16 引越し
エメリーは退院後、ロレインの元で侍女としての教育を受けることになった。
ロレインがマイケルの母親だと知った時には本当にどきどきしてしまった。ロレインはアレックス隊長の部屋で会った時に一目でエメリーを気に入り、姫様達と仲良くやっていけると太鼓判を押したのだ、とアレックス隊長から聞いた。
ロレインは厳しいけれど、とても優しい女性だった。ロレインと学ぶ時間は、エメリーにとって大切な時間になっていった。
ロレインの家で礼儀作法を学んでいたある日の事。
ただいま帰りました、と言う声と共に、いつもは御屋敷に住むマイケルが顔を出した。
あわあわと慌てるエメリーとウロウロと不審な行動を取るマイケルを見て、ロレインが大笑いをした。
「ごめんなさい。笑うところではなかったわね。
でも、2人とも分かりやすいわ。
2人はお付き合いしてるのでしょう?アレックス殿から聞いていますよ。
マイケルは今日ここにエメリーが来るって知ってて会いにきたのね?お休みもなかなか取れない2人ですものね…今日はこれで終わりにしましょうか。
後は2人で食事でもしてきなさい。エメリー、マナーの実践だと思ってね」
2人は背中を押されるように外に出た。なんだか照れくさそうな顔をしたマイケルは、マナーの実践ならばと、隊員達の来ない郊外の高級なレストランにエメリーを連れて行った。
テーブルの上で手を繋ぎ、見つめ合っていると時間はすぐ過ぎてしまった。それでも、食事のマナーはきちんと出来ているよ、とマイケルのお墨付きをもらった。
静かな郊外の街を二人でゆっくりと散策するとエメリーは幸せで心が温かくなる。マイケルの腕に自分の腕を絡ませて歩き、たわいもない事を話す。そんな、ふわふわとした時間が過ぎていく。
エメリーはもうすぐ親衛隊の宿舎からエレノア姫のいる御屋敷に移ることになっていて、マイケルはエメリーが来るのを待っていてくれる。
マイケルがいるから大丈夫。きっと、大丈夫。
エメリーは不安だらけの心を隠すように、マイケルに微笑んだ。
引っ越しの日になった。
宿舎の私物を全て片付けがらんとした部屋で、エメリーは昼でも明るく輝く大きな赤い月と青い月を見つめていた。
エメリーは自分がこの仕事を受ける時に現れた美しい女性に感謝していた。
「あなたのお導きでここまで来る事ができました。
ありがとうございます。
これからが私の大切な勤めです。どうぞ、見守ってください」
エメリーはあの美しい女性が月に住む姫君なのだと思った。
ロレインに連れられて姫様達の住むお屋敷へとやって来たエメリーは商人のお嬢様として、のびのびと暮らしている2人の姫達と初めて会った。
もう直ぐ15歳になるエレノアは、お姉さまが1人できたみたい、とエメリーの手を取り、ブンブンと振って喜んでいた。
まだ7歳のアメリアはロレインの影に隠れていたが、やがて顔を出してエメリーに抱きつき、離れなくなってしまった。
エメリーはアメリアと手を繋ぎ、アメリアに屋敷の中を案内してもらった。ロレイン、エメリーの他にも下働きの侍女や力仕事をする男衆、料理人などがいて、賑やかに挨拶を交わしていると、馬番のアレックス爺が出て来た。
アメリアはタッタッとアレックス爺に駆け寄ると、だっこして、と甘えている。アレックス爺も嬉しそうに、アメリアお嬢さまは、いつまでも甘えん坊ですな…などと言っている。
やがて、執事姿のマイケルが顔を出した。ブラックのフロックコート、グレーのストライプパンツ、白の蝶ネクタイを締め、優雅にエメリーに微笑むその姿は、優秀な執事にしか見えない。
「エメリー、よく来たね。エメリーの部屋はまだ案内してないのかな?」
では、私が案内しましょう、とマイケルはさっさと歩き出した。廊下をいくつか曲がった所で、マイケルがここだよとドアを開けた。
白い壁に、女の子らしい淡い色のカーテンやベッドカバーが目を惹く、可愛い部屋だった。
「まぁ!」
エメリーは小さく言って両手を頬に当てた。
「気に入ってくれたかな?」
「えっ?もしかしたら…」
「エメリーが気に入りそうなモノを揃えたんだけど…。どうかな…?」
マイケルが自信なさそうに聞いたが、エメリーは返事もできずに泣き出してしまった。
「お、おいっ?どうしたんだ?気に入らなかったかい?」
狼狽えるマイケルの胸にそっと顔をくっつけた後、エメリーが顔を小さく左右に振った。
「嬉しすぎて…。こんなに可愛いお部屋は初めて。ありがとう。本当に嬉しい!」
ニコッと笑ったマイケルはそっとエメリーの背中を押して部屋の中へとエメリーを誘う。
「隣はね、俺の部屋なんだ」
ほら、ここで繋がってる、と部屋の中にあるドアを開けた。
「エメリー、このドアの鍵はいつでも開けておくよ。何かあったら俺のところにおいで。
俺がここにいない時も心で呼んでくれたら、いつでもエメリーのそばに来るから。いいね?」
マイケルはエメリーを抱きしめ、キスをして囁いた。
「エメリーがこの御屋敷に来るのを待ってた」
エメリーの唇が、離れていくマイケルの唇を追いかけ、2人はいつまでもキスしていた。
ディナーの時間は、ロレインに見守られ、マイケルに助けられながら、侍女の役目をこなした。
アメリアのシャワーを少し手助けし、アメリアが眠りにつくまでそばにいて、そっとベッドから離れた。
その後、エレノアの部屋に行き、御用はございませんか?と尋ねて、少しおしゃべりをした。
全ての仕事を終えたエメリーは自室でシャワーを浴び、寝巻きに着替えて、ベッドに潜り込んだ。マイケルが選んでくれた可愛いものに囲まれた部屋で、エメリーは幸せだった。
なのに…
不安ばかりが頭に浮かぶ。
幸せなのに…。
なぜ?
突然、エメリーの眼に涙が溢れてきて、ポロポロと流れ落ちてしまった。枕に顔を埋めて泣いていると、どんどん不安になる。
すると、トントントン…とノックする音が聞こえて、マイケルの声がした。
「どうしたの、エメリー。入るよ、いいかい?」
エメリーは泣いてる顔を隠そうとして、枕に顔を強く押し付け、なんでもありません、と言った。
マイケルがエメリーを見て、泣いてるじゃないか、とエメリーの傍に座った。
泣いてなんかいません、と言うエメリーから枕を引き剥がして、マイケルは微笑んだ。
「寂しくなったの?大丈夫だよ。
どうしたのか、話して聞かせてほしい。
ゆっくりでいいからね」
「こんな事は…初めてなの。…今まで泣いたことなんかないのに。なんでこんなに不安で、怖くて寂しいのか、わからないの。
わからないから…どんどん不安になって…涙が…。
心配かけてごめんなさい…私は大丈夫です」
マイケルはエメリーを抱きしめてから、エメリーを見つめて言った。
「不安で、怖くて、寂しい…なんて当たり前だよ。
俺だってそうだよ。いつも不安で、なんでも怖くて、1人でいると寂しい。
エメリーはセオドラ国王陛下の親衛隊の騎士だっただろ?
今まで誰よりも努力して、頑張ってきた。不安に思う前に行動する。強くて当たり前…。
いつもいつも、緊張して過ごしている。
でもね、今ここでは違うんだよ。騎士じゃない。
エメリーは今、俺と2人で座っている普通の17歳の女の子なんだ。不安で怖くて寂しいって、普通なんだよ。
俺と2人の時ぐらい、普通の17歳に戻ったっていいじゃないか。そうだろ?
不安なときは俺に甘えてほしい。泣きたいときは俺の胸で泣いてほしい。寂しいときは俺に抱きついてほしい。
エメリー、俺のそばにいて、俺に甘えてくれ」
マイケルの虹色の瞳にはエメリーが映っていた。エメリーはそれを見てまた泣き出し、マイケルの胸にしがみついた。
マイケルは背中をトントンとして、エメリーが落ち着くのを待ち、そっと囁いた。
「今夜は2人で抱き合って眠ろうか。エメリーが眠るまで俺がずっとエメリーの顔見ているから」
エメリーがかすかに笑い、涙でぐちゃぐちゃの顔をマイケルの胸に埋めた。
「マイケル、大好き。
12歳のあの日、初めて会った時からずっと大好き。
…やっと言えた」
「エメリー、俺もだよ」
2人は長いキスをした。
マイケルはエメリーの耳元で囁く。
「今日はこのままお休み」
マイケルは約束通り、エメリーが眠るまでずっと顔を見ていた。




