【第6話】学び
自信とは、一体なんなのだろうか。
声を出して意思を伝える必要性を知ったからといって、すぐに言葉が紡げるわけではない。
口を開こうとするたびに、思考が足を引っ張る。
間違えたことを言ってしまうのではないか。
正解ではないことを口にして、相手の気分を悪くさせてしまわないだろうか。
そう考えてしまうと、途端に言葉は声にならない。
世間の言う「普通に」とは、どういう状態を指すのか。
どれだけ考えても、答えなど出やしなかった。
私にとっては、いつだって相手の気分がすべて優先される。
他者の感情が自分の自信を左右するからこそ、無口でいるしか方法がなかったのだ。
こんな人間が、社会で「役目」を貰ったら、それがどれほど大変なことになるかは当たり前だ。
だからこそ、苦痛を伴ないながら、初めて伝えることの大切さが身にしみて分かったのだ。
ただ、同時に学びもある。
伝えたいと思うことのすべてを、正直に全て伝える必要などないのだ、ということ。
今でも、「普通」が何なのかという問いに、答えは出ていない。
だから今だに人の集まりも好きではないのだ。
いや、好きではない、と一言で片付けるのは、少し傲慢な表現だったかもしれない。
なぜなら、そんな「人の集まる場所」へ行かねばならぬ時、私の身体は拒絶の反応を起こすからだ。
心臓は心拍を上げ、激しい動悸が始まり、おでこに冷や汗が滲む。
そこまでして、行く必要がその場所にはあるのだ。
だが、その事実を、私は予め相手に伝えてある。
「限界がきたら途中退席してもよい」という救いのような規則を貰っている。
だからこそ、私は何とかそこへ足を運ぶことができるのだ。
周囲に完全な理解は求めないことにしている。
周囲もその他大勢なのだから一人を理解する必要がないのだ。
あくまでも、最低限伝える必要があることだけを、誠実に伝える。
けれど、どれだけ頑張っていても、最終的には相手の許容がどこまであるか、という他者の領分に委ねるしかないのだ。
そうやって、出来ること、やれることを、ただひたすらに続けてきた。
振り返ってみれば、そんな不器用な歩みの先でも、何かしらが形になって出来ているのだから、それはとても有難いことなのだろうと、私は思っている。
もしかしたらその積み重ねが自分の自信の形なのかもしれない。
第7話へ続く。




