第5話 帰還報告
後続部隊への引き継ぎを終えたグレアム達より先に、ダリオ達のサルースCは基地へ戻っていた。
救難作業で熱を溜め込んだ機体は、通常整備区画の一角へ固定されている。
白と赤の船体には外部冷却設備が接続され、開いた四本の推進アームの周囲を整備員達が忙しく行き交っていた。スーツに備えられている小型AEドライブで、工具や冷却ホースの間を縫うように微小重力下を進んでいく。
「こっちはしばらく飛ばせませんね」
ダリオは、便宜上は床とされる面へと靴を固定し、機体を見上げながら言った。
「珍しい。あなたの口からそんな言葉が出るなんて」
隣のエレナが笑う。
「俺だって、壊れると分かってる機体を飛ばす趣味はありません」
「壊れる方が自分だったら?」
「状況次第ですかね」
「それじゃ私が困るのよ」
そこへ格納庫内の表示が切り替わった。
帰還機あり。
識別番号、XQA-01。
機体名――【グラディヴス】。
「あ、帰ってきた」
格納庫の大型モニターへ、外部カメラの映像が映し出された。
火星と、黒い宇宙。
その中に灰色の機影がある。
「……あれか」
ダリオが小さく呟く。
あの時のグラディヴスは遠方から異常な速度で現れ、そのまま巨大貨物船へ取り付いた。
今は、ひどく静かだった。
救難現場で見た速さが嘘だったように、外部カメラの中でゆっくりと形を変えていく。
後方へ揃えられていた四本の推進モジュールが一本ずつ開いていく。
高速航行のための細長い姿が崩れ、四肢を広げたクアドリガ本来の形へ戻る。
短い噴射が繰り返される。
機体の向きをほとんど変えないまま、基地との相対速度だけが削られていった。
「やっぱり、気持ち悪いくらい細かいですね」
「褒めてる?」
「それはもう、最大限に」
外扉が開き、グラディヴスがエアロックへ滑り込む。
固定、気密確認、加圧を経て、MMR出力も整備時の値へ戻されていく。
やがて内側隔壁が開いた。
先ほどまで宇宙にいた巨大な機械が、明るい整備区画へゆっくりと引き込まれる。
所定位置へ収まると同時に、待機していた整備員達が一斉に動き出した。静止した機体の周囲だけが急に慌ただしくなる。
「外部電源接続!」
「推進系、冷却優先!」
「右後方モジュール、温度高いぞ!」
外部電源と冷却系がケーブルで接続され、グラディヴスの各部が飛行状態から整備状態へと切り替えられていく。
「……ずいぶんと熱、持って帰ってきたみたいね」
「試作機とはいえ、あれだけ飛ばしましたからね」
「普通なら、その前に熱限界で止まってるでしょ。サルースとは溜め込める量が違うのね」
前席のハッチが開いた。
「……はぁ、疲れた」
最初に聞こえてきたのは、やはりグレアムの声だった。
続いて後席のハッチが開く。
青い髪が見え、一人の少女がグレアムに続いて機体を降りてくる。
エレナが目を丸くした。
「……本当に女の子が乗ってた」
「だから、さっき言っただろ」
「声しか聞いてないもの。もっとこう、機体そのものに組み込まれてるAIを想像するじゃない?」
少女が床へふわりと接地する。微小重力で、鮮やかな青い髪も遅れて揺らめいた。
救難中、グレアムの後席から貨物船の構造を読み続けていた声の持ち主だ。
通信越しの正確な声と、目の前の小柄な姿がようやく一つに重なった。
「パティ、でしたよね」
ダリオが確かめる。
「はい。No.003 P.A.T.I.です。現在、グラディヴスの後席搭乗員を担当しています」
「ダリオ・ケインです。さっきは助かりました」
「こちらも同様です。サルースCが貨物船の運動を安定させていなければ、到着後すぐに主推力を加えることは出来ませんでした」
「エレナ・ヴォス。ダリオの後席よ。よろしくね」
「よろしくお願いします、エレナ」
エレナはしばらくパティの顔を眺めた。
「……思ってたより普通に喋るのね。あと、めっちゃ可愛いわ」
「人間との共同作業を前提として調整されています。会話による意思疎通も任務能力の一部です」
「なるほどね。可愛いは正義だわ」
「せめてエレナさんはちゃんと会話をしてくださいよ……」
そこにグレアムが横から口を挟む。
「普通に喋るどころか、俺より口が回る時があるぞ」
「必要な情報量が多い場合は、そうなります」
「ふーん、結構うまくやってるじゃない」
「今日組んだばっかりだぞ。それに、うまくいったかどうかはこれからだ」
「本日の共同運用は1回です。継続的な評価には不足しています」
「ほらな?」
ダリオはそのやり取りを聞きながら、もう一度グラディヴスを見上げた。
機体だけでなく、その後席まで含めて知らないものだったらしい。
「しかし……本当に35分で来たんですね」
「見ただろ」
「見ましたけど、見たからって納得出来るとは限らないでしょう」
「俺も乗ってて似たような気分だったよ」
「航行計画については、出発前に承認しています」
パティが言う。
「分かってる。数字で分かってるのと、実際にやってみるのは別って事だ」
「それについては同意します。今回の運用で、試験項目だけでは得られなかったデータを取得出来ました」
グレアムはダリオへ顎をしゃくる。
「こういう奴だよ。固えんだ」
「優秀じゃないですか」
「優秀なのは否定してねえけどな」
「だったらいいじゃないですか」
「だから、それとこれは別なんだよ」
言い返したところで、格納庫の奥から声が飛んだ。
「お前ら。立ち話するなら、報告も一緒にやれ」
端末を手にしたマーカスが向かってくる。
「帰って早々かよ」
「予定外に試験機を4,000km飛ばして、大型貨物船まで押して帰ってきた奴に言われたくない」
「行けって言ったのはそっちだろ?」
「言った。だから救難へ行ったことには文句はない。話があるのは中身だ」
マーカスはエレナを見る。
「それと、例の貨物船もな」
エレナの表情から笑みが消えた。
格納庫脇の作業スペースで、エレナが事故船のログを開いた。
「最初は普通の故障だと思ってたの。制御を失って、推進器が使えなくなった。でも外から制御を取り戻そうとした時に、変だと思った」
画面に複数の制御経路が並ぶ。
「動力系そのものは死んでない。推進器も全部が壊れてるわけじゃない。なのに主系統が止まったあと、使えるはずの予備系統まで順番に潰れてる」
「連鎖故障にしては変、ということか」
「そう。使える経路を順番に潰したみたいに見えるのよ」
マーカスがパティを見る。
「確認出来るか?」
「はい」
パティは記録を時系列に並べ直した。
「主制御経路の停止後、独立した予備経路が短時間有効となっています。その後、予備経路も停止しています。記録されている物理損傷のみを原因とした場合、この停止順序を説明するには追加の故障要因が必要です」
「……追加の要因として考えられるのは?」
グレアムが聞く。
「人為的操作を仮定した方が、より少ない要因で説明出来ます」
「故意だと言い切れるか?」
「いいえ。現時点で断定する根拠はありません」
「それでいい」
グレアムは画面を眺めた。
さっきまでの軽口が、自然に止まった。
年次整備中で軌道変更設備を使えなかったフォボス宇宙港。
そこへ向かってきた制御不能の大型貨物船。
積み荷は火星向けの重要な医療物資。
「……状況は大分、出来すぎてるな」
「そう思う?」
「これが偶然なら、とことん運が悪かっただけだ。偶然じゃないなら、少なくともフォボスが動けない時期を知ってた」
「仮にそうだとして、目的は?」
マーカスに聞かれ、グレアムは首を振る。
「分からん。港かもしれない。船かもしれない。積み荷かもしれない」
「現時点では目的を一つに絞ることは出来ません」
パティが付け加える。
「よし、ここまでだ」
マーカスは端末を閉じた。
「ここから先は俺達の仕事じゃない。ログの原本をMNSAへ渡す。パティの時系列も添付しろ。観測事実と推定は分けてな」
「承知しました」
「で?」
グレアムが嫌そうに眉を寄せる。
「その顔からすると、まだあるんだろ」
「ああ。むしろ、ここからがお前達の話だ」
表示されたのはグラディヴスの運用ログだった。
長距離緊急航行、推進系、MMR、熱管理、残存推進剤、貨物船の構造解析、サルースCとの推力同期、帰還余力。
「試験の直後に4,000km飛んで、大型貨物船を押して、それでも帰還分の余力は残した。機体の方はいい。予定外とはいえ、取れたデータは多い」
画面がパティの処理記録へ切り替わる。
「確認したいのはこっちだ」
「私ですか」
「ああ。今回、お前は何をやった?」
「グラディヴスの後席搭乗員として必要な処理を行いました」
「そうだ。それがNo.003を実機へ乗せた理由の一つでもある」
「人手不足か」
グレアムが言う。
「ああ。火星で宇宙機を扱える人間は限られている。複座機1機に2人ずつ乗せるなら、なおさらだ。後席1人分を人型AIで担える意味は大きい」
「理屈は分かる」
グレアムの声が少し低くなる。
「でも、それと俺の後ろから人間を降ろす話は別だ」
「私の任務能力に問題がありますか」
パティが尋ねる。
「いや」
グレアムはすぐに答えた。
「今日、お前が使えるってことは分かった。かなり使える。それも認める」
「ありがとうございます」
「でもな」
少しだけ間を置く。
「俺の記録を知ってることと、俺を知ってることは同じじゃない」
パティは黙って続きを待った。
「今まで組んできた奴なら、何も言わなくても伝わることがある。俺も向こうの癖を知ってる。上手い奴を二人並べりゃ、それだけで良い複座になるわけじゃない」
「私の任務能力ではなく、あなたとの連携経験についての評価ですか」
「そういうことだ」
「では、現在不足しているものは?」
グレアムは少し考えた。
「……時間だな」
「時間、ですか」
「人間同士だって、一日じゃ出来上がらねえ。俺がどういう時に無茶するか。どこから先は止めるべきか。逆に、何も言わなくても任せていいのはどこか」
グレアムは少し視線を逸らした。
言葉にすると、自分でも妙に細かいことを気にしているように聞こえる。
「普段なら喋る奴が黙った時に、集中してるのか、困ってるのか、本当に余裕がないのか。そういうのは記録を読んだだけじゃ分からんだろ」
「事前情報から推定することは可能です。しかし、実際の共同運用によって補正する必要があります」
グレアムが口元を上げた。
「そうだ。なんだ、分かってるじゃねえか」
「そのため、本日の記録も既に更新対象としています」
「仕事が早いな」
「私の役目です」
マーカスが口を挟む。
「今回だけ見れば、能力そのものは十分以上だ。むしろ想定より良い。ただし後席としての評価は一回じゃ終わらん」
「承知しました」
パティはグレアムへ向き直った。
「では、今後の共同運用によって、あなたに対するモデルを更新します」
「やり方は好きにしてくれ」
グレアムが苦笑する。
横でエレナが笑った。
「やっぱり、結構うまくやってるじゃない」
「だから今日組んだばっかりだって」
「少なくとも、前の後席より会話は多そうですね」
ダリオが口を挟む。
「余計なこと言うな」
「すみません」
その顔はまるで反省していなかった。
マーカスが端末を閉じる。
「まあいい。今日はここまでだ。機体は整備班へ。グレアムとパティは運用記録をまとめろ」
「まだ仕事あんのかよ?」
「当たり前だ。貨物船一隻救ったからって、報告書が免除される規則はない」
「夢がねえな……」
「現実で仕事してるからな」
パティがグレアムを見る。
「報告書の作成は支援出来ます」
グレアムは少し考えた。
「……そこは素直に助かる」
「了解しました」
格納庫では、整備員達がグラディヴスを囲んで作業を続けていた。
冷却設備の表示が一つずつ落ち着き、機体は飛行状態から整備状態へ戻されていく。
複座機一機に、人間を二人。
それがこれまでの当たり前だった。
その一人を別の存在へ置き換えられるなら、限られた人員しか持たない火星にとって、その意味は大きい。
だが、人間一人分の仕事が出来ることと。
人間一人分の信頼を得ることは。
どうやら、同じではないらしい。




