第二章 「ゴミ捨て場の貼り紙」
第二章
「ゴミ捨て場の貼り紙」
翌朝。
春風マンションのゴミ捨て場には、朝から怒号が飛んでいた。
「だから何度言えばわかるの!?」
甲高い声。
修司は、頭を押さえながら駆け足で向かった。
ゴミ置き場の前には、住民が三人。
そして。
大量の未分別ゴミ。
ペットボトル。
缶。
生ゴミ。
段ボール。
全部ぐちゃぐちゃだった。
「高瀬さん!見てよこれ!」
怒っているのは、二〇一号室の田村静子、六十八歳。
春風マンション最古参。
そして苦情件数トップ。
「最近ひどすぎるわよ!」
「……すみません」
修司は頭を下げた。
もはや朝のルーティンだった。
「外国の人たちにちゃんと説明してるの!?」
その言葉に、修司は少しだけ表情を曇らせた。
している。
張り紙も貼った。
英語版も作った。
中国語版も。
でも。
全部が伝わるわけじゃない。
「管理人なんだから、ちゃんとしてよ」
ぐさり。
悪気のない言葉ほど刺さる。
「……はい」
田村は不満げに去っていった。
残された修司は、大量のゴミを前にしゃがみ込む。
朝から気が重い。
缶コーヒーを飲む気力もない。
「手伝います」
後ろから声。
振り返る。
白石春菜だった。
今日はラフなパーカー姿。
髪を軽く結んでいる。
「え?」
「その顔、かなり疲れてます」
「……そんなに?」
「はい。びっくりするくらい」
春菜は、普通に軍手をはめた。
「分別、やりましょう」
「いや、悪いですよ」
「こういうの、一人でやると心折れますから」
その言葉に、修司は少し黙る。
春菜は慣れた手つきでゴミを分け始めた。
「春菜さん、こういうの慣れてるんですか?」
「日本語教室で似たようなのあります」
「日本語教室?」
「外国人向けの生活サポートもしてるんです」
なるほど。
だから落ち着いているのか。
春菜はペットボトルを洗いながら言った。
「“ルールを守らない”っていうより、“知らない”人、多いんですよ」
「……」
「あと、日本って分別細かいですし」
修司は苦笑した。
確かに。
日本人でも間違える。
「でも、住民からすると迷惑ですからね」
「そうですね」
春菜は否定しなかった。
そこが修司には少し意外だった。
ただ優しいだけじゃない。
ちゃんと現実も見ている。
「だから、“怒る”より、“一緒に覚える”方がうまくいく時もあります」
春菜はそう言って笑った。
その時だった。
「あっ!」
小さな声。
見ると、昨日の女の子が立っていた。
ラジェスのいとこ。
今日は黄色いリュックを背負っている。
「……おはよう」
「おはよう」
修司が言うと、女の子は嬉しそうに笑った。
「おじさん、ゴミしてる」
おじさん。
修司、ちょっとダメージ。
春菜が吹き出した。
「ふふっ」
「……笑わないでください」
「すみません」
女の子は、しばらくゴミを見ていた。
そして。
「わたしもやる!」
小さな手で、ペットボトルを持ち上げる。
「えっ、いいよ危ないから」
「だいじょうぶ!」
春菜が優しくしゃがみ込んだ。
「じゃあ、これはペットボトルの箱ね」
「うん!」
女の子は一生懸命分別し始めた。
すると。
ラジェスも慌てて走ってきた。
「スミマセン!!」
「いや、大丈夫」
ラジェスは深く頭を下げた。
「昨日、友達いっぱい来た。ゴミわからなかった」
「うん」
「ちゃんと覚える」
修司は少し驚いた。
ちゃんと伝えれば、
ちゃんと返してくれる。
その瞬間。
春菜が、小さく笑った。
「ほら。“怒鳴る”より早かった」
「……ですね」
修司も少し笑う。
久しぶりだった。
誰かと、
問題を“敵”じゃなく、
“一緒に解決”した感じがしたのは。
その日の夜。
修司は母親の部屋で夕飯を作っていた。
煮魚。
味噌汁。
冷蔵庫の残り物。
「修司ー」
奥から母親の声。
「なに?」
「今日、お父さん帰ってくる?」
修司の手が止まる。
父は、もう十年前に亡くなっていた。
「……今日は帰ってこないよ」
母は少し黙った。
そして。
「そう……」
その声が、
やけに小さかった。
修司は胸が苦しくなる。
介護。
終わりが見えない毎日。
婚活もうまくいかない。
マンション問題も山積み。
最近、
自分の人生が、
何のためにあるのかわからなくなる時があった。
すると。
スマホが震えた。
メッセージ。
送り主は、白石春菜。
【今日はありがとうございました】
その一文だけ。
なのに。
なぜか少し、
救われた気がした。
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# 第二章 完
## 次回予告
# 第三章
「婚活パーティー、四十歳の壁」
久しぶりに婚活パーティーへ向かう修司。
しかし現実は厳しい。
年齢。
年収。
会話。
比較。
心が折れかけた時、
春菜から一本の電話が入る――。




