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そのメール、代筆いたします  作者: 蒼井スカイ
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7.立ちはだかる壁

「よしっ」


 街中のショーウィンドウの窓ガラスに映る顔をチェックし、2、3歩下がって全身をチェックした。

 今日の服装は、バンドカラーの白シャツワンピにグレージュのジレを重ね、黒のパンツと淡いベージュのパンプスを合わせた。


 今日は夏目さんと会う約束の日――。


 今日、夏目さんから依頼された2通のメールの結果が出る。もしも、依頼するに値しないと判断されれば、彼のサポートを受けて起業する話は流れてしまう。まさに、私の人生を左右する重要な1日である。


――早く結果を聞きたいような、聞きたくないような……。夏目さんはあのメールを見て、どう思ったんだろう。

 今ここで悩んだって仕方ないか……できる限りのことはしたんだし、後は夏目さんの判断を聞いて、受け入れるだけ。もしも断られたら、その時はその時。また転職活動を続ければいいんだから……。





「理桜ちゃん、待たせて悪かったね」

「夏目さん……いえっ、こちらこそ、お忙しい中、お時間を取っていただいて、ありがとうございます」

「――理桜ちゃん、もしかして緊張してる?」

「えっ、はい……少し、だけ……」

「そうだよな、気が利かなくて申し訳ない。結果の是非だけでも先に伝えておくべきだったね」


 彼は私の向かいの席に座ると、静かに話し始めた。


「理桜ちゃん、まずは結論から。ぜひ3通目の依頼もお願いしたい」

「――! ほ、本当ですか?」

「あぁ、もちろんだよ。詳細は後で話すとして、とてもいい出来だったと思う」

「良かったです……」

「先に、飲み物をオーダーしよう。理桜ちゃんは何にする?」


 いつもの如く、彼は話をしながらドリンクメニューを私が見やすいように開き、差し出してくれた。


――う~ん、今日は何にしようか……。この間のピーチティーとマスカットティーも美味しかったけど、今日は別のドリンクにしようかな? ん? これ、きれい~。


 目に留まったのはオレンジと琥珀のグラデーションが美しいオレンジティーだった。どうやら、オレンジジュースの上にアイスティーが注がれているらしい。今日のドリンクはすぐに決まった。



「アイスコーヒーのお客様……」


 彼は、カフェの店員がドリンクをテーブルの上に置き、去ったのを確認してから最初に依頼された2通のメール代筆の結果を教えてくれた。


「まず1通目だけど、これはビジネスメールの基礎知識を確かめるために依頼させてもらった。理桜ちゃんが訂正してくれた箇所は完璧に近かった。文句の付け所がないくらいね。修正箇所とその理由を簡潔に纏め、メール作成時のポイントを記載した文書を添付したのはとても素晴らしかったよ。

 普通なら、また依頼を受けるためにメール作成のコツを教える人はいないだろうからね。理桜ちゃんの誠意が詰まった素晴らしい出来だったと思う」


「――ありがとうございます」

「それで、2通目だけど……」


――あれっ? 夏目さん、何だか話しづらそうに見える。何で? もしかして、何かまずい箇所でもあったのかな。何だろう……。


「俺の話をする前に、理桜ちゃんに1つだけ質問に答えてもらいたい」

「――はい……」

「お見舞い品にフォトフレーム付きのフラワーボックスを選んだ理由を聞かせてほしい」

「そ、それは……」


――私、やり過ぎたみたい……。やっぱり深入りしすぎたのかな……。でもっ、入院してる時って、いつも明るい人でも気落ちするって言うから、大好きな花と家族写真が身近にあれば、少しでも元気になってくれるかなって思ったんだけど……。今更、言い訳しても仕方ないっ。


「フラワーボックスに変えたのは花瓶に生ける手間もないですし、見栄えもいいと思ったからです。それと、依頼時に頂いた資料を読んで、井上さんと息子さん家族の関係が気になりました。依頼主さんは井上さんのご家庭の事情をよくご存じのようでしたから、きっと親しい間柄だと推測しました。

 息子さんにはお子さんもいらっしゃって、このメールとお見舞いのフラワーボックスが親子関係の改善のきっかけになったらいいな、と思ったんです。あえてフォトフレーム付きにしたのは大好きなお花と家族写真を飾ってもらって、少しでも元気になってほしいと考えて選びました。

 予算は少々高くなりますが、親しい方へのお見舞いなら、十分に飲んでいただける金額だと思いました……」


 彼は顎に指を当てて、何か考えているようだった。暫くして、堅く閉じていた口を開いた。


「――なるほど……正直、このメールを最初に読んだ時、お見舞いの品に手をかけ過ぎではないかと思っていたんだ。お見舞いのメールはあくまでも社会人としてのマナーの範疇(はんちゅう)で行われるものであるべきだし、相手の家族のことに首を突っ込むのは非常識と取られかねない」

「…………」

「だけど、理桜ちゃんの話を聞いて、考えが変わった……」

「えっ……」

「当たり障りのないメールの代筆じゃ、そこらにあるメール代行サービスと何ら変わりが無いし、差別化はできないからね。もちろん、誰にでもこういった内容のメールが受け入れられるとは限らない。けれど、このメールのように隠れた気遣いと思いやりが誰かを救うかもしれない……」

「――!」

「――それに、依頼主は井上さんと息子さんの関係が改善されるのを望んでいる。井上さんは息子との関係改善を心の中で願っていたけど、今以上に関係がこじれるのを危惧して何もできなかった。今回の入院は、息子との関係改善のいいきっかけになるかもしれないね。理桜ちゃん、お疲れ様。2通とも、俺の期待以上の仕上がりだ」

「――ありがとうございますっ」


――良かったぁ~。夏目さんから評価してもらえた。これで、3通目の依頼を受けることができる!


 彼は黒のビジネスバッグから、横書きの白い封筒を取り出し、私の目の前にそっと置いて、依頼内容を話し始めた。


「次に依頼したいのはその手紙への返信メールだよ」

「中を見ても?」

「――どうぞ。それは原本の手紙をコピーしたものだから、この依頼を終えたら処分してもらって構わないよ」


――これは……見事な美文字だ。筆跡からすると、この手紙を書いたのは女性? えっ、これって……!


「読んでもらえば分かると思うけど、それはある女性の遺書となった最期の手紙だ……。彼女は学生時代に付き合っていた男性がいたが、就職活動ですれ違うようになって自然消滅した。その手紙が書かれたのは彼が社会人3年目の頃で、彼が手紙を受け取ったのはそれから2年後だった。

 2人の関係はごく普通の学生カップルと何ら変わりはなかった。自然消滅したのは、互いに自分のことを優先していたせい。だから、連絡を取り合うこともなかったし、彼が彼女を懐かしんで思い出すこともなかった。その後、人伝えに彼女が結婚したと聞いた。その時も、特別な感情が浮かぶこともなかった。

 けれど、彼女の最期の手紙を受け取った彼の人生は一変した。それまで思い出すことのなかった彼女との想い出が頭から離れなくなった。まるで彼女の呪いにでもかかったようにね……。

 それから数年が経って、彼はようやく彼女とのことにケリをつけようと決心した。理桜ちゃんに依頼したいのは、彼が彼女のことを忘れるための最後のメール。彼が彼女のことを吹っ切れるような内容のメールを作成してほしいんだ」


――こ、こんな重い手紙に対するメールを? 彼が亡くなった元恋人を忘れるためのメール。このメールは決して彼女に届くことはない……。夏目さんはそれを分かって、どうしてこんな依頼を?


「どうかな? この依頼を受けてくれる?」

「えっと……その……」

「――理桜ちゃんが戸惑うのも仕方ないね」

「…………」

「メールを代筆したとしても、すでにいない相手を思ってメールを作成しなければならない。このメールを代筆する意味があるのか? 君は今、そんな疑問を抱いている、そんなところかな?」

「――!」

「――そうだろうね。ただ、考えてみて欲しい。もしも俺が理桜ちゃんの起業をサポートするとして、本格的にメール代筆の依頼を受ける場合、こういった類の依頼主が現れる可能性だってゼロではないと思う。あらゆる可能性を考えた上での依頼主の設定だと思ってくれたらいいよ」


――確かに、夏目さんの言う通りだ。私がプライベート専用のメール代筆サービスを起業したとして、どんな内容を依頼されるのかは依頼主次第。誰でも作成できる内容ばかりの依頼が来るとは限らない。むしろ、複雑な状況にあるからこそ、本人がメールを作成できなくて外部に依頼する訳だし……。

 これは報酬の発生する仕事だけど、私が起業できる器かどうかを確かめるためのテストでもある。テストだと思って、思いきりやってみよう。全力を出して、それでもダメだったら、私はそこまでの能力だってことなんだから……。よしっ!


「夏目さん、ぜひお引き受けさせてくださいっ」

「――ありがとう。期限は1カ月で。何か質問がある時はメールをしてくれたら有難いかな」

「はい、分かりましたっ」

「じゃあ、俺は仕事に戻るよ。理桜ちゃんはゆっくりしていってね」

「夏目さん、ごちそうさまです。いつもありがとうございます」



 彼はアイスコーヒーを半分以上残し、やさしい微笑みを浮かべて席を離れた。会計を済ませると、忙しなく仕事に戻って行った。


 丁寧に折り畳まれた手紙のコピーを再び開くと、無意識に大きな溜息が出た。何とも言えない感情のモヤモヤが心の中を侵食していくようだった。


――気のせいかな? 夏目さんの表情が少し暗かった気がする。もしかして仕事が忙しくて疲れてるとか? 忙しい中、私のことも考えてくれて迷惑をかけてるんじゃ……。


 頭をブンブンと左右に振り、マイナスに傾いた思考を頭の中から吹き飛ばす。


――今は夏目さんがくれたチャンスを掴み取るために、目の前のことを頑張るしかない! それに、私が起業できたとして、夏目さんの役に立てることがあるかもしれないし……う~ん、そこは自信ないけど……イジイジするのはもう止めっ!

 夏目さんが忙しい中でも、私にチャンスをくれたんだから。夏目さんの労力を無駄にしないためにも、絶対にこのメールを完成させてみせるっ。


 その時、テーブルの上に置き去りにされたグラスの氷がカランと鳴った。その音が、思考の世界から現実に引き戻してくれた。


 残ったオレンジティーをゆっくりと堪能することに意識を向けた。





 自宅アパートに戻り、入浴を終え、帰りに立ち寄ったスーパーで買ったお惣菜と5本のカクテル缶をテーブルに並べ、珍しく1人で晩酌をした。


 普段ならお惣菜を買っても、買い物カゴにお酒を入れることは無かった。でも、何故か、今夜は無性にお酒を呑みたい衝動に駆られた。きっとそれは、あの手紙を読んだせい……。


 バッグの中から、あの手紙が入った白い封筒を取り出し、テーブルの上に置いた。封筒から手紙を出さないまま、じっとにらめっこをする。カクテル缶をグラスに注がず、直接、口の中へ流し入れた。


 テーブルの上で空になったカクテル缶はすでに3本。今、4本目が空になったところだった。ほろ酔い気分になると、おもむろにテーブルの上に放置していた封筒を手に取った。丁寧に折り畳まれた手紙のコピーを抜き出す。その手紙にはこう記されていた。




『私、最近、離婚をしたの。旦那のことは愛していたし、旦那の子が欲しかった。でも、それは叶わなかった。私は今、独りぼっち……。とても寂しい、寂しくて仕方がない。

 過去を振り返ると、不思議だけど、旦那のことよりもあなたのことを思い出しているの。あなたと過ごした時間は私にとって宝物だったから。

 ねぇ、覚えてる? 私たちの初めてのデート。私は待ち合わせ時間を勘違いしてて、あなたを1時間以上も待たせてしまったよね。でも、あなたはずっと待っていてくれた。嫌な顔もせずに。


――中略――


 なぜ私たちの関係は終わってしまったのか、このところずっと考えていたけれど、その答えは見つからなかった。私はあなたのことが好きだったし、あなたも私のことを想っていてくれていたと思うの。あなたはどう思う? あのまま別れていなければ、私たちは今もずっと笑い合うことができたかな?

 今日、病院に行ったの。私、末期のがん、なんだって……おかしすぎるでしょ。離婚の次はがん……余命はもって半年。私に残された時間は半年だけ……孤独な私に何ができる?

 もしかしたら、私はあなたと過ごしたあの頃に、人生の幸せの貯金を全て使い果たしてしまったのかもしれないね。だから、もう悔いはないの。もう十分、私なりに精一杯生きることができたと思う。

 あなたに「さよなら」は言わない。私は一足先に天国(あっち)に行ってるからね。じゃあ、またね。』




 彼女はこの手紙を実家に残し、その後、自ら命を絶ったという。余命が幾ばくかもないと知って、絶望して人生の幕を閉じることを選択したのだろうか? だとしたら、さぞ辛く、寂しかったのではないか。

 それに、最後に思い出したのが、別れた旦那さんではなく、学生時代の恋人――この手紙の受取人――。


――その恋人との想い出を宝物だと言い切った彼女。彼女はどんな人だったんだろう? そもそも、そんなにも大切に想う人がいたのに、どうして他の人と結婚したの? 子どもができなかったのはどうして? なぜ、自ら命を?


 いくら考えても分からないことだらけだった。恋愛経験もなければ、今は慣れない晩酌でほろ酔い気分だから分からなくて当たり前なのかもしれない。それでも、自ら命を絶った彼女の決断だけは到底受け入れられるものではなかった。


――この依頼、私が受けて正解だったのかな……。ものすごく高い壁の前に立たされている気分……。


 ベッドに背を預け、最後のカクテル缶の残りを飲み干した。空き缶をテーブルの上に置くと、スイッチが入ったように強力な睡魔に襲われ、意識は遠のいていった。

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