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ECCENTRIC ORBIT  作者: きんかん


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第7話 カニ

「接触まで0.8」


 パティの声と同時に表示上の距離が減っていく。


「0.2。接触」


 右前方モジュールの先端がトラスへ触れる。


 衝撃と呼べるほどのものはない。

 だが、その向こうには巨大なラジエーターがある。


 今まで別の機体が受け持っていた力を、グラディヴスはそのまま受け取らなければならない。


「接触荷重、確認しました」


「現場機、少し抜いてくれ」


『了解。ゆっくり抜く』


 トラスを押さえていたファーベルの推進光が弱くなる。


 直後、表示された数字が跳ねた。

 巨大なトラスが動く。


「パティ」


「追従しています」


 グレアムが言い終えるより早く、右前方モジュールの推力が増していた。

 残る三本もわずかに位置を変え、機体全体が押し戻す。


 動き掛けたトラスが止まった。


『悪い、思ったより抜けた!』


「いい。そのまま」


 相手機の推力は一定ではない。

 人間が操縦している以上、完全に同じ割合で力を抜き続けることなど出来ない。


 その揺れをグラディヴスが拾う。


 弱くなった分だけ押し、押し過ぎる前に抜く。

 AEドライブが相対位置を戻し、別のモジュールが姿勢を支える。


『……こっちはもうほとんど掛けてない』


「荷重移管、完了しています」


「よし。離れてくれ」


『了解』


 一機目がトラスから離れた。

 巨大な構造物は動かない。


『おお……』


「感心してる暇あったら修理に回れ」


『分かってるよ』


 解放されたファーベルが待機していた修理班へ向かう。


「次」


 二本目。


 今度は一度目ほど構造物が動かなかった。


「さっきより速いな」


「相手機の操作傾向を反映しています」


『何か俺、下手だって言われてないか?』


「言ってません」


 二機目も離れる。




 そこから先は早かった。


 三本目。

 そして配管側。


 荷重の向きも、相手の抜き方も違う。

 それでもグラディヴスは、そのばらつきを一つずつ吸収した。


 四本。


 四つの支持点。


 それぞれ違う方向から、違う力を受ける。

 グラディヴスはその中央に浮かび、一機で全部を押さえ込んでいた。


 推進モジュールというより、本当に四本の腕だった。


『右側、離脱出来る!』


「離れろ」


『了解!』


 最後のファーベルが離れる。


『修理班、入れ!』


 待機していた作業員達が動いた。


 三人。


 全員が船外作業服を着込み、腰から伸びた安全索をファーベルとトラスへ二重に取っている。


 一人は工具ケースを抱え、もう一人は交換用の固定具を胸元へ抱えていた。

 先頭の一人だけが支持部の手前で止まる。


『変位は?』


「0.7ミリ以内。現在安定しています」


 パティの返答を聞いて、作業員がようやくトラスへ手を掛けた。


 巨大なラジエーターの前では、人間の身体など点にしか見えない。


 その点が、壊れた支持部へ向かってゆっくり進んでいく。


 グレアムは操縦桿を握り直した。


「……絶対動かすなよ」


「そのために保持しています」


 四本の数字が細かく揺れていた。


 作業員が固定部へ取り付く。


『上側ラッチ確認! 変形あり!』


『交換品持って来い!』


『右支持も入る! 配管班はまだ待て!』


 それまで構造物を押さえるためだけに使われていたファーベルが、人を運び、工具を支え、交換部材を送り始める。


 グラディヴスは動かない。


 動かないことが仕事だった。


『グレアム』


「何だ?」


『軽傷者二名、サルースCへ収容しました。こちらは部材搬送へ回ります』


「頼む」


 その時、作業回線の向こうで誰かが呟いた。


『……なんかカニみたいだな、あれ』


『配管班、補修位置確認!』


『固定具、次を回せ!』


 その間も表示は動き続けている。


 四点の荷重。

 構造変位。

 冷却材流量。

 温度。

 熱。

 電力。

 残り時間。


 その片隅で、別の処理が走っていた。


「それ、何だ?」


「事故進展の再構成です」


「今やってるのか?」


「演算資源には余裕があります」


 事故前からのログが時間軸へ並ぶ。


「外から何かされた形跡は?」


「現在確認出来る範囲では、外部操作を仮定しなくても事故経過は成立します」


「つまり?」


「事故で説明可能です。ただし正式な原因判定には不十分です」


 前回が人為的だったからといって、今回までそうである必要はない。


 当たり前のことだった。

 それでも、その当たり前を確認出来ただけで少し肩の力が抜けた。


『上側ラッチ、交換完了!』


『右支持、固定確認!』


『配管補修入る!』


「パティ、残り時間は?」


「フォボス通過まで38分です」


「これなら間に合いそうだな」


「現状の作業速度が維持されれば、ですが」


「そこは素直に間に合うって言えよ」


「未来の事象を断定する根拠がありません。また、希望的観測は認知バイアスです。判断材料に組み込むのは危険です」


「分かってるけどよ、人間ってのはそういうもんだぜ」


 やがて冷却材流量が上がり始めた。


「82……87……90」


『停止手順へ移れる!』


 太陽電池側が切り離され、送電出力が段階的に落ちていく。


『50%』


『30』


『あと10』




 少し間があった。




『ビーム停止』




 まだ終わらない。


 冷却材が残った熱を運び、ラジエーターが宇宙へ捨てる。




『蓄電系、分離完了』


『変換設備、安全温度域』


『高出力系、停止確認』




 一拍。


『……通常停止、完了!』




 通信回線が爆発した。


 歓声。

 笑い声。

 誰かが何かを叫び、別の誰かが怒鳴り返す。


 グレアムは操縦席へ身体を預けた。


「……ふぅ、終わったな」


「はい」


 今度はパティも否定しなかった。




 もちろん、それですべてが終わったわけではない。


 修復された支持部へ慎重に荷重を戻し、冷却系の安定を確認してから、グラディヴスは四本の手を離した。

 原因調査は専門班へ引き継がれ、負傷者は軽傷者二名だけで済んだ。


 フォボスは予定どおり送電経路を横切った。

 その時にはステーションは既に安全状態へ移行していた。


 予定された通過は、ただの予定された通過へと戻ったのだった。







 そして数時間後。


「……はぁ〜、生き返る」


 グレアムはグラスを置いた。


 MRSS基地ステーションの職員ラウンジ。

 勤務を終えた人間は、単にバーと呼んでいる。


 救難屋は基地で寝食する時間が長い。

 だから寝床も、食堂も、シャワーも、そして一杯飲める場所もあった。


「さっきまで死んでたんですか?」


 向かいのダリオが言った。


「精神的にはな」


「通信では元気でしたけど」


「仕事中は元気に見せるもんなんだよ。ため息ばかり吐く同僚なんてダルいだろ?」


 グレアムはもう一口飲む。


 エレナがグラスを傾けながら、ふと思い出したように言った。


「……そういえばさ」


「何だ?」


「現場で誰か言ってなかった?」


「何を」


「……カニ」


 グレアムの手が止まった。


「……言ってたな」


「やっぱり聞こえてたんだ」


「聞こえてたけど、拾ってる場合じゃなかっただろ」


「でもさ……プッ」


 エレナが笑いを堪えながら手を広げた。


「四本……くくっ……広げてさ、ラジエーターに張り付いてたじゃない……くっ」


「カニは八本だろ?」


「え、そこ!?」


「そこだろ」


「タラバガニであれば――」


 パティが口を挟んだ。


「ほら、パティちゃんもカニだって」


「タラバガニです」


 ダリオが吹き出した。


「いや、でも一度そう見えると、もうそうとしか見えませんね」


「お前までかよ。クアドリガならなんでも、ああやって脚開いたら同じようなシルエットだろ!」


「どっかに写真残ってないかしら?」


「探すなよ……」


 エレナが笑う。


 その隣では、パティが何も頼まずに座っている。


「お前も何か頼むか?」


「必要ありません」


「ほら、雰囲気ってあるだろ……ってこれ以上はアルハラだな」


「では、水を」


「食えるんだろ?」


「摂取は可能です。現在は必要ありません」


「そういうとこだけ融通利かねえな」


 エレナが笑った。


 しばらく誰も仕事の話をしなかった。

 最初にそれを破ったのは、結局グレアムだった。


「ったくよ。民間の工事ミスで救難屋を四人も引っ張り出しやがって」


「また始まった」


 エレナが茶々を入れる。


「自分らの設備なんだから、自分らで最後まで面倒見られるようにしとけってんだ」


「今回は出来なかった、手が足りなかったんでしょう。だから俺達が行った」


 ダリオが言う。


「だったら、それでいいのでは?」


「よくねえよ。俺達が張り付いてる間に別の船が遭難したらどうする」


「別班が出ますね」


「そっちも埋まってたら?」


「優先順位を決めるしかないでしょう」


「ほら見ろ」


「でも、作業員が死んで、ステーションが壊れて、それから呼ばれるよりは良かった」


 グレアムは黙る。


「今回は、そこまで行く前に止められましたからね」


「事故自体は起きてるぞ?」


「ええ。でも誰も死んでないですし」


 少し間が空いた。


「……だからって毎回こっちを当てにされちゃ困るんだよ」


「そこは同意しますね」


「じゃあ二人とも同じこと言ってるじゃないの」


 エレナが呆れた。


「違うだろ」


「少し違います」


「……めんどくさいなあ、もう」


「今回のMRSS介入は――」


「そうだパティ、お前はどう思う?」


「――規定内の出動であり、なんら問題のある事ではありません。通常の業務範囲内です。また事故原因も確定していません」


 また数秒の沈黙が場を支配する。


「じゃあさ」


 エレナがパティを見る。


「パティちゃんが増えればいいのよ。可愛いし」


「何でそうなる……」


「今日だってパティちゃんが脚を四本まとめて見てくれたから上手くいったんでしょ?」


「エレナ。私一体の製造および初期調整に要した総費用は、グラディヴス約三機分ですが」


 誰も喋らなかった。


「……は?」


「正確な額が必要ですか?」


「いやちょい待て。お前そんな高かったの?」


「事前資料に記載されています」


「見てねえ……」


 ダリオが額へ手を当てる。


「三機……」


「約です」


「約でも高いですよ……」


 エレナはしばらくパティを見ていた。


「……パティちゃん」


「はい」


「あなたは一人でいいわ。それがアイデンティティよ」


「先ほどと判断が変わりましたね」


「金額を聞いたからね!」


「合理的な掌返しです」


「くっ……何か腹立つ!」


 グレアムが吹き出した。

 ダリオまで笑う。


「でもまあ」


 笑いが収まった頃、エレナがグラスを傾けた。


「今回は呼んでもらって正解でしょ。施工会社には原因調べてもらって、必要なら直してもらう。保険屋にも働いてもらう」


「最後だけ妙に具体的だな」


「お金は大事だからね」


「さっき身に染みたもんな?」


「うっさい」


 エレナはグラスを置いた。


「でも、死人が出てから『自分達で何とかしようとしました』って言われる方が困るじゃない」


「まあな」


「危ないって分かって、もう自分達じゃどうにもならないなら呼ぶ。それで止められるうちに止める」


「僕もそれでいいと思います」


 ダリオが言った。


「手遅れになってからじゃ、遅いですから」


 グレアムは一度だけダリオを見た。


「次は、手遅れになる前に自分らで止められるようにして欲しいもんだ」


「それも正しいですね」


「だから同じこと言ってるじゃないの」


「違う」


「少し違います」


「あー、もういい!」


 エレナが笑った。


 今日、誰も死ななかった。

 送電ステーションも残った。


 責任を決めるのも。

 修理するのも。

 金を払うのも。


 それぞれ別の誰かの仕事だった。


 グレアム達の仕事は、その前で終わる。


 壊れ切る前に押さえ。

 死ぬ前に助け。

 後の仕事を、後の人間へ渡す。


「まあいい」


 グレアムは空になったグラスを置いた。


「今日は誰も死ななかった」


「はい」


 ダリオが答える。


「それで十分です」


「……お前が言うと優等生みたいで腹立つな」


「理不尽ですね」


「ま、グレアムだしね」


「お前まで言うな」


 エレナが笑った。


 パティは三人を見たあと、テーブルの水へ視線を落とした。


「……ところでグレアム」


「今度は何だ」


「水は飲む必要がありますか?」


「お前、まだ飲んでなかったのかよ!」


 エレナの笑い声が、バーの中へ響いた。

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