【第3話】心と涙
数日前の決意をなんとか形にするように、私はスマートフォンの画面に文字を打ち込んだ。
何度も着信をくれていた人たちへ、報告を兼ねた短いメッセージを送る。
「私は大丈夫。心配をかけてごめんなさい」
ぎこちない指先で送信ボタンを押し、大きく息を吐き出してベッドに体を沈めた。
返事ができたことに対する確かな安堵はあった。
それなのに、それと同じかそれ以上の重さで、どっと押し寄せてきたのは、心の一番深いところが削り取られたような激しい疲労感だった。
ただの一言、二言。
それだけの言葉のやり取りが、今の自分にとっては、鉛の塊を持ち上げるように重く、そしてつらいものだった。
スマートフォンを握りしめたまま、私は目を閉じた。
送った言葉に対して、またすぐに新しい言葉が返ってくるかもしれない。
相手に悪気がないからこそ、その優しさや心配の言葉を正面から受け止めるだけの強さが、今の私の心には残っていなかった。
暗闇の中で、答えの出ない問いが脳裏を回り始める。
友とは、いったいなんなのだろう。
大切にしなければいけない存在。
助け合うべき関係。
世間はそう言うけれど、私にとって「友人」という存在は、いつだって救いであると同時に、自分を映し出す残酷な鏡でもあった。
繋がっていなければいけないという義務感と、一人になりたいという拒絶の狭間で、いつも心が引き裂かれそうになる。
普通の人なら悩む必要のない、もっと気楽に構えていられるはずのところで、私はいつも一人で悩み、勝手につまずき、勝手に傷ついている。
思えば、この生きづらさは今に始まったことではなかった。
幼少期の記憶が、点滴の機械の音に混ざるようにして、おぼろげに蘇ってくる。
小さな頃の私は、近所の友達から「一緒に遊ぼう」と無邪気に誘われるだけで、なぜか激しい不安に襲われて泣き出してしまうような子供だった。
相手はただ親切心で、仲良くしたくて声をかけてくれているのに、その「関係性」の輪の中に入るのが怖くてたまらなかった。
言葉を発するという行為そのものが、なぜか異常に怖かったのだ。
実体のない恐怖が常に喉元を締め付けていた。
小学校の教室でも、先生から指名されたり、友達から話しかけられたりするたびに、声が出なくなってただ涙だけがポロポロとこぼれ落ちた。
周りの子供たちが普通に、大声で笑い合い、お喋りを楽しんでいる姿が、まるで遠い世界の出来事のように見えていた。
大人になった今でも、私はよく涙する。
感受性のバケツが、人よりもずっと小さくて、すぐに溢れてしまうのだ。
周りの話を聞きながら、「この人はその時、どれほど苦しかったろう」とその痛みを想像すると、自分の胸がチクチクと痛み涙が止まらなくなる。
どれほどつらく、理不尽な状況であっても、投げ出さずにそれでも頑張っていたのかと、その人が今日まで必死に進んできた姿が目に浮かぶ。
つらい自分を励ましながら進んできたその歩みを思うと、尊くて、涙が溢れて止まらないのだ。
学生時代を振り返ってみても、私には確かに友がいた。
本当に幸せなことに、私の周りには優しくて面倒見のよい友が多かったように思う。
恵まれていたのだと思う。
感謝もしている。
それなのに、私は「あの学生時代にもう一度戻りたいか」と問われれば、すぐに首を振るだろう。
あの頃に戻りたいとは、どうしても思えない。
みんなと同じ枠組みの中に自分を押し込める作業は、それだけで息が詰まるような苦痛だった。
何より、私の体も集団のスピードについていけるほど強くはなかった。
体力もなく、よく熱が出たり起きれずに、学校をお休みする日も多かった。
お休みの日、布団の中で静かに流れる時間は、私にとって唯一の安全地帯だった。
けれど、その代償は大きかった。
お陰で勉強についていけず、私の学生時代は、そんな小さな挫折の繰り返しであった。
ベッドの横の棚の上、静かに横たわるスマートフォンを見つめる。
言葉を交すことの重さに怯え、過去の挫折に囚われながら、私はこの狭い病室で、今もただ自分の涙に溺れそうになっていた。
水色の空は、今日もカーテンの向こうで静かに私を見下している。
第4話へ続く。




