第6話 足りない手
火星の夜側、そのはるか上空。
建設中の軌道送電ステーションでは、今日も多数のファーベルが動いていた。
巨大な太陽電池群。
火星地表へ電力を送るマイクロ波送電設備。
その周囲へ広がる放熱用のラジエーター。
完成すれば、火星電力網の一部を担う新しい発電設備になる。
もっとも、今はまだ完成品とは呼べない。
主要設備そのものは一通り動いているが、常設の保守設備や冗長系には未完成の区画が残り、軌道変更用の推進設備も正式な受領試験を終えていない。
だからこそ今、実際に電力を流しながら一つずつ確認しているのだった。
『ラジエーター3番、展開位置確認』
『固定表示、正常』
『冷却材循環、定格まで上げます』
QW-09【ファーベル】。軌道施設や工事母船の周囲で、建設・補修・荷役をこなす民生用の作業クアドリガだ。
長距離航行能力を割り切った代わりに、近距離での位置保持と重量物作業へ機能を振っている。
その一機が、巨大なラジエーターの脇をゆっくりと離れていく。
展開された放熱面は、宇宙空間の中では薄い板のように見えた。
だが、その面積は小型船なら何隻も隠せるほど大きいものだ。
『3番系統、流量安定』
『温度差、設計範囲内』
『了解。次、高出力試験準備に入る』
管制区画で確認項目にチェックが入る。
いくつもの表示が緑へ変わった。
誰かが歓声を上げるような場面ではない。
予定どおり作り、予定どおり展開し、予定どおり動いた。
確認表示が静かに緑へ変わっていく。
建設現場としては、それが一番いい事だ。
ファーベルが次の点検箇所へ向かう。
ラジエーターも。
冷却配管も。
支持トラスも。
何事もなく、火星の上を回り続けていた。
◇
「右前、0.3度下げろ」
「了解しました」
グレアムが言い終えるより早く、グラディヴスの右前方推進モジュールが動いた。
機体がわずかに傾く。
ほんの僅かな姿勢変化。
正面に浮かぶ作業用標的との位置関係が修正された。
「……そこ」
今度は指示がさらに短い。
それでもパティは問い返さなかった。
四本の推進モジュールのうち二本だけが微細な噴射を行い、AEドライブが残った相対速度を消す。
標的までの距離が止まった。
「固定位置、許容範囲です」
「……早くなったな」
「何がですか?」
グレアムは操縦桿から片手を離した。
「前なら今ので、右前方モジュールを何度、相対速度をどこまで、AEをどれくらい使うかって一々聞いてただろ。それが無くなった」
「あなたが要求する結果を予測出来るようになったためです」
「俺が雑になっただけじゃないだろうな」
「その可能性もあります」
「おい」
「ですが、現時点では問題ありません」
グレアムは苦笑した。
短いやり取りだけで機体が意図どおり止まったことに、もう驚きはしなくなっていた。
フォボス宇宙港の貨物船事故から数日。
予定されていた性能試験は、何事もなかったように再開されていた。
もちろん実際には何事もなかったわけではない。
エレナが指摘した貨物船の制御記録はMNSAへ渡され、調査が続いている。
使えるはずだった予備系統が順番に停止していたことは事実だった。
事故だけでは説明しにくい。人為的な操作を仮定した方が説明しやすい。
そこまでは分かっている。
だが、それだけだった。
誰が。
何のために。
どうやって。
分からない部分だけが、きれいに残っている。
だからMRSSがやることも変わらない。
事故が起きれば助けるし、機体があれば飛ばす。
そして、壊れた試験予定は組み直された。
「次。左後方モジュールの推進補助を落とす。姿勢はそのまま」
「了解しました」
表示上で、一基の推進能力が制限される。
そこにグレアムが操縦桿を入れた。
機体が横へ滑る。
残る三本が位置を変え、失われた推力を補う。
「右前、使いすぎじゃないか?」
「現状では最も効率的です」
「このあと右前を作業腕として使う想定なら?」
一瞬。
推力配分が変わった。
「修正しました」
「そう、それ」
グレアムは口元を緩めた。
「今のは最初から分かって欲しかったんだよ」
「作業予定を明示されていませんでした」
「現場じゃ、全部説明してる暇がない時もある」
「だから、あなたの判断傾向を学習しています」
「そういうことだ」
機体は再び安定した。
数字だけなら、最初の試験からパティは優秀だった。
必要な推力。
熱。
電力。
MMR出力。
推進剤。
計算の正確さで言えば、グレアムが教えられることなどほとんどない。
変わってきたのは、その計算を始めるタイミングだった。
グレアムが何をしようとしているのか。
次に何を使いたいのか。
今、どの余力を残そうとしているのか。
少しずつ。
本当に少しずつだが。
パティが、それを先に考えるようになっている。
「じゃあ次――」
言い掛けたところで、通信表示が切り替わった。
『こちらMRSS管制。グラディヴス、訓練を中止』
グレアムの手が止まる。
「どうした?」
『軌道送電ステーションで重大事故。救援要請が出た』
数日前と同じだった。
モニターから訓練画面が消える。
「データ寄越せ」
「受信します」
共有された情報が正面表示へ展開される。
新設の軌道送電ステーション。
冷却能力の低下。
大型ラジエーターに支持構造異常。
作業員が複数。
ファーベル、現場に数機。
「火災は?」
『なし』
「爆発は?」
『確認されていない』
「外部からの衝突は?」
『今のところ報告なし』
グレアムは黙った。
パティが横から言葉を足す。
「現在受信している監視情報上、事故直前の外部物体接近は確認出来ません」
「……分かった」
聞く必要がある質問だった。
答えが「ない」と返ってきても、胸の奥に残る引っ掛かりまでは消えない。
それが少し気に入らなかった。
数日前なら、冷却事故と聞いて最初に考えたのは設備故障だったはずだ。
今は違う。余計なことまで考えなければならなかった。
「ダリオ達は?」
『サルースCで先行させた。お前達も向かえ』
「了解。訓練終了、現場へ向かう」
「救難任務へ移行します」
パティが機体設定を切り替える。
「現在位置からの最短遷移を算出。到着後の作業内容が不明なため、推進剤、熱、電力に通常救難余力を確保します」
「今回は10Gで飛ぶ必要はないだろ」
「ありません」
「なんだか、ちょっと残念そうに聞こえるな」
「聞き間違いです」
「そうかい」
四本の推進モジュールが後方へ揃っていく。
グレアムは正面へ向き直った。
「よし、行くぞ」
「はい」
◇
現場へ近づくにつれ、送電ステーションの全体像が見えてきた。
「……でかいな」
資料で寸法は見ていた。
それでも、実際に見ると印象が違う。
視界の端まで構造物が続き、距離感が数字より先に迫ってくる。
中心部には電力変換設備と送電設備。
そこから太陽電池群が大きく広がっている。
さらに別方向へ、何枚もの大型ラジエーターが展開されていた。
完成すれば巨大な一つの発電所になる。
今は、その一角だけが妙に歪んでいた。
「3番ラジエーター、予定位置から変位しています」
パティが拡大画像を表示する。
ラジエーターそのものが破断しているわけではない。
だが、それを支えるトラスの一部が本来の位置から外れている。
そこへ三機のファーベルが取り付いていた。
二機がトラスの上下から荷重を受け、もう一機が配管側の支持点を押さえている。
そのすぐ脇では、修理班が工具を抱えたまま待機していた。
手を付けたい場所が目の前にあるのに、構造物が動いている間は近づけない様子だ。
止まっている時間そのものが、作業を遅らせていた。
『MRSS機、こちら現場管制。聞こえるか』
「聞こえてる。状況を教えてくれ」
『高出力試験中に3番冷却系の能力が急低下した。ラジエーター支持部がずれて、冷却材配管にも荷重が掛かってる』
「漏れてるのか?」
『今のところ大量漏洩はない。だが流量が落ちてる。これ以上位置がずれれば分からん』
「送電は?」
『出力低下中だ。ビーム自体ならいつでも遮断出来る』
「なら、止めたらいいだろ?」
『それで全部終わるなら、とっくにやってる』
少し苛立った声が返ってきた。
『今は高出力試験の途中だ。送電器だけ落としても、変換設備と蓄電系には熱も電力も残る。太陽電池側を切り離しながら、各系統を安全温度まで落として停止させる手順が必要なんだ』
「非常停止は?」
『出来る。ただし今の冷却能力で高出力状態から非常停止を掛ければ、変換器か蓄電系のどこかを焼く可能性が高い。それは避けたい』
グレアムは表示を見る。
温度。
冷却材流量。
送電出力。
どれも単独ならただの数値だが、今は同じ締切へ向かって動いている。
停止シーケンスそのものが、予定より遅れている。
『それに、もう一つ問題がある』
「なんだ?」
『フォボスだ』
新しい軌道表示が開かれた。
グレアムは眉をひそめる。
ステーションから火星地表の受電設備へ伸びる送電経路。
そこへ、フォボスの予測軌道が重なっていた。
「……どれくらいだ」
『一時間を切ってる』
「通過時は?」
『規定どおりビームを強制遮断する。誤照射だけは絶対にさせない』
「つまり、その時までに高出力系を落とし切れなきゃ、非常停止で設備が死ぬと」
『そういうことだ』
グレアムは舌打ちした。
フォボスが来るから事故が起きたわけではない。
予定どおりなら、余裕を持って送電を止めるだけだった。
しかし事故によって、その予定が締切へ変わった。
「ステーションをずらすのは?」
『軌道変更系はまだ未テストだ。今使えば、ラジエーターより先に何が壊れるか分からん』
「軌道変更に耐えられるかも分からんな。素敵な新築だ」
『現場の連中の前で言うなよ』
「言わねえよ」
グレアムは正面へ視線を戻す。
三機のファーベルが、ずれた支持構造を別々の方向から押さえている。
一機が姿勢を直すため、ごく短く噴射した。
『待て! そこ動くな!』
現場通信に怒声が飛んだ。
ラジエーターの端が、ゆっくりと揺れた。
別のクアドリガが反射的に噴射する。
『2番機、出力上げるな! 4番支持点の荷重が増えてる!』
『じゃあどうしろってんだ! こっちを抜いたら3番が動くぞ!』
『分かってる、だから待て!』
修理班の一人が通信へ割り込む。
『こっちはまだ入れない! 支持点がもう少しでも動いたら、配管触ってる最中に挟まれる!』
グレアムは黙ってその様子を見た。
問題は推力が足りないことだけではない。
一機が押せば、その力は構造物を通って別の場所へ逃げる。
画面の上では一本のトラスでも、現場では全体が繋がっている。
誰かが支えている場所を別の誰かが押せば、今度は違う支持点へ荷重が掛かる。
大型構造物を相手に、力任せの解決は出来ない。
「パティ、頼む」
「解析しています」
グレアムが言うより早く、既に画面上ではラジエーターと支持トラスが簡略化された構造モデルへ置き換わっていた。
現場機が力を掛けている位置。
変位。
冷却配管の位置。
各支持点の推定荷重。
数値が次々と書き込まれていく。
「どうだ?」
「現場機だけで保持を継続することは可能です」
「なら手を出さない方がいいか?」
「いいえ」
即答だった。
「現在、3機が構造保持へ使用されています。この状態では、冷却配管および支持構造の修理へ使用出来るファーベルが不足します。また、1機を修理作業へ外した場合、残る機体へ荷重が集中します」
「押さえてるだけで、手が全部塞がってるわけか」
「はい」
そこへ別の通信が入った。
『グレアム』
「ダリオか」
共有表示の端にQR-12C【サルースC】が現れる。
小型の作業艇を伴い、ステーション外周を回っていた。
『こちらは作業員の退避を進めます。負傷者は今のところ軽傷2名。冷却材の大量漏洩も確認されていません』
「そっちは任せる。エレナは?」
『外に出てます』
直後、別回線から声が入る。
『聞こえてるわよ。今、修理班と配管を見てる』
「状態は?」
『よくない。でも切れてはいない。これ以上ラジエーターが動かなければ、交換じゃなくて補修でいけると思う』
「動かなければ、か」
『そう。問題はそのためにファーベルが全部取られてることね』
グレアムは笑った。
「こっちも同じ結論だ」
『さすが新型』
「新型じゃなくて後ろの奴だ」
「双方の情報から同一の結論へ到達しただけです」
『うちの子は可愛いだけじゃないわね!』
エレナが軽く返す。
その間にもパティは計算を続けていた。
グレアム側の表示へ、四つの点が現れる。
「グレアム」
「うん?」
「現場機が現在受け持っている荷重を、一度に移してはいけません」
「だろうな。続けろ」
「まず上側2点。次に右側。最後に配管側です。各点の変位を監視しながら、こちらで徐々に荷重を引き受けます」
グレアムは図を見る。
四本の推進モジュール。
四つの力点。
「出来るか?」
「機体能力上は可能です」
「熱は?」
「現状から一時間以上、必要推力を維持しても余裕があります。ただし、4本のモジュールを構造保持へ使用する間、機動能力は大幅に低下します」
「逃げる必要が出たら?」
「保持を解除する必要があります」
「よし、それでいい」
グレアムは操縦桿を握った。
「現場管制、聞こえるか」
『聞こえてる』
「このグラディヴスを保持に入れ、今押さえてるファーベルを1機ずつ外す」
『1機で持てるのか?』
「1機じゃない」
グレアムは正面に広がる巨大なラジエーターを見た。
四本の推進モジュールが、ゆっくりと開いていく。
「こいつには、手が四本ある」
『……了解。荷重情報を送る』
「パティ、現場機と同期」
「共有、開始しました」
ファーベル。
ラジエーター。
支持構造。
配管。
残り時間。
すべての情報が、一つの画面へ重ねられていく。
さっきまで別々の機体が抱えていた力まで、そこへ集まってくる。
グレアムは短く息を吐いた。
「上から取るぞ」
「はい。右前方モジュール、接触位置を表示します」
「その次は?」
「左前方。あなたが次に聞くと予測して、既に表示しています」
グレアムは一瞬、黙った。
正面表示には確かに、二つ目の位置まで示されていた。
「……だいぶ分かってきたじゃないか」
「不要な確認を減らしています」
「上等!」
巨大なラジエーターへ向かって、グラディヴスが前へ出る。
修理をするためではない。
今そこで構造物を押さえ続け、動けなくなっている機体を解放するために。
足りない手を四本分、増やすために。
一本目の推進モジュールが、支持トラスへゆっくりと伸びていった。




