5つを平らげた。


「ごちそうさまっ。何か、俺の方が多く食べ過ぎて申し訳ないな」

「いえっ、とんでもないです。私の方こそ、いつもごちそうになってますから。これくらいは!」

「――そういえば、依頼したメールの方はどう? なかなか重いテーマだし、質問のメールとか無かったから、かなり苦戦してるんじゃないかって心配してたんだけど……」

「――はい……正直なところ、かなり難航してます。私のように恋愛経験もなければ、大病にかかったことも、余命宣告を受けたことも、自分を含め家族の誰にも経験がないので、手紙を書いた女性の気持ちが分からなくて……」

「――まぁ、そうだよな……それは俺も同じだしな……」

「えっ?」

「いや、俺も理桜ちゃんと同じで、大病したことも、余命宣告を受けたことはないからね」

「あぁ、そうですよね……だから、自ら命を……その時の彼女の気持ちを理解することができなくて……」

「――――」


 話題が話題だけに、どちらも次の言葉が出てこない。


 その場に沈黙が続いた。ただ、正面にある池をボーっと眺めることしかできなかった。




「あぁ、そうだった。理桜ちゃん、この後、用事があるんだ。悪いけど、俺は失礼するよ」

「あっ、はい……引き留めてしまってすみませんっ」

「いや、仕事の話だからね。話を聞く分には全然構わないよ。何か他に聞きたいことがあったら、遠慮なくメールしてくれていいから」

「はい、ありがとうございます」

「パンと紅茶、ご馳走様。あー、それと、あまり根詰めすぎないようにね。無理はしないで、いいね?」

「はい、分かりました」



 彼が去った後、暫くの間、池を見ながらボーっとしていた。

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